007 目的地は
「ちゃんと狙いなさいよ!」
緊迫した空気が僕たちの間に張り詰めていたーー。
もうすっかり目に馴染んでしまった木々の隙間で、そんな苛立ちを含んだ声がこだまする。とはいえその声は決して耳をささくれ立たせるような聞き苦しいものではなく、手のひらほどの小さな体躯で怒りを表現する様子は大変可愛らしいものだったがーー。
「分かってる、よっ!!」
対象は飛べない鳥…と聞いていたのだが尋常じゃない距離を跳ぶ。飛鯊鳥などと呼ばれる、鳥なのか魚なのか分からない獣の一種だ。あくまで獣のため非常識な攻撃はしてこないが、僕たちからすればあの脚力で突進してくるだけで十分に脅威だ。それを横に大きく飛ぶようにしてなんとか避ける。
「カツキくん、狙いはこの際どこでもいいので。とにかく当てて下さい!!」
後ろからそう叫ぶのは、美しい紫銀の髪を風に揺らし、深い深紅の瞳で飛鯊鳥を捉えるウィズだ。
「ごめん速すぎて当てるのもむずいかも…!」
「サポートしますっ!!」
宣言と同時、彼女は自らの足を使い地面に一本の線を引く。それは概念を具現化するための補助線のようなものだ。彼女がそこに、魔力と意味を吹き込まんと詠唱を開始するーー。同時に彼女の周囲を深紅の輝きが乱舞し始めると、本能か経験からか、獣は狙いを僕たちからウィズへと切り替え、軌道を目的の方向へ定めた。
「迷い子は導かれ、境界を経て懐古の園へーー」
詠唱の一節が結ばれると同時、ぼんやりと地面に引かれた線が光を帯びる。
「カツキ、またあの女の訳わかんない魔法が出るわ!あんたは下がって狙うことだけに集中して!!」
「でもこっちで引きつけないと不味くないか!?」
「どんな範囲の魔法かも分かんないのに近づけないわよッ!」
ディディの警告に反射的に飛びのきはしたものの、今の無防備なウィズはただの良い的にしか見えない。
「此方は母の胎、かつての揺り籠。望郷の果て、溢れる涙。彼方の在り方こそ夢だったーー」
線はいよいよ輝きを放ち、魔術的な役割を持って空間を分かつ。その線の意味するところは、境界ーー。獣は突進の勢いのまま、ウィズの拵えたその境界を踏み越える。その一瞬を確認すると同時に、ウィズは詠唱を結びにかかった。
「お願い、これで止まって…。“忘却”ーーッッ…!!」
トリガーとなる言葉が力強く発せられると同時、乱舞した魔力が収束し、超常の現象を現実へと落とし込んだ。変化は劇的だった。勢いを殺すとか、飛鯊鳥が止まるだとかそういう話ではない。なんというか、境界の前後で飛鯊鳥の在り様が全く異なっているのだ。その場でぴたりと立ちすくみ、首を傾げるように動かしながら大人しくしている。そこに先ほどまでの気性の荒さは微塵も感じられない。
(これ、獣相手に使うような魔法なのかーー…??)
その効果のエゲツなさに若干引いてしまう。
「さぁ、カツキさん。これで狙いやすくなりました!」
褒めてくれと言わんばかりに可愛らしさを振りまく彼女。その直ぐ横で馬鹿みたいに突っ立っている飛鯊鳥。絵面はシュールで、こちらとしては渇いた笑いがとまらない。
「成功させた本人が一番びっくりしてどうすんだ…」
ただそれも仕方ないかと思う。魔法の練習と食糧の確保を兼ねて狩りをしましょうという話になってから早2日。ようやくまともな成果が得られそうなのだから。
「カツキ、止まった相手で外すなんてことないわよね?」
「…うん。でも何だろうね、相手が無抵抗になった途端、仕留めるのって気分が」
ただでさえ獣相手に魔法を当てるのは抵抗があるのだ。だが生きるためにそんな綺麗事は言っていられない。目を閉じてしまわないように意識して、一息に決めてしまうことにする。
「…仕方ないでしょ。さっさと始めなさい」
これも何度かディディと狩りを行う中で話し合い、予め決めたルールだ。僕自身がオドーー正確には補充されたマナだがーーを汲み上げ、イメージの具現を行う。魔力の流れをディディが観測し、成形し、コントロールする。
(今度こそ、ちゃんとやるーー…!)
敵に魔法が当たらないのは、主に僕の忌避感が原因だった。生き物を殺し、血が噴き出る様を想像するとどうしても萎縮してしまう。その意思が反映されて弾道が逸れるーー…。そんな魔力は外側から制御を行うディディにとっては暴れる魚そのものらしい。
「風よ、刃となり悉くを裂けーーッ…風刃ッッ!!」
僕とディディの場合は、正確には魔法というよりもオドを変形させるだけのより原始的なものだ。だからここで言う詠唱とは、ディディとイメージを共有し、より効率的な魔力の運用を行うための措置にすぎない。…というか理由もなくこんなことをしていられない。ヒーローの変身が終わるのを待ってから闘うような、美学溢れた敵などまず居ないのだからーー。なんにせよ結局、このメンバーに一般的な魔法を使う者は居ないのである。キンッ、と甲高い音を震わせて、一刃の風が空間を走った。それはするりと飛鯊鳥の首筋に入り込み、音もなく胴と頭部を切り離した。遅れて響く、パシャリと液体の散る音。独特の鉄くさい匂いと獣臭が広がりだし、そしてどさりと崩れ落ちるかつての生き物の亡骸。
「「いやったぁあああ!!!」」
ウィズとディディが2人揃って喜びを露わにしていた。実は相性がいいのではないかと本気で思うのだが、ディディは認めないだろう。だが達成感という意味では僕も込み上げてくるものが大きい。苦節3日。相手はただの獣で、それでもこちらは必死も必死。魔法までふんだんに使った狩りだったけれど、確かな成果がこうして目の前にあるのだ。恵みに感謝して、しっかりと味わうことにしよう。自然とそう思える瞬間だった。
・・・
「想像するとグロいけど、便利なもんもあるもんだなぁ」
「きっとあの盗賊たちも、不用意に街へ行くことなく狩りで命を繋ぐ生活を送っていたのよ。吸血樹の枝がこれだけあれば、暫く血抜きはしなくて済むわ」
ウィズ曰く、この世界には吸血樹という文字通り血を吸う木というものがそれなりに一般的な植物として存在するらしい。自ら獲物を狩ることはないが、何故か肉食の獣たちがその木の根元で獲物を食べるように誘導する魔力を放つそうだ。その死骸の血を吸い成長するのが件の樹木らしい。今ウィズが説明してくれたのは、その吸血樹の枝である。こうして仕留めた肉に枝を刺すと、みるみるうちに血のみを吸い付くすため、肉の血抜きに重宝されているのだそうだ。
数日前にあった、盗賊と小鬼との戦闘の後ーー。僕たちはひとまず、襲ってきた盗賊達がキャンプを張っていた場所を拠点とすることにしたのだ。彼らは基本野外で生活していたようで、十分以上の食糧とキャンプに便利な品々を抱えており、今はそれをアテにしながらこうして戦闘訓練兼食糧調達に時間を割くことができているというわけである。
「うん、このくらいでいいでしょう」
血を吸い切って瑞々しくなった吸血樹の枝を抜き、近場の茂みに刺すウィズ。
「こうしておくとね、それなりの確率で育つんですって」
「へぇ、血なんてしょっちゅう吸えるモノでもないだろうし、これだけ潤沢に吸えば暫く育つくらい強い植物なのかもなー」
あぐらをかいて頬杖をつき、ぼーっとその挿木を見つめる。
「じゃあ、さっさと捌いてしまいますか!」
これまた調理用のナイフを取り出し、殺菌のためにその刃先を軽く焚き火の熱で炙った後に、肉を解体し始めるウィズ。なんでも狩りと解体はセットで教えられるのが一般的だとのこと。ウィズも最低限の知識は持っているのだそうだ。
「なんか、本当にごめん。首を刎ねたのでメンタルがこう…」
「いいよいいよ。それぞれができることをすればいいじゃない」
ウィズはにこにこと笑いかけながら作業を続けていた。実は、情けないことに先程のトドメのあと、軽く嘔吐してしまった。慣れないモノはどうしても慣れないのだ。その後の羽を毟る工程などは見ていることすら辛くて、僕はただ「ごめん…」といってこの状況に落ち着いたのであった。
「カツキは情けないのよね、ほんと。お陰で魔法操作も一苦労よまったく」
もうすっかり僕の頭上を定位置にしたディディが、盛大にため息をついて追い討ちをかけてきた。
「うっ、面目ない…」
「そうかな。私はそういう優しさ、素敵だと思うけど」
「とはいえ最後はちゃっかりお肉を頂くんですけどね…」
罪悪感からほんの少しの毒を吐く。
「それはそうだよ。こんなにたくさんのお肉、私とディディちゃんじゃ食べきれないもの。腐らせちゃう方がよほど罰当たりじゃない」
理屈は至極真っ当だが、この子は本当に頭が回る。思慮も、配慮も、ほとんど完成されているのではないだろうか。一緒に過ごすほどそんな懐の深さを感じさせる子だった。
「あ、そうそうこれを見て!」
もうすっかり“らしさ“を見せてくれるようになった彼女がそう言って見せたのは、乾燥した植物の葉だった。
「これはポルボラーー…”食の火薬”って言われててね、こういう淡白なお肉に相性ぴったりの香草なんだよ!さっき食糧を確認してたら見つけたんだー」
上機嫌で彼女は料理を進めていく。所謂スパイスの一種だろう。何度かウィズから料理の話を聞いた中でひとつ驚いたのだが、この世界でいう塩は岩塩を指すのだそうだ。そしてスパイスなどを用いた料理は割と新しい手法らしい。僕の推測だが、これは魔法という超現象があまりにも身近であるため、古の時代から冷凍という文化が根付いてしまった弊害ーー基本的に保存食というものがいらないーーによるものではないかと考えている。つまり、正直なところ森を出たとしても食文化の水準は現代には及ぶべくもないだろうと考え、あまり期待はしていなかった。だが、偶然にもスパイスの一種があったという。真価はいくつかのスパイスを混ぜ合わせた時に出るだろうが、それにしても興味はある。パンチのある味は、長いサバイバル生活を経た自分にとって最高のご褒美になるだろう。
「ガツンとした料理が味わえそうだ。期待してる」
「うん、飛鯊鳥は筋肉質で淡白な肉質で親しまれているから、きっとさっぱりした脂と相まってたくさん食べられると思うよー」
おそらく鶏のモモ肉とかそんなイメージだろう。金属製の串に肉を刺し、焚き火の周りに突き立てて遠火で焼いていく。じゅうじゅうと脂が躍り肉が焼けてゆく様は、あれだけグロッキーになっていた僕の心を蘇らせて食欲を刺激するだけのたしかな魅力を持っていた。
「カツキ、カツキ。アタシの分は小さくしてね」
「はいはい、焼けてから取り分けるからちょっと待ってて」
鼻歌を歌いながらご機嫌な様子のディディ。
「妖精も食べるんだな、肉」
「んー、危ないから滅多に食べないけど嫌いって訳じゃないのよね」
「へぇ…それは私も初めて知りました」
ウィズも興味深そうにディディを見ている。博識なウィズも知らないことはあるようで、ちょっとだけほっとする自分がいた。
「大きい獲物を捕まえても腐らせれば里に病が蔓延するし、かと言って小さいと美味しい獲物もなかなかいないじゃない?。結局木の実とかが一番ちょうどいいのよ」
ディディはつらつらと饒舌に語る。よほど機嫌がいいらしい。
「なるほど…納得ね。妖精族は滅多に人と関わろうとしないことで有名な位だから、存在すら疑う学者さんもいるんだよ」
「え、そうなの?」
「えぇ。とは言っても、偏屈な方達のもとには妖精じゃなくたって寄り付かないと思うんだけど」
(おぉ、表情も変えずに毒を吐いた…)
でもそうか、妖精と関われることは貴重なのか…。嬉しいような畏れ多いような気持ちになり、指先でディディを撫でて誤魔化す。
「んあいよぉ」
なんてはしゃぐ彼女で一通り遊んでいると、ようやく肉が焼けたようだ。
「そろそろいいんじゃないかな」
ウィズのその一声を合図に串を一本取る。近場で採取しておいた、お皿代わりの少し光沢のある葉っぱーーヒカリブキに人かけの肉を取り分け、それをさらに8等分ほどにする。
「はい、ディディ」
「やった…!」
ふわりと着地し、肉に手をつけようとするディディ。
「ディディ、火傷する」
流石に素手で飛びつきそうな彼女を止めて、小さな木の枝で作った楊枝もどきを差し出した。
「別にいいのに…」
「脂まみれの身体で頭に乗られたら僕が大変なことになるでしょ。少しは気にしてくれ」
「…分かったわよ」
ぷいっと焚き火の方に身体を向き直して、肉を頬張るディディ。しかし背中越しにもぴくぴくとした反応や鼻歌混じりに身体を揺らす反応はまる分かりで、初めての成果を堪能してくれているようだった。
「私たちも食べますか」
「あぁ、いただきます」
パクりと口に入れた途端、求めていた淡白な味と胡椒に近いピリリとした刺激が舌を楽しませてくれた。正直、現代のジャンクフードなどに慣れてしまった舌にとっては、まだ物足りない部分はある。あるのだが…とにかく植物や果物にまみれた生活からは考えられないほどの動物的な旨味に夢中で食べ進めてしまった。
「おかわり、、!」
「ふふっ、まだ沢山あるからゆっくり食べよう」
もうすっかり日の落ちた森の中。僕らの周りは穏やかで暖かい時間が流れてゆくのだったーー。
・・・
一通り食べ終わり、勢いを弱めた焚き火を眺めながらゆっくりとした時間を過ごしていた。
「そろそろ、やっちゃおうか」
「…あぁ」
ぽんぽんと自らの膝を叩くウィズに誘われて、ゆっくりと頭を乗せる。僕は上半身をはだけさせ、なんとなく直視できない彼女から目を逸らす形で大人しくする。
「まだ慣れないの?」
「そっちはたった数回で慣れすぎじゃないか?」
月夜と残火だけが光源の森の中で、寒さを感じないのは一体なんのお陰なのか。一周回っておかしく感じられて、なんとなく笑い合いながら日課を始める。
「じゃ、いくね」
彼女は右手を僕のおでこに。左手を僕の胸に添えて、マナの補給を開始した。特に感覚があるわけではない。だが心なしか暖かいものが満たされていくような、そんな感覚がする気がするのは思い違いだろうか。延命措置だと彼女は言った。だがそれ以上に、余裕のない状態で出会った2人がこうして友人以上に距離を寄せる状況は、良くも悪くも人間関係の構築に一役買っているようにも思っていた。心地よく緩んでいく心の軋みが、今までの疲れさえも取り除いていくようでーー。
「はい、おしまい」
ささやかな幸せの時間はすぐに終わった。
「ありがと」
特に引っ張るでもなく、さっぱりと振る舞い身を起こす。
「うん、今日は少し多めに消費してたみたいだね。昨日までより多めに持って行かれた気がするわ」
素早かったからなぁ…と無駄打ちの数々を思い出す。
「風刃で8発は打てるみたい。オドが抜けて急に疲れるっていう感覚もないし、思いの外余裕はあるのかも」
「そっか。でも絶対に調子に乗らないでね。やり直しはきかないんだから」
「…ーーうん」
やり直し。やり直しは、きかない。僕は今、ある意味で2度目の人生を歩み始めている。今までとは全く違う世界で。その経緯も理由も未だに思い出せない。この理由を、やっぱりちゃんと知るべきなんだろうか。せっかくのこの機会を無駄にするなど、あまりにももったいない。
「そろそろ、目標を決めないとな」
そんな風に独り言を呟くと、そういえば、とウィズが声をかけてきた。パチンと手を叩く音に驚いて「え、なに!?」とディディが飛び起きる。
「あのね、今後の目的地なんだけどさ」
吸い込まれそうなほど深く鮮やかに輝く真紅の瞳で、大事な時に見せる力強い眼差しが僕とディディをしっかりと縫い付ける。
「やっぱりね、カツキ君の状態は専門的な人に見てもらった方がいいと思うのよ」
「一理あるな」
「専門的な人ぉ??」
僕は思案し、ディディは怪訝な顔をする。
そんなそれぞれの反応を微笑ましそうに受け止めながら、彼女は新たな指標を提示する。彼女が口を開くその直前、唇が開く数俊の間に。彼女からはすっかりと、ファンタジーの香りが漂い始めたことを、僕の嗅覚は敏感に捉えた。
「会いに行きましょう
最果てに住むと言われる、西の魔女にーー。」
事前に昂った高揚感からか“死ぬのかな?”と反射的に突っ込んでしまう自分がいたことはどうか許していただきたい。




