め組の翔太
「宗則、涼、おめーらのお陰で、最悪は免れたな」
宗則達の元に、誰かが歩み寄った。
「高倉さん」
振り返る涼。
歩み寄ったのは高倉という分団幹部の男。分団とは大沢五部の上部組織のこと。つまり宗則や涼より立場は上だ。
「一応細心の注意して、安全な範囲から放水してましたからね。あの爆風は、少しばっか予想以上だったがら、ビビッたげんちょ」
「嘘つけ、おめーらがビビるなんかあり得ねーべ」
こうして二人淡々と会話する。
「フラッシュオーバーした以上、鎮火はムリだろうな」
不意に宗則が言った。その視線が捉えるのは燃え盛る母屋の姿。
「だろうな。一気に温度が上昇した」
「あれは、炎の息吹き、みてーなもんだから」
呼応して二人も視線を向ける。
「母屋は殆ど吹き飛んだ。消すってより防ぐ方が賢明」
「隣にあんのは吉田さん家。“離れ”を介して隣接してるからな」
どうやら宗則と同じ考えのようだ。
「了解、各部に通達する!」
言って高倉が動き出す。
「淳平、それとトビと博史!」
同じくして涼が言った。
即座に駆け寄る淳平。翔太達もそれに続いた。
「おめーら、あそこの離れ、見えるよな」
涼が指差した。それが指し示すのは母屋から続く離れの部分。
「あれをぶっ壊せ」
そして大胆にも言い放つ。
「壊すって、離れをでしょうか?」
淳平が訊いた。こくりと頷く涼。
「ああ、どの道この家は全焼だ。これ以上被害が及ばねーように作戦変更する」
「隣には吉田さんの家がある。それに延焼しないように、火の手を食い止めるってことですね」
確かにその言葉通り、母屋は完全に崩壊状態。消すというより消える方が早いかもしれない。
「燃えないように取っ払うって訳か」
「なるほどない」
新人の翔太と博史にもその意味が理解できた。
「そういうこと。トビ……翔太じゃなくて、搭載車に積んでる方の鳶、持って、ぶっ壊してこー」
鳶口、つまり鳶とは消防団で使う道具のこと、木の棒の先に金属の引っ掛けが付いた道具だ。これで板を剥がしたり、穴をあけたりするのだ。その形が猛禽類のトビのクチバシに似てることからそう呼ばれる。
「それでは車まで戻りますか」
「おう!」
「うっす!」
こうして翔太達の破壊活動が開始された。
離れ部分は古い建屋をリホームしたようで周りをトタンで覆っている。鳶口を振り下ろす度にガツガツと先が刺さり、引き剥がすので困難だ。
「さっきの宗則さん、熱かったよな」
ガツガツと鳶口を振るう翔太。隣で鳶口を振る淳平に言った。
「宗則さんは火事場ではあんな感じなんです」
「さっき友達も言ってたな『熱い男』だって」
「『火事とか自然災害の前に人間は無力。だけど熱い情熱があれば少しぐらいは立ち向かえる。それが多く集まれば自然災害だって怖くはない』……それがあの人の持論ですから」
「成る程、それがギブリってことか」
人間はちっぽけな生き物だ。自然の中に放り出されたら、すぐに死んでしまうような弱い生き物。それでも死なずにすんだのは、困難を切り拓こうとする熱い情熱と、共に行く仲間がいるから。
それこそがここでのギブリという意味で、炎に打ち勝つ唯一の手段という意味だろう。
その会話を覚めたように聞き入る博史。
「それに比べて俺らは地味っすね」
腕を止めぼそりと呟いた。
「博史、これも重要な仕事なんだよ。ホース持ちだげが消防団の花形じゃないし」
「それも言えてるな。江戸時代の火消しとかは、火事を消さないで破壊するのが専らだったって言うし」
「今のように消火設備が充実してなかったですからね」
「“め組”みたいなもんっすね」
こうして三人、会話しながら作業を続ける。
いつの間にか他の部の団員達もその作業に参加していた。分団からの指令が行き渡ったのだろう。
「ちょっと、壊さないで!」
突然背後から誰かの叫びが聞こえた。
「へっ?」
その台詞に振り返る翔太。
「何でぶっ壊したりすんの。あたしの部屋だよ! 大切な物いっぱいあるの」
いつの間にか後方に幼い少女が立っていた。多分この家の娘だろう。幼稚園児か小学校低学年ほどの幼子だ。
「そっか。ここまだ使っていたのか」
煙が充満する室内だが、よく見れば様々な生活用品が揃えてある。
「ここまでなる前に、ちゃんと持って逃げないからだろ」
ぼそっと呟く博史。
「そんなこと言っても意味ないだろ」
「そうだよ博史。この家の人は買い物に出かけてて、その余裕がなかったんだよ」
それを翔太と淳平が釘刺した。
中腰になり目線を併せる淳平。
「ゴメンねお嬢ちゃん。だけどこうでもしなきゃ火事はおさまらないんだ」
そして優しく話しかける。
「こら、なに邪魔してんだ!」
奥の方から男が駆け寄ってくる。隣に住む吉田という住人だ。
「おめーの父ちゃんと母ちゃん、警察と事情話してんだ。おめーも邪魔しねーで俺んちにいろ!」
そして少女を掴んで抱き上げた。
だがそれでも少女は納得しない。
「嫌だー! 中にはあたしの大事なもんいっぱいあんの!」
吉田の腕の中で手足を振りイヤイヤする。その目から零れ落ちるのは大粒の涙。
「聞き分けのねーやろだな。おめーも今年っから小学生だべ、我がまま言うんじゃねーって」
吉田が言った。
どうやら少女は今年入学したばかりの小学生らしい。確かに室内にある物はどれもこれも買ったばかりの新品のようだ。
「大切な物か。流石に分かるな」
人にとって部屋というのは、誰にも邪魔させない神聖なるスペースだ。大切な思い出が詰まっていて、未来への希望が籠められた場所。その人の居場所、言わば原点。それを壊されたら堪ったものではないだろう。
「翔太さん、なにをぼーっとしてるんです。早くやらなきゃ宗則さん達に怒られますよ」
淳平が言った。
再び離れに向かい必死に鳶口を振るっている。それもその筈だ。いつの間にか炎が軒を伝ってそこまで辿り着いているから。
「淳平」
ぼそっと呟く翔太。
この離れが炎に飲み込まれれば、隣の民家まで被害が及ぶ可能性がある。それ故、少女の頼みを訊く訳にはいかないだろう。
……だけど……
翔太の胸中、今までにないなにかが弾ける。
「お嬢ちゃん、悪いけど壊すのは止められないんだよ」
言って大きく深呼吸をする。
「だけど『小学生だからって我がまま言うな』ってのは無しだよな!」
意味深に伝えると、窓を蹴破って室内に飛び込んだ。
愕然となる淳平と博史。しかし気づいた時はすでに遅い。翔太の姿は部屋の奥に消えていた。
「なにするんですか翔太さん! その中は煙で充満してるんですよ!」
「そんだけじゃねーって! 火が、火がそこまで来てるって!!」
そして同時に叫んだ。