俺と公園のベンチと好きな人
読者さんから恋愛もののリクエストがあったので、別小説サイトから持ってきました。
※自作であり、盗作ではありません。
読み返してみると、かなり未熟なところがありましたが(汗)。
今、俺は片想いをしている女の子がいる。クラスメイトだが、接点は少なく話す機会もあまりない。
学校で村木篤志という名の親友はいる。だが、思春期の俺には、親友といえども恋の話をするのは抵抗があり相談出来ず日々を過ごしている。
放課後、学校帰りに篤志と別れた後に、日課の公園に向かう。そして、ベンチに座り草花、木々の枝や葉が風で揺れる音、青空やゆっくりと流れていく雲を眺めてぼんやりと無駄に時間を過ごすのが好きなのである。
「恋の悩みか?人間は大変だな?」
どこからともなく誰かの声が聞こえた。俺は突然声をかけられたことと、内心を見透かされていることに驚きのあまり立ち上がった。そして辺りを見渡した。だが、遠くでは公園で遊んでいたりくつろいでいる人はいるが、俺の近くには誰もいなかった。
「ここだよ。ここ。お前の下だよ」
その言葉を聞き俺は下を向く。ベンチと芝生の地面が見えるだけ。自分の頭がおかしくなってしまったのか不安になりつつ思わず言葉にしてしまう。
「誰だよ?どこにいるんだよ?」
会話が成り立っているようでその言葉に対する返事が来た。
「今、お前が座っていたベンチだよ」
「はぁ?ベンチがしゃべるわけないだろ?」
自分では当たり前のことを言ったつもりだ。だが、ベンチは呆れたような声で質問してきた。
「人間に心はあるか?」
「当たり前じゃん。あるよ」
「じゃあ、人間以外の動物には?」
「ペットに猫を飼っているから心があるのはわかるよ」
「じゃあ、その辺の草木は?」
「心ないでしょ?」
「じゃあ、そこの公園の看板は?」
「ないよ!」
「やれやれだな。なんで草木や看板、そしてベンチである俺に心がないと思ってる?お前も俺も動けるか動けないかだけであって、元々はお互いに原子で出来ているんだぞ?動けないから表現が出来ない。感情が見えない。そう言うことだよ」
そのベンチの言葉が何となく正論に感じた。いや、正論ではないのかもしれないけど、俺には論破出来る気がしない。
「ああ、ちなみに会話が出来てるのはお前だけだから、他の人から見たら独り言だから気をつけろよ?」
俺は急に小声で言う。
「そういうことは早く言えよ」
「まあまあ、落ち着いて俺にでも座れよ」
俺は心ある奴に座っていいのだろうか?と疑問に思いつつも勧められたので、座らないというのもどうかと思い座った。
「それで、なんで俺に好きな人がいるということを知っているんだ?」
「接しているとその人の心の声が聞こえてくるんだよ。まあ、お前が立ち上がったときも心の声が聞こえたから会話が出来たんだけどな。お前珍しいやつだな?」
「なるほど。じゃあ、大勢の人々の心の声を聞いているベンチなら恋愛経験というか恋愛情報が豊富そうだな?相談にのってくれないか?」
「ああ、良いだろう。俺をベンチ様と敬えよ?」
「いや……そこまでして相談しようとは思わない」
「嘘だよ。軽いジョーク。今まで人と話せなかったから嬉しさあまりの戯れだよ」
俺はベンチをジト目で見つめる。
俺はベンチに好きになった経緯を、恥ずかしがりながら話した。
「学校の教室に忘れ物を取りに帰ったときに、その女の子が読書をしていたんだよ。その子は休み時間も読書をしている時があるけど、放課後に一人読書をする可憐な少女に見えて好きになったんだよ。夕日が窓から少し差し込み最早芸術的だったよ」
「なるほど。お前がチョロいということだな?」
「チョロくねーよ!そういう場合に好きになることだって普通にあるだろ!」
「そんな大きな声出していいのか?他人からヤバい人に見られるぞ?」
俺は慌てて両手で口を塞ぎ、眼だけを動かして辺りを見た。幸い誰にも気づかれていなかったようである。
「それで何か計画しているのか?」
「いや、気恥ずかしくてどう接していいのか、わからない。何か会話のきっかけがあるといいんだけど……」
「情けないなー。そんな頼りないとその子に好かれないんじゃないか?少しは自信持てよ。まあ自信ありすぎのやつも困りもんだが」
ベンチに自分を悪く評価された感じがしてちょっとムッとしてしまう。自分の心を落ち着けてベンチに言う。
「相談にのってくれるんだろ?そっちこそ何かアイデア出せないのかよ?」
「俺が接した人の心を読めるのは話しただろ?お前の好きな人も俺を使ったことあるぞ?」
「え?マジ?俺のことを実は想っていたりして両想いだったとかってない?」
「残念でした。それはないな。ただ、家庭の悩みはあるらしいがな」
「家庭の悩み?」
首を傾げつつ続きを聞く。
「本人は年頃だからもっと同級生と遊びたいみたいだぞ?まあ詳細を俺が話すのもどうかと思うから本人に聞けや」
それを聞いて俺は考える。遊びに誘ってあげたい。いや、この表現は恩着せがましく正しさに欠けている。単純に俺が好きな子と一緒の時間を過ごしたいだけである。そんな俺の思考をベンチが読み取った。
「少しだけ教えてやるよ。たまに塾をさぼって俺に座ってる時あるぞ?」
「何?それ早く言えよ!そこから接点作れそうじゃないか!いつ何時?」
「ランダムで来るからいつかは知らん。時間ならわかる。そこに公園内の時計があるだろ?時計が十八時から二十時の間くらいだな」
「よし!その時間に来れば会えるんだな?」
「ちなみにそこの時計は一時間遅れているらしい。この前座っていた人間が話していた」
「時間合ってないのかよ!」
俺は鞄からスマホを取り出して時間を確認する。確かに一時間遅れている。ならば、その子が来るのは、十九時から二十一時の間ということになる。
「まあ、少しずつ距離を縮めて、告白するんだな」
そんな話をしていたら夕暮れ時になった。情報を得た俺はベンチにひとまず別れを告げて、自分の家に帰った。
うちの両親は息子に対しては放任主義だが、姉には過保護である。夕食後、ちょっと出かけてくるとだけ両親に言い、また公園に向かった。《心を持つベンチ》の所にこっそりと近づいてみる。クラスメイトの早川さんがベンチに座っていた。俺は深呼吸をして気合を入れた。そして、早川さんに近づいて行く。
「早川さん、こんばんは」
早川さんは、急に声をかけられたことにビクッと驚いた様子だが、見知った顔だと知り安堵したようだ。
「びっくりしたー。こんばんは。斉藤君、こんな時間にどうしたの?」
理由を考えていなかった。その言葉に内心焦って言葉を繕う。
「あ、ああ、ちょっと気分転換に散歩をしてたんだよ。良ければとなり座ってもいい?
その言葉の返事に彼女はベンチから身体を少しずらした。その態度にほっとしつつベンチに座った。
「早川さんは一人で何してたの?」
「私も気分転換かな」
彼女は苦笑いしつつそう答えた。彼女が苦笑いした理由はわかっている。塾をさぼってここにいるからだ。その苦笑いを消すために話題を振る。
「夜の公園ってなんか優越感あるよね。自分だけの空間みたいな?」
「そうだね。独り占めした気分だよね」
「あ、ごめん。なんか独り占めしてたの邪魔しちゃったみたいで」
慌てる俺を見て彼女はクスリと笑いながら首を横に振る。
「ううん。共感して貰えたことの方が嬉しいかな」
その笑顔にドキッとしながら会話を続けた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
俺は名残惜しそうに聞いてみた。
「また見かけたときに声かけてもいい?」
「うん。私も斉藤君と話してて楽しかったよ。またお話ししようね。それじゃあ、そろそろ私帰らないといけない時間だから」
「うん。それじゃあまたね。おやすみ。気をつけて帰ってね」
「ありがとう。おやすみなさい」
そして、帰って行く彼女の背中を見送った。
「幸先良さそうじゃないか」
突然ベンチが話しかけてきてドキッとした。様子を見られていたことが急に恥ずかしくなった。話題を変えようと必死になる。
「お前、起きてたのか?」
「いや、心はあるが寝るという概念はないぞ?それと話題を変えようと必死なのが伝わってきてるからな?」
思考がバレバレで顔まで赤くなりそうに恥ずかしい。開き直って意見を求める。
「良さそうに見えてた?」
「ああ、あの子はいつもは思いつめた感じだったが、今日は楽しかったみたいだな」
「そっか……良かった。じゃあ、俺もそろそろ帰るわ」
「はいよ。おやすみ」
「おやすみ」
そして俺は家に帰って、今日の嬉しさと共に眠りについた。
翌日の朝、俺は学校に登校した。教室に入ろうとした所で、ふと立ち止まり昨日のことを思い出す。チラリと早川さんの席に目を向けると、彼女は読書をしていた。俺は自分の席に行く通りがてら、早川さんに挨拶をした。
「早川さん、おはよう」
その言葉に反応して彼女はこちらに顔を向けて微笑んだ。
「斉藤君、おはよう」
そして、その後に右手の人差し指を立てて、それを口元にやり小声で言った。
「公園のことは内緒ね」
俺はこくりと頷いて自分の席に座った。頬が火照り、顔が赤くなっていないかと思わず頬の熱を確認するように両手の平を添えた。そこへ篤志がやって来た。
「よっ!おはよう。お前何やってるの?」
不自然な仕草に疑問を持つ親友に慌てて俺は返事をした。
「いや、別に何も。まだ寝ぼけてるのかぼーっとしてただけだよ」
「そうか」
そう言うと彼も隣の席に着いた。席に着いた親友を見てふと思う。
(篤志が隣で楽しいけど、早川さんが隣だったらよかったのにな……)
そして、今日も平和な学校生活が終わり、いつものように篤志と一緒に途中まで帰った。篤志と別れ、家に帰り着替えて日課の公園に向かった。そして、《心を持つベンチ》に座り話しかける。
「よお。なんか恋愛攻略テクニックない?」
その様は、まるでスパイがさりげなく、情報屋から情報を仕入れるようである。
「授業は終わりか?お疲れさん。攻略テクニックなんてものがあれば世の中カップルだらけだな。学校では特に進展はなかったのか?」
「まあ……公園での出来事が二人だけの秘密になってる……と思う。多分」
「そりゃー、塾さぼってるとは言いづらいしな。しかもさぼらずに行くこともあって、友達の遊びを断ってるから、女友達にも言えてないようだしな」
女友達にも言えてない。その言葉を聞き、不謹慎かもしれないけど、自分が特別のようで嬉しくなった。そのままベンチと雑談をして夕食を食べに家へ帰った。夕食を食べ終わると再び公園に出かけた。遠くからいつものベンチを覗き見る。まだ人影はないようだ。スマホを取り出し時計を見る十九時三十分になっている。今日は塾をさぼらない日かな?塾に行くべきなのはわかっているが、さぼることを心の中で期待してしまう。そのままニ十分が経過した。このまま覗き見していると不審者に思われて通報された上に補導されかねない。やむを得ず、来ることを期待して先にベンチに座ることにした。周囲を見渡し、人がいないことを確認してから、ベンチに愚痴をこぼす。
「なあ、今日は来ない日なのかな?」
「どうだろうな?人間には曜日という習慣があるようだが俺にはないからな」
「曜日か……」
「ああ、後はここに来る時間が違うときもあるぞ?」
「来る可能性に期待して待つか」
俺は周辺に人影が見えないかを確認しつつベンチと雑談をした。
ベンチと雑談してから一時間位した頃、公園内に人影が見えた。俺はベンチと話すのをやめた。ベンチもそれを察したようで黙り込んだ。こっちに近づいてくる人影がある。公園の街灯で姿は見えない。近くに来るとその人影が早川さんと確認出来た。彼女が俺に気づき挨拶してきた。
「こんばんは」
「早川さん、こんばんは」
俺は嬉しさのあまり立ち上がり返事をした。彼女が座ったので俺も緊張しつつ隣に座った。
「今日は天気がいいのか星が沢山見えるね」
「そうだね。月が綺麗だね」
その言葉になぜか彼女はピクリと反応する。疑問に思っているとベンチの声が彼女に聞こえるわけではないが、小声で俺に説明した。
「月が綺麗ですねって女性を褒める言葉らしいぞ?彼女の読んでいる小説家とかいう者の話らしい」
その説明を聞いて、自分が告白している気分になってしまい赤面した。だが、幸い公園は暗いので俺の表情は見えないはずである。彼女の表情も薄暗くてどういう反応かよく見えていないのだから。ほっとしているとベンチが囁く。
「残念だけど、その表情は見えているみたいだぞ?逆光ってやつらしいな?公園の明かりでお前の表情は見えるが彼女の表情は見えない」
それを聞いて余計に恥ずかしくなった。
「逆に良かったじゃないか」
ベンチが何を言っているのかわからない。何で良かったのか?その考えを汲み取りベンチが続けて話す。
「彼女もお前を意識したぞ?」
その言葉を聞いて嬉しくなった。その嬉しさを一瞬表情に出してしまったが、不審に思われるとまずいと思いすぐに冷静を装った。
彼女と会話をしているとベンチが提案してきた。
「今度から彼女が座るところに綺麗なハンカチでも敷いてあげたらいいんじゃないか?」
まだ恋愛のイロハを知らない俺は疑問に思った。ベンチは呆れたように言葉を付け足した。
「男性は女性が座る所に洗濯したての綺麗なハンカチを敷くんじゃないのか?そうしているカップルたまにいるぞ?女性はおしゃれらしいからな。服が汚れるのが嫌なんだろう」
それを聞いてなるほどと感心した。
そして、しばらくすると早川さんが帰る時間になりお開きとなった。
俺とベンチはそのまま残り反省会をする。
「彼女は意識を始めたからもうちょっと攻めてもいいんじゃないか?」
「攻めるってどうやって?」
「うーん?学校でどのくらい一緒にいるんだ?」
「顔を合わせると挨拶する程度だよ。あとは学校の事務的な話とか」
「それなら、一緒に帰るように誘ってみたらどうだ?」
「急にハードル上がってないか?」
「まあ、頑張れとだけ言っておく。行動しないと進展しないし、他の男に先を越されるかもよ?」
「それは嫌だ!わかったよ。誘ってみるよ」
そして、反省会は終わり俺も帰宅した。入浴してからパジャマに着替えてベッドに横になる。ベンチから早川さんが意識をしたと聞いて悶絶していた。思い返していてふと思い出す。ベンチに言われたことを準備しておく。明日の着替えとそれに清潔感があり少し大きめなポリエステルのハンカチを用意しておく。それとスマホで『月が綺麗ですね』の言葉の意味を調べる。どうやら夏目漱石が生徒に、英語の翻訳で教えたという逸話があるらしい。読書家の早川さんはその逸話を知っていたのであろう。その時のことを思い返すと顔から火が出そうなほど頬が火照る。明日、帰りに一緒に帰ろうと誘おうとしたが、親友のことを思い出し一人呟く。
「親友に言わないと協力して貰えない流れじゃん……」
そのことをベンチに相談するかと思ったけど、あのベンチのことだから学校でのことは知らん。自分で何とかしろとか言われそうである。だが、ベンチの言葉を思い出す。
『他の人に先を越されるかもよ』
それは何が何でも阻止したい。再びスマホを手に取り親友にメッセージを送る。
『明日、用事があるから先に帰って』
詳細は濁した。まだ親友に話す決意は出来ない。メッセージを書いてから以前のことを思い出した。以前、早川さんは放課後に教室で読書をしていたはず。今も読書をしているのなら一緒に帰ることは出来ないのではないか?どうするべきか考える。またベンチに相談すると自分のことだろ?少しは自分で考えろよと説教されそうなほど自分では考えて行動していない。ベンチに頼りないなと言われたことを思い出し、好きな子にもそう思われてしまうのが嫌で懸命に考える。
その結果、二つの考えに辿り着いた。一つ目は読書をしていなかった場合。これは普通に誘うことが出来そうである。ただし、自分にその度胸があればの話である。二つ目は読書をしていた場合。この場合は一緒に帰ることを諦めよう。読書が好きと思われる彼女が読書の邪魔をされると嫌われるかもしれない。
翌日、学校の授業が終わり放課後になった。じゃあなと篤志に挨拶されて俺も返事をして自分の席で用事をしているように見せかける。生徒たちが帰って行く中、チラチラと早川さんの様子を窺う。鞄を持って立ち上がり帰る様子であった。俺は急ぎ気味で尚且つ他のクラスメイトに悟られないように早川さんに近づき小声で言った。
「早川さん、迷惑じゃなかったら一緒に帰らない?」
ずるい言い方をしたが自分なりに考えた結果であった。良かったら一緒に帰らないだと何か理由をつけられて断られるのではないかと思ったから、迷惑じゃなかったらと言えば、早川さんはストレートに迷惑とは言わないであろう。緊張しつつ返事を待つ。だが、杞憂のようでにこやかな笑顔で返事をしてくれた。
「うん。一緒に帰ろう」
俺は心の中でガッツポーズをした。
教室を出て質問する。
「早川さんはどういうルートで帰っているの?」
その問いに答えてくれた。どうやら一緒に居られるのは少しのようであった。貴重な時間が無駄にならないように質問する。
「早川さんって読書が趣味なの?」
「うん。それと学校が休みの日はお菓子を作ることもあるよ」
「お菓子かー。得意なの?」
「うーん?得意というわけではないけど……そのうち作るから食べてみる?」
その言葉を聞き俺は喜んだ。好きな人の手作りのお菓子!
「食べたい」
そう言うと早川さんは何がいいかな?と色々提案してきたけど、お任せにした。早川さんはお菓子の話をしているのが楽しそうで、俺は時折相槌をうち、聞き役に徹した。そして、あっという間に別々の道で帰る所まで来てしまった。
「それじゃあまたね」
早川さんに『またね』と言われて次の約束が出来たようで嬉しかった。
「うん、またね」
俺も返事をした。恐らく俺の顔はにやけているだろうが、早川さんは普通に笑顔と判断したらしく特にドン引きした様子もない。
家に帰り着替えて公園に行く。日課のぼんやりとした時間を過ごすことと、ベンチに早く今日のことを報告したかったからである。《心のあるベンチ》の所に行き腰を下ろす。
「聞いてくれよ。今日、早川さんと学校から一緒に帰ったんだ。しかも早川さんがそのうちお菓子を作ってくれるって言ったんだよ」
俺は興奮気味に話した。
「落ち着けよ。そんなに大きな声で興奮しながら話していたら、変な人に見えて俺まで恥ずかしいよ」
そう言われて気づき、慌てて心を落ち着けた。
空の雲を眺めながら呟く。
「幸せだなー」
「何でぼんやりしながら、縁側でお茶を飲むおじいさんみたいな状態なんだよ?最終的な幸せは好きな人と付き合うことだろ?まだ付き合えていないんだから気を引き締めろ」
ベンチの言いたいことはわからなくもないけど、恐らく恋をしたこともないだろうし、今後も恋をすることもないベンチにはわからない感情なのであろう。
「わかってるよ」
そして、ベンチに報告と雑談タイムが終わり、夕食を食べに家に帰った。食事を終えると用意しておいた服に着替えて、ハンカチをしまおうとした。だが、ズボンのポケットに入れるとぐちゃぐちゃになってしまいそうで、慌てて何かバッグがないか探した。幸い、家族で旅行に行った時に使ったショルダーバッグがあったのでそれに入れて持っていくことにした。そしていつもの公園のベンチに向かった。
ベンチに座り周りを見渡す。
「今日は来る日かな?」
その問いにベンチは呆れる。
「一緒に帰ったんだろ?なんでその時、聞かなかった?」
「いや、塾をさぼっているなら塾のことは聞きにくいよ。嫌な思いをさせるかもしれないじゃん」
「言われて見ればそうかもな。お前も少しは成長したのかもな。いや、臆病なだけか」
その言葉は的を射ているような気がしたので何も言い返すことは出来なかった。
周囲を警戒しながらベンチと雑談をしていたら、早川さんがやってきた。
「こんばんは」
俺は緊張気味に挨拶した。
「こんばんは」
そして、早川さんが座ろうとしているので、ちょっと待ってと言い、慌ててショルダーバッグからハンカチを取り出して、彼女が座る場所にハンカチを広げて敷いた。
「え?斉藤君、ハンカチ汚したら悪いよ」
どうやら彼女はハンカチの意味を知っていたらしい。
「いや、俺がやってみたいと思っただけだから遠慮なく座って」
苦しい言い訳と思いつつ言葉を捻り出した。
「それじゃあ、お言葉に甘えてありがとうね」
彼女は嬉しそうに座った。
ベンチが小声でナイスと呟く。
そして、彼女と会話をしていると更にベンチが呪いの呪文のように言葉を繰り返す。
「デートに誘え、デートに誘え、デートに誘え……」
ベンチの呪いの言葉の圧に屈して彼女に聞いてみる。
「早川さんって土日とか何してるの?」
「午前中は勉強してるけど、午後は読書したりお菓子作ったりしてるかな?」
「それじゃあ、土曜でも日曜でもいいから午後から一緒に遊びに行かない?」
それを聞いて少し黙り込んだ。いつも早川さんが座る所は逆光で表情が見えにくい。
「うん、いいよ。じゃあ、日曜日にお昼を食べた後にどうかな?」
「よかった!楽しみだね!」
喉は乾いているわけではないが緊張のあまり体感的に乾いた気がして二人分の飲み物を買おうとか考えていた。そこへベンチが止めに入った。
「あまり相手が気を使いそうなことをしないほうが良いんじゃないか?それに焦って見え見えの行動取ると、ドン引きされるかもしれないぞ?」
そう言われてそうかもしれないと思いつつやめておいた。
その後も雑談をして彼女の帰る時間になり、彼女は立ち上がりながら言った。
「ハンカチありがとう。洗濯して返すね」
「いやいいよ。自分で洗うから。俺の顔を立ててくれると嬉しいんだけどな」
そう言うと彼女はふふっと笑いながらありがとうと言った。表情は見えないままなのが心配だが。そして、いつものように彼女の背中を見送った。
ぶはっと息を吐く。今までの緊張で上手く息を出来ていた気がしなかった。
「よくやった」
ベンチが上から目線で褒めてきて更に言葉を続けた。
「早速、デートプランを決めないとだな」
「デートか……」
俺がにやけつつ言うとベンチに真面目に考えろと叱られた。ベンチに質問してみる。
「デートの経験ないんだけど、お前は何か情報ある?」
「彼女は読書をするんだろ?本屋とかカフェが無難じゃないのか?」
「なるほど。なら近場のショッピングモールとかがいいか」
そして、ベンチとの会議が終わり俺も帰路に着いた。
そんなやり取りを何日か続けていて、早川さんが今週末行けそうだということになった。
そして土曜日。明日は好きな人とデートの日である。リビングで麦茶を飲みつつ母親にねだる。日曜日に友達と遊びに行くので服が欲しいから、お小遣いをくれと。いつもならお小遣いをくれないのに何故か母親がにやにやとしながら気前よくお小遣いを多めにくれた。
「彼女と付き合えたら紹介してね」
そのセリフを聞き、飲んでいた麦茶を吹きそうになった。
「な……なんのこと?」
「ここの所、ハンカチの洗濯物が増えたからね。あんたポリエステルのハンカチよりも、タオルハンカチの方がいいって言ってたのに、毎日両方洗濯に出してるよ。それに夕食後も公園に行くようになったじゃない。大方、好きな子と二人きりでその子が座るのにポリエステルのハンカチでも敷いてあげてるんじゃないの」
鋭い洞察力である。これが『女の勘』というものなのだろうか。母親にバレたことが思春期の俺にはとても恥ずかしかった。だが、お小遣いを多めにくれて応援してくれるのなら、それはそれでありがたいことなのかもしれない。とりあえず、お小遣いを受け取り母親に照れ臭くありがとうと小声でお礼を言った。
ショッピングモールに服を買いに行く。下はジーンズで良いと思い、半袖のカジュアルシャツとシューズを買うことにした。買い物が済むと買った荷物をお金が返金されるコインロッカーに預けた。
ショッピングモールを下見する。近場にあるので日頃から家族と一緒に買い物に行くことはあるけど、気にせず通り過ぎている所が多い。一階から見て回る。一階にはスーパーがある。スーパーに行くことはないだろうと確認をパスする。
専門店街を見るとファーストフード店にペットショップ、スムージーのお店にクレープ店、シュークリームにドーナツのお店があった。スムージーは立ち飲みなうえに、料金も一杯で五百円前後は厳しいかもしれない。
一階の候補としてはファーストフード店かドーナツのお店でくつろげるところが良いかもしれない。専門店街の二階に上がると本屋と百円均一のお店があった。見て回るとしたらこの辺であろう。あとは眼鏡屋に保険屋、それにカルチャークラブの類であった。三階にフードコートがあったはずなので確認に行く。フードコートも様々なお店があるしゆっくりとくつろげそうである。他はアウトドア専門店や習い事の店があった。
目を引いたのは猫カフェであった。うちでは猫を飼っているし、猫カフェにあえて行く必要はないけど、早川さんはどうなんだろう?そう思い一応値段を確認する。土日祝日は十分で税抜二百五十円と別途ドリンクバー代が税抜三百五十円かかる。これだと三十分いるだけでも結構な金額になってしまう。それならいっそのこと、母親に俺の彼女への想いがバレているのなら付き合うことが出来た時にでも、家に誘えばいいのかもしれない。そうなることを祈りつつ猫カフェもパスすることにする。荷物を預けたロッカーに戻って荷物を回収して家に帰った。
そして、楽しみにしていた日曜日。昨日の夜は楽しみ過ぎてなかなか寝付けなかった。待ち合わせはショッピングモールのC出入口に午後一時半である。俺は待ち合わせ場所に十五分前に到着して、モール内の出入口付近にあるソファに座り、早川さんが来るであろう自動ドアの方に目を向けていた。
モール内のソファは座り心地は良いが、心細さを感じる。今まで早川さんと椅子に座り話をする時には、《心を持つベンチ》が応援してくれていたからである。このソファにも心があるのかなと話すように念じてみるが反応はない。しばらくすると自動ドアの方向に早川さんの姿が見えた。俺は立ち上がり手を振る。
「待たせたかな?ごめんね」
「いや、そんなに待ってないよ」
口にしてから自分が失敗したことに気づいた。今し方来た所と言うべきだったと思い、これは後でベンチに叱られるなということが何となく嬉しくも感じた。
彼女の服装は、ブラウスとスカートで可愛らしさがあった。
「それじゃあ、どこから見て回る?」
「すぐそこにペットショップがあるから、ショーケースにいる猫を見たい」
ペットショップに視線を向ける。家に猫を飼っているから、ペット用品を買うときに当たり前のように来ていたために、ペットショップを見るという選択肢を忘れていた。歩きつつ話す。
「早川さんは猫派なの?」
「犬も好きだけど、どちらかと言うと猫かな?」
「うちで猫飼ってるんだ。そのうち見に来てよ」
デートが出来たということが自信に繋がったのか、自分にしては大胆な発言をしたとドキドキしながら返事を待つ。
「うん。その時はぜひ猫ちゃん見せてね」
心の中で勝利を感じつつ二人で一緒に猫を見る。そしてその後は本屋に向かった。彼女にどんな本を読んでいるのかを聞くと、ライトノベルとのこと。だが、残念なことにライトノベルのコーナーは棚一つ分しかなかった。そこに彼女好みの本はなかったようである。
「斉藤君は本を何か読むの?探す?」
そう言われて戸惑った。本を読みたいと何度も思ったが読めないのである。読んでいると心が苦しくなる。その苦しさは作品の内容ではなく、自分の病状のせいであった。言葉を探して返事をする。
「いや、本を読むガラじゃないから」
そう笑い飛ばした。
「そっか。残念。本の話とか一緒に出来たらよかったのにね?」
本当に残念である。どうして自分は病気になってしまったのかと。折角のデートなので気持ちを立て直す。
「早川さんは他に何か見たいお店ある?」
「隣の手芸屋さんがみたいかな」
「何か作ったりするの?」
「いや、そういうわけではなく、見るとなんか楽しいから」
俺にはよくわからないが、彼女がそういうなら見に行こうと考え二人で本屋の隣の手芸屋に入った。入り口にはミシンが展示してあり、中に入るとハンドメイドのパーツのようなものがあった。彼女はそれを見入っていたので、そんな彼女に俺は見惚れていた。
「これ、可愛くない?」
そう言われて慌てて見せられたものに視線を移した。彼女が手にしていたのは何かのハンドメイドのキットである。可愛いかと言われると正直よくわからないが、好きな人の好みを否定したくはないので話を合わせた。
「可愛いね。早川さんはこういうのが好きなの?」
「うん、作ろうとは思わないけど、こういうキットを見るだけでも楽しいしね」
そういうものなのかと思いつつ、一緒に店内を見て歩く。そろそろ歩き疲れたのではないかと彼女の様子を窺う。
「早川さん、疲れてない?そろそろ休憩にどこかでお茶しない?」
なんとなく、ナンパをするようなセリフになってしまった。だが彼女は気にせず笑顔で返事をしてくれた。
「そうだね。じゃあ、フードコート行かない?」
「フードコートがいいの?」
確認すると心なしか彼女が頬を赤らめて照れ臭そうにしている。
「うん、むしろフードコートじゃないとだめなの」
その言葉の意味をわからなかったが、彼女が行きたいというので選択肢は一択である。
二人でフードコートに向かい席を取る。
「何か買ってくる?何がいい?」
「ミルクティーがいいけど、売っているお店がなさそうだね?オレンジジュースならあるかな?オレンジジュースをお願いします」
「他はいいの?」
「うん」
注文を聞き、お店にオレンジジュースを買いに行く。二人分の飲み物を両手に持ち、席に戻る。
「斉藤君、前に約束したやつだけど……」
約束?何か約束をしていたかな?そう考えていると彼女は小ぶりのリュックサックからラッピングされたものを取り出した。透明の袋に花柄模様が施されていて、袋の口の所をピンクのリボンで結ばれている。
その袋を手渡されて袋越しに中身を見るとミニマフィンがいくつか入っている。それを見て気づいた。
お菓子をくれるという約束をしていたことを。
「早川さん、ありがとう」
嬉しさのあまりに顔が綻ぶ。
「どういたしまして。斉藤君の口にあえばいいけど……」
早速、袋を開けて頂きますと言い、ミニマフィンを口にする。
「美味しい!この味好きだな」
「よかった。お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃないよ。本当に美味しいよ」
お互いにデート慣れしていないせいか、べたなやり取りであった。早川さんは自分の分は用意してなかったみたいなので、俺にくれたものを二人で分けっこして食べた。食べ終わるとしばらく雑談をしつつのんびりと過ごした。
そして今度は専門店にある雑貨屋や洋服屋を見て回り、お互いに夕食の為に帰る時間が来た。名残惜しいがデートを終了する。
家に帰ると母親がおかえりどうだった?と聞いてくる。素直な感想を言うのが恥ずかしく、まあまあだったよとだけ伝えて夕食を食べた。食べ終わるとそのまま公園へ出かけていつものベンチに腰をかける。
「お疲れさん。どうやらいい感じのデートになったみたいだな?」
「ああ、緊張と嬉しさのあまりはしゃいで疲れた感じだよ。体調が崩れないといいんだけどね」
「……そうだな。今日はもうそのまま家に帰って寝た方が良いんじゃないか?」
「公園でのんびりしている方が俺には心休まる気がして」
そのままぼんやりしつつ、ポツリポツリとたまにベンチと雑談して家に帰った。
月曜日になり学校へ登校した。教室に入ると昨日のことを思い出し早川さんの方に目を向ける。本を読んでいるわけでも人と話しているわけでもないが、何か考え事をしているようで表情に深刻さを感じた。
俺は心配になり自分の席の通り道にある早川さんの席を通りがてら聞く。
「早川さん、おはよう。何か困り事?」
「あ、斉藤君、おはよう。ううん、ただ昨日のことが楽しかったから思い出してただけ」
「そっか。よかった。それじゃあまた」
彼女は微笑みながらまたねと言い、俺も自分の席に着いた。隣の席の篤志も登校してきて挨拶を交わした。
「おはよう。どうかしたのか?」
「え?何が?」
「いや、お前が何か考え事しているみたいだったから聞いてみただけだよ」
「ああ、ぼーっとしてただけだよ」
そう笑い飛ばすが、実際は早川さんが何かを悩んでいるように見えたことに対して、心当たりを考えていた。授業中も頭の片隅で考えたが、昨日のデートの時には早川さんは心の底から楽しんでいるように見えた。
放課後になり早川さんに帰ろうと声をかけた。笑顔を作り、うんと返事をして頷いたものの、どことなく気持ちが沈んでいるように見える。今日の早川さんは口数が少なかった。
早川さんと俺の家との分かれ道に着いた。心配になり聞いてみた。
「早川さん、どうかしたの?体調でも悪い?」
「体調が悪いと言うか、心の悩みかな?」
「悩み事?俺に協力できることがあれば何でも言って!愚痴だけ聞くのでもOKだから!」
「ありがとう。じゃあまた夜に公園のいつもの所で」
その言葉だけを俺に残してお互いに帰路についた。
夕食を食べて公園に向かう。ベンチに座るとすぐさまベンチに質問をする。
「早川さんの様子がおかしいんだけど何か知らない?」
「それは俺の口から言うことではないな」
素っ気ない返事が返ってきた。ベンチが言うわけにはいかないと言うからには、他人の口からではなく本人の口から聞くべきことなのであろう。しばらくすると早川さんがやって来た。早川さんが座る所にハンカチを敷いて挨拶をする。
「早川さん、こんばんは」
「こんばんは……」
どことなく気持ちが沈んでいるようであった。そして、ありがとうと言いながら、ハンカチを敷いたところに座る。俯いている彼女に質問する。
「何かあったの?」
「いえ、いつも通りです。いつも通りだからこそ心が疲れちゃって」
その言葉の意味がわからなかった。とりあえず自分に出来ることをする。
「学校帰りに言ったように、俺に協力できることはするし、愚痴を言いたい気分なら愚痴も聞くよ」
彼女が傷つかないように優しく声をかけた。
「……両親の期待に疲れちゃって。両親は私の幸せの為にと考えて塾に通わせ、いい学校に入り、大手の会社に勤める。それが私の幸せと思っているの」
「ご両親と話し合いはしてないの?」
「両親が何で私にそんなに期待しているかの理由がわかっているから言いづらくて……」
「理由って何?」
「小学生の頃にね、お姉ちゃんが車の事故で亡くなっているの。お姉ちゃんが幸せになれなかった分、私には幸せになって欲しいんだと思う」
予想以上に重い話であった。俺は言葉に詰まった。亡くなった人に対して悲しむ人に掛ける言葉を持つほどの人生を経験していない。自分の少ない経験だけで何とか言葉を紡ぎ出す。
「俺もやりたいことはやれなくて辛いかな。両親が自由にさせてくれるから、こうして夜でも公園をぶらついていられる。でも、クラスの友達と遊んだりするだけでも心が疲れて体調を崩しそうになるんだ。それで公園に来て自然と触れ合い、少しでも心を落ち着けるために来ている」
この言葉が早川さんと同種の悩みなのか、それとも見当違いなのか、判断できない。だが、俺に言える言葉はこれくらいしかなかった。
「斉藤君も辛いのに頑張っているんだ?私の甘えなのかな」
「早川さんは頑張ってるよ。それに、自分の幸せの為に楽しい人生を送る権利は誰にでもあると思う。無理をすると今度は早川さんが病気になって、両親も早川さん自身も不幸になるよ!」
そう言うと早川さんが嗚咽を漏らす。
「それは嫌。両親には幸せでいて欲しいし、私も幸せになりたい!」
「早川さんが良ければ、俺も早川さんのご両親を一緒に説得するよ!」
「……斉藤君……お願い……助けて」
その言葉を聞き、必ず助けるよと約束した。
二人で公園を出て一緒に早川さんの家に向かう。普段の塾で夜に出歩くことに慣れている彼女だったらともかく、泣いている女の子を一人で帰らすと、それにつけこみ寄ってくる男がいそうだから危ないと思い送って行く。
その途中でご両親と話し合うことの計画を二人で考える。
夜なのに送りがてら一緒に行って話し合いをしようとしても、早川さんの両親は快く受け入れてはくれないであろう。家の前で早川さんと別れる。
「それじゃあ、明日ね」
「うん、ごめんね。よろしくお願いします」
そして、早川さんが家の中に入ることを確認して俺は帰宅した。
次の日の放課後、早川さんと一緒に帰る。そして、一旦着替えるために俺は家に帰った。早川さんの両親に会うのに、普段着ているような服だと説得力にも欠けそうな気がして、早川さんとデートした時の服装に着替えた。
そして、早川さんの家に向かう。インターホンを鳴らししばらくするとピッと音がする。
「どちら様ですか?」
女性の声であるが、早川香澄の声ではない。恐らく母親であろう。
「こんにちは。香澄さんの友達で斉藤と言います」
「ちょっと待って下さいね」
少しして玄関のドアが開いた。やはり母親のようである。
「何の用でしょう?」
「香澄さんと約束してるんですけど」
「そうなんですね。ちょっと呼んできますから待っていてくれませんか?」
そう言うと再び玄関の扉が閉まり待つことになった。
少しするとまた玄関の扉が開き、今度は早川香澄が顔を出した。
「いらっしゃい。どうぞあがって。とりあえず私の部屋に行こう」
お邪魔しますと挨拶をして家の中に入る。階段を昇り彼女の部屋に案内された。彼女は扉のノブに手を掛けながら言う。
「ちょっと散らかってるかもしれないけど……」
そう言い扉を開けて部屋の中に招いてくれた。部屋の中は綺麗に片付いている。それでも女の子としては部屋の中を見られるのが恥ずかしいのであろう。
部屋の空きスペースの中心に出されたローテーブルに向かい合って座る。デートの時も向かい合って座っていたが、その時は周りに大勢人がいたので気にならなかったが、二人きりだと緊張してしまう。
少しすると扉をノックする音が聞こえた。早川香澄の母親が飲み物を持ってきてくれた。そして、俺の前と早川香澄の前に置くと背を向けて部屋を出て行こうとする。そこで早川香澄が引き留めた。
「お母さん、話があるんだけど!そこに座って話を聞いて欲しいの!」
「香澄、どうしたの?」
そう言いながら絨毯の上に座った。いよいよ両親と和解するための話し合いが始まる。俺はごくりと唾を飲みこんだ。
「私に幸せになって欲しいと思って塾に通わせてくれているのはわかっているよ。でも、毎日毎日勉強だけの日々が辛いの。お姉ちゃんの分の人生も背負わされているみたいで辛いの」
香澄の母親は黙って話を聞いている。俺も口を挟むべきかと悩んだが、デリケートな家族の話なので今はまだ黙っていることにする。
「でも、最近はなかなか職に就けない人が多いのよ?外国人を雇ったり、AIに人間の働き口を奪われたり。香澄が大人になって働く頃には、その状況は更に激しくなるのよ?」
「それでも今は友達とも仲良く遊びたい時もあるよ」
「大人になったら友達ともほぼ会わない疎遠の関係になるわよ?疎遠になる関係なら意味ないじゃない」
「思い出を作るくらいいいじゃない!」
横で話を聞いている俺にも香澄の母親が亡き姉の分も幸せになって欲しいという名の押しつけをしているように聞こえる。埒が明かないと判断して俺も意見を口にした。
「俺は過去に自分の意思で頑張ったことがあります。ですが、頑張りすぎたために心の病気にかかってしまいました。香澄さんは自分の意思で頑張っているというより、ご両親の期待に応えなきゃいけないという思いで頑張っていました。でも、自分の意思で頑張るより他の人の期待によるプレッシャーの方が精神的に辛いです。香澄さんはもう心が弱っています。それがご両親の望む香澄さんの幸せなのですか?」
そう言われて母親は言葉に詰まる。将来的に働くようになって安定的に収入を得て、苦労なく幸せに暮らしてほしい。それが両親の願いであろう。
だが、それ以前に自分たちが娘の心を壊していたということを理解していなかったようである。畳みかけるように言葉を継ぎ足す。
「せめて塾に通う曜日を減らしてあげることは出来ないのでしょうか?それなら勉強も息抜きも出来ていいのではないかと思うのですが……」
これ以上、俺に話せる言葉は見つからない。後は香澄の母親がどう考えるかだ。香澄の母親は少し考えてから言葉を口にした。
「そうですね。確かに香澄にはプレッシャーをかけすぎたかもしれない。夫が帰って来たら話し合うわ。それでいい?」
「うん、お母さん。ありがとう」
早川香澄は嬉しそうであった。その笑顔と母親の言葉を聞いてもう大丈夫だろうと確信した。
「じゃあ、お母さんは家事をしないといけないから行くね」
そう言い部屋を出ていく。
「斉藤君!ありがとう!」
彼女はお礼を言いつつ、頬に一滴の涙が流れた。
用事が済んだのでいつまでも女の子の部屋にお邪魔しているのもどうかと思い、少ししたら帰りの挨拶をして、早川さんの家を後にした。そして公園のベンチに報告しようと向かった。ベンチに腰掛け話しかける。
「早川さんの悩み。解決出来たかもしれない」
「それはよかったな。最初は頼りなかったお前も成長したもんだ。それで告白はどうするんだ?」
「んー?それはひとまず置いておくことにするよ。とりあえず彼女の心を癒してあげるのが優先だよ。自分の気持ちを押し付けて違うプレッシャーを与えてしまうと悪いしね」
なるほどなとベンチは納得する。
「緊張して疲れたから帰って昼寝するわ。またな」
そう言って俺は公園をあとにして家に帰った。
十年後、俺と香澄は結婚して夫婦となり一緒に生活をしていた。たまに思い出の公園に行き、デートをしている。だが、《心を持つベンチ》に語り掛けても、あの日を最後にベンチの心は聞こえなくなった。
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