魔術、それは浪漫
資料室の資料はギルドカードを提示することで、5点までなら二週間も借りることができる。
資料室を出たカインは、既に日も暮れてしまったので、適当に取った宿で資料室から借りた本を読んでいた。その本には迷宮の一階層の特徴と、現れる魔物について書かれている。
カインは初心者講習を受けるつもりがない。それはカインが手探りで迷宮を探索したいからだ。けれど、カインは先人の知恵の重要さをよく理解しているし、せっかくそれが資料の形で残っているのに見ないのはバカのすることだ。
「一階層に出てくる魔物は特に問題ないな。」
ゴブリンにワーウルフ、そして吸血コウモリ。ごく稀にリザードマン。リザードマン以外は、特に鍛えていない大人であっても討伐できるような魔物しか一階層には生息していないようだ。
「問題は…罠だな」
罠は迷宮の危険度を飛躍的に高めている。宝箱についている矢や針などの罠などは序の口で、床を踏み抜いたら最後、数階層を落下する落とし穴や、石化、果てには地雷などもあるという。
「一階層の罠は…矢、針、毒矢、落とし穴に転移の陣か…一人で迷宮に潜るなら罠を見つける技術は必須だな」
カインは狩人の息子である。そのため罠を仕掛けるのも、仕掛けられた罠を見つけるのも得意ではある。しかし迷宮に仕掛けられた罠は人為的なものではなく、罠を仕掛けたものの意志が見えない。つまるところ、狩人としての罠勘は役に立たないわけだ。
「常に罠の可能性を疑って歩かなきゃいけないっていうのはなかなかキツイな。…ん?」
ペラペラと本を捲っていると、罠の対策として有効な手段がいくつか書かれていた。その中でも特に目を引くものがある。
「探知の魔術…そうか、魔術か。今まで魔術に触れたことはなかったけど、もしかすると才能があるかもしれないし…魔術、習得するか」
カインも男の子である。火の玉の一つや二つ、手のひらから出してみたいのだ。もちろん、目的は探知の魔術だが。
◇◇◇
ラークルの夜の大通りは、昼間とは打って変わって穏やかである。通りは魔術で灯された街灯が点々と続いていて、多くの出店は既に閉店している。
探索者や若者たちは大通りから少し外れた飲み屋街で騒いでいて、その喧騒は大通りには届かない。
カインはぼんやりと空を見上げながら歩いていた。森で見上げた空とは異なって、星はあまり見えない。街灯のせいだろう。
しばらく歩いていると、人気のない大通りにぽつんと灯りのある店が見える。本屋である。
ナフト古本屋というこの本屋は珍しいことに、昼間は至って普通の本屋であるが、夜になると喫茶店としても営業している。曰く夜の営業は趣味だそうだ。
カインがドアを開けると、カランカランとベルの音が鳴る。店内は入ってすぐにカウンターと椅子が並んでおり、少し白髪の混じる壮年の店主が食器を拭いていた。カウンターの奥にはいくつもの本棚が並んでおり、コーヒーと、本の少し古びた臭いがする。落ち着く雰囲気だ。
「いらっしゃい。何か飲むかね?」
「ああ、本を少し物色したくてね。その後に頂くとするよ」
ひとまずカウンターを通り過ぎて本棚へと向かう。カインは魔術書を探していた。
「んーどれもこれも難しそうな題名ばかりだな。初学者用の魔術書はどれだ?」
いくつか本を手に取り、冒頭の数ページを眺める。どれもが長ったらしい前書きと、目眩がするほど回りくどい説明から始まり、カインはいきなり魔術を学ぶ気力が萎みつつあった。
「マスター。すまないが、初学者向けの魔術書はあるかい?俺が探してみてもまるでダメだ」
「おや、魔術書か。ふむ、本から魔術を学ぼうとするなんて今時珍しいものだが…探索者かね?」
「一応そうだな。明日から迷宮に挑もうと思っている」
「そうか。少し待っていなさい」
そう言い残すと店主は店の裏へと消えた。
手持ち無沙汰になったカインはふと自身の手を見つめて、爪が伸びていることに気づいた。最近は馬車で寝泊まりをしていたし、自身の身だしなみに関しては特に気を使っていなかったのだ。
寝る前に爪を切ろう。そう考えていると店主が戻ってきた。
「これなんてどうだい?」
店主がカインに手渡したのは日記帳のようにあまり厚みのない一冊の本だった。表紙には手書きで「魔術(探索用)」と書かれていた。
「実は私も昔は迷宮に潜っていてね。その時の私の師匠が書いてくれたものなんだが、これがなかなか実用的でね。探索者用の魔術の使い方しか書かれていないから小難しい理論を理解する必要がないんだ」
試しに中身を見てみると、レシピ本のように手順に番号が振られて魔術の使い方が説明されている。先ほどの目の滑る魔術書とは違って、直感的な内容ばかりだった。
「一つ欠点を挙げるとするなら、あまりにも実用的すぎて補助魔術や簡単な生活魔術しか書かれていない。火の玉だとかを出すのには役に立たないが…」
「いや、こういうのを求めていたんだ。火の玉がなんだとかはまたの機会にするよ。これ、いくらだ?」
店主は綺麗に整えられた顎髭をさすりながら少し考える。
「本当は売り物ではないからね。値段を考えていなかったんだが…コーヒーを一杯、というのはいかがかな?」
「ああ、喜んで」
店主はにこりと微笑むと、カウンターへと戻っていき、コーヒー豆を挽き始めた。ミルがコーヒーの豆をゴリゴリと挽く音が心地よく響く。
店主がコーヒーを淹れている間、カインは店主の目の前に座って、早速本の内容に目を通し始めた。
一ページ目。
魔術とは、魔素の流れから力を取り出す技術。その定義に従えば、身体強化も魔術だ。以下に身体強化の正しい手順を記す。
1.血の巡りを意識する。
2.強化したい箇所の血の巡りが早くなるイメージを持つ。
実際は血液に溶けている魔素の巡りを早めているだけだが、これについては慣れてからで良い。この感覚を掴むことができれば次第に魔素の流れを掴むことができるようになるはずだ。
「え゛っ… 身体強化って魔術だったのか」
何気なく使っていた身体強化が魔術であることに思わず声が出る。村が空へと飛んでいくのに次ぐほどの驚愕であった。
「ふふ、私もそれを知った時は驚いたものです。高尚なものだと思っていた魔術を自身が既に使っていたのですから。何気なく食べていたタンが舌であることを知った時の様な衝撃でしたね」
「中々、面白い例えデスネ」
ちょっと違うだろという内心の感情をカインはなんとか押しとどめた。
魔術書に書いた通りの手順で身体強化を試す。鼓動に合わせて血が全身を駆け巡る。そして、鼓動はそのままに、徐々にその速度を早める。そこでカインは気づく。血液に混じる熱い力。これが魔素か。
カインは身体強化を日常的に使っている。そのため無意識ではあるが、毎日の様に魔素の操作をしていた。魔素の具体的なイメージさえ与えられれば、そのイメージを掴むのは実に容易であった。
カインは魔素のみを循環させた。血液というイメージから魔素のみのイメージへと転換することで、その循環は更に加速する。早く、更に速く、更に疾く。
するとカインの身体はバチバチと音を立てながら光り始める。
「はは、なるほどな。こういうことか」
カインは身体強化の核心を掴んだ。ゾルガへの投擲。あの一瞬だけ可能であった全力の身体強化を、カインは体力を度外視すれば自ら常に行うことができるようになった。
「素晴らしい。その若さにしてここまで練られた身体強化はそう見られない。才能がありますね」
「あ、えへへ、それほどでもないっすよまじで……」
カインは褒められ慣れていなかった。
「では、こちらブレンドコーヒーになります」
「ああ、ありがとうマスター」
「砂糖とミルクはご入用ですか?」
「ならミルクをもらおうかな」
マスターがミルクの準備をする。その間にカインはカップを持ち上げ、その匂いを嗅いだ。香ばしく、深煎りのコーヒーだ。
まずはそのまま一口。酸味は少なく、苦味が強い。その苦味がコーヒーの香りを引き立てる。カインはなんだか活字を読んで疲れていた脳みそが、スッキリしたような気がした。
店主はミルクに小さなスプーン、そしてチョコレートを添えて置いた。コーヒーにミルクを静かに入れる。黒い液面に沈んでいく白は、やがて夏の雲のように広がる。スプーンでそれをかき回せば、雲はちぎれていき、溶けて消えていった。
ミルクの入れたコーヒーを一口。先ほどとは違い、まったりとした口当たり。苦味は和らぎ、奥の方にミルクの甘みを感じる。けれどコーヒーの香りは欠片も損なわれていない。
「美味しいよ、マスター」
「それはよかった。かなりこだわりがあってね」
一息ついたところで、カインは魔術書の続きを読み進める。二ページ目から先も有用そうな魔術ばかりが載っている。が、今回の目的は探知の魔術である。カインは適当に流し読みをして探知の魔術を探した。
そうして本を捲っていると、半分あたりで探知の二文字が見えた。
「お、これか」
三十二ページ目。
探知の魔術は迷宮探索において必須の魔術である。パーティに一人もこの魔術を使えるものがいないのであれば素直に引き返し、習得するまで迷宮に潜るな。といったはいいものの、探知の魔術の習得難度は思いのほか高い。また、探知の魔術の精度はそのまま生死に直結する。よってどんなに才能あふれる若者であっても、一週間以上の修練を勧めたい。以下に手順を示す。
1.魔素の循環を行う。この時、循環の速度は速い方が好ましい。
2.下図のような模様を体内の魔素の循環によって描く。模様がいかに正確に描けているかによって探知の精度が決まる。
3.模様を象り循環した魔素は励起する。その励起した魔素を体外に放出する。
以上が探知の魔術の手順である。今までに記した魔術と比べても模様が複雑なので、根気よく努力すること。
「うわあ……明らかに難しそうだな」
図に書かれている模様は五つの円と一つの三角形の組み合わせでできているが、これを模るように魔素を循環させるイメージがまるで湧かない。なにせ、身体強化は血管という既に敷かれたレールに魔素を乗せるだけでよかったが、探知の魔術は自らレールを敷かなければならないのだ。
「探知の魔術には私もかなり苦労した記憶があります。確か、しっかりと物にするには一ヵ月はかかったかと」
「長え…明日から早速迷宮に潜るつもりだったんだが」
「ふふ、先達からの助言ですが、探知の魔術だけは習得してから迷宮に挑んだ方が良いでしょうね。何階層であっても、罠の危険度だけは変わりませんから」
がくりとカインは肩を落とす。迷宮探索はどうやら当分先のようだ。
「まあでも、良いコーヒーと良い本。これ以上を求めるのは贅沢がすぎるか。足るを知るってやつだな」
「良い心がけです」
夜はまだまだ長い。カインはコーヒーを飲みながら安らぎのひと時を過ごしたのだった。
Tips:マスターは元銀級。短剣使いだった。