晩御飯
泣き喚く腹をなだめながら勢いよく食堂に突っ込むと、全員が一斉にナナの方に振り向いた。まずい、質問攻めを受けてしまう…。さっさと席につかなくては…。そう思ったのも束の間、皆案外すぐにおしゃべりに戻ってしまった。
えっ、みんなもう私の噂に飽きたの!?
安堵と、若干の寂しさが入り混じった絶妙な気分になったナナは、空いている席を探すために辺りを見渡した。どのテーブルも、もう食事は終盤ですと言わんばかりの量しか残っていなかったが、入り口付近に座っていたルームメイトのケイが、ナナを見て手招きをした。
急いで隣に座るとケイは、前世はリスなのでは無いかというくらいに食べ物でほっぺが膨れていた。
「お、おほはっはひゃへぇは」
「…なんて?」
ケイは少し咀嚼し、一気にゴクリと飲み込んだ。
「遅かったじゃねぇか。いつもなら直行で来ていの一番に食い出すのに。なんだ、守護天使の授業ってのはお前が飯の事を忘れるほど面白いのか?」
ナナは答える前に、3個しか残っていなかったパンを全て手に取り、一つを口に突っ込み、尋常ではない勢いで咀嚼し、水で胃へ流し込んだ。少し落ち着いた気がする。
軽く深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。
「今日も直行で来たし。ちょっと長引いちゃってさ、別にそんなに面白いモンでも無かったよ。」
「ふーん……。」
ケイは数秒間下を見て、言葉を選んでいるようだった。
その隙にナナは、テーブルに乗った食べ物をできるだけ自分の皿にかき集めた。
「てかさ、お前、本当に大丈夫かよ。ちゃんと『守護天使になる』ってどういうことか分かってんのか?」
「なんで?ケイ、さては羨ましがってるな〜?」
「いや、そうじゃねぇけど……」
ケイの神妙な表情を不思議に思いつつ、ナナは二つ目のパンをもはや丸呑みし、大鍋に残ったスープをすべて掬い、数秒も経たないうちに飲み干した。
「ぷはっ。何?どうしたの?なんにも危険じゃ無いよ、ただ女の子を見守ってるだけで良いんだから。こっちにも毎晩戻れるし!」
「いや、そういう話じゃなくて……」
「はっひりひっへよ〜(はっきり言ってよ〜)」
ナナは三つ目のパンを咥え、すこしニヤニヤしながら言った。
「だって…失敗したら人間になっちゃうんだろ?しかも俺たちのコト忘れて。」
…なんだ、そんなことか。てっきり昼間に会えなくなるのが寂しいのかと思っちゃった。
「そんなの、心配いらないって。師匠も言ってたよ、別に人間だって、常に死にそうなわけじゃないんだから、よっぽどのことがなければ平気だって。ん!、これメッチャおいしい〜。」
肉の絶妙な味付けに感動し、視線を皿からケイに向けると、ケイは今にも泣き出しそうな顔でナナを見つめていた。
えっ…なんでなんで!?今日のケイ、一体どうしちゃったんだ?
「お、ぉお前そんなに泣き虫だったか〜?」
からかう口調で言ってみたが、やはりいつものように言い返してくれない。
「…お前、怖く無いのかよ…人間になっちゃったらもう会えないんだぞ?みんなにも、俺にも、師匠にも…。こんなに長い間一緒に居たのに、覚えてすらいられないんだぞ…?」
「い、いやいや、だから、そんなこと絶対ないってば!人間もそこまで脆くないよ!ほらほら、私のフラグ立てるのやめて、早く寮戻ろう?もう食べ物無くなっちゃった」
本当に、すべての皿から食べ物が綺麗に消えていた。
自分の食い意地が少し恐ろしい。
部屋に着くと、ケイは特に何も言わずすぐに寝てしまった。
けっ、おやすみとか、明日頑張ってねとか、何か言ってくれてもいいのに。
ナナが少し不機嫌になっているのを見たもう一人のルームメイトのエリザは、ふふっと笑い、ナナのベッドに座った。エリザの長い赤毛が頬に触れた。
「どうしたの?またケイと喧嘩したの?」
「いや、そんなんじゃないけどさ、こいつ、私がヘマして人間になっちゃうとか思ってるんだよ。師匠ですら大丈夫だって言ってるのに、こんなに信用されてないとは…。ねぇ、私ってそんなに鈍臭い?」
エリザは急に苦い顔をして、すこし躊躇しながら声を出した。
「うーん…ま、まぁ否定はできないけど、」
がーん…
「でも、できないって思われてるなら、そもそもやらせてもらえないよ。明日の初仕事、カンペキにこなして帰ってきて、心配いらないって証明してやりなよ。」
「ナ…きろー……」
「……おい…きろー…」
うーーん、まだ早くない?今日の朝番私の班だっけ…
「いい加減起きろー、置いてくぞー」
言葉がはっきり聞こえた瞬間、ナナはそれがいつも起こしてくれるエリザではなくジード師匠の声だと気づき、一瞬パニックになった。もしかして、寝坊…!?
そしてすぐにハッとした。
そ、そうじゃん、私もう、朝番なんてないんだ…
寝坊じゃなくて、みんなより早いんだ…えへへ
突然頭が覚醒し、ニコニコで飛び起きると、師匠は少し驚いた表情をした。
「おう、やっと起きたな。エリザとケイはお前を見送りたいとか言ってもうポータルで待ってるぞ、早く行ってやれ。」
「えっ、は、はい、わかりました」
私のために、早起きしてくれたの?エリザはまだしも、ケイが?
ナナは途端に昨晩のことを思い出し、少し表情が萎んだ。
あいつ、なんでそんなに私のこと心配してるのかなぁ…
少し背の高いベッドからスッと飛び降りると、師匠は静かに出て行ってしまった。
早く支度しなきゃ。
いつもの素朴な制服にいそいそと頭を通し、見習い天使の白い腕章に手を伸ばす。
待って…これ、いるのか…?
守護天使になったらもう見習いじゃないよな…
でも、新しいのもまだもらってないし…う、うーん…
使い古し、薄黄色がかっている腕章に手を向かわせたまま静止していると、ドアがキィと音を立てた。
振り返ると、綺麗な新品の青い腕章をしっかりと握った師匠の腕が、ドアの隙間から突き出していた。
ナナは、これまでにないほど満面の笑みを浮かべた。
「し〜しょ〜〜ぉ!!」
すぐさま手に取りたい欲を抑えドアを開けると、師匠は、受け取られる前にドアを開けられたことに少し驚いた顔をした。
「お、ほら、やっと見習い卒業だぞ。さっさとつけてポータルに向かえ」
「はいっ!」
ナナが両手を伸ばすと、ジード師匠はナナの手のひらの上に、腕章を落とした。
「うわぁ〜い!」
ほつれてない!汚れてない!色褪せてない!
ナナは紛うことなき新品の、コバルトブルーの腕章にすぐ腕を通し、数秒間感動してからポータルに向かって駆け出した。
設定: 天使界の腕章はピンではなく、腕を通せば普通に固定されます。持ち主本人以外がつけようとしても固定されず落ちます。本人以外が外すこともできません。(ただし自分より階級が下の天使の腕章は外せる)