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第1話 悪役令嬢の決別

悪役令嬢の決別 ― カンヌ=アヴィニヨンの新たな道


 伯爵家の大広間。

 絢爛たるシャンデリアの光が、大理石の床を白く照らしていた。


 その場に立ち尽くすカンヌ=アヴィニヨンは、心臓を凍りつかせるような言葉を聞かされたばかりだった。

 婚約者であるはずのサンオリ=ポール――完璧な金髪碧眼の伯爵家令息。

 その口から告げられたのは、冷酷な拒絶だった。


「お前のようなわがままは嫌いだ。結婚しても……生涯お前を愛することはない」


 夢見ていた未来が、音を立てて崩れ落ちる。

 愛され、幸せな結婚をするはずだった幻想。

 けれど彼の眼差しは、一度たりとも自分には向けられていなかった。


 絶望の底で、思わず叫ぶ。


「婚約者のわたしを愛せないのなら――あなたが夢中のその女を、ナンテールを殺す!」


 大広間にざわめきが広がる。サンオリが氷のような目を向けた、その瞬間――。


 頭の奥で、何かがはじけた。

 眩暈とともに、洪水のように記憶が押し寄せる。


(……これは……前世の記憶?)


 浮かび上がるのは、一人で夜更けに遊んでいた恋愛ゲーム――『ときめき記念日』。

 そうだ、ここはその世界。

 そして自分は、嫉妬に狂ってヒロインを害そうとする悪役令嬢――カンヌ。

 最終的には断罪され、すべてを失う運命のキャラクターだった。


(ばかみたい……。こんな男に夢中になって……それで破滅だなんて)


 胸を締め付けていた恋心が、すっと冷めていく。

 残ったのは諦めと、そして奇妙な解放感。


 サンオリがナンテールを庇う姿を一瞥(いちべつ)すると、カンヌは小さく吐き捨てた。


「男爵令嬢が好きなら……お好きにどうぞ」


 ドレスの裾を翻し、大広間を去る。

 驚愕と好奇の視線を背に受けながらも、心は不思議と軽かった。


◆◇◆


 伯爵邸に戻る馬車の中。

 窓の外を眺めながら、カンヌはため息をついた。


「……破滅する未来なんて、御免だわ」


 前世を思い出したことで、自分が「決められた筋書き」に従えば悲惨な結末しかないと理解した。

 ならば、道を変えればいい。


「せっかく異世界に来たのだから……カフェ巡りでもしてみようかしら」


 伯爵令嬢としての義務もあるが、今はそれより自分の心を癒したかった。

 前世ではアルバイト帰りに立ち寄った喫茶店のショートケーキが、人生の小さな幸せだった。

 あの甘い時間を、今度はこの異世界で探してみたい。


◆◇◆


 翌日。

 カンヌは信頼する侍女マルゴと、護衛騎士エティエンヌを伴い、街へと出かけた。


「お嬢様、本当にカフェ巡りを?」

「ええ。悪役令嬢をしていても、未来は破滅するだけでしょう? ならば甘いものでも食べて過ごす方がずっと建設的よ」


 呆れる侍女の顔をよそに、カンヌは上機嫌だった。


 訪れたのは王都の裏通りにある、小さなカフェ。

 木製の看板には「白い薔薇亭」と可憐な文字が刻まれている。

 ドアを開けると、甘い香りが鼻をくすぐった。


「いらっしゃいませ!」

 店員の少女が笑顔で迎える。

 窓際の席に座り、カンヌはメニューを開いた。


 そこには、ふわふわのパンケーキ、季節のタルト、焼きたてのクッキー。

 そして――彼女の視線を釘付けにしたのは、イチゴのショートケーキ。


「これをお願いするわ」


 ほどなくして運ばれてきたケーキは、白いクリームに真っ赤なイチゴが映える、美しい一皿だった。

 フォークでそっと切り分け、口に運ぶ。


「……っ!」


 ふんわりとしたスポンジが舌の上でほどけ、甘酸っぱいイチゴが爽やかに広がる。

 優しい生クリームが全体を包み込み、幸福な余韻を残した。


「お、おいしい……!」


 思わず声が漏れる。

 サンオリに振り回されていた心の棘が、すっと消えていくようだった。


「お嬢様、そんなに気に入られたのですか?」

「ええ。前世で食べたケーキを思い出したわ。……あの頃の私は、本当にささやかな幸せを大切にしていたのね」


 カンヌは微笑む。

 今度は、断罪される未来のためではなく、自分のために生きる。

 その決意を胸に、フォークをもう一度ケーキへと伸ばした。


◆◇◆


 店を出る頃には、頬が自然と緩んでいた。

 街路樹の葉が風に揺れ、馬車の窓から差し込む光は眩しかった。


「明日はどのカフェに行こうかしら」

「お嬢様、毎日ですか?」

「もちろん。これからは、のんびりカフェ旅を楽しむのよ」


 かつては悪役令嬢としての破滅が待っていた。

 けれど今は違う。

 自由な道を選び、自分の幸せを探しに行くのだ。


 ――その第一歩が、今日のイチゴのショートケーキだった。

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