003 続く恐怖と転換点
3話目です。
一気に状況が動き始めます。
ちゃぷ、と両手で水を救う。
(ふー…)
ゴブリンとの戦闘から早数日。偶然見つけたこの川は、最初に見た湖の水にひけを取らない程清涼な水が流れていた。日本のような急流で狭い川では無いものの、斜面に任せた流れは緩やかな勢いを感じる。渡る事自体は難しくなさそうだ。その水を惜しげもなく使って手を洗い、今更とは思いながらも念のため傷口を洗う。そのあと一呼吸ついてゆっくりと水を飲んだ。
「結構傷が酷いなぁ…」
水で触れただけでかなり滲みるが、流石に洗わないまま放置するわけにはいかない。軽く歯を食いしばりながら、乾燥しこびり着いた血を含めて強めに擦り落としてゆく。露わになる傷口を見て、どれだけ死に物狂いで戦っていたのかがわかる。痛みなど感じる暇もなかったのだろう。それなりに深い傷もいくつかあり、直視しないように注意して続けてゆく。
「アロエとかよもぎみたいな、傷薬に使えそうなものがあればいいんだけどね」
(いやアロエは火傷だっけ…?)
しかし辺りには知らない植物ばかりだ。どちらにしても食べるものさえままならない状況で贅沢は言えない。
「よっし、、こんなもんか」
残念ながら水筒がわりになるものは見つかっていない。ダメ押しの水を口に含み、立ち上がる。時刻はそろそろ夕方と言ったところか。ぐるぐるとお腹も鳴っており、バッグがわりの網状の植物から桃林檎を取り出した。
「最後の一個かー」
あれ以来桃林檎は見ていない。それなりに貴重な果物だったのかもしれないと思い、いくつか種をポケットに入れている。落ち着いたら育てようーーそんな先のことを考えて、ぼんやりと空を見上げる。進んでも、進んでも、ひたすらの木。もしかして同じところをぐるぐる回っているのではないかと疑いたくなる程に代わり映えしない景色だった。そのくせ生き物の気配は止むことがなく、小鬼との遭遇を経て化け物の奇襲を警戒せざるを得なくなってからは急速に精神をすり減らしていた。客観的に見れば、既に走ることはやめており、どこかふらふらとした足取りになっている事にも気づかず、孤独を紛らわせるように独り言を呟き出している有様だ。
「子供の身体っていうのもあるだろうけど、多分精神的にも身体に引っ張られている気がするんだよなぁ」
一番の誤算はそこだった。元の身体の感覚で、その時以上の身体能力と精神力を振り回さねばならないチグハグさ。慣れない環境、様々な出来事。そしてここへ来ての無視できない空腹感。自覚している以上にしっかりとダメージが蓄積したようだ。端的に限界が近かった。
「なんでもいいからしょっぱいものが食べたい…。せめてどうにかして火でも起こせないかなー…」
あー、まずい。空に浮かぶ雲のいくつかが食べ物の形に見えて来た。お腹の音は一層大きくなり、今なら空腹感で地面でも割れそうな気さえしてくる。心なしかいい匂いもしてくる。
(あの雲はチキン、あの雲はハンバーガー、あの雲は…、、雲??)
空に浮かぶ雲とは異なり、薄く細い紫色のものが縦に伸びていた。その出どころを追っていくと、対岸の地面へと伸びていることがわかる。そう、それは雲ではない。紫煙だ。
「…え、キャンプ!?人、いや料理…!!」
もはや語彙の欠片もないが、その煙は今のカツキが求めるものを全て持つものへの道標に等しい。加えて言えば森の出口が近い可能性も高いのだから、飛びつくなと言う方が難しいだろう。ここ数日陰りを見せていた表情を明るくし、一直線にゴールを目指す。この世界で唯一の恩恵とも言える身体能力が惜しげもなく力を発揮したこともあり、程なくして道に面した場所へ出た、が今のカツキにはそんなことよりも重要なものがある。
(いた…!!)
男3人が馬車を止め、道端でキャンプを行っていた。この世界に来て初めての人間に、暖かな食事の気配。あまりの嬉しさに涙を浮かべながら駆け寄る。
「すみませーん!!」
ぶんぶんと右手を振りながら、大きな声で呼びかけつつ駆け寄る。すると男たちはゆっくりと立ち上がりこちらを向いてくれた。
「f@yikl!!?」
「ha%6&gae!」
しかしその表情は険しく、怒鳴るように何かを叫んでいる。期待した反応とは真逆の様子に、ここに来て少し冷静になる。
「言葉が通じない…!?」
慌てて足を止め、害のないポーズをとって見せる。
(そりゃ外国どころか違う世界なんだ。日本語なんて通じなくて然るべきなのに、全然気にしていなかった…!)
第一印象がその後の人間関係に影響するなんて言う話はよくある話だ。これはやってしまったかなと後悔しながら思わずため息をついてしまう。さてどういうポーズを取るのが正解だろうか、言語が違うなら文化も違うだろう。まるで鬼のような形相で罵声をあげながら駆け寄ってくるその姿は、各々が手に持つ武器の無機質さと相まって“よりリアルな”恐怖心を掻き立てる。そんな相手に対して頭を下げる行為が“首を落としてくれ”なんてポーズだったら洒落にならない。そうしたくだらないことを考え始めたその矢先、突如後頭部に激しい衝撃が走った。
「が…っ!!?」
一瞬ホワイトアウトした視界のあと、激しく揺れた脳の影響か視界がぐるぐると回り平衡感覚を失ってしまった。霞む視界で前方を見れば、3人いたはずの男が2人になっている。原理は全く分からないが、どうやら残りの1人が一瞬で背後に回ってきたらしい。
「…sd@l$??」
「g()$#GKHJSIU&’!!」
「…miop$%O」
男たちが何やら忙しなく会話する音が聞こえる。こんな人気のない森の近辺で、子供が1人駆け寄ってくる、そんな状況になれば警戒して然るべきだ。自分の行動の浅はかさに苦笑をこぼして、どさりと倒れ込む。カツキの思考はそんな反省を最後に、プツリと途切れて闇に沈んだーー。
・・・
「…っ!!」
後頭部に鈍痛が走り意識が戻る。反射的に手を首にやろうとして身体が動かない事に気づいた。
「…なっ」
暗くてあまりはっきりとは見れないが、どうやらロープで手足を縛られているようだ。恐らく声をかけようと思っていた男たちの馬車に積み込まれたのだろう。馬車には一つだけ小窓が取り付けられており、最低限の月光が差し込んでいた。夜の闇に目を慣らすように、馬車の奥に目を凝らすと、同じく縛られた状態で女の子が1人囚われている事に気づいた。サラサラと月光に輝く紫銀の髪に、深く燃える様な紅玉の瞳。年齢は同じ位だろうか。馬車の隅で膝を抱えて震えていた。
(あぁ、なるほど、、盗賊の類だったのか…)
彼女が同じように囚われているところから推察するに、人売りか何かに手を染めている奴らだったのだろう。むしろ食べ物など恵まれる羽目にならなくてよかったでは無いかと思い直す。だが開き直ったところで状況は芳しくない。手が動いたのならば後頭部を掻きたくなるシチュエーションに一つため息をついた。
「あー…ごめんね、突然起き上がってびっくりしたでしょ」
「…!?…??」
(あ、やべ。言葉通じないんだっけ)
ジェスチャーで意思を伝えようにも縛られていて身動きが取れない。誤魔化すように笑ってみせるしかなかった。突然動いたりせず、ゆっくりと這うようにして最大限距離をとり目を瞑る。何かをする意思はないと伝えるために。結果として馬車の詰み口に自分が、奥に彼女が位置する形となった。
(…あーあ、どうしたもんかなぁ)
恐らく殺されていないのは、この子と同じような年齢の自分には売る価値があるからだろう。どちらにしても奴隷のような扱いを受けることはほぼ確定と見て良さそうだ。どんな扱いを受けるのか。きっと今までの甘い人生からは想像もつかないような劣悪な環境で、手足がなくなろうと危険なことをさせられるのだろう。
「…っ」
痛みなら、知っている範囲でしか想像できない。見たこともないものなら、事前に危険など想像しなくてもすむ。だが、これはダメだ。元の世界でさえ過去凄惨な人間の行動を記録したものには事欠かなかったのだ。なまじ“知ってしまっている”分確かな恐怖となって精神を蝕む。夜であることもあるだろう。ようやく見つけた人間でさえ言葉が通じないという孤独を突きつけられたこともあるだろう。突如森で目覚める異常。そこから始まり、サバイバル、夜の森、化け物との戦闘。そして極め付けに人間の悪意に触れた。元々疲労が限界であったこともあり思考はどんどんと悪い方へ転がって行く。“強がり”にも限度はあるのだ。歯を食いしばってなんとか堪えていたものの、震える唇は徐々にその範囲を広げてゆく。どうにもならないと悟り、膝を顔に寄せ丸くなるようにしてようやく、声を殺して静かに泣いた。あぁ、恐怖で涙したのなんて何年ぶりだろうか。大概のことは諦めなければなんとかなると信じていた。でもこれはどうしようもない。知識もない、言葉も通じなければ弁解もできない。抗うだけの力も持たず、金もない。認めた。あぁ、認めたとも。
ここは元いた場所のような“小賢しさ”優位の世界ではない。
ーー純粋な“力”が手段となる、そんな世界なのだ。
とにかく、ここで大人しくしていても死んだほうがマシな場所に連れて行かれるだけなんだ。相手もどうやら、気遣う必要のある相手ではないらしい。ならばどうにかして隙を伺って逃げ出してしまおう。
(とはいえ、まずはこのロープを切れない事にはなぁ、、、)
そこでふと、小鬼から奪った小さいナイフを思い出す。身体の右側を壁に押し付け、ポケットにまだナイフが残っていることを確認する。
(よし、ナイフは奪われていない…!)
ならあとは腕のロープを切るだけーー…。しかし具体的な手段は浮かばない。彼女にナイフを渡すか?いや、彼女も手が使えない。何か擦り付けてロープに傷を入れられるものも見当たらない。
(くそっ、せめてこの腕のロープさえ切れればーー…!)
最後の一手が足りない。そんなもどかしい状況に、解決のためのか細い糸が、するりと目の前に垂らされる。
【じゃあ、あたしがなんとかしてあげる】
(ーー!?)
【全く、やっと見つけたと思ったら何やってるのかしら】
(なんだこれ、頭に直接声が!?)
【落ち着きなさい。今行くわ】
そんな声が聞こえると同時、小窓から何かが入ってくる。燃えるような深紅の髪に、輝く黄玉の瞳。手のひらサイズの小さな体躯に、何故か皺の目立つの2対4枚の翅。
「あの時の妖精…!!」
「dmfi&:k;l」
(あれ、さっきは言葉が通じてたと思ったけど…)
妖精はふわりとカツキの顔前に落ち着くと、少し訝しげな顔をした後に納得したような所作をみせる。
【なるほど、あなた言葉がわからないのね】
(あぁ。でも今はわかるけど)
【これは思念を直接伝えるものだからよ。…ちょっと待ちなさい】
そういうと妖精はカツキの額に手を置いて、ぶつぶつと何かを唱え始めた。カツキからは直接見ることはできないが、小指の先程度の小さな魔法陣が光り、カツキの額に刻まれた。やがて光が収束すると何も見えない状態になる。
「一体何を…」
「ふふん、あんたに言葉を自動で変換する器官を埋め込んであげたわ」
「ぅぇ…?はぁ!!?それ大丈夫なのか!」
勝手に脳を弄りましたと言わんばかりの物言いに寒気がするものの、特に説明する気はないらしい。
「それと、ほいっ」
彼女の周囲が輝きだした刹那、その両手に風が収束し、刃となってロープを切り裂いた。
スパッと軽快な音を響かせて手足を縛っていたロープが床へ落ちる。続いて馬車の外でもとさっと何かが落ちる音がした。同時にこの空間を塞いでいた扉が軽く開く。どうやら鍵に当たるものを切り裂いたらしい。
「はい、これで、逃げられるでしょ…」
「あ、うん、ありがとう…」
ゆるゆると彼女は降下して行き、床にふわりと着地する。あれよあれよという間に事態が進展してしまい、頭が追いついていなかった。しかし、彼女の様子が少しおかしいことはわかる。
「なぁ、大丈夫か…?」
「…私、翅なしみたいなものなのよ。苦手なの、魔法」
「よくわかんないけど、無茶してくれたんだな。ありがとう、えっと…」
次々と出てくる聴き慣れない単語に疑問は尽きないし、魔法にも驚いてはいるが今はそれどころではない。
それでも、この世界で起きた様々な恐怖その中で得られた優しい出来事に、思わず微笑みを浮かべてしまう。
「ディ=ディ」
「ん?」
「あたしの名前」
それは向こうではまず聞かない名前だ。同じ音を繰り返すその名前は、妙に舌触りが良く好ましく感じる。
「そっか。僕はカツキ。んじゃディディ、君は僕がちゃんと連れて行くからゆっくり休んで。あとは…」
目線はもう1人の人物へ。
「ちょっと、時間ないわよ?それにディディじゃなくて…!!」」
「手短に済ませるから」
何か言い出しそうなディディの言葉を遮って優先すべきことに集中する。自分には力が足りない。何かを守るだけの余裕などない。それはもう、あっさりとここに捕まってしまったことからも、ディディの力を借りなくてはならなかったことからも分かっている。確かに、もしこの馬車の中に何人もの子供が捕まっている状況であれば考えたかも知れない。ただ、今目の前にいるのはたった1人で、僕の手には彼女の枷を取り払う手段がある。ならば助けるという選択肢を捨てるわけにはいかない。立ち上がり、ゆっくりと馬車の奥へと向かう。彼女は少し怯える素振りを見せたものの、最初の時ほどではないようだった。言葉が通じるようになったからかも知れない。
「もう言葉は通じるのかな」
「…はい」
風によって掻き消えそうなほどか細い声が、初めて彼女の口から発せられる。怖がらせないように膝をつき、目線を合わせて微笑んで見せた。
「今から君を縛っているロープを切る。少し動かないでもらっていいかな」
「えっと…」
時間もないと言われていることだ。返事を待たずにナイフを取り出し、彼女の身体を傷つけないように最新の注意を払いながらロープを切ってゆく。腕を解放し、脚へ。
「あの…ナイフ、刃先を自身に向けて力を込めるのはすごく危ないと思うのですが…」
「ん?あぁ、ごめん。ナイフなんてまともに使ったことがなくて。君に刺さるくらいなら自分が危ない方がマシだと思ったんだよ」
「…私が」
「…了解」
なんとぎこちない会話だろうか。話すのが苦手なのか、気が小さいだけなのか。言葉足らずな彼女の訴えを汲み取って、ナイフを彼女に渡す。手渡し方などわからないので、刃を摘んで柄を向けた状態で床に置いた形だけれど。彼女は手慣れた手つきでロープを切り終えると、ナイフを返して立ち上がった。一瞬の逡巡の後、おずおずとした態度で彼女は質問を投げかけてきた。
「あの、ナイフで私があなたを襲う可能性は考えなかったのですか?」
「なるほど…。次からはそういうことにも気をつけるよ。ありがとう」
「…っ」
彼女の表情は唖然というべきか、よくわからない生き物を見たような反応を浮き彫りにしていた。ただ、言われるまでそんなことを考えてすら居なかったのだから仕方がない。それがこの世界の常識なのだと、今後に備えて心に刻む。
「とりあえず時間がないみたいだから、まだ外が暗いうちにさっさと逃げよう。ディディ、少し揺れると思うけど我慢してね」
「あい…」
完全にグロッキーな様子のディディを胸ポケットに入れて、少しだけに馬車の扉を開く。確認できる範囲に人がいないことを確認した。
「どうやら目の前に森があるみたいだから、一旦そっちへ駆けこもうと思う」
「あの、私も…っ」
「早く行こう」
振り返り、手を差し伸べる。
「…はいっ」
置いていかれるとでも思ったのだろう。驚いたような反応を見せる彼女。だがそもそも置いて行くつもりならいち早く飛び出している。
「あの、カツキさん」
「何か気になることでもありますか」
彼女が敬語で話しかけてくるので、つい釣られて敬語が混ざってしまう。それが面白かったようで、ウィズはくすりと笑って続けた。
「ウィズです。ウィズ・トゥーレ。私だけ聞いてしまっているのは少し居心地が悪いので」
唐突な自己紹介だった。僕の名前は先程のディディとの会話で聞いていたのだろう。特に突っ込むことも繰り返し自己紹介することもせず返事をする。
最終確認も終わり、一つ深呼吸をして覚悟を決めた。かなり怖いが、やるしかない。これは自由を勝ち取るための戦いだ。
「了解。それじゃ行こうか、ウィズ」
「はい。それと、いざとなったら…」
「それはしたくないから、走ってね」
気弱で、生真面目な性格。そんなところだろうか。予想できた言葉は冗談めかして話を打ち切り、改めて外へ飛び出す。一気に目の前の藪へ入り込み、ウィズの手を引きながら全速力で駆け出した。
弱り、疲れ果てた行動の末に待っていたのは後悔だった。それでもその後悔の末に得られた奇妙な再会と出会いを経て、事態は急転する。あれだけ出たいと願った森に、今度は自ら入って行くという形で。
こうして夜闇の逃避行が始まったのであったーー。




