ナギム村の少女
二人は村へ向かって飛んだ。最近あまり高いところを飛んでいなかったから、風が気持ちいい。文字通り羽を伸ばしている。もはや不安は吹き飛び、ナナは少女に会うのが少し楽しみになっていた。ひたすら滑空していると、途中、地面に何か動くものが見えた。角が生えた大きめの犬のような生き物が、何匹か輪になってひたすら走り回っている。なんだっけな…あれ…習ったんだよな…。
「ジポッドだな。むやみに接触しなければ襲ってこない。あいつらは基本群れで行動するから、本気になれば子供一人なんてあっという間に骨まで食うぞ。いざとなったら、殺さなきゃいけないかもな。」
「ええっ!どうやって戦えばいいんですか!?」
「…うーん、石を…投げるとか…?」
…。師匠はこういうところでは頼りにならない。力の差がありすぎて、自分より下のレベルの視点で考えるのが下手くそだ。
「えーっと、まぁ、なるべく接触は避けろ。」
「はーい。あ、そういえば、守護対象の女の子の名前ってなんですか?」
「確かリリ…なんとかだったぞ。」
えぇ……
「えぇ…」
思わず声に出てしまった。なんだかさっきから師匠らしからぬダメっぷりだ…。
「まぁまぁ、名前なんていいじゃないか、仕事には関係ないからな。それより、着いたぞ。ナギム村だ。」
ナナ達は門…らしきものの前に降りた。
『ようこそ ギム村』
「ナ」の字が掠れて消えている。木製で、全体的にかなりボロボロだ。なんかちょっと斜めってるし…。長いこと手入れされていないようだ。
こいつにとってもおそらく、外からの人間を歓迎する機会なんてずいぶん久しぶりだろう。人間じゃないけど。
「よし、入るか。確か、一番奥にある赤い屋根の家がそれだ。」
舗装もされていない汚い道を進む。道具屋が一軒…あとは家だ。川と、水車が動いている。畑?野菜とかが生えてる。少し進む。小さなスペースに、大きな、これまたボロボロの十字架と、本が乗った台がある。神父っぽいのは居ないけど、簡易的な教会のつもりかなぁ。多分。…なんで人間って、神がいること知ってるんだろう?絶対に見えないし、聞こえないはずなのに。
「こいつだ。」
師匠は、赤い屋根の家の前で蝶を追いかける少女を指差して言った。だいぶ幼い。ピンクのリボンで結った、短い茶色いおさげ。黄色いワンピースに、赤い靴。大きなクリクリの目をキラキラさせながら、ひらひらと逃げていく蝶に追いつこうとしている。
「あはは!まてまて〜!うわっ!」
突然、少女は、特に何もないところでつまずき、両手を前に出して派手にズサァと転んだ。えっ、嘘。
…ゆっくり起き上がった少女の服の前面は土で汚れ、今にも涙と喚き声が爆発しそうな顔だ。
そしてもちろん、すぐに決壊した。
「マ"ーーマ”ーーーぁ!!」
少女は、頼りない足で家の中へ駆け込んだ。
…私、これを守るの…?いや…無理やん…。家から出しちゃダメよこんなん。この子、ジポッドとでも出会そうもんなら首無しで帰ってくるわ…。
「いや〜、ははは。少し難しいかもしれんな。まぁ頑張れよ。俺は一足先に帰る。いいか?この子の1日が終わって、安全に家に帰って、もうその日はそれ以降家族の監視下にあると判断したら天使界へ帰れ。分かってるな?」
「は、はーい」
「おう、初日頑張れよ、ナナ。じゃあな。」
ポータルは一瞬で出現し、師匠が飛び込むと一瞬で消失した。
…さてどうしましょう。あ、そうだ。
ナナは自分の腕にずっと手提げがあることを思い出した。軽いから、すっかり忘れていた。
なんだろうなぁ〜。ラブレターだったら面白いな。
その場に座り、いそいそとバッグを開く。中には、一冊の薄めの本があった。
これは…スケッチブック?ケイがよく使っていたやつだ。絶対に見せてくれなかった、あのスケッチブック。いつもちまちまと何か描き込んでたな。あんなに大事そうにしてたのに、私にくれたってこと?いや、帰ったら返せとか言われるかも。
ナナはふふっと笑うと、表紙をめくった。あれ…白紙?
次へめくる。やっぱり白紙。
次も白紙。あれ?いつも描いてたのは、なんだったんだ?
最後のページ少しだけをめくる。
…!やっと何かが描いてある。全てめくった。
そこには…私がいた。ナナだ。ナナの絵が描いてある。しかも、尋常じゃないくらい上手いぞ、コレ…!
細部まで、私だ。すごくよく観察して描いてある。えっ、私、首にほくろあったの?気づかなかった。髪や服の質感もリアルだ。瞳がツヤツヤで、唇の皺まで描かれている。ちょっと美化されてる気がしないでもないが、スゴイ!!!
傑作に大いに感動していると、ナナは突然その贈り主を思い出した。
ん?待てよ…コレって、ケイが描いたんだよな?
ケイが…?
私、モデル頼まれた覚えないし、ケイが日常生活の中で私をめちゃくちゃ観察してたってことになるな…
途端に、絵に変態味を感じてきた。
スゴイんだよ、スゴイんだけどさ…。何ヶ月も描いてたよな?えっ、ずっと?
絵の右下に目をやると、小さな余白にぎりぎり収めたメッセージが描いてあった。
『これ、ずっと描いてたんだ。来年の誕生日に渡す予定だったんだけど、直接渡すの気まずいし、いいチャンスかなって思って、急いで仕上げたからちょっと雑だけど。守護天使頑張れよ。 ケイ』
…。
一体どこを急いで仕上げたんだ…すでに完璧を通り越しているではないか。
一瞬ちょっと引いちゃったけど、かなり嬉しい。頑張ってくれたんだなぁ…。
絵を眺めながらニタニタしていると、少女の家のドアがガチャリと音を立てた。
あっ、いけない、クビになっちゃう。
ナナは急いでスケッチブックを手提げの中にしまい、ドアの方へ飛んだ。
「じゃあいってきます!いっぱいつんでくるね!」
少女は先ほどと違う水色のサロペットを着て、勢いよく家を飛び出した。腕に籠を提げている。花を摘みにいくようだ。
「気をつけるのよ、リリア!」
リリアね、リリア。覚えておこう。ナナは、なるべく後ろをぴったりつけていくことにした。どうか、何も起きませんように…