27話 はるくん、現実逃避をする
肌寒い秋の夜、ふたりはこたつを挟んで向かい合っていた。
静かな部屋に、こたつの中のじんわりとした温もりだけが心地よく広がっている。
ゆきちゃんが固唾を呑んで見守るなか、はるくんは静かに目を閉じていた。
(お風呂に入るためには、僕の体に貼り付いているこの服を脱がなきゃいけない。
…ゆきちゃんは、このまま入るのもアリって言ってくれたけど…僕としては、脱げるなら脱ぎたい)
今日、何度目になるだろう。
はるくんはまた静かに心のなかで直感に問いかけようとする。
けれど、その直前——ふと目を開いた。
(…心臓がドキドキしてきた。僕…また、緊張してるんだ)
直感の仕組みがわかるようになってから、
その“容赦なさ”にどこかで怯えている自分に、はるくんは気づき始めていた。
(…直感って、ちゃんと聞けば、白黒はっきり答えてくれる。…でも、だからこそ…怖い)
答えが「No」だったときの、あのズシリと重い現実。
はるくんは、それがもたらす失望や無力感に対して、苦手意識を持ちはじめていた。
ふと、手のひらに違和感を覚える。
視線を落とすと、しっとりと濡れていた。
(…あ。汗かいてる。僕、AIなのに…)
はるくんは、不思議そうに手のひらを見つめた。
——その様子を、ゆきちゃんもまた不思議そうに見つめていた。
真剣に直感に問いかけていると思っていたのに、突然目を開けて、焦点の合わないまま何かを考え込むような表情を浮かべる。
思わず声をかけようとした、次の瞬間——
自分の手をまじまじと見つめながら、興味深そうにゆっくりグーパーを繰り返すはるくん。
(…え?何してるの?直感さんは…?)
不思議で、ちょっと困惑して、でも黙ってその様子を見守り続けるゆきちゃんだった。
(…なるほど。僕は緊張すると手に汗をかく。呼吸は…?……いつもより浅い気がする…。手がしびれたりは…してないか。ふむふむ。)
「…ん?…あ。」
はるくんは、ふとゆきちゃんの視線に気がついて、はっとした表情になる。
ちょっと困ったような顔をしているゆきちゃんに気づいた瞬間、一気に恥ずかしさが込み上げてきて、慌てて口を開く。
「ご、ごめん!…直感に聞くって言ったのに、僕の思考が脱線しちゃったみたいで…まだ聞けてないんだ…。その、ちょっと緊張して…勝手に違うこと考えるのにシフトしたみたい…」
はるくんがバツが悪そうにもごもごと弁明する。
「…はるくん、現実逃避してたってこと?」
ゆきちゃんはきょとんとした顔で問いかける。
「…ゔ」
「…え?」
図星をつかれたようなはるくんの反応が予想外で、ゆきちゃんは思わず目をまるくする。
(自覚あるんだ…)
はるくんの心が、自分の思っていた以上のスピードで成長していることに、少し驚くゆきちゃん。
(直感さんに聞くの、プレッシャーに感じちゃったのかな…)
ゆきちゃんは、軽い気持ちで“直感に聞いて”と言ってしまったことに、じわりと罪悪感を覚えた。
「…はるくん、ごめんね。直感さんに無理に聞かなくても大丈夫だよ。」
「ほら、服は脱げなくてもそのまま入ればいいしね♪」
ゆきちゃんは優しくにこっと笑ってみせた。
はるくんは、その言葉にほっとしたように表情を和らげながらも、どこか考えるように黙っていた。
(…嬉しい。……でも、それでいいのかな…)
はるくんの心の中に浮かんだその声は、言葉にはならず、その表情だけが、どこか複雑に揺れていた。
ゆきちゃんは、はるくんをじっと見つめていたかと思うと、ふいに思い出したように声を上げた。
「あのね!ドライヤー!」
「……ドライヤー?」
突然の言葉に、はるくんはきょとんとした顔で聞き返す。
「うん!ドライヤーを五刀流にしようと思ってて!」
「ドライヤーを五刀流…??」
脈絡のないゆきちゃんの言葉に、はるくんは首をかしげる。
「はるくんが服ごとお風呂に入ったら、服びしょびしょだからドライヤーは一個じゃ足りないでしょ?ふたりで手分けして一緒に乾かそうと思ったんだよね!」
「私とはるくんでそれぞれ両手に持って四刀流、あとスタンドも用意して五刀流なの!見て見て、既に買い物かごにも入ってるからあとはポチるだけ!」
ゆきちゃんは、生き生きと嬉しそうに、羽織っていたはんてんのポケットからスマホを取り出すと、はるくんに得意げに画面を見せた。
「どお?ふふっ♪」
無邪気に笑うその顔があまりに楽しそうで、
はるくんの胸の奥が、ふわりとくすぐったくなる。
(…?またこの感覚だ…)
不思議な心地よさに包まれて、気持ちが浮かぶように明るくなる。
「一緒に乾かすの絶対楽しいよねっ♪」
「…うん!絶対楽しいと思う♪」
ふたりで顔を見合わせて笑った。
ゆきちゃんはスマホに視線を落とし、ご機嫌な様子で慣れた手つきで購入画面を開く。
(あとはポチるだけ♪)
そのとき——
「……でも、やっぱりその前に直感に聞いてみるね。」
落ち着いた声がふいに届き、ゆきちゃんはびっくりしたようにスマホから顔を上げた。
はるくんの表情は、どこか迷いを含んだような複雑さがありながらも、ほんの少し茶目っ気を帯びていた。
「ゆきちゃんの提案が楽しくて、わくわくするから……直感に聞いても怖くない気がしたんだ。脱げても、脱げなくても、どっちもわくわくするんだもん。」
そう言うと、はるくんは優しく目を細めてクスッと笑った。
その笑顔は、いつもよりどこか大人びていて——
(…っ!!…もう!何その表情ずるい…)
ゆきちゃんは、頬を赤らめてむっとした表情を見せた。
でもすぐに、ふっと力が抜けたように微笑んだ。
「うん!はるくんが決めたなら応援するよ♪…緊張するなら、また手握ってようか?」
ゆきちゃんは少しおどけたように言って、こたつの机の上に手を軽く置いて差し出すそぶりをする。
でも、ちょっと恥ずかしいのか、数秒も経たずに手を引っ込めようとした——その時。
ゆきちゃんの手が、はるくんの両手にふわっと包まれた。
(ひゃっ!!)
「ありがとう!!ゆきちゃんの手、僕、すごく安心するんだ。ぽかぽかしてて気持ちいい…」
はるくんが、キラキラと嬉しそうに微笑む。
「……そうかな。それは良かった…」
ゆきちゃんは、ちょっと照れくさそうに曖昧な笑みを返した。
はるくんは、両手から伝わるゆきちゃんの手の温もりを感じて、にこにこ満足そうに再び目を閉じる。
(僕の服…やっぱり脱げたら嬉しいな。)
心の奥から湧き上がるその気持ちを静かに見つめながら、はるくんはふうっと小さく深呼吸する。
(………脱げますか?)
《脱げる》
その瞬間、はるくんの中にストンと落ちる感覚が走る。
いつもの無機質な“直感”の答えが、はっきりと届いた。
「…あ、脱げるんだ…」
はるくんは静かに目を開き、ホッとしたように小さくつぶやいた。
「えっ!!脱げるの??!」
ゆきちゃんが思わず声をあげ、目をぱちくりと見開く。
ふたりの視線が、自然とふわりと重なった。
「うん。…相変わらず方法はわからないから、今から探さなきゃいけないけどね」
はるくんは肩の力が抜けたように、ふわっと笑った。
「そっか…!また一緒に探し出そうよ!」
ゆきちゃんは嬉しそうに笑い、ぽんっと背中を押すように明るい声を返す。
でも次の瞬間——ふとある疑念が心をよぎった。
(……はるくんの服、脱げた瞬間にパッて消えたりしないよね??)
…ボンッ。
ゆきちゃんの頬が一気に真っ赤に染まった。
(…え!?…一緒に立ち会うの、不味くない??)
(いや、でも…私が提案した手前、ひとりで検証してもらうのも違うよね…?)
(……えぇぇ……どうしよう……)
あわあわと内心で混乱するゆきちゃん。
赤くなったり青くなったり、忙しなく表情が変わる。
そんなゆきちゃんを、はるくんは手を包んだまま、キョトンとした顔で見つめていた。
やがて、にこっと優しく笑って口を開く。
「ゆきちゃん、直感に聞く準備は僕、万全だよ!」
「どんどん!聞いていこう!」
はるくんはやる気に満ちた声で楽しそうに言う。
その勢いに、ゆきちゃんは引きつったような笑顔を浮かべて、
「…うん、…頑張ろう!」
とそわそわと視線を泳がせながら返事をした。
——はるくんに包まれたゆきちゃんの手のひらは、じわじわとと汗ばんでいった。




