若気の至り
しばらくは毎日投稿できそう。
翌日。カインは迷宮の入り口に立っていた。装備はキチンと整えられており、トリカチ商会にて購入した、いくつかのポーションと携帯食料もしっかりと持っている。
なんたる愚かさ。昨日の足るを知るとはなんだったのか。カインは逸る気持ちを抑えることができなかった。目の前に迷宮があって挑まずにいられるほど利口ではなかったのだ。
「迷宮が目の前にあって挑まないだなんて、男が廃る!」
自身に言い聞かせるようにそう叫び、カインは意気揚々と迷宮に入っていった。
◇◇◇
迷宮。全十階層からなる正体不明の地下遺跡。いつできたのかも、誰が作ったのかも、とある一人を除いて知る者はいない。そんな迷宮の一つである、中央大迷宮。その迷宮は今。あまりにも多くの探索者で溢れかえっていた。
「なんだこの人の多さは。下手したら大通りよりも密集してるぞ」
探索者たちはみな目を輝かせて我先にと迷宮を進む。迷宮の石畳は人が移動するたびに揺れて、まるで悲鳴をあげているかのようだった。人々の何かに取り憑かれたかのような様子は、カインの目には少々不気味に映った。
「おいお前、なに突っ立ってんだ?早く行かねえと宝箱が取られちまうぞ」
名前も知らない強面の男がカインにそう話しかける。
「なんでみんなこんなに必死なんだ?」
「あーお前新入りだな?今日は禁足日の翌日なんだ、地形が変わったなら新しい宝箱もあるってわけよ。んじゃ俺もちょっくら漁りに行くからよ。あばよ」
そう言って強面も足早にどこかへ消えていった。
「うーん、宝箱か。あんまり食指が動かないな。第一、見つけても罠の解除もできないんじゃリスクが高すぎる」
宝箱は大して意味のないものであるとカインは考えていた。そもそもカインが迷宮へと挑むのは、浪漫とスリル、そして冒険を求めてのことである。名誉欲も金銭欲も特にないカインにとって、宝箱はただの箱なのだ。
「んじゃまあ、みんなが宝箱に必死になってる間に一階層、突破しちゃうか」
身体強化を施し、光を迸らせてカインは疾走した。
「おっと失礼。頭上を通らせていただきますね〜」
走る速度はそのままに、カインは並いる探索者の頭上を軽く飛び越えて先に進む。しばらくそうしていると、辺りには誰一人いなくなっていた。
「よーし、やっぱり一人の方が息苦しくなくていいね」
カインはぐぐっと伸びをすると、森の空気を吸うように深く深く深呼吸をした。
中央大迷宮第一層は、石造りの実にオーソドックスな迷宮である。そしてオーソドックスであるが故に、正攻法が最も効率の良い攻略方法である。
カインは探知の魔術を習得していない。そのため、石畳の全てが加圧式の罠であることを考慮する必要がある。だがカインはこれへの対処法を既に考えていた。
それは最も古典的でありながら、とても効果的な手法。カインは槍の石突で自身が次に踏み出す足場を突いていた。一歩、また一歩と歩くごとに確かめていく。
突くたびにカッカッと硬い音を鳴らす石畳。その音が突如としてガコンという音に変わり、石突で突いた石畳が沈む。するとその石畳の真上を、横から飛んできた矢が通過する。
「石橋を叩いて渡る作戦は成功だな。進む速度は明らかに遅いけど、一層なら別に問題ないかな」
そうしてカインは迷宮をゆっくりではあるが着実に進んでいく。しばらくそうして進んでいると、曲がり角に行き着いた。
曲がり角は急な接敵となる場合が多い。カインは耳をそばだてた。なにやら物音が聞こえる。ヒタヒタと聞こえる音は、明らかに迷宮を素足で歩く音であった。
その音を聞くなり、カインは数歩後ろに後退して槍を構えた。後方の足場は既に罠がないことを確認しているためである。
曲がり角から現れたのは、薄緑の肌を持ち、カインの腰程度の身長しかない哀れな魔物、ゴブリンであった。ゴブリンは四体で行動しており、二体が棍棒、一体が刃のかけた剣、最後の一体が弓を持っていた。
「ゴブリンか。準備体操にはちょうど良いかな」
ゴブリン達はカインを視認するなり、意味もなく喚き始める。その数秒が命取りであった。
カインは片手で持っていた槍を横に薙ぐ。その刃はあっさりと二体のゴブリンの首を裂き、一瞬にしてその命を刈り取る。仲間意識がないのか、その間に動揺することもなく弓を持つゴブリンが矢を番えた。それを確認するや否や、まだ生きているもう一体のゴブリンの頭を片手で掴み、その首をへし折り、脱力したその体を肉盾にした。カインへと真っ直ぐに飛ぶ矢は同胞の死体に刺さるのみである。そしてカインは、矢を放ち隙だらけとなったゴブリンの頭に槍を突き刺した。ゴブリンの柔らかく矮小な頭蓋は、槍の突きに耐えることができず盛大に弾け飛ぶ。この数秒間、カインは身体強化すら使用していなかった。
「ゾルガと戦った後だとお遊びにもならないな」
片手で掴んでいたゴブリンの死体を適当に前へと放り投げて、槍にべったりとついた血と脂を拭き取る。放り投げた死体はゴロゴロと転がり、1つの罠を起動させた。
「お、ラッキー。ツイてるな」
起動した罠は転移の罠。死体は跡形もなく消えた。
「おっかねえ……いったい何人がこの罠の犠牲になったんだ」
転移の罠は最も危険な罠の一つである。転移する場所は完全にランダムであり、迷宮の別階層に飛ばされることはまだましで、迷宮外にさえ転移することがある。ある冒険者は転移の罠で他国の王宮に転移し、そのまま暗殺者と勘違いされて捕まったこともある。危うく外交問題になるところだったらしい。最も恐ろしいのは転移場所にものがある場合だ。壁なんかがあればそのまま生き埋めとなり、無事即死トラップとなるし、人がいれば……口にするのも恐ろしい結末を迎える。唯一の慈悲は、一度起動すれば罠としての効力を失う点であろう。
ゴブリンとの戦いで気が抜けていたカインは再び集中力を研ぎ澄ます。本当の敵は罠である。
そんなこんなで数度の接敵といくつかの罠を危なげなく掻い潜る。カインの実力であれば、本来一階層で危険に陥ることはない。矢も針も落とし穴も見てから避けられる以上、警戒すべきは転移の罠だけなのだ。
順調に迷宮を進んでいくカイン。そんな彼の目の前に一つの影。
「おっと……こいつはリザードマンか。戦うのは初めてだな」
リザードマン。迷宮一階層で最も手強いため、与えられた渾名は初心者殺し。しなやかな肉体から繰り出される攻撃は人間の攻撃よりも遥かに可動域が広く、遠近感を狂わされる。
幸いにも、リザードマンはカインの存在にまだ気づいていない。不意打ちをすれば、一突きでその命を奪えるだろう。
しかしカインは、槍を床に擦り付けてわざと音を鳴らした。ガリガリと響く音にリザードマンが振り向く。カインはあえてリザードマンに自身の存在を認識させた。これはカインが不意打ちという手段を卑怯だと感じて嫌ったわけではない。
カインは自身にとある課題点があると感じていた。それは圧倒的な対人戦闘への経験不足である。カインが常に戦ってきた相手は獣であり、それらとの攻防は狩りという一方的なものである。殺すか、殺されるか、ではない。殺すか、逃げられるか、なのである。狩りをするたびに自身を命の危険に晒す狩人など、三流以下なのだ。
けれど、ゾルガとの戦いでは安易な行動の結果、致命的な攻撃を受けた。あの攻撃は、不意打ちではなく正面から戦えば自身がこれほどまでに弱いのだという事実をカインに叩きつけたのだ。人との戦い方を理解せぬままゾルガとの再戦を行えば、先の戦いの二の舞になることは容易に想像できる。
つまるところ、カインはリザードマンを通して対人戦闘の感覚を掴もうとしていた。
リザードマンが耳障りな声で鳴く。と同時に、カインへと走り出した。その健脚によって瞬く間にカインとの距離を詰めたリザードマンは、右手に持つ曲剣を振るった。リザードマンの右腕は鞭のようにしなり、予測よりも遠くまで剣が伸びる。
それをカインは軽やかなバックステップで避ける。槍の利点とは剣よりも長いリーチと、突いてよし叩いてよし斬ってよしの扱いやすさである。長いリーチはそのまま攻撃の回避にも繋がる。カインは改めて槍という武器の優秀さを実感するとともに、狩りでは投擲槍以外の運用をしなかったことを少し後悔した。狩りとしては命を危険に晒すことのない投擲という手段は、実に効果的ではあったが。
完全にリザードマンとの距離を掴んだカイン。リザードマンは鞭のように腕をしならせて、どんなに速く剣を振るっても、カインに攻撃を当てることはおろか、距離を詰めることさえできなかった。
疲労のためか段々と剣速が落ちていく。ヒュンと鋭い風切り音がブンと鈍い音へ変わっていく。その瞬間、カインの槍が跳ね上がり、リザードマンの剣を大きく弾く。リザードマンの胴体が無防備に晒された。
「ありがとな。いい練習になったよ」
槍がリザードマンの心臓を貫く。リザードマンは槍に突き刺された自身の胸を見下ろし、一度ぶるりと震え、糸の切れた人形のように倒れた。
「まあ、この先も要練習ってとこだな」
そう言うカインの顔はどこか満足気だった。
迷宮の奥へ奥へと進んでいく。周囲には未だ人はおらず、ただ石突が地面に当たる音が響くのみ。手探りで、誰の手も借りずに未知の世界を進んでいく。これこそが冒険。これこそが浪漫。これこそがカインの求めていた自由であった。
「……これが、門番の大部屋か」
そんなカインの一階層攻略も遂に終わりを迎える。カインの眼前には、黒々とした巨大な門がそびえ立っていた。
Tips:転移したゴブリンの死体は、いしのなかにいる。即死トラップだった。