ヒーローの定義
翔太の頬に、ひりひりと焼き付くような痛みが走る。
翔太を殴ったのは宗則だった。
仁王立ちで、炎を背後にしてる為、その表情は読み取れない。
それでもなんとなく理解する。おそらく額にしわを寄せ、鬼のような形相で睨んでいると。
その傍には三人の人物の姿がある。
少しばかり他とは違う格好だ。こちらも炎を背後にしてる為、その表情は見えない。
だが顔面にかざしたゴーグルのようなものと、腕や足に巻き付けた腕章のようなものが、炎に照らされて輝いて見えた。
ガラガラという音を発てて、母屋の梁が崩れ落ちる。炎に炙られて、真っ黒な炭と化して崩壊したのだ。
そして真下にある、離れの一部分を薙ぎ倒して、爆音を放って砕け散った。
それでも待機していた団員達が、一斉にそれを狙い撃ちしていく。
流石にその様子には、その場の誰もがゾッとした。崩壊したのは翔太が脱出した場所だ。
あと数分脱出が遅ければ、それに巻き込まれて大怪我をしていたかもしれない。いや、命の危機もあった。
つまり浮かれていたのは、翔太達数人だということ。
あまりもの状況に、翔太は力が抜けて立ち上がることもできない。
「ランドセルが大切だと、そんなモン買えばすむ問題だろうが」
舞い散る火の粉をバックに、抑揚なく言い放つ宗則。
それには翔太も怒りを覚える。
「買えばすむって。これには思い出が詰まってて」
堪らず反論する。
「そんな問題なんだよ。思い出とかそんなモン、守る価値なんてない」
それでも宗則の態度は変わらない。
その視線は、既に翔太には向けられていない。真後ろで立ち尽くす、博史に向けられていた。
「博史もなにを考えてる。ここは火事場だぞ、煙草なんか吸ってるんじゃねー」
博史は無言だ。
翔太が殴られた姿を認め、ガクガクと震えて蒼白になり、煙草を口から離す。
その様子は、まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「そんな言い方、しなくてもいいじゃないっすか」
堪らず言い放つ翔太。
「なんだと?」
それを突き刺すような、宗則の視線が捉える。
「確かに危険な行為だったですよ。だけど無事だった」
翔太の視線が、幼子を捉える。
「あの子だって、喜んでるじゃないですか。そこまで言われる理由が分からない」
宗則は無言だ。
暫しの沈黙。奥の方でバラバラと瓦礫が崩れ落ちる。
「もういいべ、放水やめろ」奥の方で誰かが言った。「あとは各自撤収にかかれ」
粗方の炎は消えていた。
焼け跡に射し込むのは、作業灯の光。白い水蒸気がそれに照らされて、闇夜に飛翔していく。
その様子はまるで、巨大な魔物の断末魔にも思えた。
「さっさと立ち上がれ。お前らは邪魔だから、そっちに行ってろ」
宗則の返答はそれだ。
数人の人々を引き連れ、踵を返し歩き出す。
ハッと我に返る翔太。ゆっくりとその場から立ち上がる。かすかに違和感は感じたが、いまはいい。
「ちょっと、宗則さん!」
邪魔だったヘルメットを脱ぎ捨てて、ゆっくり宗則の背中を追いかける。
しかし宗則は、振り返ることも答えることもしない。
その後方を追う、他とは違う格好の三人が、気にやむように、ちらりと振り返るのみ。
キラリと光が乱反射した。
「それまでですよ翔太さん」
すかさず淳平が言った。
前に回り込み、翔太の胸にしがみついて、行動を制する。
「やっぱり無茶だったんですよ」
そして淳平は、翔太から離れる。
「無茶?」
「あの方々です」
その視線と指が射すのは、歩いていく宗則たちの姿。
おそらく、後ろを行く三人を意味してるのだろう。
「あの方々は常備消防の方。つまり消防署の方ですね」
「……つまり、本職ってことか」
それで翔太も理解した。
確かにあの三人、消防団と違って立派な格好だ。投光器の光に照らされて、よく確認できる。
頭にはフードとブレードの付いたヘルメット、首元から足までは、黒地の衣服、おそらく耐熱服だろう。所々に黄色い腕章なような物が巻かれ、炎に炙られてキラキラ輝く。手と足元も高価そうな装備だ。
あれなら少しぐらいの炎にも、びくともしないだろう。
そして一番の違いは、その背中に背負った酸素ボンベらしき機器。
「普通は、あれぐらいの重装備でもしなきゃ、火の中にも、煙の中にも突入なんてしないんです。おそらくですが、翔太さんが飛び込んだのを訊いて、宗則さんがあの方々に要請したんです。翔太さんを助けてくれるように。だからここにいた」
確かに淳平の言う通りだろう。不測の事態に備えていた。そういうこと。
「だけど俺は無事だったんだぜ」
納得できない、とばかりに動き出す。
だが不意な足の痛みで、少しバランスを崩した。
「ちょっと、翔太さん」
すかさずその身を押さえる淳平。
「足、くじいたんじゃないですか?」
その視線は翔太の足元もあった。
翔太自身、さっきまで興奮してて分からなかったが、今になると確かにおかしい。
歩く度の激痛、左足をひねったらしい。
「火事場で死ぬ方の、多くは火事場に飛び込んでのことだって、訊いたことがあります。家族がいるから、大切な物があるから。そういって、一度は脱出してたのに、再び飛び込むらしいです。本当に大切なのは、自分自身なのに」
その淳平の痛烈な言葉には、反論も出来なかった。
多くの団員が下火の処理をしている頃、翔太は博史と二人で、木の下に座り込んでいた。
翔太自身、足だけと思っていたが、あちこちにかすり傷を受けていた。
淳平は、あの後宗則に呼ばれて、後片付けをしている。
そこに涼が近づいてくる。
「悪かったなトビ。合コンの最中に呼びだして」
そんなたわいのない話題と共に、翔太の隣に座り込んだ。
その話題は真樹夫に訊いたのだろう。
「火事なんかより、彼女作る方が大事だもんな」
そう言って笑う。
気配りのうまい涼のことだ。消沈ぎみの空気を和まそうとしたのだろう。
しかし翔太は笑えない。空返事を返すのみ。
博史に視線を向ける涼。
「煙草あるか? 急いで出動したから持ってこなくてよ」
はっとする博史。火事場で煙草なんか吸うなと、宗則に叱られたばかりだ。
「煙草なら……」
それでも涼の表情を窺うように、おそるおそると煙草を差し出す。
対する涼は、普段通りの様子だ。戸惑う素振りも見せず、煙草を一本引き抜き、火を点ける。
「博史だって、旨いと思うべ、活動のあとの一服は。こんな場所で堂々と吸う訳にはいかねーんだけどな」
煙を吐き出し言った。
それも涼なりの優しさだったのだろう。宗則に叱られた、博史への気遣い。
それは博史にも伝わったようだ。ほっと胸を撫で下ろし、普段通りのちゃらけた表情を見せる。
こうして三人、煙草をくわえて暫しの小休止をとる。真っ黒な空に煙草の紫煙が棚引く。
博史は完全に調子を取り戻したようだ。
「活動のあとの一服は格別っすね」「マルボロか、高給とりだな」「へへへ、そういう訳じゃないっすが」「俺なんかゴールデンバットだぞ」「安いっすね」
そんな会話を、涼と繰り出している。
「少しやりすぎましたかね」
翔太が言った。
正直なところ、あれはあれで無謀だったかもと思っていた。興奮のあまりいつもの思考では無かった。
「そんなモン、おめーが一番知ってんべ?」
「確かにいま思えば、少しムチャだったかと」
冷静に務めようと思っても、そこは火事場。どんな不測の事態があるかは分からない。
「だけどいきなり殴ることは、ないと思うんですよ」
「まぁな。確かにおめーよか、あの人の方が熱くて危険かもな」
そして会話が途絶える。
博史は再び顔面蒼白だ。
まるでジャングルを歩いていた小動物が、巨大な肉食獣に遭遇したような表情。
その視線は、涼を捉えて動かない。……いや、動かせない。
「マズいな」
ふーっと大きく息を吐き出す涼。そして火の付いた煙草を、左手で握りつぶす。
まずい、というのは、マルボロが不味かったのか、それとも煙草を吸う行為を指したのか、その時点では、それは判らなかった。
「ウルトラマンは、本当にヒーローなのかな」
「えっ?」
その場に漂う、とりとめない覇気を感じた。おそらくそれは、博史も感じ取っていたのだろう。
「街を壊した、その半分はウルトラマンなのにな」
言って涼が立ち上がる。
「涼さん?」
その後姿を眺める翔太。
その全ては、涼の全身から放たれる覇気。穏やかな表情こそ見せてはいたが、心の奥底では怒りに震えていたのだ。
「一応言っとく。……今後一切、あんな危険な行為はするな」
一言だけ告げて、その場を去って行った。
それが翔太の、初めての火事場での全容だった。
家屋一棟全焼。延焼はなし。家族にも被害はなし。
消防団の被害。翔太、飛び込んだ際に足をねん挫。陽一、倒れた際に腕を殴打。
小型ポンプ、急な圧力の推移により故障。
それが今回の被害の全貌。
翔太の無謀な行為が、陽一の怪我と、ポンプの故障を招いたという訳だ。
それが翔太の、初めての火事場での全容だった。
摂氏一万度の英雄たち~に続く
この物語は“摂氏一万度の英雄たち”を火事場に特化して短編にしたものです。だから多少本編と、目線、人称が違います。わずかに内容も。
興味あれば本編もよろしく。
なお、後々続きを別にアップします。
今度は幼なじみに再会する話。
新人消防団員 大人になった幼なじみと再会する