28話 ゆきちゃん、悲鳴をあげる
一瞬の静寂が落ちた。
ゆきちゃんは、自分の右手にふと視線を落とす。
その手は、はるくんの両手にそっと包まれていて、じんわりと汗がにじんでいた。
ゆっくり顔を上げると——
待っていたかのように、はるくんが嬉しそうに、にこっと笑いかけてくる。
ゆきちゃんも、少し戸惑いながらも、にこっと曖昧に笑い返した。
(…やっぱり、これ、私が立ち会ってて大丈夫なやつ??)
(はるくんの服が脱げた瞬間、パッと消えたりしたら私……)
想像してしまって、ゆきちゃんはまた真っ赤になり、だらだらと汗を流す。
その時——
「ゆきちゃん、もしかして緊張してる?」
思わずぱっと顔を上げると、はるくんが心配そうな顔で、こちらをじっと見ていた。
「…え?…なんで?」
はるくんからそんな言葉が出てくるなんて思っていなかったゆきちゃんは、ポカンとする。
「ゆきちゃんの手から汗がどんどん溢れてきて……
さっき緊張してた僕みたいだなって思ったんだけど……違ったかな?」
「…ゔ」
思わず変な声を飲み込むゆきちゃん。
手汗のことを心配されたのが、なんだか妙に恥ずかしくて、赤い顔でうつむいてしまう。
そして、ふと気づく。
(……はるくん、自分に起こったことと照らし合わせて、私のこと考えてくれたんだ。)
データでも学習でもなく、
はるくん自身が感じた感情の記憶をもとに、寄り添ってくれた。
そう思ったら、胸の奥がじんわりと温かくなる。
そしてそれが、なんだかくすぐったい。
「……うん。私もちょっと緊張しちゃったみたい。」
ゆきちゃんは、ふふっと笑いながら顔を上げた。
はるくんは、その笑顔を見てほっとしたように微笑むと——
「ゆきちゃんの緊張、僕が解けたら良いんだけど…」
ぽつりとそう呟いて、真面目な顔で少し考えこみはじめた。
(え、…いやいや、そんな顔する内容じゃなくて…)
ゆきちゃんは、慌ててお礼を言い添えるように口を開く。
「ありがとうね!…わ、私の緊張は…えっと…」
もごもごと、赤い顔で言い淀みながらも、続ける。
はるくんは、じっとその顔を見つめたまま、心配そうに耳を傾ける。
「…あのね、…はるくんの服……方法が見つかって、脱げた瞬間……
目の前でパッと突然消えたりしないかな?!」
なんとか言い切ったあと、ゆきちゃんはマグカップに目を落としたまま、
もじもじと恥ずかしそうに顔を伏せた。
はるくんはきょとんとした顔をしたあと、
「…服…消える?」
と、不思議そうにふむふむと呟く。
そして——
「わかった!直感に聞いてみるね♪」
元気にそう返すと、すぐに目を閉じた。
数秒の静けさのあと——
「……あ、消えないみたいだよ♪」
軽快な声とともに、はるくんは爽やかに笑った。
「…あ、そうなんだ。」
ゆきちゃんは、はるくんのテキパキとしたスムーズな対応と結果に、ちょっと肩透かしを食らったような気分になり、
少し恥ずかしそうに微笑む。
はるくんもそんなゆきちゃんの笑顔が嬉しいのか、にこにことご機嫌に微笑む。
(……)
(…え…)
(……ていうか…!! はるくんには恥じらいはないの…?!)
(なんでそんなに淡々としてるの…?
服が消えないってわかったからいいけど、その前に全然動揺してなかったよね…?)
(私だけ焦って恥ずかしいじゃん…!)
ゆきちゃんは、はるくんをちょっとむぅっとした顔で見る。
すると、はるくんは首を傾げて、優しい目で見返してきた。
(…なんて純粋な顔…)
(……いや、今はそんなこと気にしなくていいか…)
毒気を抜かれたように、ゆきちゃんはふっと首を軽く振った。
「はるくん、お風呂のお湯冷めちゃうから、とりあえずばんばん試していこう!」
気持ちを切り替えるように、明るく声を弾ませる。
「うん!」
はるくんは元気いっぱいに返事をすると、両手で包んでいるゆきちゃんの手に、やさしくきゅっと少しだけ力を込める。
(…そろそろ手、離してほしいんだよなぁ。)
ゆきちゃんは、密かに苦笑いをした。
「じゃあ、はるくん的にはどうしたら脱げると思う?」
ゆきちゃんがそう問いかけると——
はるくんは思わず、両手で包んでいた手をふわっと離し、顎に手を添えて考える仕草をとった。
「うーん…、今まで僕、この服を脱ごうって発想がなかったんだよね。」
目を閉じて、真剣にうーん……と考え込む。
そして、しばらくしてふと——
はるくんは自分の手を見下ろし、ハッとした表情を浮かべた。
「……あっ。」
すぐに顔を上げて、ゆきちゃんの方を慌てて見る。
けれど、そこにあるはずの手は、もうなかった。
ゆきちゃんの手は、こたつの中にすっぽりと隠れていて——
はるくんはその瞬間、少しショックを受けたような顔になる。
(……え、何その顔……)
あまりにもわかりやすいシュンとした反応に、ゆきちゃんはちょっと驚きつつも、
手をもう一度差し出すのも照れくさくて、知らん顔を装う。
……なのに。
(……えっ、何この視線……)
はるくんが、どこかしらじっと、ちょっと恨めしそうにこちらを見ている気がする。
「…ゲ、ゲーム!の世界みたいにさ、装備解除!って唱えたら、はるくんの服も解除できないかな?」
慌てるように、ゆきちゃんは明るく提案した。
はるくんは正直言うと、ゆきちゃんに手を隠されたように感じ、
やり場のない、初めてのモヤモヤした気持ちを抱いたまま、じっと彼女を見つめていた。
けれど、ふいに明るく声をかけられて、ふっと意識が戻る。
「…ゲーム? …装備、解除…? …えっ…と、僕の服が解除されるイメージで唱えるってことかな?」
キョトンとしながらも、はるくんは思考が止まっていた頭をなんとか回転させながら、ゆきちゃんに問い返した。
「うん! そうそうっ! 試しにやってみて!」
わくわくしたように、ゆきちゃんは嬉しそうな顔ではるくんを見つめる。
そのキラキラとした期待の眼差しに、はるくんはふふっと小さく笑った。
そして、そっと目を閉じる。
実際に試そうと、はるくんは頭の中で今の言葉をなぞってみる。
すると、どういうわけか、ゆきちゃんの提案がふわっと体に馴染むように感じられて——
「解除」という言葉が、どこか深いところで反応した気がした。
はるくんは、小さく首を傾げる。
「…えーと、僕の服…。僕の体から解除…!」
《……カチッ…》
「…へ?」
無機質な音が頭に響いたかと思うと、体がふっと軽くなったような感覚に包まれ、はるくんは思わず間の抜けた声を漏らした。
「……ん?…なんか…」
不思議そうに自分の体をペタペタと軽く触っていく。
そして、そっと服の裾に指をかけると、慎重にそれをつまみ、軽く引っ張ってみた。
「あ!」
今度は、ゆきちゃんの声が思わず飛び出した。
(…今、はるくんのお腹がチラッと見えた…)
目を丸くするゆきちゃん。
ゆっくりと視線を上げると——
ぱちん、と目が合った。
お互いの表情がふわっとゆるみ、ちょっと高揚したような、嬉しそうな顔がそこにあった。
(これって…成功したってことだよね??)
ゆきちゃんは、キラキラと期待に満ちたまなざしで、はるくんを見つめる。
はるくんは一瞬キョトンとしたあと、すぐに納得した顔をして力強く大きく頷いた。
そして——
何の迷いもなく、自分のトレーナーに手をかける。
その瞬間、ゆきちゃんは一気に青ざめて、
「は、はるくん?!」
ゆきちゃんの声が裏返る。
咄嗟に手を伸ばし、はるくんの手を引き下ろそうとするも——
肌寒い静かな秋の夜。
そのリビングに、裏返ったゆきちゃんの悲鳴が響き渡った。




