喧騒
ピヨピヨと心地の良い小鳥の囀りが森に響く。心地の良い朝である。
「ん〜案外よく寝れたな。木もいい枕になるもんだな」
ぱっちりとカインは目を覚まして体をググッと伸ばした。
カインの寝床のすぐそばには川があり、その川は酷く澄んでいる。あまりにも清らかなのでほとんど魚も住んではいない。そんな川で、カインはパシャパシャと顔を洗い朝支度を済ませる。
「腹減ったな。……お、いいもんあるじゃん」
カインは見つけた果実をプチリともぎ取った。まだ少し青さが残っているものの、美味しそうに赤く熟れている。その果実はトカトと呼ばれており、村では貴重な甘味として愛されていた。
かぶりつくとブチュッと果肉と果汁が溢れ出す。完全に熟れていないためまだ少しの青臭さはあるものの、豊かな風味と酸味、そしてさっぱりとした甘みが朝の食事にはちょうどよかった。
カインはトカトを片手に、ゆったりとした足取りで北へと向かう。森ではいつも獲物を仕留めるために息を殺し、足音を立てずに潜むのが常であったため、こんなふうに森を散策するのは新鮮であった。
そうして散歩をすること数時間。もうまもなく森を抜けるというところで、前方から何か騒ぎが聞こえてきた。
好奇心のくすぐられたカインは槍を片手に走り出す。森を抜けると、商人のキャラバンが魔猪に襲われていた。
魔猪は、馬車と殆ど同じ大きさを誇る巨体であった。その魔猪の足元には、護衛だったのであろう数人が体に穴をあけられ、体を踏み砕かれ、血をドクドクと流しながら事切れていた。
「おー中々の大物だな〜。にしても魔猪くらいに殺される護衛を雇うだなんて、命の重さを軽く見てるな、あの商人どもは」
カインは少しため息をついて、魔猪を見据える。そして、自身の槍を魔猪へと投擲するために大きく振りかぶった。
カインの愛用している槍は、かつてカインが仕留めた、森の主であった魔熊の骨で作られたものである。しなやかで強度が高く、手に馴染むその感覚を好んで、カインはかれこれ3年も使っている。
カインはググッと右腕に力を込めると、ぼんやりと腕が淡く光る。
その光は、最も基礎的な魔術である身体強化。基礎的であるが故に、これの習熟度によって大きく能力に差が生まれる。曰く、極めてしまえば、音よりも速く走り、軽く殴るだけでも岩を砕くことができるという。
「狙うは頭、一撃必殺。ま、狩人だしな」
身体強化がみなぎり、身体がぼんやりと光る。そしてカインは、引き絞った右腕をブンと勢いよく振るって槍を投げ飛ばした。空気を裂いて真っ直ぐに飛ぶ白い槍。その風圧だけで雑草は千切れ飛ぶ。残像にしか見えないほどの速度で魔猪へと迫るその槍は、その速度のままに魔猪の目を抉り穿った。
槍が眼底を貫き、脳を一瞬にして破壊する。魔猪はあまりにも短く、か細い断末魔を一つ漏らして倒れ、ピクピクと痙攣しそのまま動かなくなった。
魔猪が事切れたのを確認し、カインは悠々と歩き出す。
そしてカインは魔猪の目に刺さった槍をずるりと抜き取り、そのまま槍を軽く振るって、ついた血と汚れを払い落とした。
「やあ、商人諸君。俺を護衛として雇う気はないかい?」
そう言ってカインは商人達へと笑いかけた。
◇◇◇
カインにはある考えがあった。
商人がキャラバンをなして進んでいる時、その進む先にはまず間違いなく大きな都市がある。今までの人生を小さな村と森にこもって過ごしていたカインにとって、大きな都市にはある種の憧れがあったので、護衛として雇われることで金がなくとも都市へと向かえるのではないかと考えたのだ。
「へ〜このキャラバンは迷宮都市に向かってんのか。じゃああの護衛達も迷宮都市を目指してた奴らなのか?」
「そうですねぇ。あの護衛達はとある村でよくゴブリンだとかワーウルフなんかを討伐してたんで、名を上げるために迷宮に挑むつもりだったみたいです。なので彼らをゴブリン対策に雇ってたんですけどね…まさかあんな魔物がこんな森にいるとは…」
「うーん確かに大物ではあったけど、ここじゃあんまり珍しくもないけどな」
カインは無事その腕を認められて、トリカチ商会のキャラバンの護衛として雇われた。
そこでこのキャラバンの長であるダリから話を聞くと、どうやらあの程度の護衛であっても、ゴブリンや盗賊程度なら簡単に蹴散らせる実力があったらしい。魔猪は一般的にはかなり強力な魔物であったがために、護衛達は道半ばにして全滅してしまったが。
カインは自身の実力に無自覚であった。
「にしても、あの名高き迷宮都市行きだなんて俺もついてるな。ちょうど大きな都市に行きたかったところなんだ」
「いえいえ、本当に運があったのはわたくしたちでございます。カイン殿に助けていただけなければ、今ごろ私たちも、迷宮都市に届ける数多の物資も、無惨に踏み潰されていたことでしょう」
迷宮都市ラークル。古くから多くの腕自慢達が挑み、数多の屍と一握りの億万長者を生み出し続ける欲望の街。ラークルにいくつか存在する迷宮は、そのどれもが人智では測ることのできない魔道具や宝石、武具などが眠っていると言う。商人はそのラークルにて大量に消費されるポーションや武器、防具を運んでいた。
「ひとまず、ラークルまでの衣食住はご用意させていただきます。報酬はラークルについてからでよろしいですか?」
「ああ、それでいい。あとで死んじまった護衛達との契約書を見せてくれ。それを見ながら報酬についてすり合わせをしよう」
「ええ、承知いたしました」
カインは金銭に頓着しない。少なくとも今の状況を気ままで自由な旅と認識しているカインにとって、護衛の報酬はそこまで関心を向ける対象ではなかった。
「カイン殿もラークルで探索者になるのですか?」
「まあそうなるだろうな。せっかくラークルに行くのに迷宮に潜らないっていうのも損だろ」
「それは良いことです。あなたほどの実力であればすでに銀級として活躍できるでしょう」
「ありゃ、俺ってそんな強いのか?銀級って言えば結構なベテランでなんでも王国の騎士とも戦えるって聞くんだけど」
「そもそも私どもが雇っていたあの護衛達が銅級なのです。そんな彼らがなすすべなく蹴散らされたあの魔猪を意図も容易く仕留められるなら銀級は固いでしょう」
カインは困惑した。自身がいた村には、自分と同じくらいの力自慢達などありふれていた。
カインは今までの人生において、そのほとんどをあの閉鎖的な村で過ごしていたため、比較する対象は村のみに限られている。カインは齢一八にして初めて自身の村が何かおかしいのかもしれないと思い始めた。
「それを聞いたらますます探索者になりたくなってきたな」
「であるのならば、ぜひ私どもの商会をご利用くださいませ。私どもも本拠地はラークルに構えておりますので、何か御入用ならば融通いたします。命のご恩がありますので」
「いーよいーよそういうのはさ。一応もう雇われの身だし。そっちは金を払って俺は働く。そんなビジネスライクな関係でいいさ」
「そうはいきませんとも。ここだけの話、カイン殿、あなたにはとても期待をしているのです。先ほどは銀級などと言いましたが、実際はさらに上り詰め、金級、果てには『二つ名』さえ与えられるかもしれませんよ。これでも人を見る目には自信があるのです。そしてそんなあなたが私どもの商会をご贔屓にしてくださるのであれば」
「あーわかったわかった」
あんなやつらを護衛にするやつに見る目があるとか言われてもなあと、カインは内心思ったが、それはそれとしておだてられるのも悪くないと思うのだった。恥ずかしいから止めたが。
「んじゃそろそろ俺は護衛の仕事にでも移るとするよ。またな」
「ええ、ありがとうございます。カイン殿」
カインはダリのいる馬車から飛び出して、護衛が使う用の馬車へと移る。
その馬車の中には幾つかの衣類や寝る際の毛布などが備えつけられていた。ダリに替えの衣類がないことを伝えると準備してくれたのだ。あまりにも早く手に入った文化的生活を前にカインはほくそ笑んだ。
Tips:身体強化はあまりにも基礎的な魔術なので、魔術を専門としているもの以外には魔術として認識されていないことが多い。生まれつきできるものも多い。