断章 魔王と勇者
本編ではありませんが、重要な話です。
「邪魔だ!」
勇者の白く輝く剣が、蠢きながら伸びる黒い触手を切り伏せる。そして、返す刃でそのまま頭を刎ねた。
「くそ……俺に人を斬らせやがって……」
一か月前。突如として空に現れた黒き凶星。それは次第に地表に近づきながら、赤黒い瘴気を撒き散らすナニカを振り撒いた。
黒く、不気味な光沢を持つ触手。人の腕ほどの大きさのそれが振り撒く瘴気は、耐性のないものであれば一呼吸で動くことができなくなる。そうして動けなくなった者の身体に、ぞふりと入り込み、その体を乗っ取るのだ。
凶星の尖兵と名付けられたそれは、たった一か月で、ありとあらゆる生命を脅かし、乗っ取った。人も、獣も、魔物も。一切の例外なく尖兵は肉を貪り、乗っ取ったのだ。
身体を乗っ取られたものは次第に集まり始め、集団となり、悍ましき瘴気を放ちながら人の生存圏へと死の行進を始めた。結果、尖兵とその他全ての生命による全面戦争となったのだった。
「ぐあああ!」
一人の戦士の腕に触手が刺さる。その瞬間、まるで血管のように黒い脈が腕に広がる。
「すまん!」
それを視認するや否や、勇者は戦士の元へと駆け出し、侵食された腕を斬り落とした。
血が吹き出す。戦士は己の肩を抑え、脂汗を流しながらも勇者に感謝を述べた。
「お前は後退していろ。死ぬ前にさっさと治療魔術をかけてこい」
戦場はまさに地獄絵図であった。至る所に斬り落とされた四肢と、蠢く触手が散らばり、血と触手から吹き出す粘液でもはや地面すら見えない。
しかし、死闘の甲斐もあり、尖兵の数も残りわずかとなっていた。
「あとは……あれをどうするかだな」
勇者は空を睨みつけていた。正体不明の黒き星。尖兵の出所。その落下を防げない限り、この大地に未来はない。
勇者の側に影が落ちる。その影が次第に大きくなり、影の主人が降り立つ。
その影の主人こそ、魔族の王、魔王であった。彼女は、長く伸びた白髪を靡かせながら勇者と同じように凶星を眺めていた。
「魔王……今まで何をしてたんだ?」
「少しな。……ところで、あれをどうにかする算段はついたか?」
「……」
勇者は苦虫を噛み潰したような顔をした。彼の得意とするものは近接戦であり、堕ちる星をどうにかする手段は持ち合わせていない。
「ふっ、私を下した男がそんな顔をするとな。どうせ貴様は今まで何でもかんでも思い通りの人生だったのだろう?」
「うるせえ。そっちこそどうなんだ?そこまで言うにはあれを何とかできるんだろうな?」
魔王はそれに返事をしなかった。ただ、浮かべていた微笑をすっと消し、勇者から空へと視線を戻した。
「一つ。手段がなくはない」
「……何だか含みがあるな」
「まあな。……一つ、質問がある」
「こんな時にか?まあ、いいが」
「私のことが好きか?」
勇者は吹き出した。あまりにも状況にそぐわない発言に意表をつかれた。
「何いってんだお前……まあ、そりゃ好きだけど」
「どういう意味でだ?」
「……わからない」
「はは、そうか……」
勇者の返答に、魔王は少しだけ寂しそうに笑った。
「私は、お前を伴侶にしたいと思っている。それくらいには好きだ」
「は?」
「傷物にされたのだ、当たり前であろう」
「バケモンかこいつ……真剣勝負の結果だろそれは!」
「ハハハハハ。だが、お前が好きだというのは本当だ」
「…………」
勇者はその返答に黙らざるを得なかった。魔王の眼差しがあまりにも真剣で、冗談に見えなかったからだ。そして、告白にしてはあまりにも鋭い眼差しでもあった。
「勇者よ、私を迎えに来い。どれだけかかってもいい。ずっとずっと、待っている」
「な、何いってんだよ……おい、待てよ!」
黒翼を大きく一度、二度、羽ばたかせた後、魔王は凶星に向かって飛んでいく。
そしてその数瞬後。黒い閃光が瞬き、空の全てを吹き飛ばした。
後には何も残ってはいなかった。雲一つなく晴れ渡る青空と、魔王の魔素が渦巻く黒き球体を除いては。




