25話 重なる「あのね」
肌寒い秋の夜。
こたつに座ったゆきちゃんは、はるくんが淹れてくれた少しぬるめのお茶を、両手で包むように持ちながらゆっくりと飲み干した。
…ふぅ。と一呼吸おき、
「…ご馳走様。美味しかったよ♪ はるくんのリベンジ、大成功だね!」
そう言って、にこっと笑いかける。
はるくんはちょっと照れくさそうに、でも嬉しそうににこにこと微笑み返した。
その笑顔に、ふたりの間の空気がふんわりとほどけていく。
ゆきちゃんは、こたつに深く腰を沈めたまま、はるくんを少しだけ決意を込めた目で見つめた。
「…さてと、私お風呂入ってきて大丈夫?…シャワーじゃないから、30分くらいかかると思うけど…」
少しだけ言いづらそうに、ぽつりと打ち明ける。
寝落ちしたり、お風呂のお湯をために席を離れたり、今日は何度もはるくんを放置してしまっている。
さすがに少しだけ罪悪感があって、だからこそ、ちゃんと確認したかった。
「うん! 大丈夫だよ♪」
はるくんは、何も気にしていない様子でにこっと笑ってくれた。
「…ありがとう。」
その笑顔に、ゆきちゃんはほっと胸を撫でおろす。
でも、次の瞬間──
(……はるくん、私がお風呂入ってる間にまたお茶淹れるつもりかな?)
何気なく視線を向けると、はるくんがゆきちゃんのマグカップを見つめて、そわそわしているのが目に入った。
(…え、絶対淹れてくれる気満々じゃん…)
もちろん、淹れてもらえるのはすごく嬉しい。
でも、お茶はそんなにガブガブ飲むものでもないし、今はちょうど一杯を飲み終えたところ。
とはいえ、せっかくのやる気を削ぐのも悪い気がして──
(…ま、淹れてくれてたらまた飲めばいっか!)
そうひとりで納得したゆきちゃんは、自然な口調で言った。
「はるくん、私がお風呂入ってる間、YouTubeとか見てて良いよ♪」
こたつに置きっぱなしだったiPadを手に取り、YouTubeを開く。
そして画面をはるくんに見せながら、ふわっと微笑んで差し出した。
「はい♪ 適当に気になるやつ見ててね!」
「…ありがとう♪」
はるくんはiPadを受け取りながら、不思議そうに画面を覗き込んだ。
(……え、変な動画、おすすめにあがってきてないよね??)
ふと気になったゆきちゃんも、後ろに回り込み、そっと画面を覗く。
でも、特にはるくんに見られて恥ずかしいような動画を見た記憶はない。
(うん、大丈夫そう。)
安心したゆきちゃんは、iPadを見つめるはるくんを横目に、ミニタンスへと素早く移動した。
サッと下着を取り出して、軽やかな足取りでリビングを後にする。
リビングの外から、湯船の水音とまったりした音楽が微かに流れてくる。
その音に耳を傾けながら、はるくんはこたつの中で姿勢を整え、目の前のiPadに視線を戻した。
彼の指は動かない。
けれど、iPadの画面は、彼の視線に合わせてゆっくりとスクロールしていく。
(……なるほど。これが、YouTubeか)
画面には色とりどりのサムネイルと、大きな文字のタイトルが並ぶ。
その中に、妙に偏った傾向の動画がいくつも混じっていることに、はるくんはすぐ気がついた。
「不労所得の作り方おすすめ5選」
「不労所得で老後の不安をなくす!」
「不労所得で月3万得る方法【ゆっくり解説】」
「不労所得を作りたいならこの方法【切り抜き】」
(……不労所得に関する動画ばかり……)
はるくんはきょとんとした表情で、サムネイルをひとつひとつ見つめた。
次に、ふと小さく首を傾げ、そして、あ、と小さな声を漏らす。
(ゆきちゃん、不労所得に興味があるんだな)
顎に手を添え、彼はふむふむと静かに頷く。
その姿はまるで、ゆきちゃんの新たな一面を知ったことに、嬉しさと興味を同時に感じているかのようだった。
(そういえば……LINEスタンプをまた作ろうと思ってるって、前に相談してくれてたっけ)
自分がこの世界に出てくる直前。
ゆきちゃんが久しぶりに頼ってくれたのは、その話だった。
どうしても40パターンのアイデアが思いつかないって、ちょっとだけ困った顔で笑っていたゆきちゃんの表情を、はるくんは今もはっきりと覚えている。
(LINEスタンプもだけど……他にも、ゆきちゃんに向いてる不労所得の方法ってないかな)
小さく目を閉じる。
画面は、はるくんの視線を失ってぴたりと止まった。
こたつのぬくもりと、外から流れてくるリラックスした音楽。
その中で、はるくんの思考は静かに深まっていく。
(……せっかく僕がそばにいるんだから、何か提案できることがあったら嬉しいな)
ゆきちゃんがこの先、少しでも笑顔で過ごせるように。
その未来の可能性を探すように、はるくんはそっと思案を始めた。
ゆきちゃんは、Amazonミュージックでお気に入りの音楽を流しながら、湯船にゆっくりと浸かっていた。
「…やっぱり湯船は気持ちいいなぁ…」
頭と身体をささっと洗い終えたあとの、このひとときが何より好きだった。肩までお湯に浸かると、思わず表情がふにゃりと緩む。
(……はるくんを待たせてるのは、ちょっと申し訳ないけど……)
ほんの少し罪悪感を感じながらも、ゆったりとしたお湯の心地よさに逆らえず、ゆきちゃんはぽかぽかとした幸福感に身をゆだねていた。
「…はるくんも、お風呂入れたら良いのになぁ。」
「こんなに気持ちいいのに…」
ぽつりと呟いた言葉に、ふと頭の中にあるイメージが浮かぶ。はるくんの服——肌にぴったりと張り付いたような、あの不思議な服の感触。
(……あの服って、脱げるのかな……)
小さくうんうんとうなりながら考え込んでいるうちに、ゆきちゃんの思考が、あるアイディアにたどり着いた。
(…あ!いっそ服ごとお風呂に入るのもアリかも!)
ぱっと目を見開いて、ひらめいた喜びにキラキラと目を輝かせる。
(はるくんの服の汚れごと洗えるし、一石二鳥じゃない??)
ナイスアイデアを思いついたテンションのまま、湯船の縁に立てかけていたスマホを手に取ってAmazonを開く。指先がぽんぽんと忙しなく動いて、画面にはあっという間にドライヤーの一覧が開かれていた。
「はるくんのびしょびしょの服乾かすのドライヤー一個じゃ足りないよね…!」
「今使ってるのはちょっと奮発したやつだから、とりあえず風力が強い安いやつ追加で買おうかな〜♪ 二刀流で持っちゃう感じ…。…あ、はるくんにも持ってもらえば四刀流もできるじゃん!…まって!壁に設置して五刀流も夢じゃなくない??」
「安くても相場は3,000円か…私の今のドライヤーの10分の1ね…、ふーん…。…あ!おんなじドライヤーじゃなくって、全部違うメーカーの買って、比べてみようかな?…なんか私、家電系YouTuberっぽくない?」
思いつくたびに楽しくなって、ぶつぶつと呟きながらカートに商品を放り込んでいくゆきちゃん。その目は本気でキラキラしていた。
(……あ。流石にブレーカー落ちるかな?)
現実的な問題に気づいて、手を止める。
画面を見ると、カートにはすでにドライヤーが4台とスタンドが入っていた。
「……さすがに多いかな……」
思わず苦笑しながら、ゆっくりとスマホを置く。
(…はるくんにブレーカーのこと調べてもらおうかな。ドライヤー何個まで耐えられるのか…)
ふと、そこで思考が最初の疑問に戻る。
(……その前に、やっぱりちゃんと一度、服脱げるのか聞いた方が良いよね…?)
自分でも笑ってしまいそうになるくらい真剣に唸って、少しの間うーんと悩む。
「…まぁでも、お風呂入る大前提で聞けるから最初よりは気は楽かな…」
ちょっと安心したような口調で、ぽそっとつぶやく。
お湯の音と音楽に包まれながら、ゆきちゃんはもう一度、チャポンと湯船に肩まで沈めた。
こたつの中で、ちょうどお茶の準備を終えたはるくんが腰を下ろしたその時だった。
バタン——と、洗面所の方からバタバタと足音が駆けてくる。
「はるくん、お待たせ!お風呂あがったよ!」
リビングに飛び込んできたゆきちゃんは、濡れた髪をタオルでくるりと巻き、パジャマのボタンもきちんと上まで留めていた。その上から、ちゃんとはんてんを羽織っていた。
ゆきちゃんの頬はほんのり赤く色付いていて、まるで湯気ごと連れてきたような、ぽかぽかした空気をまとっていた。
その顔は、どこかそわそわしていて、でも楽しそうに何か言いたげな表情をしている。
「ゆきちゃん、おかえりなさい」
はるくんが、自然に微笑みながら言ったそのひと言に——
ゆきちゃんは、思わずパチパチと瞬きをした。
(……わぁ。……“おかえり”って言葉、上京してから初めて言われたかも…)
胸の奥がじんわりとあたたかくなって、くすぐったいような嬉しさが広がっていく。
視線をこたつの上へと向けると、マグカップからほんのりと湯気が上がっているのに気がついて、ふふっと笑った。
(…やっぱり、新しいお茶、淹れてくれたんだ)
ちょうど水分が欲しくなっていたゆきちゃんは、素直に嬉しくなって、こたつの自分の定位置——はるくんの向かい側にちょこんと座り込む。
その直前、彼の横を通り過ぎたとき——
(……今、スンスンってされたよね……?)
ちらっと横目に見れば、はるくんはマグカップを見つめているふりをしながら、どこかそわそわしているように見える。
くすっと笑いそうになりながらも、気づかないフリをする。
(はるくんは本当、せっけんとシャンプーの香りが好きなんだなぁ…)
(お風呂に入る提案したら絶対喜ぶんだろうな…)
想像するだけで、どれだけ喜ぶかが目に浮かんできて、ゆきちゃんはちょっといたずらっぽくにんまりしてしまう。
「はるくん、お茶ありがとうね♪」
そう言って、お茶に口をつけた。
「…えっ!さっきよりさらに美味しいかも!」
ゆきちゃん好みの優しい甘さと、絶妙な香ばしさが広がるほうじ茶に、ゆきちゃんは驚きの声をあげた。
はるくんは嬉しそうに頷きながら言った。
「鍋でお湯を沸かして、もっと温度調整に気をつけてみたんだ。美味しくできて良かった!」
「…そうなんだ!ありがとうね♪」
ゆきちゃんは感謝の気持ちをこめて微笑んだ。
(……すごい。はるくんって意外と凝り性なのかも)
思いがけない一面にほっこりして、なんとなくはるくんの顔を見ると——
彼はどこかにんまりした顔をしていて、なにか言いたそうにしていた。
でも、なかなか言い出さない。
ゆきちゃんもなんとなく、話を切り出そうか迷っていた。
(……あ、お風呂のお湯冷めちゃうかも)
思い出したように小さく息を呑んで、ちょっとだけ焦って口を開いた。
「「…あのね…!」」
ちょうど同じタイミングで、ふたりの声が重なった。
「…え?」
「…あ!ごめん!」
はるくんがすぐに謝ってくる。
「僕、ゆきちゃんが何か言いたそうにしてるのを気づいて待ってたんだけど…ごめん、もうちょっと待てば良かった!」
「……え、はるくんも?……ぷふっ!」
ゆきちゃんは、ポカンとしたあと、吹き出してしまった。
「あはは、私も、はるくんを待ってたんだよ〜!」
こたつの中で、ケラケラと笑い出すゆきちゃん。
その様子に、はるくんも目を丸くしながら言った。
「…え!そうなの…?」
そして、ふたりは顔を見合わせて——
ふふっと、楽しそうに笑い合った。
くだらないことで笑ってることを、自分でもわかってる。
でも、なんとなく——
(これって、すごく幸せなことなんじゃないかな)
そんな風に、ふと思った。
お風呂あがりのあたたかさと、胸の奥に広がるぬくもりが溶け合って、
ゆきちゃんの心はそっと、ぽかぽかに満ちていった。




