全てを破壊するフラッシュオーバー
太一の台詞の意味は、火元まで来てようやく分かった。
燃えているのは木造の平屋。ほぼ半分が崩れ落ち、なおも盛んに炎上している。
それらと相対するのは多くの消防団員。それぞれ管鎗、いわゆるホースの筒先を持ち、激しい水流を浴びせている。
炎の勢いは衰えない。辺りは炎に包まれ、昼間のような明るさ。
炎は空気をあぶり、激しい対流を巻き起こす。まさに熱い風、全てを焼き尽くすギブリ。
「涼さん!」
涼の姿はすぐに確認できた。
宗則と共に一心不乱に放水活動をしている。着込むのはジュラルミンと呼んでいる銀色の耐熱服。頭にはヘルメットをかぶっていた。
「トビ?」
後方を振り返る涼。
「とにかく待機だ。そこで待ってろ」
言って再び放水活動に没頭する。
宗則の方は無言だ。真っ直ぐに炎を睨むだけ。
「翔太さんこっちっす」
奥の方では同じ大沢五部の、博史と淳平が待機していた。
淳平は年下だが、消防団では先輩。博史は今年、翔太と一緒に消防団に加入した。
「博史、淳平」
「俺も邪魔だって言われましたよ」
「邪魔って意味じゃないさ。私達には私達の役割がある。そういう意味」
「なんにしても、見てるだけなら家でテレビ見てた方がいいっすよ」
「……とにかく待機です」
「分かったよ」
二人に言われ、しぶしぶ後方に引き下がった。
こうして三人、並んで炎を見つめる。
「凄い炎だな」
「水の量が足りないんです。ここは山岸の民家だから、水利から離れてますから」
「ここら辺は消火栓さえないっすからね」
水利とは水源のこと。この辺りには水道管が通っていない、故に消火栓もない。
だから数百メートルも離れた河川から、水を引き上げている状況のようだ。
「それにしても消えないよな?」
「トタン屋根ですから。多分ですけど、あの下には昔の藁葺き屋根がある。それが燃えてるんですよ」
「マジイライラするんすよ。トタンが邪魔で水が届かない。火は下の方から燃えてんすよ。その藁葺きが」
「だったら近づいて、下から狙えばいいだろ?」
「それが危険なんです。いつ爆発するか分からないし」
「爆発?」
「そういえば上の奴ら言ってたない。フラッシュなんとかとか、爆発って……」
「フラッシュオーバー、ですね」
多くの団員達はままならない状況の中、 戦いを繰り広げている。
火災が起きた母屋は、金属製のトタン屋根。それが邪魔で炎を直接狙えない。炎はその真下から吹き上げている。
おそらく淳平が言う通り、藁葺き屋根が燃えてるのだろう。
それに対する水の勢いは弱いもの。水利はない、ここまでの距離が長い。故に水圧はいつまでも低い。
それらが炎の勢いに拍車をかけていた。
「まずいな」
そんな風に思う翔太達の眼前、宗則が言った。
「確かにまずいない。出火してかなり経つ。塗料が気化するには充分」
頷く涼。
「なにがまずいんだ?」
淳平に訊ねる翔太。
「シンナーですよ。ここの民家は塗装業を営んでますからね。だから沢山の塗料やシンナーがある。それがいつ爆発するか分からない。おそらく家の中は数千度、体感温度にして、摂氏一万度。だから誰も近付かないんです」
淳平は、小学生当時から頭脳明晰な優秀な男で、消防団内ではガリレオと呼ばれている。
「摂氏一万度って……」
「もちろん大袈裟な言い方ですよ。太陽じゃあるまいし、そこまで熱くはない。だけど体感温度はそれぐらいある。特に宗則さんとか涼さんを見てると、そう思えるんです」
「……流石はガリレオ。いちいち言い分がカッコいいな」
彼らを含む多くの消防団員の憂いは別にあった。
激しい炎で高温と化した母屋内は、数千度にも及ぶ灼熱地獄。
それはあらゆる水分が、一瞬で気化する温度。たとえそれが、火気厳禁の塗料だとしても。
「えっ?」
翔太の眼前、信じられない光景が飛び込む。
キーンという耳鳴りにも似た重低音。同時に眼の前が閃光でふさがれる。
ついで襲い掛かる激しい爆発音。爆風が衝撃波となり、一斉に吹き荒れた。
母屋内には塗料やシンナーを管理する倉庫が存在していた。それが気化して炎と混ざり、一気に大爆発を起こしたのだ。
数人の団員達が体勢を崩して倒れ込む。堪り兼ねたように後方に引き下がった。
爆発はなおも連鎖する。その都度巨大な火柱が立ち上がり、天をも焦がさん勢いで弾ける。
真っ黒く焼け焦げた家屋の半分程が、その衝撃で崩れ落ちた。
バラバラと、トタンや瓦礫が、辺りに飛散した。
それは翔太としても驚愕の光景だ。熱は風の対流を呼び、灼熱のギブリが辺りを覆い尽くす。
後方で待機していても、焼き尽くされそうな感覚を覚える。
誰もが無言だ。地獄の光景を目の当たりにして、声さえ発せない。あるのは絶望、蠢く炎の音だけがやけに耳障り。
「絶望するには早い! フラッシュオーバーくらい想定内だろ!」
刹那、宗則の怒号が響いた。
宗則は逃げることはなかった。涼と共に必死に放水をしている。
「これぐらいで逃げたら、誰が炎を消すんだ!」
その背中からは炎さえ凌ぐ熱い意志と情熱が感じられる。
「宗さんの言う通りだべ。今の爆発でトタン屋根も剥がれ落ちた、さっきよか消しやすくなったってこと」
対する涼は冷静。的確な判断力と鋭い洞察力がそこにはある。
対局にある二人だが何故か同じく感じた。炎に照らされ赤く染まるジュラルミン。その背中には神々(こうごう)しくさえ感じられる。
それを見ていると翔太も思う。確かに淳平の言い分も一理ある。
体感温度は摂氏一万度。
灼熱のキブリと、彼らの放つ冷静と情熱が、そう感じさせていた。
「流石だな宗さん」
「涼も凄いぜ。あれだけ冷静なんだがら」
「……確かにあれなら楽じゃねー」
ポツリポツリと響く団員達の声。
「よし爆発の危険はなくなったぞ!」
「だな。俺らも続くべ!」
「おうよ。消防団なめんな!」
やがてひとり、またひとりと放水を再開する。
宗則の情熱と、涼の冷静さが、場に気力を吹き込んだのだ。