人間
「リリアっ…。リリアぁぁ…!」
木の棺桶の前で、リリアの母が泣き崩れる。両手で顔を、覆うというよりかは掴み、震えながら涙を流す。
「私…私のせいよ…!私が、一人で行かせたから…っ!いつもみたいにちゃんとついていけば…!」
「…事故だったんだ…。お前は、悪くない……。」
リリアの父が、母の肩を抱き寄せる。
村人全員、と言っても、15人ほど、そしてナナが、リリアが収められた棺桶を囲んでいる。
薄暗い、夕方の終わり。大きな焚き火が、パチパチゆらゆらと燃え、あたりに母親の咽び泣く声が反響する。
皆、リリアの死を弔う中、よそ者の存在が少し気に掛かっているようだった。
ナナは、視線を気にする余裕もなかった。常に涙を堪えて、途轍もない後悔と罪悪ではち切れそうだったが、できる限りの平然を装った。
母親が少しだけ顔を上げた。
「お願い…。最後に娘を、見せて…」
母親は座り込んだまま、棺桶のそばに立っている村長の腕に触れた。
村長は同情と恐怖が入り混じった表情を見せ、激しく首を横に振った。
「い、いや、駄目だ。首がないんだぞ!」
「私は母親よ!!どんな姿でも娘は娘よ…!!お願い、少しだけでいいの…。私、このままじゃ、リリアが、死んだこと、受け入れられないわ……。」
母親は再び顔を隠し、声を出して泣いた。
村長は俯き、数秒考えてから、返事をした。
「…分かった。だが…なるべく胸より上は見ないようにしなさい…。」
母親は言葉を聞くと、ゆっくりと立ちあがろうとした。しかし少しよろけ、倒れそうになったところを父親が支えた。
「ありがとう、あなた。」
二人は一緒に、ゆっくりと棺桶を開けた。
「っっ…!」
「……リリア…。」
リリアの姿に、両親は顔を顰めた。
他の村人が首の断面を布で被せておいたとはいえ、頭のない死体というのは、悲惨だ。
リリアの埋葬が終わり、村人たちはそれぞれ家に帰っていった。両親は特に沈痛な面持ちで、ナナは二人をまともに見ることができなかった。
村人は皆、ナナのことが気になってはいたようだが、話しかけてくることはなかった。
ナナは、これからどうすればいいのか分からず、ただその場に立ち尽くしていた。
…一気に、崩れた。全部。
もうみんなに会えない、帰れない。
…死んだ方が、よかったかもな。
遠くの山際を見つめていると、ナナは、リリアが死んだ時に駆け寄ってきた女に話しかけられた。
「ねぇ、あなた、旅人にしては荷物が少ないわね。大丈夫なの?何かあったのなら、教えてくれない?」
ナナは、女の家に上がらせてもらった。
荷物は、盗まれてしまった。家を飛び出してきたから行く宛がない。
そういうことにした。
暖かい紅茶が、ナナの枯れた喉に染みる。
女は憐れむ表情を見せ、クッキーが乗った皿をナナの方に動かした。
「まぁ、そうなの…。ほら、食べて。かわいそうに、大変だったわね。」
ナナは何かを食べる気になんてならなかったが、一つクッキーを取り、俯きながら弱々しく咥えた。
甘さがじんわりと伝う。濡れて少し柔らかくなったクッキーの先端を、咀嚼した。
女は少しだけ微笑みを浮かべた。
「今日は泊まっていっていいから、ゆっくり休むといいわ。リリアちゃんは…すごく残念だったけれど、困っている人がいるなら、ずっと悲しんでいられないものね。」
「……。」
ナナは、何も言えなかった。優しさが、痛い。すごく痛い。
「私はライカよ。あなたは?」
「…ナナです。」
ライカは立ち上がった。辛さを隠して作った笑顔が見える。
「よーし、ナナ。明日のことは明日決めるとして、もう疲れているでしょう?早く寝て、体力を回復させないと。」
「ナナちゃん、起きて!あなたにあげたいものがあるのよ!」
ナナはライカの声を聞くと、すぐに体を起こした。まだ少し体が痛い。
ライカは、やはり奥底はまだ悲しそうだが、にっこりと微笑む。
あげたいもの…?
「ほら、ナナちゃん、おいで。」
ナナは言われるがまま引っ張られると、そこには、一本の剣と、少し小さめの袋があった。
ナナは完全に目を丸くした。
「あなた、ここまで旅をしてきたんだから、魔物、少しくらいは倒せるでしょ?街で売ればお金になるから。」
ライカは袋を手に取り、袋の口を開き、少し中を覗いてからナナに手渡した。
「ほらこれ。ほんの少しだけど、お金と、コンパス。あとライカさん特製の野菜まんじゅうが入ってるから。」
ナナは自分の目を信じられなかった。
こんな素性もわからない、他人に…。
「い…いいんですか?泊めてもらった上に…こんなに…。」
ライカは大きく笑った。
「いいのよ!放っておけないだけ!ただのおばさんのお節介よ。」
ナナは、子供のように泣き出してしまった。ボロボロと溢れ出した涙を、袖で拭えきれない。
「あらあら。ふふっ。」
ライカはナナを見送っていた。
「南西だからね!南西に行けば海の街があるから、しばらくはそこの近くを拠点にしたらいいわ。」
「ライカさん、本当に、本当にありがとうございました!」
ナナが深々と頭を下げると、ライカは満足そうに笑った。
「ふふふ。私、人助け好きなの。」
空が青い。昨日より、青い。
ナナは玄関前の地面を踏み締める。
ライカは、腰に袋と剣を提げ、手提げを肩にかけたナナを、足から頭のてっぺんまで見た。
「大丈夫そうね。」
「はい!」
人間は、優しいんだ。
「ライカさんは命の恩人です!」
ナナは敬礼のようなポーズをした。
「あら、そこまでのことしてないわよ〜!」
ライカが手を口に当てて笑った。
ナナは大きな笑みを浮かべながら少し前に走り、後ろを向いてライカに手を振る。
「じゃあ、行ってきます!」
「頑張ってね〜!」
ライカが手を振り返す。
ナナは、村の入り口、村の外に向かって駆け出した。
不思議だ。荷物が増えたから体は重くなったはずなのに、すごく、軽い。
天使は、神に造られた。エラーなんて絶対にない。
私の記憶が残ってるのには、きっと意味があるんだ。
「もしかして…天使に…戻れる…?」
「…!」
「い、一応…」
ナナは軽く咳払いをした。
「…帰りたいなー…。」
…。
もちろんポータルは出ない。
「ま、まぁそうだよね。」
人間の目に見える。
もう飛べない。
でも、生きてる。
私は、人間になった。
私の失敗は、一生許されない。だけど…
ナナは背筋を正した。
守護天使じゃなくていい。雑用でいい。どうしようもなく、みんなに…会いたい。
「今更天使に戻りたい…なんて、わがまますぎるな…。」
人の役に立ちたい。人を助けたい。償う方法がわからないから、それしか、無い。
ナナは深く息を吸って、吐いた。
小さなコンパスを手のひらに乗せ、南西の方を向く。
追い風が、ナナの背中を押した。