幕間 この世にありふれた悲劇
非常に残酷な描写が含まれます。苦手な方は読むのをお控えください。
その子供は恐ろしいほどに白かった。両親とはまるで違う、真っ白な頭髪。病的に白い肌。瞳の色すらも薄く、淡いピンク色。生まれたばかりのその白い赤子を見て、村長が口走る。不吉の象徴だ、と。
両親とその子は、まとめて村八分となった。誰一人彼らと話をしようとしない。誰一人彼らの家の方向すら見ようとしない。村は徹底的に彼らの存在をないものとして扱った。
そんな状況の中でも、両親だけは確かにその子供に愛情を注いだ。その赤子は肌が弱く、日に晒すだけで皮膚が焼けて水ぶくれが生じた。その度に両親は、赤子のための塗り薬を拙い知識で苦労しながらも自らの手で作り、そして日に当たらぬよう傘を自ら作った。
赤子の雪のように儚い姿を両親は憐れんだ。どうして我が子だけこうなってしまったのか。ただ健やかに、幸せに生きてさえくれれば、他に望むことはなかった。それが贅沢な願いだというのならば、どうか健やかな体だけでも。私たちの体を捧げてでも、この子に健全な肉体を。彼の両親は、毎夜寝るたびにそう願った。
その願いが通じたのだろうか。その子供が一歳を超えると、すくすくと成長し、日の下に体を晒しても皮膚が焼けることは無くなった。
日の下で元気に駆け回る少年。普通の子供のようにはしゃぎ、普通の子供のように笑うその子を見て、両親は静かに涙した。我が子を神は見てくださっている。決して不吉の象徴などではない。願いは通じたのだと。
父母と、白い子。村八分にされ、たった三人の自給自足の生活であったが、それでも彼らは確かに幸せだった。
しかし、そんな幸福も長くは続かなかった。
子供が九歳になる頃。村に疫病が流行った。それは奇病であった。
罹患者はまず発熱と腹痛、下痢に襲われる。次第に血尿が出始め、その後手足は痩せ細る。それとは対照的に、腹は膨らみ、水が溜まる。そうなると体には白い斑ら模様が現れ、最後には妊婦のように腹部を膨らませたまま、少しも動くことすらできずに死に至る。
症状は働き盛りの若い男達ばかりに現れた。どんな処置をしても、症状は毛ほども改善せず、進行を緩めることすらできなかった。緩慢に、何もできずにゆっくりと死んでいく。
どんな手を施しても改善のみられないその病を前に、村医者が匙を投げた。そして、遂にはその村医者までもが発熱と下痢を訴えた時。村の人々は、ただ諦めた。
一家の大黒柱であった男達が虚ろな目でただ天井を仰ぎ、涙を流しながら家族に謝り続ける。家族は健気にも彼らを励ますが、心の奥底では、諦観と何もできなくなった彼らへの疎ましさが芽生えていた。そして、そんな光景が村全体に広がっていく。
そんな諦めた人々の目に、ふとあるものが映る。真っ白な子供が元気に走り回る姿。その白い少年は少しの不調すら感じさせず、笑顔を振りまいていた。
村の一人の男が言った。
あいつだ。あの白い悪魔が我々の生気を掠め取っているのだ。あの赤子の病弱だった頃を思い出せ!私たちの命を喰って、あの子はのうのうと生きているのだ!
そう叫ぶ男を、何人かの理性的な者たちが止める。だがその言葉が、叫びが、黒い澱となって村の人々の心に沈んだ。人々の鬱屈とした感情の矛先が、次第に一点に集まる。そして、気づいてしまった。
病床にただ倒れ伏し、死を目前にした村人が、自身の膨らんだ腹を見る。そこには、白い斑点。白だった。不吉の白であった。
狂乱。彼は白い斑点に気づいてしまった。腹の膨らんだ村人は、一体どこにそんな力があったのだろうか、自身の腹が裂け、腹水が漏れ出ても意に介さず暴れ回った。やがて腹から血が溢れ、全てを腹からぶちまけてその村人は死んだ。ただ、白と叫んで。
その光景は、この世に地獄が現れたようであった。村人達は口々に言う。白だ。不吉の白だ。あの子が産まれてから、全てがおかしくなり始めたのだ、と。
狂気が村を侵し始めていた。
◇◇◇
白い子が、草木と戯れている。彼は虫を追いかけていた。木にしがみついている虫が飛ばぬように、ゆっくりと近づく。その時、頭にゴンッと何か固いものが当たった。
音に気づいた虫が飛んでいく。彼はそれを残念そうに見つめる。ふと、何かが当たったところから熱いものが垂れていることに気がついた。
手で触ると、ドロリとしている。触った手は真っ赤に染まっていた。それは血であった。
「え?」
認識した瞬間、頭に痛みが走る。痛む頭を押さえながら、彼は何かが飛んできた方向を向いた。
そこには彼と同じくらいの年齢の少年が立っていた。
「お前が!お前がいるから!父ちゃんが死んだんだ!」
少年が石を投げてくる。少年は目にいっぱいの涙を溜めて、泣いていた。
「い、痛い!やめて!」
「お前のせいで、みんな不幸になる!なんでオレの父ちゃんが死んで、お前が!生きてるんだよ!」
泣きながら投げているせいか、石のほとんどは見当はずれの方向へと飛んでいく。しかし、何個かの石は彼の体にぶつかった。子供の力といえど、投げつけられているのは石である。当たった場所は簡単に青あざになっていく。
「消えろ!お前なんか、いなくなれ!」
「うっ!……やめてよ!」
彼は少年に向かって、たった一度だけ、石を投げ返した。その石は少年の頭にあたり、そのまま少年は倒れた。重く鈍い音だった。
「……え?」
ぴくりとも動かない。倒れている少年の頭からはどんどん、どんどん血が溢れる。
呼吸が浅くなる。視界がチカチカした。倒れた少年がやけに大きく見える。
彼は怖くなって逃げ出した。自分のしてしまったことを受け入れられなかった。
「はっ、はっ、はぁっ、はぁ」
ただひたすらに走る。逃げる。肺が破れそうだ。口の中は血の味がした。どこに逃げているのかもわからず、一体何から逃げているのかもわからず、ただ彼は逃げる。
気づけば彼は一人、森の中にいた。あたりには木々しかない。どこから自分が走ってきたのかも、もうわからなくなっていた。
頭の中が不安と恐怖、そして少しの怒りが占める。心細い。どうして、こんな目に遭わないといけないんだ。
そこで、あの少年に言われたことを思い出した。
「みんな不幸になる……」
彼は聡い子供だった。わかっていた。なぜ自分と両親が、村のみんなから無視されているのか。それは自分のせいだと、この特異な見た目のせいだと気づいていた。
それでも、三人で過ごしていれば幸せだった。だから気にしていなかった。しかし、なぜかはわからないけれど自分のせいで村の人達が死んでいっている、らしい。そしてそのせいでみんな怒っている。
あんな風に怒ってる人が、自分だけじゃなくて親にまで石を投げてきたら……
そんな想像をして、彼は身震いをした。
「僕……消えちゃった方がいいのかな」
僕がたくさんの人を苦しめている。このままだと、自分の親すら不幸にしてしまう。僕は、親の重荷にしかなっていない。そう思った。
「やだなぁ……」
彼は木に背中を預けて、小さく縮こまる。
頭からの出血はもうおさまっていた。けれど、失った血のせいか、それとも疲労のせいか、彼の意識はだんだん遠のいていった。
嫌な臭いがして、目が覚める。焦げ臭い。あたりはもうすっかり暗くなっていた。けれど。
「なにあれ……火?」
木々の隙間から遠くの黒煙と明るい光が見える。焦げ臭さの原因はあれだろうか。
ふらふらとその煙の元へと歩いていく。なんだか嫌な予感がした。それと同時に、見に行かなければならない気がした。
「…………」
たどり着いた景色を、彼はただ呆然と見つめることしかできなかった。燃えていたのは、彼の家だった。
家を取り囲む大勢の村人。彼らの足元には彼の両親が倒れている。
「おい、いたぞ!あいつを捕まえろ!」
何も彼には理解できなかった。村人が彼を取り囲み、捕まえて両親の側へと放り投げる。
「せめてもの慈悲だ。三人一緒に殺してやるよ」
彼には村人達が言っている言葉の意味がわからなかった。雑音にしか聞こえない。
ふと隣を見た。父親と母親が両手足を縄で縛られている。
母親は既に事切れていた。全身に暴行の痕。そして腹部は切り開かれ、内臓がこぼれている。その光景も、彼には何も理解できなかった。絵に描かれた風景みたいだと思った。現実ではなかった。
いきなり、見知らぬ女に頭を押さえつけられる。
女が耳元で何かを叫んでいる。旦那だとか、子供だとか、苦しませてやる、だとか。けれどその全てが雑音にしか聞こえない。耳障りな甲高い声だった。
自分は今一体何をされているんだろう。何が起きているんだろう。これは、夢なのだろうか。
ふわふわとした心地。そんな彼の耳にたった一つだけ、ハッキリと声が届いた。
「頼む、逃げてくれ……」
父親が彼の方を向いて、泣きながら叫んでいた。叫びすぎたのか、既に声は潰れていた。
その声が、彼を現実に引き戻した。ようやく彼は何が起こっているのか理解し始めた。
「は、はは、あははははは!」
涙すら流れなかった。笑うことしかできなかった。彼は全てを破壊された。過去も、今も。そしてこれから、未来すら破壊される。
錆びついた斧が振り上げられる。その斧は彼の父親の首を断ち切った。鈍い音だった。
ゴロリと首が転がる。見たこともないような、苦しみに喘ぐ泣き顔。それが自身の父親が浮かべた最後の表情だった。
怒りと絶望で頭が沸騰する。こんなものが、自分の愛する両親の最後だと認めたくなかった。視界が赤く染まる。バキッと何かが割れる音。それは、強く噛み締めた自分の歯が割れた音だった。
「……ッ消えろ!消えろ!消えろ!消えろ!消えろ!消えろ!お前らが!消えろよ!」
頭を地面に打ち付けながら叫ぶ。額からいくら血が出ようとも、彼は頭を打ちつけて叫び続けた。
消えるべきは自分じゃない。目の前にいるこいつらだ。
こんな奴らのために少しでも、自分は消えるべきかもしれない、なんて思ったことが、どうしようもなく腹立たしかった。そしてそれ以上に、目の前のこの醜悪な鬼達が、消えてなくなればいいと思った。こいつらは不幸になるべき連中だった。
頭の中で何かが弾ける。それと同時に奇妙な模様が脳裏に浮かび上がった。
「【起源】励起」
その日、地図から一つの村が消えた。後に残ったのは、血と灰だけだった。
Tips:村の人々が農業に使う水が寄生虫に汚染されていた。疫病はそれが原因であった。
村八分にされていたため、白い子とその両親は汚染された水に触れずに済んだ。




