閑話4 サンオリ カンヌに会う!
午後のカフェは、甘い焼き菓子の香りと人々のざわめきで満ちていた。
街角の人気店「ル・シュクル」の窓際席に、カンヌ=アヴィニヨンの姿があった。
薄桃色のドレスを纏い、整った姿勢でカップを傾ける。
向かいには、長身の青年――ランスが穏やかな笑みを浮かべていた。
その光景を、店の入口から凝視している男がいる。サンオリ=ポールである。彼の胸は怒りで煮えたぎり、顔は紅潮していた。
「な、何をしているんだ……!」
彼は声を張り上げ、客たちの視線を浴びながら勢いよく店内へ踏み込んだ。靴音が硬く響き、カンヌとランスのテーブルへ直進する。
「カンヌ! 僕というものがありながら、見知らぬ男と……完全なる浮気ではないか!」
突然の乱入に、カンヌはカップを置き、きょとんとした表情を浮かべた。
やや遅れて周囲の客たちもざわつく。
「……サンオリ様? 何を仰っているのですか。あなたとは婚約破棄されていますが」
「な、何だと……!」
「ですから、私とあなたの関係は、すでに終わっているのです。どうぞナンテール嬢とお幸せに」
そのあまりに冷静な言葉に、サンオリは言葉を失った。
脳裏でぐるぐると、都合の良い幻想が崩れ落ちていく。
やっとのことで声を絞り出す。
「ま、待て。お前は僕に惚れていたはずだろう!」
カンヌは肩を竦め、カップを持ち直すと、淡々と答える。
「それは……昔のことですね」
静かな一言。
突き放すような冷たさに、サンオリの心臓が掴まれる。
焦燥が込み上げ、声が裏返った。
「そ、それでは困るのだ! 婚約を戻さなければ、僕はポール家を勘当されてしまう! さらにナンテールにも捨てられてしまうんだ!」
カンヌの表情は変わらない。
むしろ軽蔑の色を帯びていた。
「……それは、わたしには関係ありません。どうせ、アヴィニヨン伯爵家の地位と財産が狙いなんでしょう?」
「そうだ!」
思わず叫んでいた。
サンオリは自分でも気づかぬうちに、心の奥底をさらけ出していた。
「お前の家の地位と金が狙いだ! だから婚約を元に戻せ!」
怒鳴り声が店内を震わせる。
カンヌは呆れ顔でため息を漏らし、ランスがついに口を開いた。
「君、静かにしたまえ。ここにはほかのお客もいるのだ。それに君の言動は、あまりにもカンヌ嬢に失礼だぞ。彼女に謝罪したまえ」
サンオリの視線が、ギラリとランスに向けられる。
「……お前か。お前が僕からカンヌを奪ったのだな!」
次の瞬間、拳が振るわれた。鈍い音と共に、ランスの頬に衝撃が走る。周囲の客たちが悲鳴を上げた。
ランスは驚いたように目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻す。二発目の拳は、身をひねって軽くかわした。
「やめてください!」
カンヌが立ち上がる。
しかし、サンオリは我を忘れていた。
「カンヌは僕のものだ! お前ごときが隣に座るなど許されない!」
その叫びが響いた瞬間、店のスタッフ数名が駆け寄り、サンオリの両腕を後ろにねじり上げた。
「お客様、困ります! 暴力行為は許されません!」
必死に暴れようとするサンオリだが、多勢に無勢、あっという間に拘束されてしまう。
客席からは冷たい視線と囁き声が飛び交った。
「まあ……あれがポール伯爵家の令息?」
「なんて醜態……」
顔を真っ赤にしながら、サンオリはなおも叫ぶ。
「離せ! 僕はカンヌの婚約者だ! 彼女は僕を愛しているんだ!」
だが、返ってきたのはカンヌの静かな声だった。
「……いいえ。あなたと私は、もう何の関係もありません」
その冷淡な響きに、サンオリの心は崩れ落ちる。
スタッフに引きずられ、彼は店外へと放り出された。
扉が閉じると同時に、喧騒が静まり返る。
店内に残ったカンヌは、少しだけ瞳を伏せ、深く息を吐いた。
ランスは頬を押さえながら、苦笑を浮かべる。
「まったく……驚いたな。だが、君の毅然とした態度に感心したよ」
カンヌはわずかに笑みを返し、静かにスプーンを持ち直した。
甘いスイーツの香りだけが、再び穏やかな空気を取り戻していた。