Phase ZERO. 傷だらけでも…
※挿絵はAI画像生成システム「imageFX」で生成した物を主に使用しております。
※カッコ記号の使い分けを行う事で、そのゾーニングをより明確にしています。
基本的なゾーニングの区分は以下の通りとなります。。
「」…[open]会話
[]…[semi-open]暗示
()…[open]テレパシー
{}…[closed]テレパシー(秘話)
<>…[closed]思考
≪≫…[closed]インナーセルフのリアクション
※おことわり
本Phaseにおいては、一部残酷な描写が含まれています。予めご了承ください。
~ Chapter index ~
●Chapter 1. Breakdown
●Chapter 2. 夢落ち
●Chapter 3. 悲しみの向こう側
●Chapter 4. 対峙
●Chapter 1. Breakdown
4月のうららかな春の日。爽林高校では入学式が執り行われていた。
今年入学したばかりの菖蒲塚 ユウ。しかしその心持ちは果てしなくゆううつだった。
ユウは中学生の頃、同級生からいじめに遭っていた。高校に進学し、ようやくいじめた相手とも別れることができると胸をなで下ろしていたはずだった。悪夢のような3年間、もうあんな思いはごめんだった。
しかし今朝初登校し、自分の教室に入ったとき、ユウは身体が凍り付いた。一番会いたくない相手がそこにいたからだ。
天神 リア、地元で有力の建設会社「天神建設」の令嬢。スポーツ万能で抜群のカリスマ性を持ちながら、その性格は時に凶悪と化す。気に入らない相手には敵意をむき出しで向かっていく。特にはっきりとモノが言えない相手には極端に苛立ち、酷い仕打ちを仕掛けてくることがある。
「オモチャが来た」
遠くで聞こえるリアの声に、ユウの全身の毛が逆立つ。
水曜日、入学式を終え、クラス内で担任のあいさつ。若い女の先生。
この日は特段の変わったことも無く、授業が終わる、
放課後、ユウは構内にある図書室を訪れた。広く落ち着いた室内だが、仕切りで区切られソファが置かれている一角で上級生が談笑している。
「ねぇ、ルームクラッシャーって今度どこの担任になったの?」
「矢川リョウコ? 確か1-Aだよ」
「あ~あ、可哀想に。また学級崩壊するのかね」
「さすがに今度は無いでしょ」
「いやいや、彼女のヘタレぶりは半端ないって」
「確かにそうだね、ハハハ」
「うるさいですよ、控えめにね」
図書館の司書らしき先生が談笑している生徒を注意する。そこで上級生の談笑はひそひそ声になり、よく聞こえなくなった。嫌なことを聞いてしまった…とゆううつな気持ちになるユウ。ユウのクラスはA-1だった。
2日目の木曜日。今日も何も起きなかった。クラス内では徐々に仲良しグループが形成され始める。リアの周りには早くも数人、取り巻きが出来はじめていた。ユウは相変わらずひとりぼっち。でも気にならない。放課後の図書室通いが唯一の楽しみ。本を読むより、ソファコーナーでのひそひそ話に耳を傾けるのが楽しみになる。
「あなた、昨日も来ていたよね。1年生?」
「あ、はい」
ソファコーナーでひそひそ話する先輩から声がかかる。
「初日から図書館浸りって奇特だよ、あんたうちの部に入る? 読書部」
「え?」
「いいよ~、うちの部はフリーダムだから、真面目に読書するも良し、おしゃべりするも良し」
「…そうなんですか」
「今度、1年生対象で部活の合同プレゼンがあるから、それ以降に良かったらどうぞ」
「あ、はい、ありがとうございます」
緩くてそれでも知性的で優しそうな先輩たち…。
3日目金曜日、午前の授業が終わり昼休み。ユウは持ってきていたサンドイッチと小さな緑茶のペットボトルを袋から取り出す。緑茶の栓を開けてまず一口、落ち着きのひと時。そしてサンドイッチを1つ頬張る。
「ユウちゃ~ん。こっちおいで」
後方から猫なで声。ユウに緊張が走る。後ろをそっと見ると、リアが手招きしている。無視したのはやまやまだが、無視したときの後はこれまで何度も酷い目に遭ってきた。仕方なくユウは席を立ち、後方のリアの方へと歩み寄る。
「ユウさ~、あたしたちこれまでも色々あったけどさぁ、お互い高校生になったじゃん、今までのことは水に流して、これからも仲良くしようじゃない」
「…」
ユウ、戸惑う。今までリアには理不尽なことで何度罵声を浴びせられたり、持ち物をばら撒かれたり捨てられたり、平手で殴られたり蹴られたりもしていた。
「…でもあたし、ユウには信用されてないよね」
少し寂しそうな顔をするリア。そんなリアにユウの心が揺れる。
<信用してみようかな>
「いいよ。無理しなくても」
「本当にこれまでみたいなことをしないのなら。…仲良くしてもいい」
「ホント? ありがと~、嬉しい! じゃあ仲直り記念に、チョコあげる」
リアがユウに一口サイズのチョコを3つ渡す。
「ユウはまだお昼を食べているんでしょ、邪魔して悪かったね。席に戻っていいよ」
ユウはゆっくり自分の席に戻る。その時背後でクスクスと声が聞こえることにユウは気がつかなかった。ふぅ…と一息つくと、2つめのサンドイッチを口にし、そしてお茶を口に含む。
「!!」
異様な味、微妙に漂う嫌な臭い。
ユウは慌てて口を押さえ席を立ち、トイレへと走り出す。
「引っかかったー! あいつションベン飲みやがったー!」
ゲラゲラ笑うリアとその取り巻き共の声、を背後に聞きながらユウはトイレに駆け込む。そして便器の中に全てを吐き出した。涙がボロボロあふれ出る。手洗い場で何度も口をゆすぎ、うがいもする。何という屈辱…。
<もう無理…>
ユウはゆっくり教室に戻る。ユウを迎えたのは、再びゲラゲラ笑いだすリアたち、そして何も無かったかのように無視を決め込む多くのクラスメート。
ユウはかばんを手に取ると黙って教室を出た。始業のチャイムが鳴る。途中で次の授業を担当する担任の矢川に遭遇。
「菖蒲塚さん、どうしたの?」
「すみません、体調が悪いので帰らせてください」
「ちょっと待って、まず保健室に…」
矢川の制止を振り切り、ユウは玄関を出る。2階の1-A教室から視線を感じる。そんな事などもう構っていられない。駅に向かう途中も涙が止まらない。駅に着くと反対方向の電車が入ってきた。それに飛び乗る。
<今帰ると家族に心配を掛けちゃう。それまで…>
隅の席に座り壁にもたれかかり、眠りに落ちる。
<このまま死んでしまいたい…>
夕方、帰宅。母の呼びかけ。
「おなかが痛いから、いらない」
そう答えると一目散に、2階にある自分の部屋にこもった。おなかは痛くない。
制服を無造作に脱ぎ捨て、下着姿のままベッドに横たわり、布団をかぶる。
あまりの惨めさに涙があふれ出る。なぜあの時怒りをあらわにしなかったのか? なぜあの時リアの言葉をうのみにしてしまったのか? なぜ事件を先生に報告しなかったのか? どうして? どうして…?
<こんな惨めなことを何度繰り返したら…>
<あたしはきっと人間として生きる価値が無いんだ。消えてしまったほうがいいんだ。無価値な人間は誰も助けてくれない。死にたい、死んでしまいたい…>
その夜は少し眠ったりまた起きたりを繰り返した。時々吐き気をもよおしたり、かぶった布団の中で叫び声を上げたりもした。やがて思考は『誰にも迷惑が掛からないところで死ぬための場所』を探し始める。
<…ここなら>
布団の中でスマホを手にし、『ある場所』へ行くための交通手段を探し始める。
<早朝、昼、夕方、土日は3本だけか…。早朝出よう>
朝4時、何かに取り憑かれたかのように、黙々と支度を始める。髪や肌を整える必要もない。これが最期になる…かもしれないのだから。
こっそりと家を出る。白み始める空がまるで自分を祝福しているかのように優しい。そう、これはフィナーレの幕開け。せめて今だけは悲劇のヒロインでいたい…。
いつもの駅、その向かいにあるコンビニのイートインでささやかな朝食。その後バス停の方へ移動、小さな待合室に1脚だけある長椅子で静かに時を待つ。
紺色帯をまとった銀色のバスが到着。行き先は『岬・海水浴場』。乗客はユウ一人。
このバスには過去何度も乗ったことがある。海岸近くの集落に母方曽祖母の実家があり、曽祖母が健在だった子供の頃に何度か乗った。母方の先祖の墓もその集落にあり、父の運転する車に揺られてそちらには毎年1度お盆に訪れていた。
約40分。終点『岬・海水浴場』に到着。バスを降りる。乗客は終点までユウ一人きり。すでに爽やか過ぎる青空。とても広い海岸に多くの浜茶屋が建ち並んでいる。しかしその全てが固く扉を閉ざしていて、人の気配は全く無い。
見上げると、海岸の一番端にそびえ立つ断崖、そしてその頂上に白い灯台が見える。
ユウは歩きだす。断崖に作られた階段を一歩一歩登る。階段自体はコンクリートで固められており、転落防止の鉄柵も付いている。階段の幅は人がすれ違える程度。
さらに階段を登り一息つく。まだ灯台ははるか頭上、体力の無さを痛感。ジグザグに行き来を繰り返しながら高度を稼ぐ。ふと脇を見ると彼方に続く砂浜と広大な海水浴場、そして深く蒼い海。絵になるような美しい光景が広がる。それでも階段はまだ続く。もっと上へ、もっと上へと…。
「あ…」
行く手に見えた白い人工物。脚に自然と力が入る。
「はぁ、はぁ…。あと3段、2、1…」
断崖を登り切る。目の前に白い建物、そして上部にそびえ立つ灯台。着いた…。
白いコンクリートの転落防止柵の向こうに見える青い海、岩塊に隠れ断崖真下の様子は見えない。
柵を乗り越え、これだけの高さから飛び降りれば、恐らく命は無いだろう。真下は見えない。飛び降りても下が海面という保障はない。下手をすれば入水する前に岩塊に頭をぶつけて血みどろになってしまうかもしれない。
<ここを最期の場に決めたんでしょ。”I can fly!!">
…でも、身体がそれ以上動かない。石になったかのように動かない。
やがてユウはその場に座り込んでしまった。崖を登り切って灯台にたどり着いたという達成感がユウの心に作用していたせいかもしれない。自然と涙が一筋流れる。
<ここまで来て死ねないなんて、酷い笑い話。あたしらしい情けなさ>
仕方なく灯台を後にし、階段を降りる。途中海岸と海を望む場所で立ち止まる。ここから飛び降りれば下は砂地、確実に命を落とすだろう。でも両手が階段の手すりを離そうとしない。
地上の砂浜に戻り、海へと歩く。波打ち際で水に触れてみる。痛いほど冷たい。
<入水…無理。夏ならまだしも…水の冷たさで凍えて深くまで潜れる自信が無い>
惨めな気持ちで浜辺を後にする。どこまでわがままで身勝手なのやら…と自責の念に打ちのめされながらバス停に戻り、3時間後まで来ない帰りのバスを待ち、その場にへたり込んだ。
<この、死に損ないが…>
●Chapter 2. 夢落ち
<ふぁ~ぁ、いつもながら気持ち良すぎる>
広い草原の中、自分とほぼ同じ背丈の草の海に埋もれるレミア。
昼ご飯代わりの花の蜜をすすった後のお昼寝。ここの草の海は良い蜜を出す花も多く咲く、レミアにとっては天国のような場所。昼寝もほぼ日課だった。
何げなく、ごろんと寝返りを打つ。
「aj?」
周囲が突然闇に包まれたと思った瞬間、真っ逆さまに下へ落ちる感覚。ものすごいスピードで自由落下していく。
<飛翔能力が…効かない!>
レミの飛翔能力をもってしても、落下に対する抵抗が全く効かない。
<向こうから光が…近づいてくる?>
遠くに見えた光の点、それがだんだん大きくなり、レミアの方に迫ってきた。
<これを抜ければ、どこかに出るの?>
急速に光が迫り、その中に飛び込んだ!
<うわっ!>
突然襲う凄まじい風圧、反射的に姿勢を仰向けにし手足をいっぱいに広げる。真っ青な空の中、遠くに見える光のかたまり…。
<あそこに…戻れば…>
レミアは引き続きありったけの飛翔能力で上昇を試みる。しかしそれでもなお急速落下は止まらない。
<あたし、飛べなくなっちゃったの?>
ほんの少し首を左に向ける。
「!!」
その高さに精神的衝撃を受けるレミア。恐ろしく高度が高い。レミアの飛翔能力は地上面からの距離に依存し、地上から一定の高さ以上になると、それ以上の高度への飛翔はできない。
<届かないの…あそこまで…>
しばらく自由落下が続いた後、徐々に落下に対する抵抗感が生まれ始める。やっと飛翔能力が効き始める高度に近づいてきたらしい。
<遅いよ…。もう戻れないよ>
落下速度はさらに低下し、やがて停止する。姿勢を地面の方に向けたレミア、目の前に広がる光景にぼうぜんとなった。
<…ここ、どこ?>
視界に飛び込んできたのは広大な平野に点在する集落や街。横を向くと小高い山が見える。平野の大半は格子状に区切られ、黒や淡い緑色で彩られ、一部光が反射してキラキラと輝いている。
<あたしのいたところより整然としている。もしかしてここ…>
レミアが昔聞いたことのある話。自分たちのいる世界は『夢世界』と言って『人間界』に住む人間が生み出す『夢』『妄想』が供給され蓄積された世界なのだという。夢世界では雑多な混沌が無秩序に入り交じり、その中で様々な生き物がすみ分けて生活していた。しかし今見えているこの場所には、『夢世界』のような雑多さや混沌さが感じられない。
<あそこに降りてみよう>
平地と街の境目辺り、小川の流れるほとりに緑の多い場所がある。レミアはそこに向かって降下、着地。自分がいた世界と植物の植生が明らかに違う。レミアにとって食糧源となる花も極端に少ない。仕方なく緑地を離れる。見渡す限りの格子に区切られた平地には水が張られ、小さな緑の植物が整然と植えられている。
<これ見たことある。確か『田んぼ』って言うんだっけ。向こうに見える山も色々ありそう。それにしても…>
人間やそこそこの大きさの動物は見かけない。遠くを見ると車の付いた箱が時折行き来する。その中には…。
<人間…いた。外に出ないであんな物に乗っているの?>
さらに見回すと、少し先に四角くて大きな建物が見える。その建物から人間の子供がゾロゾロと出てきた。背中に様々な色の箱を背負っている。
<行ってみよう。何か判るかもしれない>
レミアは歩いてきた子供たちの方に近づいていく。時々子供たち同士が交わす言葉も聞こえるが、レミアには全く理解できない。
<使う言語が違うのね。それならテレパシーで通じるかな>
ちょうど子供たちの目の高さになるような高さで…。
(ねぇ、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど…)
テレパシーで呼び掛けるが反応が無い。それどころか、レミアの存在を認知していないようだ。何人かにテレパシーを送ったりするが反応が無く、心を読み取ろうとしても漠然としたイメージしか読み取れない。
<…もしかしてあたし、この世界の人間に見えていないってこと?>
何度子供たちの前を横切っても、反応がない。
お互いが存在を認識し合えれば、言語の壁を乗り越えたより高いレベルでの意思の疎通、すなわち言語の壁を乗り越えたテレパシーによる会話が可能になる。しかし互いが存在を認識できず、おまけに使う言語が異なると、テレパシーでも言語の壁を越えられず、漠然としたイメージによるノイズ混じりの低いレベルでの交信しかできない。
<人間界って、こういう所だったの…?>
がくぜんとするレミア。
<困ったな…、少しおなかも空いてきたし、何とかしないと>
レミアはその場を離れ、街の中へと少し入り込む。家の庭で育てられている花などが無いかを探すためだ。
<もし夢世界と季節の流れが同じなら、もうチューリップは終わってそろそろバラが咲く季節。どこかで育てている家はないかな…>
街の中を彷徨うレミア。しかし目当ての物は見つからない。
<ん? 甘い香り…>
甘い香りのする元へいくと、そこは飲料の自動販売機の空き缶入れ。
<なんだか嫌な臭いも混じっている。やめた方がよさそう…>
さらに進むと別の甘い臭い。どうやら甘い食べ物を取りそろえている店らしい。
<中に入りたいけど、扉が閉まっていて無理…>
時々休憩しながら街を彷徨うと、何やら人が集まる場所に出た。若い子らが何かを待っているようだ。
<誰かにあたしを見つけてもらわなきゃ…>
レミアは自分を認識してもらおうと飛び回る。しばらくすると遠いところから銀色の車がやってきた。大勢の人がそこから出てきて、また大勢の人が乗っていく。車から出てきた人たちにもレミアは猛然と存在をアピールするが、それに応える人間は誰もいなかった。
<誰にも認識してもらえないなんて、つらすぎるよ…>
しばらく待つとまた人が集まり始める。レミアは諦めずにアピールを繰り返した。しかしその苦労が報われることはなかった。
やがて日はとっぷりと暮れ、外はポツポツと雨が降り始める。少しずつ勢いも増し、やがてザーザー降りの本格的な雨に…。
<マズいな、本当におなか空いてきたよ。困ったな…。場所を変えてみようか>
ある少年が銀色の車を降りると、出迎えに来ていた親らしき人が近づき、一緒に目の前にある自家用車へと向かう。
<いちかばちか…>
少年が開けた車のドアから車内へ潜り込んだ。
<せめて眠れる場所があれば…>
車は数分ほど走る。ほどなく、どこかの明るい建物の前に止まった。そこで人間が皆降りるのでレミアも外に出て、その明るい建物の中に入る。中には野菜や果実、海の物や山の物がよりどりみどりで並んでいる。
<あっ…>
入り口付近に生花の束が置かれている。レミアは久々に花の蜜を口にする。ただ疲れ切ったレミアには全然物足りない。
レミアが再び宙に舞い上がったその時、人間界に来て感じたことの無い妙な感覚を覚える。振り返ると、レミアのことをじっと見つめる少女が…。
(あぁ…、とうとうあたしも幻覚が見えるようになったか…)
ユウは自分の目に映った『空中にふわふわ浮かぶ妖精のような存在』にぼうぜんとし、その後頭を手で押さえた。
高校に行けなくなり引き籠って1カ月。昼間外に出るのが怖くなり、他人と顔を合わせるのもつらくて、辛うじて人出の少ない夜だけ外に出ることができていた。今日はたまたま近所の夜間営業の食品スーパーでちょっとした買い物を済ませ、これから徒歩で帰宅するところ。
(ねぇ、あなた。あたしのこと見えている?)
ユウの頭の中に声が直接聞こえてくる。
(…今度は幻聴? いよいよあたしも終わりらしい)
(ねぇ、あたしの声、聞こえるの?)
(…うっさいくらい聞こえるよ。ヤバ、悲しくて涙出そう)
ユウは逃げるように店の玄関に向かう。レミアも急いで後を追う。
(ちょっと待って。あたしは幻でも何でもないの。実際にあなたの側にいるの)
ユウは持っていた傘を開き歩き始める。レミアも傘の下に入る。
(あたし、この人間界では誰にも存在に気づいてもらえなかった。誰にもあたしの姿が見えなかった。でもあなたは違った。あたしの姿をはっきり認識できた。だからこうしてテレパシーで交信できるの)
(えらく冗舌な幻聴…)
レミアはテレパシーの感度を上げ、ユウの心の中を読み取っていく。
(…あなた、相当辛い思いをしてきたみたいね)
(だから何?)
(…ごめん、傷つくようなこと言っちゃって…)
(いいよ、事実だし)
(…ねぇ、お願いがあるの。あたし実は今とてもおなかが空いていて死にそうなの。何か甘い水のようなものを恵んでもらうことはできないかしら)
(死にそうなのはあたしも同じだけどね。でも幻聴にしてはえらく具体的な要求ね。…面白い。甘い水…蜂蜜でいい?)
(蜂蜜あるの! ありがたい。うわさには聞いていたけど、まだ口にした事無いの。とっても甘くってコクがあって美味しいって訊いているけど…)
(普段何を食べているの?)
(花の蜜…かな…)
(…わかった。じゃ、あなたが幻聴なのか、そうでないのか、実験ね)
(実験?)
(あなたが蜂蜜を摂ることで実際にその量が減るという物理現象が確認できたら、あたしはあなたの存在を信じるしかない。物理現象が確認できなければ、あたしはあなたの存在を『幻』としてしか認められない)
(あたし、試されてる?)
(こっちは蜂蜜を無償提供するんだから、それくらい協力してよね)
レミアはユウの心にぼんやりと温かい何かが生まれていることを感じていた。
(ひょっとしてワクワクしているんじゃなくて?)
(だから何よ。…傘閉じるよ、気をつけて)
ユウが傘をとじ、家の玄関から中に入る。真っ暗…。
(他に誰もいないの?)
(みんな2階。あたしはこっち)
廊下を抜けた奥の部屋のドアを開ける。照明を点けると6畳の部屋にベッド、勉強机代わりのテーブル、書棚や戸棚が所狭しと並ぶ。
「さてと…どうするかな?」
ユウは戸棚からティーソーサーとティースプーン、そして蜂蜜の入った小瓶を取り出しテーブルの上に置く。蜂蜜の瓶のふたを開け、ティースプーンで蜂蜜をすくい、ティーソーサーの上に置いた。
「こんなもので大丈夫?」
(ありがとう。いただきます)
レミアはティースプーンに近づき蜂蜜をすする。その光景をユウもじっと見つめていた。
(…減っている)
ユウは息を呑んだ。ティースプーンの蜂蜜が減るという物理現象を見せつけられた以上、これは『妖精』の存在を信じるしかない。
「もっと欲しい?」
(ぜひ!)
「しょうがない子ね…。あたしも紅茶飲むかな」
再びユウはティースプーンに蜂蜜をすくう。レミアはそれをおいしそうにすする。一方ユウはティーカップとティーバッグを戸棚から取り出した。ティーバッグをカップにセットし、備え付けの電動ポットからお湯を注ぐ。
(素敵な香り。それは何?)
「紅茶」
(紅茶…聞いたことはある。美味しいの)
「このままじゃあなたには物足りないかもね。蜂蜜、もっといる?」
(ありがたい!)
それからレミアは蜂蜜をティースプーン4さじ分味わった。
(ありがとう。本当に美味しかった)
「そう…。これだけ蜂蜜が減るのを見せつけられると、完全にあたしの負けね、あなたの存在を認めるよ」
(あたしの命を助けてくれてありがとう)
ふわりと舞い上がるレミア。そしてユウの頰にそっとキス。
「あ、ありがと。そのティースプーン、もらっていい?」
(いいよ)
ユウはスプーンをティーカップの中に入れ、わずかに残った蜂蜜を紅茶の中に溶かし込む。
「ねぇ、あなたに名前はあるの? あったら教えて」
(あたしはレミア。レミア・レミル)
「レミアか…かわいい名前。あたしの名前はユウ。菖蒲塚 ユウ」
(アヤメヅカ・ユウ…)
「今日からあなたのことを『れーちゃん』って呼んでいい?」
(じゃああたしも『ユウちゃん』って呼ぶね)
「いいよ。ところでれーちゃんって、いわゆる『妖精』でいいのよね。羽生えていないけど」
(羽はそもそも飾りだよ。出すこともできるし。こんな風に)
そう言うとレミアの背中からトンボの羽に似た羽が現れる。
「へー、そうなんだ。面白いね」
ユウは紅茶を口にしながらレミアのおしゃべりに耳を傾ける。
こうしてユウとレミア、2人の不思議な同居生活が始まった。
明くる朝、外は雨。
朝7時、ユウは床に伏したまま。
(ユウちゃん、起きないの?)
「無理…」
ユウが起きていたのは今朝5時頃まで。高校が配信するオンデマンド授業を視聴し、出された課題を全て提出していた。ユウは基本的に勉強が好き。だから本当は学校に行って授業を受けたい。でもそれを阻む環境とわだかまりがあってそれができない。
「勉強は夜やる。昨日も見ていたでしょ」
(まぁ…ね)
レミアはユウの心を深く読み取って、これまでのいきさつをおおよそ理解していた。それにしても…。
(ねぇ、ユウちゃん。あたし、ユウちゃんの学校の様子、見てこようか? 休み時間の様子はネット配信されないでしょ。その時教室で何が起きているのか、知った方が良いんじゃない?)
「引き留めないけど、心が折れても知らないよ、それに学校は遠いし…」
ユウの通う高校は電車で隣の駅の近くにある。距離にして約5km。
(大丈夫。ユウちゃんの学校への行き方をまねするから)
「電車に乗るの? そう…。好きにすると良いわ。でももし電車に乗るんなら、改札はできるだだけ隅っこを通った方が良いよ。もしかすると面倒なことになるかもしれないから」
ユウはレミアにイメージをテレパシーで送る。
(機械があたしを認識するってこと?)
「確信は無いけど、可能性はあるから。それじゃ、窓を開けるね」
ユウは少しふらつきながら床を抜けると、窓の方に近寄り、カーテンと窓を少し開けた。
「雨が降っているけど大丈夫?」
(平気よ、ほら)
いつの間にかレミアは雨がっぱ姿に変身している。
「ほんと便利ね、その変身…いや変装能力か…」
(じゃ、行ってくる)
「気をつけてね」
レミアは窓から外へと飛び出していった。窓を少しだけ開けたままにして、ユウは再び床につく。
「帰ってきてね…お願いだから。これがどうか『夢オチ』でありませんように…」
●Chapter 3. 悲しみの向こう側
<駅はこっち? みたいね>
駅に着くと、大勢の学生であふれている。
<これが自動改札機か...>
レミアは自動改札機の上を通り抜ける
ピンポンピンポン!
大きなチャイム音と共に自動改札がバタリと閉まる、しかしレミアが通過したのは上空2mあたり。
<ユウちゃんが心配したとおりだった…。この機械、あたしの存在を認識している…>
ホームには大勢の学生があふれている。中にはユウの通う爽林高校のブレザーを着た生徒も少なくない。
<この人たちについていけばいいのね、ちょっと緊張するな>
程なく電車が到着、ドアが開くと爽林高校とは異なる制服を着た学生がわっとあふれ出てくる。その列が一段落すると、今度は他の学生が一斉に電車内になだれ込む。
(ちょ、ちょっと、あたしも乗せてよ…)
慌ててドアの上縁から車内に入るレミア。
<ぎゅうぎゅう詰めじゃないの。あたし宙に浮いていて良かった…とは言うものの、この冷たい風は何?>
エアコンの風がレミアを襲う。慌てて居心地が良さそうな場所を探す。
<確か次で止まったら降りなきゃいけないのよね>
電車が動き出す。時折やってくる電車の揺れに、落ち着いて腰を下ろすことができない。
<蒸すなぁ…ん? そろそろ止まる?>
電車が減速する。降り損ねないようドア付近で待機。そして停車した。ドアが開いて相当数の爽林高校生が電車を降り、改札へと向かう。
<またチャイムが鳴るの? 嫌だな…>
レミア、ゆっくりと改札の上空を抜ける。しかし今度は音がしない。
<ラッキー!>
この駅は無人駅なので、自動改札機は通過センサーの付いていない簡易型だった。
<さてと、みんなについていきますかね>
ユウはそろいの制服を着た爽林高校生の後を追って学校へと向かう。
(ここかぁ。大きな建物…)
玄関を抜けると左折。少し進んで2階への階段を進む。
<ここでまた左に曲がって奥の方…あそこね>
レミア、1-A教室に入る。居心地の良さそうな場所を探すと、正面右側にあるテレビの上の縁に腰掛ければ落ち着けそうだ。そちらへと移動し、テレビの頭頂部の縁に陣取る。
<ここからなら部屋全体を見渡せるね>
教室内は授業開始前の雑然とした雰囲気。次々と生徒が教室に入ってくる。
<あ、あの子だな。ユウちゃんを酷い目に遭わせたのは…>
教室に天神リアが入ってきた。一番後ろの席にどっかりと座る。そして取り巻きらしきクラスメートと談笑。
<…あの子、凄くイラついている感情と悲しい感情が入り交じっている>
他の女子生徒がリアの脇を通り前の席に向かおうとする。その時リアが通路側に出している足に引っかかった。
「あ、ごめん」
リアはちらっと彼女の方を見ると、『しっしっ』と追い払うように手を動かす。
<あっち行けって…こと? あまり関心なさそう>
一通り生徒が揃ったところでチャイムが鳴る。それを合図に、皆が席に着いた。空席はユウの席のみ。
(あれ?)
レミは不意に妙な感覚を覚えた。ユウに遭遇した際と同じ。視線を感じる…。いた! レミアの方をじっと凝視している男子生徒が一人…。
(ひょっとしてあたしのことが見えていますか?)
レミアはその生徒にテレパシーを飛ばしてみる。しかし反応はない。
(…気のせいかな?)
程なく若い女性教師が教室に入ってくる。担任の矢川。
「はい、みなさん、おはようございます」
バラバラとあいさつを返す生徒たち。
「出席を確認します」
生徒の名字を一人ずつ読み上げる教師。それに返事で応える生徒。ユウの名前を呼んでも返事は返ってこない。
「今日の連絡事項は特にありません、ではこの後、引き続き数学の授業ですので、このまま続けます」
再び校内にチャイムが鳴り響く。
「起立、礼、着席」
誰かのかけ声で生徒が教師に一礼。
(まるで軍隊みたい)
「それでは早速だけど、月曜日に受けてもらったテストの回答を返します」
「えーっ」
多くの生徒が嫌そうな声を上げる。
「じゃ、出席名簿順に各自取りに来て!」
生徒が一人ずつ教師のところへテスト回答を受け取りに行き、また自分の席に戻る。
(あれ? おかしい)
レミアは先程と違う妙な違和感を覚えた。
(言葉が全然違うのに、あたし、意味が理解できている!)
戸惑うレミア。誰もレミアのことを認識していなければ、言語の壁は越えられないはず…。
(さては…)
レミア、先程の男子生徒の方を見る。彼は何食わぬ顔で、戻ってきたテストの回答を見つめている、
(まあいいわ、後で…)
「それでは今回のテストの結果について説明します。まずは今回のテストで満点を取った人が2人います」
教室内が少しざわつく。
「あんなに難しかったのに…」
「すげーな…」
「ちなみにそのうちの一人は、菖蒲塚さんでした」
「あの引きこもりが? どーせネットで調べでもして回答したんじゃないの?」
その不満の声を上げたのはリア。
「それは違います。菖蒲塚さんは皆さんが休みだった土曜日の夜に、実際ここに来て同じテストを受けました。もちろん私が監視をしています。皆さんがこのテストを受けたのは翌週の月曜日。不正行為はありません」
「そういえば土曜日に駅で菖蒲塚を見た。土曜日の夕方なのに制服を着ていて『どうしたんだろ』って思った」
ざわつく教室。
「そういう仲間もこのクラスにいるということを皆さんも理解してくださいね。 それでは回答について説明していきます…」
(ユウちゃん、やっぱり頭が良いんだ…)
思わず感心するレミア。
(…ユウちゃん?)
何者かのテレパシーがレミアの頭に流れ込んできた。見ると、先程の男子生徒がレミアのことを再びじっと見ている。
(やっぱり…あなた、あたしが見えるんでしょ)
(今は授業に集中、集中…)
レミアの疑問は確信に変わった。やはりこの男子生徒は、レミアの存在に気づいている。
(授業が終わったら、後であたしと話をしない? テレパシーで会話できるよ)
(…もしかして菖蒲塚さんと何か関わりある?)
(大ありよ、今、彼女と同居中。…じゃあ後でね)
レミアは授業が終わるまでじっと待つ。しばらくして再びチャイムが鳴る。授業は終了し、教室はざわつきだし、何人かの生徒は教室の外に出る。
(はじめまして)
例の男子生徒の机の上に舞い降りるレミア、顔を見上げ穏やかに微笑む。
(あたしはレミア。あなたの名前は)
(ハヤト。角海ハヤト)
(ハヤトね。よろしく)
(菖蒲塚さんと同居しているって…)
(昨日の夜からだけど、あたし今、彼女の部屋に同居しているの)
(彼女は元気なの?)
(まだ心のダメージが大きいわね。暇さえあれば『死にたい』って独り言をつぶやくくらいだから)
(そうか…俺だけじゃなく大半の人は心配していると思うよ)
(その言葉を聞けばユウちゃんも励みになるかもね。ところで、この教室も問題児のことについて、何か知っていたら教えて)
(天神さんのこと?)
(そう…)
(俺が知っていることはあまり多くないよ、ただ…)
(ただ?)
(彼女、子供の頃はあんな子じゃ無かったんだ。とても朗らかで優しい子だった)
(その彼女が何であんな風に?)
(それは俺もよく判らない。ただ家族とはあまり上手くいっていないらしい。おやじさんが相当厳しいらしいんだ)
(そうなの。彼女があたしのことを認識できれば、言葉の壁を乗り越えて彼女の心を直接読み取ることができるんだけど、どうもそれが無理そうなんで困ったなと思って)
(俺は特異体質だからね。人が見えないものも見えてしまう…)
(それであたしが見えたんだね? …ってことは、ユウちゃんも特異体質なのかな?)
(それはどうだろう? 彼女が幽霊見たことあるとかいう話は聞かないし)
(ふ~ん、取りあえずありがとう。また気になることがあったら教えてね。今後ともよろしく)
(いいよ)
レミアはふわりと舞い上がると、リアの席の上空へと向かう。リアの机の上に置いてあるスマホには、笑顔のリアと抱き合う大型犬の姿が映っていた。
(この犬、飼い犬かしら?)
授業が終わるまでリアの様子を窺う。授業は比較的真面目に取り組んでいるように見える。
授業が終わり再び休み時間。レミアは再びハヤトの机に舞い降りる。
(ねぇ、もし知っていたら教えて。もしかして彼女、自宅で犬を飼っている?)
(去年だけど犬と散歩しているのは見たな…)
ハヤトの記憶に現れた映像を読み取るレミア。
(彼女のスマホに映っていた犬と同じみたい)
(確かゴールデンレトリバーだったかな)
(彼女の家がどこにあるか知っている?)
(確かここ。大きな家だからすぐわかるよ)
リアの家のイメージと地図情報がテレパシーでレミアに流れ込んでくる。
(あたし午後から行ってみようかな)
(犬に会いに?)
(そう)
(レミアさんは駅の自動改札でエラーにならなかった?)
(最初の駅では…)
(だったら気をつけたほうが良い。あの家は以前泥棒が入って、それ以降家の敷地内に監視カメラを設置したって聞くよ。もしかしたら君の姿がその監視カメラに記録されるかもしれない)
(でもほとんどの人間にはあたしが見えないんじゃないの?)
(人間が直接見るのと、カメラに映るのとは仕組みが違う。カメラの目にレミアさんが映り込んで実体があらわになったら、大変なことになるよ)
(そうなの…助言ありがとうね)
再びチャイム。今度は各席の上空から生徒それぞれの様子を観察するレミア。
<この人、授業そっちのけで絵を描いている。上手いね>
<この人は…おなか空いてどうしようもないの? 可哀想>
<こっちは…なんか全然違う本を読んでいる>
<…こっそりスマホをいじっている>
<真面目な人もいるけど、結構色々なのね>
<みんなそわそわし始めてる。この授業が終わると昼食なのかな?>
チャイム\が鳴る。12時、お昼休みだ。
(レミアさん、お昼はどうするの?)
(今日は我慢する予定。あたしは蜂蜜とか甘い花の蜜とかが主食だから)
(乳酸菌飲料は飲める)
(ニュウサンキンインリョウ?)
(買ってきてあげる。ちょっと待っていて)
ハヤトが席を立ち、教室を出る。
(あたしのことを凄く心配してくれてるみたい。ありがたいけど…)
程なくハヤトが席に戻ってくる。そして机の上に置かれたのはレミアよりも背の低いベージュ色の瓶のようなもの。ハヤトはごく細いストローをその瓶に挿す。
(これなら飲めるんじゃない? どうぞ)
(あ、ありがとう…)
レミアはストローの先端から瓶の中身を吸う。
(…こんなの初めて! なんて不思議な味なの?)
(飲めそう?)
(全部は無理。結構余っちゃう)
(いいよ、残して)
(…ありがとう。もうおなかいっぱい)
それを確認するとハヤトは瓶を手に取り、教室を出る。しばらくすると、再び席に戻ってきた。
(さっきのは?)
(天使にお裾分けしてきた)
(『天使』?)
レミアがハヤトの心を読む、そこに現れたのは、地下深くに潜む『イーターちゃん』という謎の生物…。
(そんなのがいるの?)
飲料の残りは流しに捨ててきた。行き着く先は下水の浄化槽、『イーターちゃん』の正体は浄化槽内のバクテリア…。そこまでの一連のイメージを読みとり思わず苦笑いするレミア。
(それじゃあたし、そろそろいくわ)
(うん、気をつけて…)
レミアはハヤトの元を離れた。
行きと逆のルートを戻り、ハヤトから教えてもらった道筋を抜け、リアの家にたどり着くレミア。
<聞いてはいたけど…>
入り口の門には頑丈そうな門扉が付き、さらにその上に監視カメラらしきものが見える。レミアが門扉の上をふわりと乗り越えると左手前に大きな庭、奥の方に家、右手には倉庫のようなものが建っている。
<庭には少し花もある。ユウちゃんの家より快適かも…>
家のほうに向かって進む。左手のほうを見ると、庭に面した廊下に寝そべる何か…
<あれね…>
近寄るレミア。ガラス越しに廊下で寝そべる大型犬。
(何とか会話できないかな…)
犬のほうにテレパシーの感度を上げてみる。
(寝ている?)
ピクリと動いた。視線をレミアのほうに向けている。
(誰?)
向こうから呼び掛けてきた!
(あたしレミアっていいます。ここに住んでいるリアさんのことで、色々教えて欲しいんです)
レミアはテレパシーでこれまで自分が見聞きしてきたこと、そして自分が抱くリアへの感情を包み隠さず伝えようとする。
(あたし、リアさんのことがとても心配なんです。あんなに悲しみの感情を抱えているなんてよほどのこと。できることならリアさんの力にもなりたいんです)
(あなた、敵意や悪意は無さそうね。…リアのこと悪く言う人は多いわ。でもあの子はとても可哀想な子。あたしもどれだけ支えてきたか知れない)
犬のほうから、リアに対する愛情深い感情が、津波のようにレミアに流れこんでくる。
(ちょっと…待って…情報量多すぎ…待って…)
子供の頃のリアは本当に素直で優しかった。中学入学のあたりで父親のしつけが極端に厳しくなりリアを強烈に束縛する。それに対するリアの葛藤、それは自らの人生を破壊してでも父親に抵抗する覚悟に至る。リアがユウに抱く複雑で特別な感情…。
レミアはフラフラとその場に崩れ落ちた。肩で息をし、何度か頭を振る。
(この情報量の圧…こんなの初めて)
(あたしにとってかけがえのない人のことだからね。つい本気になっちゃう)
(わかる…その気持ち。…ふう、やっと落ち着いた)
微笑むレミア。
(大事なことを教えてくれて本当にありがとう。あなたの思い、あたし絶対無駄にしない。あたしのところのユウちゃんだけじゃなく、リアさんにも笑顔になってほしい。もちろんあなたも)
(よろしくね)
(…あらためて、あなたの名前、確認させて)
(『リンダ』よ)
(ありがとう、リンダ)
(で、これからどうするつもり?)
レミアはこれからの計画をリンダにテレパシーで伝え始めた。準備することは多い。
(…でね、リンダ。相談したいんだけど)
(何?)
(今回リンダからもらった情報を活かしたんだけど、さすがに『リンダから証言をもらった』なんてことは人間に対しては説明できない。それはあなたも判ってくれるよね)
(もちろん)
(何か『リアさんの心情を吐露したもの』って無いかしら。例えば日記とか…)
(SNSがあるわ。彼女は年齢を偽ってSNSに投稿しているの)
(SNS?)
(つぶやき系のやつね)
リンダが再び大量の情報をレミアに流す。
(…リンダ、あなた情報量の圧すごいよ)
苦笑いするレミア。
(で、それがリアさんの…『アカウント』だっけ…これをうちのユウちゃんに伝えればいいのね)
(きっと使えると思う)
(ありがとう。本当に助かる)
(こちらこそ、うちのリアを今後ともよろしくね)
(もちろん)
レミアがユウの家に戻ってきたのは夕方4時頃。
窓の隙間からユウの部屋に入る。
(ただい…!)
ベッドの上に座るユウ、上半身は下着のまま、左腕の関節付近の肌にカッターの刃を当てていた。傷口から一筋流れ落ちる血、それを見てユウはまるで快楽の絶頂にいるように妖しげな笑みを浮かべる。
(ユウちゃん、何をやっているの!)
(れーちゃん…)
(ダメ、今すぐそれを離して! あと傷口を早く押さえて!)
(どうして…、あたし死にたいのに…)
(うそ!)
(うそじゃないよ)
(ううん、絶対うそ。ユウちゃんの心の奥はそんな事望んでいない! ユウちゃんは『死にたい』んじゃ無いの! あなたの本当の心の奥の叫びはいつも『生き延びたい』なの! 『死にたい』『死にたい』ってユウちゃんは何度も言うけど、心の奥底は常に『生き延びたい』なの。死にたくなんか無いの。だからあなたは死ねないの。死んではいけないの!)
ユウの右手からカッターが滑り落ちる。身体が震え、目から止めどなく涙があふれだす。顔を床に埋め号泣…。
部屋の扉の前に何かが置かれる音。おそらくユウの母親が食事を置いたのだろう。徐々に日も陰ってきた。
(…そろそろ落ち着いた?)
「うん…」
(今日は伝える情報量メチャクチャ多いから、話すの食事が終わってからにしようか)
「…うん」
ユウはゆっくり身体を起こす。先程の傷からの出血は止まっていた。ひじの付近に何本もの切り傷。リストカットが今回初めてでなかったことを物語る。
ユウ、レミア、共に食事を済ませる。ユウは食器を部屋の入り口の前に置き、スマホで母親に食事終了のメッセージを送信した。
(さて、そろそろ、いい?)
ユウ、深呼吸。
「お願い」
今日レミアが見聞きした全てのことをユウに伝え始める。
「あたしの『あとがま』はいないのか…」
「えっ、角海君? れーちゃんのこと見えたの? 彼と今度メッセージ交換できるようにしたいな」
「乳酸菌飲料…その手があったか。れーちゃんおなか壊さなかった? 大丈夫? 良かった」
「リアの飼い犬とテレパシーで会話できたんだ。すごいね」
「え…、ちょっと待って。それ、あたしの境遇より酷いの?」
「…そんな。…リア、自分の人生をぶち壊すためにあたしに絡んだって言うの?」
「それがあたしを標的にした理由…」
ユウ、ボロボロと涙をこぼす。
「…そのSNSがリアを止めるカギ。そして…」
ユウはノートパソコンを開き、レミアから教えてもらったSNSのアカウントにアクセスする。アカウント名は『リアル・ジャンヌAG』…。レミアもその画面を覗き込む。
『また今日も殴られた。私は親の奴隷じゃない。絶対後でメンツ丸潰しにしてやる』
『これだけ学校で問題を起こしているのに、なぜ退学させてくれないの?』
『タヒにたいって書くと色々マズいのよね』
『ごめんねリンダ、あなただけがあたしの味方』
『そもそも今の学校に通いたくは無かった。やつの言いなりになるから。だからやつのもくろみを潰したくて青心女子を受けて合格したのに…くそったれ』
『Youに酷いことしちゃった。ごめんね。でもこうでもしないと退学の口実つかめないの。許して、私の目標の人…』
『あの糞オヤジめ~! 絶対潰してやる! 青心の学費ぐらい出せよ』
『爽林合格しちゃった…。またおやじの手のひらの上で踊らされるなんてご免』
『受験に馬鹿おやじが送迎とか有り得ないんだけど…』
ユウは先程に増して号泣していた。
「…あたしのほうこそゴメン。あたしリアのこと本気で憎んでた。二度と会いたくないと思っていた」
「…会いたい。リアと話がしたい。できれば…」
レミアはユウをそっと見守ることしかできなかった。
それから約1カ月後の6月、ユウは中間テストを受けるために久々に学校に登校する。ただ他の生徒と一緒に登校する自信は持てなかったため、あえて早朝1番の電車で登校し、別室で早めにテストを実施した。終わるのも早く、誰にも見つからないように学校をあとにした。まだ日中に歩く恐怖心は拭えていない。人と会うのも怖い。気持ちの上で少しずつ余裕は出始めていたが、普通の学校生活を営むにはまだ心の余裕がなかった。
7月中旬、期末テスト。その数日前に担任とビデオ通話した際、ユウは『できれば2学期から通常登校したい』という意向を伝える。その際、リアに関する事についても話をし、期末試験終了後、彼女と直接会おうという計画をもっていることも伝える。担任はそこに立ち会おうかと言ってくれたが、すでにユウはハヤトを立会人としてお願いしていることを伝え、今後のリアの事も考えて、担任の同席はあえて断った。
●Chapter 4. 対峙
『会いたがってる人がいるよ』
『あなたは一人じゃないワン』
『暑くなると氷も溶けるよね。人の心氷も同じ』
リアのSNSアカウントに数日おきにこんなリプを書き込んだユウ。
全ては期末テスト後にリアと再会するにあたり、心構えの準備をしてもらうための作戦。
そして期末テストが終わった日。
『あなたの大切な仲間が、明後日何かを教えてくれるでしょう』
いよいよリアと対峙する日。予定時間は夜7時頃。リアの家の近くにある小さな神社の境内にある公園。そこにある長椅子でユウとハヤトが待つ。夜の散歩が日課のリンダとリアはその付近を必ず通る。そこでリンダがリアを誘導して2人のところに来るという手はずになっていた。
夕方6時、約束の場所。長椅子に座るユウとレミア。
「大丈夫かな? 失敗しないかな…」
不安でいっぱいのユウ。
(今日のために全てを準備してきたんでしょ。ハヤトやリンダとの打ち合わせもバッチリなんだから心配ないって。それにもし万が一失敗したとしても今回が最後じゃない。いくらでもやり直しはできるんだから)
穏やかに笑みを浮かべながらなだめるレミア。
(ユウは強くなったよ。あたしと出会った頃は本当に弱っていた。でも今は立ち上がろうとする小さな勇気が順調に膨らんでいる)
「そうかな?」
(リスカもしなくなった。『死にたい』って言葉も減ってきて『生き延びたい』という言葉が増えてきてるし)
「それもこれもみんなれーちゃんのお陰。ほんと心の底から感謝している」
(あたしはほんのちょっとお手伝いをさせてもらっただけ…)
「そんなことはないよ」
(あなたにとっておきの言葉を教えてあげる…)
レミア、軽く深呼吸
(『動かなければ何も変わらない。だけど、動かなければ何も変えられない』)
「…動かなければ…何も変えられない…」
(あなたは動いてきた。それがたとえ小さな動きでも…。でもその積み重ねがあなたを今の状態に押し上げた。これからもあなたはもっと変われる。もっと笑顔になれる…)
「れーちゃん、これからもあたしの側にいてくれる? これでサヨナラなんて嫌だよ」
(あたしがサヨナラするとでも思った?)
「何かそんな物言いに聞こえたから…」
(大丈夫。あたしはユウちゃんとずーっと一緒。だって美味しい蜂蜜たっぷりくれるんだもん)
穏やかな笑みを返すレミア。
「そっちかい!」
(てへっ★)
不意にレミアの表情が変わる。真剣な表情。
(ハヤトが…来る)
ユウが左の方を見る。向こうからハヤトの姿、ユウが高く手を挙げてハヤトを招く。
「お待たせ」
「ありがとうね」
(立会人様、お待ち申しておりました)
ユウが座る長椅子と別にあるもう一つの長椅子、それをハヤトが動かし、ちょうど直角になるように置く。片方の長椅子の端にハヤト、二つの長椅子の真ん中で直角の交点に当たる場所にユウ、2人の間にレミア。そしてもう一つの長椅子にリアを招く計画だ。
「緊張する?」
「もちろん」
「…まあ、菖蒲塚さんなら大丈夫だよ。うまくやれる」
「レミアからも似たようなこと言われた」
(こうやって見ていると2人、まるで恋人同士みたいだね)
顔を真っ赤にするユウ
「ちょ…なんて事言うの! 角海君に失礼じゃない」
(え~違うのぉ~。ねぇハヤトはどうなの?)
ハヤトも顔を真っ赤にして黙り込む。恥ずかしいようだ。
(わかったわかった、ゴメンね。場を和ませようと思って言ってみただけだから)
「…あたし、角海君のこと、嫌いじゃ無いんだからね。ずっと頼りにしているから。ほんとありがたいんだからね」
「わかっている」
笑顔で返すハヤト。
空はあかね色に染まり、月や明るい星が顔を覗かせる、神社境内の照明がともり、長椅子のあるエリアを優しく照らす。
(そろそろリンダとリアが来そう…)
レミアが右の方を指さす。
「…あれ、リンダ、どこ行くの? そっちは違うよ。ちょっと待っ…」
神社の境内に入り込むリンダとリア。リンダがぐいぐいとリアを引っ張り、ユウとハヤトの方に近寄る。
「お久しぶり、天神さん」
「お…おぅ。まだ生きているんだな、ユウ」
「お陰様で。せっかくだから、そちらに座って。…話をしましょ」
ぎこちない笑顔でリアを促すユウ。
「2人揃って、今日はデートか?」
「人生相談に乗ってもらっただけ」
この一言で、今日これからの事について、ユウの肝が完全に据わった。目つきが別人のように鋭くなる。
「天神さん、…あたしね、あれから天神さんの事、色々調べたの。優秀な探偵さんも雇ったりして」
「探偵?」
少し驚きの表情を浮かべるリア。
「そう。あなたはあたしにこれまでいろんな事をしてきた。それには必ず動機があると思ったの。だからそれを突き止めることにしたってわけ」
「まるで犯人扱いね。動機なんてないよ」
「うそ」
ユウはスマホを取り出し少し操作すると、その画面をリアに見せた。リアは、一瞬表情を曇らせる。
「それが何よ」
「これ、あなたのSNSアカウントでしょ。弁護士に頼むと発信者情報を調べてくれるの」
これは半ばユウのハッタリ。
「ここに書いている内容、あなたの気持ちや学校・家での出来事が細かく書かれていたの。あたしの事も書かれていた。ほらここ、『You』って書かれてるの、これあたしの事よね」
「…知らないよ、そんなの」
ふいと横を向くリア。
「でね、これ読んでて、あたしわかったの。天神さんはあたしとよく似ているんだなって」
「似ているわけがねぇだろ」
「天神さん、あなたは父親にとても厳しくあたられていたそうね。あなたの父親は自分の会社をリアに継がせるために、勉強もスポーツも全てにナンバー1になることをあなたに望んでいたのよね。そしてあなたは父親に強く束縛されていた。暴力も受けたとか…。あたしは母親に強く束縛されて毎日苦しんでいた。言うことを聞かないと叩かれたり『おきゅうをすえる』と言って柱に縛られた挙げ句、本当に地肌に大きなもぐさの固まりを乗せ、そこに火をつけられたの。やっていることは『根性焼き』と同じ。だからあたしは『死』を望むようになった」
リアは息をのむ。
「でもユウ、あなたは勉強がパーフェクトだったじゃないの」
「勉強だけは好きだからね。でも他はボロボロ、人として全然ダメ。まともに人の顔を見ることもできなくて、腕力とバイタリティーにあふれる天神さんに立ち向かえなくてずっと逃げていた。逃げて逃げて本当に死のうと思った。見て、この腕の傷。これがあたしの本当の姿」
ユウは左腕にまだ痛々しく残るリストカットの傷をリアに見せた。ちらっと見たがすぐに目を背けるリア。
「親に束縛され、虐待同然の仕打ちを受けたのは、天神さんもあたしも同じなの」
「あたしは…常に成績トップなあなたに憧れていた。その反面、あなたのせいであたしがトップになれないことにうらみを抱えていた。いつもあたしは女子で2番だったから…。だからあなたに色々酷いことをした。それをあなたは決して怒らず、じっとこらえた。あなたはとても優しい。でもその優しさはとても危ういもの。だからあたしはあなたに怒って欲しかった。あたしを叱って欲しかった…」
「高校入学早々あたしに酷い仕打ちをしたのは、『問題を起こすことで退学になることを狙った』からなんですってね。天神さんは親の指図通りにうちの高校に進むのが嫌で、わざと青心女子高校を受けたのよね。合格したけど親が金を出してくれなくて、そっちには行けなかった。だから自分の人生を犠牲にしてでも父親に復讐するために、退学になろうと問題を起こしたんでしょ」
「…そこまでバレているんじゃあしょうがない。どうする? あたしを警察にでも突き出すかい?」
「そんな事はしない」
一つ深呼吸するユウ。
「あなたにはあたしに酷いことをした罰として、うちの学校にずっといてもらいます。退学なんてあたしが絶対許さない。そしてあなたには、あたしの『友達』になってもらいます。親に虐げられた仲間同士だから、あなたと友達になりたい!」
不意に笑いだすリア。
「あなた…自分がどんなにメチャクチャなことを言っているか、わかっている?」
「ええ、メチャクチャなのは百も承知。あたし完全に頭がおかしくなっているから」
「…いや、『頭がおかしい』というより、ほんとあなたはお人よしで優しすぎなんだよ。そのあなたの優しさ、ほんとに身を滅ぼすよ」
「もう何度も滅んでいるから、これでいいの」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるユウ。
リアは、大きく首を横に振りながら、ため息を一つ。
「…負けたよ。完全にあたしの負け。あんた、肝据わるととんでもないことやらかすんだな」
リアは、もう一息ついてあらためてユウのほうを向く。
「でもあなたの言うとおりにしたとしても、あたしのおやじに対するうらみは消えない。おやじからの束縛が消えるわけでもない」
「天神さん。あなたは将来どんな自分になりたいの? 進路をどう考えている?」
「進路? …何も考えていない。どうなっても何とかなると思っている。ただおやじの仕事を継ぐのだけは絶対に嫌」
「まずはそこからじゃないの? 親に支配されたくなければ、まず『自分がどうなりたいか』を決めるのが先じゃなくて? 強く明確に『なりたいもの、目指すこと』を決めてはっきり伝えれば、いくら親が『自分の後を継がせたい』と思っていても、無理強いはしないはずよ。親は子の将来が不安だから束縛して操ろうとするの。子供の不幸を望む親なんていないはず」
「…そっか。ちなみにユウは将来何になりたいの?」
「あたし? …あたしは将来、弁護士か学者になりたい」
「さすがユウ、しっかり決めているんだね…。あたしはどうしたら良いんだろ…」
「最終的には天神さん自身が決めることだけど、天神さんはカリスマ性もバイタリティーも抜群だし、メディア関係の仕事に向いているんじゃ無いかな? TVやユーチューバーとかで活躍できそうな感じ」
「…そんな風にあたしが見えているんだ。そんなのちっとも考えつかなかった。ありがとう、気に留めておくよ」
「あと『親へのうらみ』はそう簡単に消えないと思う。あたしの母親に対するうらみも消えてはいない。いまだに叩かれることもあるからね。いずれ向こうが年を取れば立場は逆転する。本当に復讐するかどうかはその時決めればいいと思っているから」
「…そっか」
あらためてユウに向き直るリア。
「今まで、本当に、申し訳ない、ごめんなさい」
深々と頭を下げる。
「あんたの懐のデカさには、完全に負けたよ。いじめた相手に『友達になって』だなんてなかなか言えるもんじゃない」
「あたしだってあなたに対するうらみは消えたわけじゃ無い。けど…」
ユウは、深く一息。
「いつまでも恨みに囚われる生き方は、正直嫌なの」
リアのほうに向かって右手を差し出すユウ。
「仲直り、しよっ」
ユウの目つきがいつもの穏やかな感じに戻る。
一瞬戸惑うリア、恐る恐る右手を差しだし、一瞬ちゅうちょ。そろそろと手を伸ばし、柔らかくユウの手を握る。リアの目から一筋の涙、そしてユウの目も潤む…。
「…ありがとう、天神さん」
「ユウさ…友達になるんだから、もうタメで良いよ。さん付けは止めよう」
「…そうね、じゃ、リア、よろしく」
2人の手が離れるまで24秒。
「ところでユウさ、あたしにはどうしても判らないことがあるのよ」
「なに?」
「あたしに、もっと隠していることはない?」
「…?」
「とぼけてもダメだよ。リンダはまるでここにあなたたちがいることを知っているかのように、あたしをここに引っ張ってきた。何もかも出来過ぎなの。こんなの絶対有り得ないもの…」
(れーちゃん、バラしていい?)
(ちょっと待って、リアの心を読んでみる)
(向こうはあなたを認識していないけど、大丈夫?)
(やってみる)
「ちょっと待ってもらえる? リア」
レミアはリアの心の中に現れるイメージのみの情報を頼りに、リアの心を読んでいく。
(…ちょっとギャンブルだけど、信用してみましょ。まずはこめかみタッチで)
「リア、これからあなたに秘密を教えてあげる。この秘密を知っているのはあたしとここにいる角海君、それからそこにいるリンダだけ」
「リンダも?」
「ええ。これからあなたにも教えるけど、これはとても大事な機密事項だから、他の人には絶対教えないでね、それを守れる?」
「機密事項って…軍事情報? それとも…?」
「うん、軍事情報に近いね」
「バレたら恐らく世界中の軍事関係者が俺たちを追い掛け回すことになると思うよ」
ハヤトが静かに口を開く。
特定の人間にしか姿が見えないレミアの存在は、軍事技術の一部である光学迷彩技術にも通じる。テレパシー、飛翔能力、変装能力についてはなおのこと…。
「…わかった、守る」
「じゃ、この後、リアのこめかみに何かが触れる感触があると思うけど、そこには手をかざしたりしないで。そしてできれば軽く目をつぶって…」
「…こう?」
「じゃ…お願い」
(いきま~す、こめかみぃ~、タッチ!)
宙に浮いたレミアが右のこめかみをリアの左のこめかみに当てる。その瞬間レミアから鮮明なイメージ映像がリアの脳内に流れこんできた。
レミアの姿とそのサイズ。レミアと人間がテレパシーを介して意思を伝達する様子、そしてそのテレパシーは人間だけでなく他の動物にも通じる様子。レミアの姿はユウとハヤトには見えるが他の人間には見えないこと。こめかみタッチを終わっても互いの存在さえ感じることができればレミアとのテレパシー会話ができること。ユウ、ハヤト、レミア、リンダまでもがレミアのテレパシーを通じて相互に会話できてしまうこと。その仲間に新たに加わるのがリア…。
(こめかみタッチ終了~)
リアから離れるレミア。リア、ユウ、そしてハヤトのそれぞれとほぼ等距離の位置に移動。そのすぐ側にはリンダもいる。
(はじめまして、リア。あたし、レミアっていいます。今後ともよろしくね)
リアは直接レミアの姿を見ることができない。でもリアがまぶたを閉じると、テレパシーで送られてきたレミアの姿が見える!
(は、はじめまして。リンダも含めて繋がっていたの? それで…)
(リア~おしゃべりしたかったよ~。嬉しい~大好き~)
リンダから送信される膨大な情報量の圧。それを見事にリアも受けしっかりと応える。約30分ほどレミアのテレパシーは2人の間のやりとりに独占されてしまう。
「よっぽどお互い好きあっているんだね」
「好きというより『慈しみの愛』だろうね。互いを大事に思っている証拠だよ」
苦笑しながら語り合うユウとハヤト。
「ふぅ…」
一息つくリア。
「こういうからくりだったのね。しかもリンダもグルだったなんて…」
(許してね、リア)
「ううん、全然」
「ところでユウ。あなた、学校はいつから?」
「夏休みの登校日から行こうかと…」
「ねぇ、夏休み中にまたいろいろ話ししない? もちろんレミアちゃんも交えて」
「『リンダも交えて』でしょ」
「もちろん」
本Phaseの内容は、著者自身の実体験、著者と親交を交えた事のある多くのサバイバーの方々の体験談の内容をもとに記述しております。
著者からの心からのお願いです。
どうか、どうか『生き延びて』下さい。
そして可能なら『仲間と繋がって』下さい。
●各種相談先紹介(厚生労働省)
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