005 迂遠な手続き
2021/10/13 改題
ねぇ、しアわせーー??
囁くような、身体の芯に沁み渡るような、そんなどこまでも心地よい声がした。
ねェ、マんぞクーー??
きっと人の語る幸福感というものにカタチを与えたのならば、まさに今、この耳朶を打ち鼓膜を蕩かさんとする声のようなものが生まれるに違いない。
心地よさに身を任せて投げかけられる問いに答えようにも、唇は上下の区別を無くしたみたいに開かない。いつまでも聴いていたいと思わされるこの声を発する存在とは一体どんな姿なのだろうか。当然、そんな欲求が湧き上がってきた。しかし声の主を見ようと思っても、瞼まで溶けてへばりついたみたいに開くことが億劫だ。
(それにおかしいな、手足の感覚が遠いような…?)
ならばと見えないなりにもなんとか現状を把握しようと意識を身体に向けてみるが、どうにも判然としない。僕の身体は一体どうなっているのだろうか。痛みもないのに、まるで身体がバラバラに解けていくような、拡散して大気に溶け出すような、そんな形容し難い感覚に陥っていた。
(そういえば、小さい頃は寝る時や高熱が出た時に、周りの景色が急に大きくなったり近くなったりする症状がよく出てたな…)
確かアリス症候群とか呼ばれるものだったか。かの有名な小説「不思議の国のアリス」。その作中において主人公となる少女アリスが、夢の国で経験する出来事の一つに、肉体が大きくなったり小さくなったりするエピソードがある。確かそれが名前の由来にになっている症状だったはずだ。同一の症状とは言わないまでもそのときの感覚に近い気がするのだが、幼少期の症状が何故今になってーー?と思ったところで今の肉体が10歳程度であることを思い出す。いけない、幸福感というよりも酩酊感に近いのか、どうも思考が逸れてゆくようだ。
ネぇ、のんびりしてたら、シんじゃウよーー??
取り止めのないことを記憶から引っ張り出していると、また例の声がした。その内容は酷く物騒で、平時に聞かされればまず焦るはずの忠告だ。聞き流しかけてしまいそうなほど簡単に、なんてことのない様に言われたが、確かにこの声は死ぬと言った。誰が?と聞けばまず僕のことだろう。にも関わらず、声そのものが持つ多幸感が強制的にその焦りを鎮火するかのように、不気味で穏やかな感情に満たされていた。焦っているはずなのに落ち着いているような心地良いような…。意味のわからない感情のあり方にむずむずとした痒さを憶える。
客観的に考えて、この状況がおかしいことだけは確かな様だ。その違和感を手繰り寄せて再度身体へと感覚を研ぎ澄ませていくと、自分の内と外を隔てる境界がどこまでも希薄になっていることに気づいてしまった。気づいた瞬間、何とか緩やかに収まっていた自己の有り様が加速度的に崩れ出した。急速に自分が解けてゆく。溶けてゆく。外から注ぎ込まれた幸せと呼ぶべきものが、僕の中に溢れて、僕はぶよぶよと水風船みたいに膨れ上がって。僕が僕であるために必要な、大事な何かがどんどん、どんどんーー…。
ねぇ
また声がする。呼びかけに応えることで、寸手のところでカツキはカツキであることを繋ぎ止める。その声は確かに心地良い。心地良いのだがーー…。これ以上は必要ない。もうお腹がいっぱいだ。
「もう、いい…」
しあわせーー??
「よく甘いものを食べ過ぎて、気持ち悪くなってから後悔したことを思い出したよ」
…ーーふふっ
結局この状況も相手の存在もわからなかったが、こうして僕という存在が解けてゆく前に、背中だったはずの場所に温かい感覚が広がり始めた。これはーー…、そうだ。ここに来る前、小鬼と盗賊に挟まれた際に“彼女”が僕を落ち着かせてくれた、あの温かさだ。きっとこれを辿っていけば帰れるはず。そんな確信に近い何かが伝わってくる。だから拒絶せず、ここでない何処かから注ぎ込まれるソレに身を任せ、散らかりきった身体の在り様を思い出してゆく。帰ろう、と声の主に背を向けるイメージを持てば、飽和した多幸感は濾し取られて、かつて僕だったもののみが元の場所に導かれてゆく。
ねぇ
今度は“混ぜモノ”のない、自然な言葉だった。感覚は徐々に背中から繋がるその先へと移りつつあるが、まだ辛うじて聞き取ることができる。
ワすれものだよーー。
最後に声はそんなことを呟いて、僕に何かを握らせた。それは何かの鍵のようだった。一体これは何なのか。そもそもここから持ち帰れるようなものなのか。問いかける時間は既にない。焦りのままに振りむいて、あれだけしっかりとへばりついていた瞼が開くとーー…。
・・・
「…ーーカツキさん!!」
振り向いて瞼を開いたと思ったが、実際には件の戦闘の跡地(厳密にはその付近の森が残っている場所)に横になっている状態で目を覚ました形となった。
「…??」
「カツキさん、分かりますか?」
「あ、あぁ…うん。大丈夫だよ、ウィズ」
目まぐるしく変化する状況に混乱していたが、あの大人しかったウィズがここまで取り乱して自分の心配をしてくれているのだ。こちらが逆に冷静になってしまうのも致し方ない。
「よかった…、よかった…!!」
目尻に涙を溜め込んで、心底安堵したといった様子でそうつぶやくウィズ。その様子を微笑ましく感じて、半ば無意識的に彼女の頭を撫でようと左手を持ち上げると、その手には彼女の右手が重ねられしっかりと握り込まれていた。そして同時に気付いたことが一つ。彼女のもう一方の腕は僕の視界の下の方に伸びていてーー…、その先端は自分の胸部のあたりに添えられていたのだ。それも、僕の上半身は一切の布地を纏っていない状態で、だ。半ば抱き抱えられているかのような体勢であることに気づき、これはまずいと硬直してしまう。僕はいい。これでも中身は一度成人していた身だ。今更この程度のことでーーましてや子ども相手にーー欲情するようなことはしない。ただ、彼女の視点から見ればどうだろうか。彼女からすれば同い年程の異性に一方的に触れていた状態なのだから。僕はぼくで左腕を持ち上げた状態で逡巡してしまった為、気付かなかったふりもしてあげられそうにない。
「えっと、説明して貰ってもいいかな」
戦闘のあとの状況も、倒れた自分の状況も何も分かっていない。相変わらず森の中であることは間違いないし、また化け物でもきてしまえば一大事だ。それにこういう冷静な話ができれば、こちらが気にしていないことの証明にもなるだろうーーそんな意味で状況を教えて欲しいと問いかけたつもりだったが、言葉足らずな質問はむしろ彼女をパニックへと追いやってしまったようだ。
「こっ、こここここ、これは…っ!!?」
漫画でいえば目がぐるぐると渦を巻いたような表現をされるんだろうなぁ、という慌て方で繋いだままの手をぶんぶんと振り回すウィズ。まぁ間違いなく手当てでもしてくれたのだろう。感謝こそすれど責めるようなことは何もない。
「ウィズ、落ち着いて…」
「あのですね!これには理由が…!」
「わかってる、わかってるから…!」
2人してバタバタとしていると、不意に右耳の近くでもぞもぞと動く気配があった。
「うるっさいわねぇ…」
(助かったーー…!!)
ディディはカツキの横で寝ていたようで、一連の騒ぎによって不愉快そうに起き上がった。このマイペースさが妖精族特有のものなのか彼女の個性なのか判別がつくほどカツキはこの世界に詳しくなかったが、収集のつかなくなりつつあった今の状況を打開するにはまさに天啓と呼ぶべきタイミングだ。ディディはふらふらと飛び上がり、気だるそうにカツキの顔の真正面まで来た。多分これは、気付いていないなと思い声をかけることにする。
「おはよう、ディディ」
「ん…おは、よ?」
そんな彼女に声をかけると、寝ぼけて擦っていた両目をパチクリと見開いて、まるで信じられないものを見たとばかりに硬直する。
「え、あんた起きたの!!?」
「お陰様で」
「〜〜!!それならそうと早く言いなさいよ!なんであたしを起こさない訳!?」
何ともまぁ感情の起伏が激しいことだ。突進しそうな勢いで顔に近づいてくるものだから、彼女に対して焦点が合わなくなっている。寄り目をするのも恥ずかしいので、空いた右手でディディの首元を摘んで適切な距離まで引き離した。ついでに上半身も起こしておく。
「近い近い」
「ディディさん、彼は今起きたばかりですから…」
ウィズもすっかり落ち着いたようで、出逢った当初のトーンに戻っていた。今なら気になっていたことも問題なく話せるだろう。だがその前にーー。
「ディディ、あの状況でやったことのないことをお願いしてごめんな。魔法、凄かったよ。ありがとう」
「ふんっ。これであの時の恩返しもできたってことね」
満更でもなさそうに胸を張りながら、ふんすと両腕を組んで誇らしそうにするディディ。あれだけ魔法が使えないことを気にしていたのだ。魔法で役に立ててさぞ嬉しかったのだろう。
「…ディディさんは、きっと魔法操作は並の妖精族よりも優れているのでしょうね」
「…別に、あんたに言われても」
「いいえ、私からもお礼と謝罪を。ディディさんとカツキさんには本当に感謝しています。お二人がいなければ私はここにはいなかったでしょう。そして何もお力になれず、申し訳ございませんでした」
随分と外見に似合わない喋り方をするものだと感心するが、まだ出逢って数日の間柄だ。予想はしつつも余計なことは聞かないことにして話に乗る。
「何言ってるの。あの時ウィズがいなかったら、焦ったまま何もできず死んでいたし、ついさっきだって、ウィズが僕を導いてくれたんでしょう?」
「さっき…?」
「僕が眠っている時のこと。よくわからないけど結構やばい状態だったみたいでね。でも、戦闘中にウィズが落ち着かせてくれたのと同じ感覚がして、それを頼りにしたから帰ってこれたっていう訳」
「そんな…でも、なるほど」
お礼を言われて喜びながらも、ウィズは少し考える素振りを見せた。そもそもあれは導いてくれたわけではなく無自覚なことだったのか。
「ウィズ?」
「あの、カツキさん。二つだけお伺いしたいことが」
その表情は真剣で、深紅の瞳は不思議と目の離せない不思議な魅了を感じさせた。
「いいよ。何でも聞いてよ」
「ありがとうございます。でも私は、きっとカツキさんの質問には十分に応えられません。ですから、それを踏まえた上で答える範囲を決めて下さい」
彼女の言動は不可解で、正直信用して良いものかよくわからない。この歳でこの身の振る舞いを身につけているのだから間違いなく教育はしっかりと受けているのだろう。この世界の識字率や修学制度がどの程度のものかは知るよしもないが、こんな辺鄙な場所に誘拐紛いのことをされている子なのだ。間違いなく“厄介ごと”に関わっていることは間違いがない。
「んー…、よくわかんないけど対話してくれるだけの意思はあるってことでいいんだよね?」
「はい、もちろんです!」
「じゃあとりあえず質問を聞いちゃったほうが早そうだね」
「待ちなさいよ」
とりあえず聞いてから考えて、厳しそうなら答えるのを控えればいいだけだろう。前世の記憶なのか何なのか全くわからないこの記憶のこととかは流石に言わないほうが良いだろうか。ただそれ以外は自分だってわかっていないことが多いのだから、答えたくても答えようがないことの方が多い気がしている。そんな風に考えていたら、思わぬ所から横槍が入った。
「この妖精ディディが告げるわ。貴方の言葉からは嘘の気配がする。その上カツキのことを探るって何様のつもり??」
初対面の時から何となく警戒している節はあったが、何かしら彼女の警戒網に触れる要素がウィズにはあるらしかった。魔法の存在するこの世界だ。何か嘘発見のための魔法や、妖精族としての特色があるのかもしれない。ディディの指摘に対してウィズは一瞬沈んだ表情を見せたものの、真剣に見つめ返して言葉を重ねた。
「…そう思われてしまうことは承知しております。会ったばかりの私を信用できないのも当然です。ですから、私の願い込めてを一つだけ」
「願い、本当に最初から最後まで何様のーー…」
「ディディ」
少し強めにディディを諌める。ディディがウィズを拒絶する理由は良くわかった。ウィズもそれを否定しない。だがこの環境で安直に切り捨てるのもいただけないと思っている。僕は生きてこの森から出たいのだ。この世界の知識を持つ協力者はぜひ欲しい。だから今は彼女の態度を信じてみてもいい。拒絶するのは何かがあった後でも遅くはないだろうから。彼女は寂しげにほほ笑んで、僕に向きなおって続けた。しかし一呼吸の後に彼女が発したものは願いではなくーー…
「言葉と態度、どちらを信用していただけますか」
願い、と言いながら問いかけるようなその言い回しに疑問符は浮かぶものの、その目つきはすこぶる真剣だ。教養の高さからも、これが単なる抜けた行動には思えない。数秒見つめ返して、これが必要な手順なのだという前提で受け入れることにした。言葉と態度。その2択の答えが彼女のいう“願い”という前提でーー。
「人は誰だって嘘をつくと思う」
「…っ」
彼女は辛そうに顔を歪める。
「でも、嘘が悪だとは思ってないよ。誰かを守る嘘や、嘘をつかなければならない何かを背負っている人だっていると思う」
そう、僕は常々思っている。僕は僕の見える範囲や理解できるレベルでしか物事を判断できないのだと。これはどちらかというと、戒めに近いのだけれど。ディディの意見も、彼女の嘘もどちらも悪意でないのならば。それはきっと、簡単に切り捨ててはいけないものだ。
「だから、態度かな」
けろっと笑ってそう応えてみせた。どちらにしたって、この状況では僕に失うものはほとんどない。ましてや彼女には危機を救い、死の淵から呼び戻してくれた恩義を感じている。僕の中にその恩義が残る限り、僕は彼女をきっと赦せるだろう。
「…ーー分かりました。と言っても、あまりカツキさんのことを探る意図はないのですけど…」
彼女はほっとしたようにその端正な眉をハの字に寄せて、長く静かに息をついた。ただ、それにしてもだ。こんな子供でさえ普段からこんな面倒なことが必要になる位に制約のある生活をしていたのだとしたら、下手に人と関わるのも良くないかもしれないと感じてしまう。お互い探り探りといった感じで、どうにもやりとりが迂遠になりがちだ。ウィズとしてもそれはもう“申し訳なさ“が前面に出ていると言っても過言ではない。これが演技だと言うのならむしろ女優として一緒にビジネスを企みたいと思う程に。正直面倒だ。ここはもう、それっぽい体裁を整えてしまったほうが早い。詭弁は現代人の十八番なのだから。
「わかった、ただし質問にあたり条件を一つ」
「…っ、何でしょう」
「言葉遣い。もっと砕けた感じでいいよ。敬語とか面倒だし、距離感を感じちゃうから」
「はぁ!?あんたそれなんの対価にもなってないじゃないの!」
条件の下を話している最中にうんうんと頷いていたディディが噛み付いてくる。納得いっていないんだろうなぁ。
「…はい、じゃなくてうん、だね」
ウィズも面食らったように応対してくれるが、慣れるまでは時間がかかりそうだ。これからゆっくり砕けた態度を見せてくれることを願っている。
「そ。後あんまり気遣わなくていいよ。早々怒らない自信がある。というか、なんか事情があるのは察したから」
それだけは伝えた。彼女は態度で示すといってくれたのだ。それが願いであるとも。ならばそこを信じて彼女のことを知っていけばいい。
「ディディ、心配してくれるのは嬉しいからさ。ディディは僕のかわりに疑ってくれればいいよ。必要なら喧嘩も必要なことだと思うんだよね」
「…言われなくなってそうするわよ」
少し心配していたが、どうやらついて来てくれる気ではあったようだ。そこが確認できてほっとする。
「それで、大分遠回りになっちゃったけど質問って?」
「あ、はい、じゃなくてうん。まず、カツキ…君はどうしてこんな所にいるの?私と同い歳くらいで、これだけちゃんと話せる子供がいていい場所じゃないと思うんだけど…」
当然の疑問だと思う。彼女は盗賊の運搬でここにいるだけだろうが、僕は違う。森“で”捕まった子供なのだから。
(さて、何と答えるかーー…)
正直なところ、自分でも分からないのだ。経緯も、わかりやすい転移のイベントがあったわけでもない。むしろ聞きたいのは自分の方なのだから。
「えっと…ごめん、分からないんだ」
「分かりました。じゃあ、もう一つ。カツキ君たちの旅の目的は何なのかなって。どこか行きたいところでもあるの?」
(目的…。目的かぁ)
質問にはぱっと答えられないが、いい機会だと思った。確かに、森を出てからどこに向かうかの方針は重要だ。折角未知に溢れた世界に来たのだ。折角なら色々なものを見て、学びたい。そんな欲求が溢れている。今までは考える余裕もなかったが、期せず仲間もできたことだし、少し気持ちに余裕ができたのは良い兆候だ。
「とりあえず、この森を出たいんだよね」
「…はぁ。入ったのに、出たいと」
「あ、えっとね。入ったんじゃなくて、気づいたら森にいたんだよね、僕」
「…へ?」
「ごめんね、本当にさっきの質問も全部嘘偽りなく本当のことなんだ。気づいたら森にいて、んー7日くらいかなぁ。森を走り回って、妖精を助けて、人がいるかもって近づいたら捕まってたみたいな感じ」
たはー、と後頭部を掻きながら答えるカツキの態度に目を見開くウィズ。
「…本当だ」
彼女はぽつりと呟いて、また少し考える素振りをみせたのでディディに謝っておくことにした。
「ディディ、ごめんね。どんどん話を進めちゃって」
「…ふん、あの女は気に食わないけど、あんたが悪いわけじゃないから別にいいわよ」
「ディディはさ、これからもついてきてくれるってことでいいのかな」
妖精が人に懐くことがあるのだろうか。そんな疑問もあるが直接彼女に問うのもおかしな話だ。だから彼女自身の意思を聞いておくことにした。
「…ついてきて欲しいの?」
「うん。そうだね。頼りになると思ってるよ」
「仕方ないわね…。いいわよ。お世話してあげる」
よし、これで一安心だ。彼女からはぜひ森の知恵と日々の賑やかしを担当してもらいたい。
「でも、あの女は認めないわよ?カツキはなんか妙に優しくしてるみたいだけど、あたしはぜぇぇえええええっっったいに認めないから!!」
「ハハッ、わかったよ」
ウィズは大人しいから何も言わないけど、今後犬猿の仲になって行ったら大変そうだなぁと苦笑する。それでも関わっていく中で仲良くなることだってあるんだ。気長に見守るとしよう。
「カツキ君」
「うん?」
ウィズも思案から帰還したらしい。同時にディディは僕の頭の上に座って大人しくなった。
「一つ…お話ししておかなければならないことがあります」
何だろうか。彼女の事情か、妖精の悪い噂だろうか。こくりと頷いて続きを促すと、彼女はゆっくりと話し始めた。
「これは今後にも関わることで、カツキ君自身の今の状態について、そして私の今後についてです」
「僕の状態…?」
何かと思えば僕自身のことらしい。正直身に覚えがなく、頭の上には疑問符が大量に浮かんでいる。しかし敬語に戻っていることからも、余裕がないというか真剣に話そうとしていることは伝わった。
「まず、ディディちゃんには申し訳ないのだけど…、私は今後、カツキ君についていきます」
ピクリ、と頭上でディディが動く気配がしたが、とりあえず静観を決めるようだ。まぁ予想できた流れではある。
「理由は、今のカツキ君が誰かの補助が必要な状態にあるからです」
「…はい?」
「はいはい、協力者なんてアタシがいるんだから十分じゃない。はい、この話終わり。さようなら」
「…ーーいいえ。ディディちゃんには無理なのです」
「はぁーー??」
不満と、怒りと、嫌悪が入り混じった様子でディディは髪を引っ張っている。それも束でだ。
「痛い、痛いってばディディ」
「あら、ごめんなさい」
済ました顔で、ぱっと髪を離すディディ。しかし怒りは収まっていないようで、貧乏ゆすりのように忙しなく足を動かしているようだ。
「ディディちゃん、カツキ君の中、見てみてもらえますか」
「…なんでアタシが」
「ディディちゃん」
その声音も表情もとても真剣で、譲る気がないしっかりとした意思が感じられた。鬼気迫る、といっても過言ではないウィズのその様子にディディも渋々飛び上がり、僕の胸のあたりまで降りてきた。その小さな手をそっと僕に伸ばしーー僕の中を観察するのに必要なのだろうーーいつも賑やかなディディからは考えられないような静かな雰囲気を醸し出していた。マナというものが少なからず動いているのか、柔らかく輝くその様子はまさに妖精という神秘そのものであった。ある種感動すら覚えながらその様子をみていると、やがて光は霧散して、ディディはぱっちりと目を開けた。しかし、目はすっかり見開いており、手を僕に添えたまま小刻みに震えているのがわかる。
「ディ…」
不安そうな彼女に声をかけようとしたが、その呼びかけはディディ自身の叫びによってかき消されてしまった。その反応は劇的で、今までのマイペースさなど欠片ほども伺えないほどに影を感じさせる様相を呈していた。
「何よこれ…」
震えはもう隠せないほど大きくなっていて。その両目には、耐えられないとばかりに涙を蓄え始めていた。
「ちょっとこれ、どういうことなのよ!?」
「そのままの意味です」
きっと演技も入っているが、ウィズの態度は泰然としたものだった。淡々とディディの憤りを受け止めている。
…ーー握り込んだその手は震えていたけれど。
「アタシの…、アタシのせいなの!!?」
「直接的な原因は、恐らくそうですね。でも、あの状況では仕方なかったかと思います」
「でも、でもこれじゃあ…」
「誰かが悪いという話ではなかったのです。私たちは全員非力だった。欠陥を抱えていた。そのメンバが生き残るために全てを賭けた。結果として代償をカツキ君1人に背負わせてしまった…。そういう、そういうことなのです…」
2人の間で会話がどんどん進んでいく。理解が追いついていないが、ディディがここまで自分を責めているのだから尋常ではない事態なのだろう。一呼吸おいて、覚悟を決める。きっと、これは僕の知らない領域ーー…僕自身の話なのだから。
「ごめん、僕にもわかるように説明してもらっていいかな」
しかしその覚悟は虚しく散ってゆくこととなる。奇しくも、ここでもまた、僕がまだ元いた世界の甘さを引きずっていることを痛感することになるのだから
「カツキ君、カツキ君は…」
とても言いづらそうに、ウィズはごくりと大きく唾液を嚥下した。その音は静かな森にはよく響き渡り、一瞬の間となった後に、彼女の喉を十分に湿らせたようでーー…。
「恐らくあと数日の間に、死んでしまうでしょう」
鈴を転がしたような、涼しげで軽やかなその声音で。
そんな衝撃的な一言を告げるのだったーー。




