人間の到達点
「なんだこれ……」
「おお〜すごいな、これは」
門を潜ると、そこはいつも通りの大部屋ではなかった。どこまでも続く地平線。晴れ渡る青空。地面には水が薄く張られており、鏡のように空を映しだしている。
端的に言って絶景。迷宮という欲望渦巻く場所の最奥部がこのように美しいことを、カインは想像もしていなかった。それどころか、カインはこの空間から人間への慈しみすら感じた。
背後で門が閉まる。それと同時に門が消えた。どうやら"門番"を倒すまでは外部に干渉することすらできないようだ。
「障害物すらないか……本当に実力勝負になるな」
「この空間に広さの制限はないのかな?どちらにせよ、自由に戦えるからありがたいね」
そう呟くエクサの剣は眩く光り輝いている。寒気がするほどの恐ろしい魔力が込められている。
「おっと……ついにお出ましだよ、カイン君」
エクサの視線の先に、二つの波紋がある。だんだんと波紋は大きく、速く、広がっていく。そして、その波紋の中心から、ぬるりと黒いものが現れた。
現れたのは、身体全身が黒く染まったエクサとカイン。目は赤く光り輝いている。
その姿を視認すると同時に、エクサは剣を振るっていた。
「「極光」」
エクサとそのドッペルゲンガーが極光を同時に放つ。その光が狙うは、カインであった。
極光がカインとカインのドッペルゲンガーを飲み込む。しかし。
「いや〜ほんとにビビるぜ。あらかじめ『自由』を使ってなきゃ今ので死んでたな」
カインは当然のように無傷。対してドッペルゲンガーは跡形もなく消し飛んでいた。
「おっと、忘れてたな」
突然、小さな炎が現れる。それがだんだんと人の形を取っていく。ドッペルゲンガーの不死鳥のアミュレットが使用された。だがそれをまんまと見過ごすカインではない。
蘇生されたカインのドッペルゲンガー。それの蘇生直後、まさに最も無防備な瞬間を狙って、カインは自身の写し身を槍で貫く。蘇生直後でろくに構えもとっていないドッペルゲンガーにそれを防ぐ手立てはない。
音もなくするりと心臓を貫いた槍には、黒い液体がべっとりと付着していた。
ドッペルゲンガーは、最後に口から黒い血を溢して、ドロドロに崩れ落ちた。
「いくら魔物とはいえ、自分を殺すのはあんまりいい気分じゃないな。っと、そんなことより……」
エクサの方へと目を移す。カインが視線を移した先では、二人のエクサが静かに対峙していた。
地面には無数の傷跡が刻まれており、カインが自身の写し身を殺したその数瞬の間に、数百にわたる交錯があった事が伺える。
寸分違わぬ姿、同じように光り輝く剣。だが、カインの目には、その二人が放つ圧の質がまるで違うものに感じられた。
片方は、カインが知るエクサそのもの。底が見えず、どこか飄々とした、それでいて絶対的な強者の圧。もう片方は、姿形を完璧に模倣していながら、ただひたすらに純粋な殺意と敵意だけが練り上げられているかのようだった。
張り詰めた空気と両者の極限まで収束した魔素が、鏡写しの世界の水を微かに震わせる。そして、動いたのは同時だった。
二つの光が衝突する。音をあっさりと置き去りにする。音より先にカインの体を衝撃波が叩いた。
「ぐっ……」
咄嗟に槍を地面に突き立てて耐えるが、それでもなお身体が後退する。光の衝突点は綺麗なクレーターになっており、周りの水は綺麗さっぱりに蒸発していた。たった一合の打ち合いだけで起きて良い破壊ではなかった。カインの眼前で起きているのは、人間が起こしうる破壊の極致であった。
一、二、三。剣戟を重ねるたびに美しかった空間がその余波で破壊されていく。そして時折迸る光の斬撃がカインに反応することすら許さず通り抜ける。
エクサは、"門番"に挑む前に、常に『自由』を使えとカインに言っていた。それは非常に負荷がかかることではあったが、ここまでの戦いを見せられれば文句など言えるはずもなかった。
バチバチっと魔素が迸る音。二つの黄金の剣が光を増していき、両者は距離を取った。
「「極光」」
またしても、二つの声が完全に重なる。先ほどカインのドッペルゲンガーを消し飛ばした光の奔流が、今度はエクサ同士で放たれた。二つの極光は、その美しい輝きとは裏腹に、触れるもの全てを消滅させる絶対的な破壊を孕みながら空間を突き進む。
衝突。
カインは咄嗟に腕で顔を覆った。世界が白一色に染まる。視界が焼けるほどの閃光と、鼓膜を突き破らんばかりの絶叫のようなエネルギーの飽和。数秒か、あるいは数分か。光が収まった時、カインが恐る恐る目を開けると、そこには、無傷で剣を構え直す二人のエクサの姿。
「……相殺、か」
同じ威力、同じ性質の攻撃を、完璧に同じタイミングでぶつけ合った結果、互いの攻撃が打ち消し合ったのだ。
「なかなかやるね、僕。自分のことながら惚れ惚れするよ」
エクサは楽しそうに笑っているが、それに向き合う写し身はただ前を無機質に見据えるばかりであった。
するとエクサは、いつの間にかカインの側へと並び立ち、手を貸して体勢を崩したカインを立たせた。
「カイン、作戦通りに行くよ」
「……了解」
エクサが正面に剣を構える。その剣に光が集い始める。
それを見るなり、黒いエクサもまた光を剣に集め始める。
「おいおい、俺を無視すんなよ」
エクサのドッペルゲンガーの懐に潜り込むカイン。その首を斬り飛ばすように剣が振るわれるが、するりとすり抜ける。
カインの【起源】である、『自由』。それはどんな格上であろうとも時間稼ぎを行える極めて強力な能力である。それは最強である『黄金』でさえも例外ではない。カインは、エクサですら無視することのできない一撃を持っているからだ。
カインの槍には黒い光輪が二つ巻き付いている。加速と重化の付加魔術である。
「黒穿!」
黒い軌跡を描いて、超高速の刺突がエクサの胸へと飛び込む。当然、それを防げないエクサではない。剣が槍を阻む。しかし。
「ハハッ!防げねえよ!」
"槍"が剣をすり抜ける。すり抜けない対象の選択。これにより『自由』を使用中、カインの攻撃は全て防御不可能となる。
心臓を狙ったの槍は、ドッペルゲンガーの咄嗟の体捌きによって僅かに逸れ、その左胸を深く貫いた。
致命傷。いや、並の人間や魔物であれば上半身が吹き飛び即座に絶命するほどの一撃。だが、目の前の写し身は最強たるエクサであった。槍はその身体を貫通しているものの、出血は既に止まっていた。
「マジかこいつ……」
ドッペルゲンガーは苦悶の表情すら浮かべない。赤い瞳はただ、正面に立つエクサだけを捉え続けている。カインの槍が己の体を貫いている事実など、まるで意に介していなかった。
こちらの攻撃はすり抜け、あちらの攻撃は防げない。カインをまともに相手をするだけ損であると判断したドッペルゲンガーが導き出した最適解は――カインを無視し、エクサ本体との相打ちを狙うこと。
カインに意識を割いた時点で負ける。ならば、致命傷を負うことは甘受し、こちらも相手に致命傷を与える。極めて合理的な思考であった。
もはや直視すらできないほどの光を湛えた剣を握りしめたエクサとドッペルゲンガー。そしてこれが最後の一撃となった。
「「臨界――」」
黄金の剣から七色の暖かな光が溢れる。もはやその光はエネルギーだけではなく、実体を持ち、質量さえも持っているかのように思えた。
「「虹霓!」」
互いの剣が、眼前の空間に存在するもの全てを、互いの身体ごと断つ。二人のエクサは共に守りを捨てていた。
剣から溢れ出した光は、触れる全てを消滅させた。文字通り光速で齎される破壊。空の雲は散り散りに消し飛び、空気はその熱量に耐えきれず気体であることをやめた。
大地に放たれれば今後数万年は消えぬ傷跡を残し、山に放たれれば容易くその全てを更地にしたであろう一撃。従って、光が消えた後、果てしない地平線まで続く、定規で線を引いたかの如く真っ直ぐに作り出された谷だけが残されていたのはある種当然のことであった。二人のエクサの姿さえもどこにもない。
「あちゃー……こりゃダメだ」
崖から覗き込むように頭を出すカイン。谷は底が見えぬほどに深い。これではエクサがあの一撃に耐え、谷に落ちたとしても確認することはできないだろう。
と、そこで。
小さな炎がパチパチとカインの目の前で生まれる。その炎はぶわっと大きくなると、人の姿をとった。
「流石に死んでたか」
「んはは、楽しかったね……初めて死んだよ、僕」
炎の中から現れたのは、本物の『黄金』のエクサだった。
実は、エクサがカインに手を貸して立ち上がらせた際に、カインは持っていたアミュレットをエクサに渡していたのだ。
突入時にカインがアミュレットを持つ事で、カインのドッペルゲンガーが不死鳥のアミュレットを持つ。それをエクサのドッペルゲンガーに渡される前に速攻で始末した後、カインがエクサにアミュレットを渡す。これが作戦であった。
「完璧に作戦通りに進んでよかったな」
「まさかここまでうまく行くとはね。本当に、君のおかげだ。ありがとう、カイン」
「これで貸しはなしだぞ」
二人の目の前に宝箱が現れる。いつもの宝箱だ。
「お。今回は何が入ってるんだ?前回は金の指輪だったけど」
迷宮踏破の証である指輪。今のところ鉄、銅、銀、金と来ている。次がなんなのかの予想がつかない。ワクワクしながらカインは宝箱を開けた。
「……ん?」
中に入っていたのは水晶のペンダントだった。
「指輪じゃないのか……指輪の数が4つだと指が一本空くな。収まりが悪い」
「君、指輪を全部つけるのはダサいと思うよ僕」
「キラキラしたもんばっか着てたやつが言うな」
水晶のペンダントをつけると、いつものように使い方が自然とわかる。どうやらペンダントは握りしめて帰還と唱えれば良いらしい。
「さて、第九階層も踏破したし、第十階層に少しだけ行ってみようじゃないか」
そう言ってエクサはいつの間にか現れていた門を指さしていた。
「うーん……流石に何も知らない状態で行くのは危険じゃないか?」
「大丈夫。最強の僕がいる。僕がいる限り、僕の隣が世界で一番安全な場所だ」
エクサは胸を張ってそう答えた。
「それに……ここまでしてくれた君には、誠実でなければならないと思うんだ。僕について、今ここで話しておきたい」
そう言ってエクサは身につけていた金の仮面をカポッと外した。現れたその相貌は、初めて会った時のように光り輝いてはいなかった。白髪にも銀髪にも見える美しい頭髪と、強い意志を感じる金色の目。
「お前……その顔は……」
「なぜ僕が常に顔がバレないように振る舞っていたのか。なぜ僕が第十階層に来なければならなかったのか。全てを話そう」
エクサの黄金の眼光が真っ直ぐカインを貫いていた。
Tips:本来のドッペルゲンガーは、見た目を真似るだけの魔物。能力まで真似ることはできない。"門番"のドッペルゲンガーは特別製。




