失敗
リリアは手を横に伸ばし、笑いながら、駆けていく。
さっきまで転んで大泣きしていたのに、もうこんなにケロッとしている。人間の子供は不思議だ…。
「へへへ!おっはな〜おっはな〜!」
随分とご機嫌だ。お菓子でももらったのかな…
そういえば、お腹すいたな…。みんなはもう今頃お昼食べてるだろうな。『守護天使の昼は現地調達だ』なんて言われたけど、こんなに雑にできた自然にある食べ物って安全なのか?うーん、気が乗らないなぁ…。
ぼーっとしながらリリアの後ろをつけていると、リリアは早速小さな石につまづきそうになった。前から少し風を送る。リリアはバランスを取り戻した。
「おっとと、あぶないあぶない。」
ふぅ。
ナナはもう一仕事終えたような気になった。
リリアは小走りでどんどん進む。村が少しずつ小さくなる。汚い配置の木が横を流れ、これまた汚い配置の雲がついてくる。ずんずん進む。10分ほど歩いただろうか、先を眺めてみると、遠くに、ピンク色の地面がかすかに見えた。お、あれかな、お花畑。
お花畑がくっきりしてきたところで、突然リリアがぴたりと止まった。
…?どうしたんだろう。
ナナは少し横にずれて、前を見てみた。
…!ジポッドだ。少し先の左側の木の影から一匹だけ顔を出している。あれ?群れは?まぁ、一匹でよかったけど。ナナがそこらへんの石を拾って構えていると、リリアがジポッドに向かって駆け出した。
うわっ!だめだめ!離れて!
ナナは急いで引き留めようと、腕を伸ばした。しかし、ナナより先に、ジポッドがリリアに飛びついた。
…!
ナナは思わず目を瞑ると、聞こえてきたのは叫び声ではなく、笑い声だった。
「あははは!久しぶり!元気だった、ポチ?」
ジポッドはまるで普通の犬のように尻尾を振り、舌を出し、リリアと戯れている。…あれ。
ナナは腕を下げ、石をポイっと投げ捨てた。なーんだ、凶暴じゃないのもいるんだ。ナナはその場であぐらをかき、微笑ましい光景に目を細くした。そういえば、天使界にいた犬はみんな私になついてくれなかったな。エリザはあんなに簡単に「お手!」とかやってたけど、私は足首を噛まれるばっかりだったなぁ…。
ナナが思い出に浸っていると、突然リリアがはっとした。
どうやら用事を思い出したようだ。
「あっ、ごめんね、ポチ!今日は遊びに来たんじゃなくて、お花をつみにきたんだった!またね!」
リリアはスッと背筋を伸ばし、ポチ?に手を振りながら、また駆け出した。
ナナも急いで立ち上がり、ついていく。
「よーし、このくらいでいいかなー。」
リリアは満足げな顔で、鮮やかな色でいっぱいの籠を持ち上げた。ナナも、屈んで一つ摘んでみる。…かわいい。天使界の庭園で水やり当番をしていた頃を思い出す。まぁ、天使界の花の方が綺麗だけど。
ナナは花を髪に挿してみた。が、すぐに落ちてしまった。
ありゃ。ま、いっか。
そうこうしている間に、リリアが帰り道に向かってスキップし始めた。もちろんついていく。
結構暇だなぁ。万が一の責任が重い代わりに普段は楽なのかな。リリア、思ってたより死ぬ気配ないし。ていうか、お腹空いたよー。
ナナはリリアの後をピッタリつけながら、あたりを見渡す。お、何かの実がある。
少しリリアの側から離れ、採ってみる。真っ赤で、硬い。典型的な感じ。だが油断は禁物だ。
本当に大丈夫かー?これ。
数秒疑った後、ナナは覚悟を決めて齧った。
う〜んおいし〜い。って、危ない危ない。側から見たら果物が空中に浮かんでるんだから、見られないようにしないと。ナナは一度木の後ろに回り、リリアの視界から外れたところでいそいそと食べた。
芯を投げ捨て、まぁまぁ先まで行ってしまったリリアへ向かって飛ぶ。もうなんだかんだで、だいぶ時間が経っているようだ。太陽が昼過ぎだと伝える。
あ〜あ、早く戻ってエリザたちと遊びたいな〜。
ナナはあくびをした。背伸びをして天を仰ぐ。
何か、輝く物がが空を切り裂いた。
……あれ?
流れ星?
こんな昼間に?
ナナは不思議な顔で空を眺める。
「あ、」
ゴッ。
…?
リリア…?
少し遠くで、微かな声と、
鈍い音がした。
まるで、重い物が、何かを打ちつけたような。
…最悪の想像がナナの頭によぎる。
そんな、そんなわけないよ。
ナナは真っ青な顔で駆け出す。
嘘、嘘嘘うそうそ。
絶対に大丈夫だよ…、、
だって叫んですら無かった、、
絶対に無事だよ、絶対何も…!!
……嘘だ…。
大きな岩に、リリアの頭が下敷きになっている。
血が地面に流れ、あたりに一面に花が散らかっている。
リリアは微動だにしない。即死だったようだ。
ナナは、何も考えられなかった。
ナナはその場に膝から崩れ落ちた。
脳が状況を受け入れない。
私…私はもうすぐ初日の仕事が終わって、天使界に帰って、遊んでご飯食べて寝るんだ。明日もまた人間界に来て、リリアを見守るんだ…。
…違う。私…、リリアは…。
ナナは微動だにしないまま、ボロボロと泣き出した。
私が見てれば…、私がそばを離れなければ…
…なんのための守護天使だ
こんなの…、
「……あ。」
ナナは、自分の運命を思い出した。
人間。
記憶が消える。
…死ぬ。
死ぬ…?
…嫌だ。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」
ナナはパニックになり、叫びながらうずくまった。
死にたくない。死にたくない。死にたくない!!!
ナナは光輪に手を伸ばす。触れると、金色の粉が頭から落ちてきた。…崩れ始めてる。
翼に触る。大量の羽が、抜け落ちた。
次は…記憶……
ナナは必死に天使界のことを思い出した。
「掃除…!!そうだよ、いつも毎日掃除して、それで、置いてかれて、師匠に怒られて、…あと、リリア!!リリアがいつも花で冠を作ってくれて…ケイ…ケイと廊下でかけっこして……」
消えないで…消えないで消えないで消えないで!!!
常に視界に、頭上から落ちてくる金の粉が入ってくる。
後ろを見ると、ほとんどの羽が地面に落ちている。
リリアの体に触れる。
さっきまであんなに元気だったのに……
「リリア…動いてよ…。」
…本当に死ぬんだ、私。
ナナは、嗚咽を抑えて深呼吸した。震える手で手提げの持ち手をぎゅっと握り、前を見る。もう、金色の粉は見えない。全て落ちたようだ。翼の重さも感じない。記憶が消えるのもすぐだろう。
「ごめんなさい、リリア…。本当にごめんなさい…。」
ナナは、まだ生きているように暖かいリリアの手を握り、目を閉じ、頬に伝う水滴を感じながらその時を待った。
………
………
………あれ…?
おかしい、もう3分くらい経ってるのに。
はっきり思い出せる。
天使界の事。自分の事。
どうして…。
すぐだって聞いてたのに。
「きゃぁぁぁ!!!」
左から悲鳴が聞こえた。咄嗟に振り向くと、人間の女が口を押さえてひどく怯えた顔をしている。
彼女は持っていた野菜の入った籠をその場に落とし、こちらに駆け寄ってきた。
「リリアちゃん!!!リリアちゃん!!!どうしましょう、あぁ、なんてこと……」
彼女は泣きながらリリアの前で座り込み、手をリリアの体の上でうろうろさせた。まるで、この状態からでも助けるために、何かしようとしているかのように。
「あぁ…こんなの嘘よ…。信じられない…リリアちゃん…。」
彼女は手を顔に持ってきて、さらに激しく泣き始めた。
ぎゅっ…
ナナは唇を噛み締め、うつむく。両手を膝の上で握りしめる。ナナは罪悪感に殺されそうになっていた。
そのまま1分ほど、あたりには女の泣き声と鳥の囀りだけが響いた。
ゆっくり、彼女がナナの方を向く。
ナナは少しだけ顔を上げた。
「あなた…誰なの…?どうしてリリアちゃんと居たの…?」
掠れた、力のない声で女が訊ねる。
「…わ、わた…し」
上手く声が出ない。吐きそうだ。
なんて言えば良いんだろう。
守護天使?私に名乗る資格なんてない。信じてもらえる訳もない。
ナナは唾を飲み込み、深くうつむきながら、ゆっくりと、返事を練って、声を出した。
「私…旅人で、この近くに来てて、たまたま、居合わせたんです。この子が、落ちてきた岩に…」
馬鹿みたいだ。全部私のせいなのに。
…馬鹿みたいだ。
「…そうなのね。この子は、私の友達の子でね、辛いけれど、連れて行かなくっちゃ。村でしっかり葬ってあげないと…。」