011 願いの連鎖
中央大陸の西側には“巨人の腕”と呼ばれる巨大な山脈が連なっている。まだ人類が中央大陸より西に進出していなかった時代。人間のみならず、あらゆる生物にとってこの山脈はあまりにも険しく、天然の要塞としての機能を果たしていた。人類が西へ行くことを許さず、また逆に西から動物や魔物が侵攻してくることも防いでいたのだ。当然、はるか昔の時代から、幾度となく新天地を求めてその山脈へと人員を送り込む国は存在した。しかし何度繰り返したところでロクな進展もないまま物資を浪費するだけの結果…ならまだマシで、決して少なくない割合で調査隊が消息を断つというまさに魔境と呼ぶべき山脈だった。そのあまりの得体の知れなさから、当時は中央大陸に暮らす国民にとってこの巨人の山脈こそ世界の端であり、ここを越えれば世界の外側ーー…奈落へと通じているのだというのが通説となっていた。悪い子は山脈の向こう側に捨てられて、真っ暗な穴に堕ち続けることになるぞ、とは中央大陸で子どもを教育する際の脅し文句として、一種の伝統のようになって今も残っている程に。
しかしその通説は、時代の変化とともに形骸化してゆくこととなる。技術の発達と、魔法の発達。そしてとある命知らずが揃ったことで、巨人の腕の往復が実現したのだ。その偉業を成し遂げた5人組は自らを“冒険者”と名乗り、その名声を轟かせることとなるが、それはまた別の話ーー。
最果ての森と呼ばれる極西の森から東へ数十キロほどの場所にある街ーーイースト・エンド。これはかの冒険者たちが、“巨人の腕“の西側にあるこのベスティア大陸の探索にあたり、拠点としたキャンプを元にして発展をした街だという。当時西の開発を進めるにあたり、この近辺にも当然広大な自然が広がっていたとのことで当時は“西の果て”などと名付けられたが、今ではここから先にも人間が暮らす集落は点在している。それを誰もが理解しているにも関わらずこの名が今でも使われ続けているのは、それだけ冒険者の成し遂げた功績を讃える人が多いことの表れであるのかも知れない。
イースト・エンドがそうした成り立ちだからか、はたまたそもそも危険な山脈であるーー昔と比較すれば整備が整いある程度安全は確保されたとはいえーー“巨人の腕“をわざわざ越えようと思う者たちが脅威に敏感であるがゆえなのか。この街は人同士の助け合いが重んじられているという話は有名な話であった。
この街を訪れた1人の剣士ーーパウル・タリオ二スは酒場でブルダン酒と呼ばれるイースト・エンドの地酒を飲みながら、酒場の喧騒に耳を傾けていた。彼は確かに剣士であったが、その格好は至ってシンプルで、せいぜいが胸当てをしている程度のまるで防御のための装備など邪魔だと言わんばかりの軽装であった。彼の左脇に立てかけられた、異様に大きな大剣がなければ、誰も彼が剣士だとは思わなかったであろう。ただし、座っていても分かるほどに身体は大きく、背中越しにも分かる強者の風格は一朝一夕に出せるものではない。それ故に誰もがこの街で見慣れぬその男を気にしながらも、不用意に声をかける者はいなかった。しかしここは酒場である。怖いもの知らずはやはりいるものだ。そう、1人の男が、顔を真っ赤に染めながら上機嫌でパウルに近づいていったのだ。その足取りはふらふらとしており大分楽しんでいることを伺わせる。
「あんた強いなぁ!」
右手にブルダン酒の樽ジョッキをもち、バンバンと音が立つほどの力強さでパウルの肩を叩く男。
「そうか?これはいいものだな」
様子を伺っていた周囲の客は、その男のあまりの蛮勇っぷりにパウルが暴れ出すのではないかと戦々恐々とするも、続くのは惨事などではなく驚くほど穏やかな会話であった。彼にとって、一連の出来事など些事に過ぎないことがよくわかる。パウルは視線を樽ジョッキから外すことすらせず、肘をついたその手でクルクルとブルダン酒を遊ばせながら、うっすらと口元を釣り上げて続ける。恐らく機嫌良く笑っているのだろうが、きっとその差異を理解できる人間は彼と長く付き合った者だけに違いない。
「特に、ブルダンの果実味をしっかりと感じられるから飲みやすく、それでいて丁度いい酒精が感じられるのがいい」
パウルは雑に叩かれたことを気にした風もなく、素直に男へ返答を返す。短髪の茶色い髪は刈り上げられており、その浅黒く堀の深い顔を隠すものは唯一、剃られていない無精髭を残すのみであった。しかし彼はそのほとんどが開けっ広げにされた顔のほんの一部分にも酔った形跡を見せることなく、涼しい顔をしてぐびりとブルダン酒を煽って見せた。その様子を見た男はパチクリと目を瞬かせた後、大笑いしながらカウンターを叩き始めた。
「お客さん、困るよ。そんなに激しく叩かれたんじゃカウンターに穴が空いちまう」
明らかに酔っている男の粗暴な振る舞いに、カウンター越しに店主が苦い顔をする。きっとこの手の客にはあまりいい思い出がないのだろう。
「ひーっ、ひッ!悪りぃ悪りぃ!だってこの兄ちゃんがブルダン酒の酒精を丁度いいとか抜かしやがるからよぉ!」
男は更に上機嫌になり、詫びだと言ってチップを握らせ、追加の酒を頼んだ。店主はひとまず納得したようで、ちょっと待ってなと新しいジョッキを用意し始めた。
「なぁ、アンタ見たところ剣士だろう?そんな大層な剣を抱えちまって。一体何しにここへ来たんだい?」
男は酒臭い息と一緒に、この場の誰もが気になっていたであろう質問をパウルへと投げかけた。
「ここに何か用があって来たわけじゃあねぇさ。俺はただ、できるだけ人のいなさそうな所を目指して旅をしているだけなんだよ」
釣り上げた口角をそのままに、パウルは男にそう答えた。その後何かをボソリと呟いたことに男は気づかない。男はパウルのそんな物言いに、答えられているような独り言を呟いているようななんとも言えない感覚を覚えたが、それ以上深入りをすることをやめた。この頃になると、周囲のパウルに対する好奇心もある程度満たされており、店内はいつもの風景を取り戻しつつあった。それはこの男も例外ではなく、彼はここを引き際と判断したらしい。
「そうかいそうかい!旅人なら歓迎しねぇとな!俺はアンタを気に入った。お近づきの印に一杯付き合ってくれや」
「あぁ」
男はカウンターの方へ首を回し、店主に向けて「俺の分を頼んでる中悪りぃが、この兄ちゃんにも一杯追加してもらっていいか?」と続ける。
「その兄ちゃんに酒を出す分にはなんの問題もねぇよ。ちょっと待ってな」
「よし、じゃあーー…いや、呼びづれぇな。すまんがせめて、酒が来る前にアンタの名前をーー…」
男はパウルの方に向き直りながら、その剣士の名前を尋ねようとする。しかし男は続く言葉を失って、おいおいまじかよ、と惚けた顔で後頭部を掻いた。
「なぁ、店主」
「あん?なんだよ」
「あの兄ちゃんが、勘定に化けちまったよ…」
「はぁーー…?」
いよいよこの客の酔いも限界かと呆れながら、店主は「ほらよ」とブルダン酒を2杯カウンターに出した。そこで初めて、男の言葉の意味を理解する。
「おいおい、何者だあの兄ちゃん…」
男がカウンターの店主に注文し、店主の意識が樽ジョッキに向いたそのほんの数秒にしか満たない一瞬の間に、パウルは物音も立てずに姿を消していた。190センチは超えているであろう巨体に匹敵する大剣ごと、綺麗さっぱり。
パウルの代わりであるかのように、さきほどまでパウルがいたカウンター上には、銀貨が1枚置かれていたのであったーー。
・・・
イースト・エンドから更に西へ、パウルは全速力で駆けていた。その速度は人間の出せる限界に迫っており、一般の人間からすれば何か大きなものが通り過ぎていった位の感覚しか得られないレベルに達していた。彼は決して魔法が得意ではなかったものの、戦士として有用な自己強化系の魔法はいくつか使用することができる。これはその中でも身体の性能を引き上げることに特化した「身体強化」と「柔軟変性」という最もポピュラーな組み合わせによる魔法の効果によりもたらされた、人体の限界を超えた速力であった。「身体強化」は文字通り、肉体の頑丈さや筋肉から出力されるエネルギーの爆発力を増す魔法だ。だが、これは肉体に多大な負荷をかけてしまう魔法としても有名なもので、一定の出力を超えると魔法を解除した後に抜け切らなかったダメージに耐えられず身体機能に障害をもたらしたり、最悪の場合、体組織が断裂する。つまり戦士生命を終えるリスクがつきまとうのだ。これは結局、得た力の出力口が人体に依存していることが原因であることはかなり昔から考えられていたことである。そこで開発されたのが「柔軟変性」の魔法だ。これは体組織を変質させ、その柔軟性を向上させることを目的とした身体強化ーー…というよりはどちらかというと変性魔法に近いものである。「柔軟変性」は術者の皮膚や筋肉に、実際の対組織の持つ伸縮機能の何倍もの柔軟性をもたらし、また関節や骨といったものによって本来動きに制約のある人体の可動域を大幅に広げることができる。つまり、これら二つの魔法を組み合わせることで、身体へかかる過剰な負荷を軽減することができるだけではなく、しなりのある身体によってより動物的な動きが可能になるのである。
(さっき感じた大規模な魔力の気配はこっちの方角からしたんだが…)
そう、心の中でつぶやくパウルの顔は険しい。元々堀の深い偉丈夫の顔が、シワによって更に深いものへと変わっていた。パウルが酒場を飛び出したのは、この魔力の余波を感じ取ったことが理由だった。彼は魔法が得意ではない。それは同時に、微弱な魔力など感じる能力を持ち合わせていないに等しい。しかし、そんな彼でも先程の魔力余波ははっきりと感じられたのだ。そんなレベルの魔力が出せる存在など、そうそう居ない。それでも正確な位置が分かるわけではなかったが、方角にして西の方であることはほぼ間違いないとパウルは踏んでいた。最果ての森と呼ばれる魔境、西の森の方角から感じた術式の気配は、歴戦の猛者であるパウルからしても早々お目にかかれるものではないレベルのものだったのだ。そう簡単に人の寄り付かないあの環境で、これだけの魔法を行使する存在ーー。それは彼の目的である存在である可能性が大いにあった。
(それに、魔法が苦手な俺でも魔力が感じられる規模の術式、そしてこの肌をささくれ立たせる独特な空気感)
パウルは酒場で見せていた穏やかな表情が全くの嘘であったかのように獰猛な笑みを浮かべていた。行使する身体能力と元々の身体の大きさも相まって、今のパウルは血に飢えた獣のような荒々しさを感じさせる。
(今度こそ、ぶっ殺してやるーー…!!!)
パウルは昂ぶる気持ちによってか、気持ちその速度を更にあげ、惜しげもなくその殺気を振りまきながら弾丸の如く平原を駆け続けて行った。近づくものを窒息させるほどの密度を感じさせるその雰囲気は、この辺りに生息するあらゆる動物や魔物を拒絶した。そうした存在は軒並み本能に従って彼の周囲から離れて行ったのである。しかしそんなヒエラルキーの崩壊にあっても、なお“怪物”に近づく存在が唯一あった。
(…ーーあん?)
ドドドドッ、と盛大に地面を揺らし、パウルの対面から一直線に駆け抜けてくる存在がその土埃とシルエットを露わにする。
…ーー突撃蜥蜴であった。
(突撃蜥蜴だと?チッ、薙ぎ払うかーー…)
彼は相対する数十匹の突撃蜥蜴に臆することなく、迂回など初めから選択肢にないような自然さで、その背中に背負った大剣の柄に手をかけた。
(このペースなら、接敵まで大体20秒ってところか)
車並みの速度で迫る突撃蜥蜴と、人体の出せる限界の速度で駆ける肉の弾丸。当然、両者の間に横たわる数十キロにも及んでいたはずの空間は、冗談のようなペースで詰まっていった。
(なら、あと数秒で踏み込み、進路にいる数匹だけ薙ぎ払っちまえばーー…!!)
荒ぶりながらも冷静に、効率的に敵を屠る。その肉体と精神の極地に至ることこそパウルの真骨頂であった。しかし、そんなパウルの皮算用は、とある小さなイレギュラーによって変更を余儀なくされた。
(…あれはーー、おいおい、なんで子どもがこんなところにぶっ倒れてんだよーー…ッッ!!)
異常だ。この環境に子どもが1人で居ることも異常だし、それが“都合よく”倒れているなど本来はあり得ない。あり得ていい場所ではないのだ。何かが化けた存在なのか、そうだとしてあれほどの血を流してまで獲物を釣ろうとする必要があるのかーー…。思考の猶予はなく、接敵の時は目前だった。彼が踏み込みをかけることを計画した丁度その場所に、子どもが1人倒れている。ーーいや、正確には何事か口を動かしてうわ言を呟きながら、ズルズルと道を渡ろうとしているのだ。その手には何故かロープを握り、そのロープの片側は彼の後ろにある木にくくりつけられている。状況はよくわからない。あれがちゃんと人間の子どもである可能性などほぼ無いに等しい。
だがーー…、彼には事を成す力があった。
「めんどくせぇ。あれが敵なら、襲ってきた瞬間に、切ればいいーー…ッッ!!」
彼は思考を放棄した。這いずる子どもが本物かどうかという思考の一切を頭から追い出し、後回しにしたのだ。子どもはとりあえず救う。結果襲われても構わない。そう結論づけた。彼は急ブレーキを踏み、着地と同時に「柔軟変性」を切る。繰り返すが彼は魔法が苦手だ。たとえシンプルな身体強化系の魔法であっても、同時に発動するのは2つが限界ーー…。そう、それは別の魔法を発動する準備だった。彼は這いずる子どもを股下に庇うように立ち、そして、ありとあらゆる生き物を恐怖させるように、全力の魔力と殺気を込めて「威圧」を放った。パウルの存在感は、他の生き物にとって何十倍にも膨れ上がり、あたかも巨大な岩のように錯覚させた。それは突撃蜥蜴にとっても晴天の霹靂の如く波及する。それもそのはず。彼らにとっては突然目の前に“壁”が現れたに等しい。もはや目前に迫っていた距離で突然避けるべきものが現れたように錯覚したのだから、彼らは本能というより反射といえる瞬発力でもって、その進路を90度回転させた。さしもの突撃蜥蜴も、しかし、この急旋回には耐えきれなかったようで、一部が転び、何匹かはその横転に巻き込まれて絶命した。結局、旋回に成功し、遠ざかって行ったのは群れの7割程度のようだ。つまり道は残りの3割ほどの突撃蜥蜴の死体によって、事実上塞がれてしまった形となった。
「やれやれ…、もうあいつの気配もわかんねぇし…、この子どもを放っておくわけにもいかねぇか…」
彼は先ほどまで燃やしていた獰猛さを「威圧」によって吐き出し切ってしまったかのように、ケロりとした顔で子どもを助ける道を選んだ。
しゃがみ込み、子どもの様子を伺う。…ひどい怪我だ。恐らく“螺子燕”にでも襲われたのだろう。あの平原の殺戮者に襲われてこれだけの怪我で済んでいるのなら、幸運だ。もしかすれば、素晴らしい才能の持ち主だったのかもしれない。ーー喰われたのが足でなければ成長が楽しみだったろうに。
「坊主、俺の声が聞こえるか?」
パウルは今なお這いずる子どもーーカツキに声をかける。しかしカツキからの反応はなく、いまだに何事かうわ言を呟き続けているだけだった。
(失血しすぎたか…。もう目も見えてないどころか、身体の機能が限界に近いな…)
恐らくまだ10歳前後の子どもが、よくもまぁこんな過酷な環境で生きていたものだと感心する。しかし…カツキの必死さの理由はなんだろうか。
「おい坊主、俺の声が聞こえるか?」
パウルはカツキが何かを求める仕草や、繰り返す言葉に耳を傾けてやることにした。今にも死にそうな子どもの願いだ。叶えられるものなら叶えてやりたいという程度の人情は働くものだ。
「ディディ…たす、け…」
「…」
カツキの持っていたロープを視線で辿れば、いやでも作りかけの罠のように木にくくりつけられたロープを見ることができる。加えて先程の突撃蜥蜴の群れとくれば、おおよその察しはつけることができた。
(あいつらの進行方向を予測して、張ったロープに引っ掛けることで群れの足を止めようとしたのか…)
そのアイデアはあまりにも拙い。くくりつけている木は数十体にも及ぶ突撃蜥蜴の突進を受け止めるには心許なく、そもそもロープなど瞬く間に切れてしまう可能性の方が高い。
(だがー…)
物資、技能、体力その他。限られた選択肢の中からこのアイデアを掴み取り、螺子燕などというこの近辺で最悪レベルのイレギュラーに見舞われなければ間に合っていたであろう感覚の鋭さ。これが偶然でないのであれば、この環境下で生き残って来れたことにも納得が行く。
…ーー惜しい、とパウルは素直に思った。
この子どもは易々と殺していい類の人間ではない。パウルの勘のようなものが、この場に広がるこの子どもの足掻いた証によって裏付けられた。カツキはここで、最大の幸運を引き当てたのだ。
「おい、坊主。助けたいか、救いたいか」
やや強引にカツキの顔を自分に向け、少し威圧するようにカツキに問いかける。すると壊れた人形のように虚だった瞳にみるみる生気が戻っていき、カツキはパウルに訴えかけた。
「助けて…ッ!!だずけてぐださい…ッ!!」
カツキは目一杯に涙を蓄えながら、それでも泣かないぞと強がるようにして顔がひくひくと痙攣するのを必死に堪えているようだった。あまりに必死に叫ぶものだから、口からは盛大に血が飛び散っている有り様だ。
「僕はいいでずがら…ッ、ディディとウィズを…ッ!!」
もう命もからがらの状態で、せめて気持ちを伝えるようにパウルの腕を強く握り込む。しかしそれも瞬間的なもので、ついにふっと力が抜けていくのがパウルにも分かった。
「妖精と、銀髪の……っ」
そこまで言い終えてカツキは力尽きた。崩れ落ちるカツキの身体を、パウルはその樹木のように太い片腕で、ふわりと優しく受け止める。この子どもはまだ死んではいない。辛うじて、本当にため息程度の風一拭きで掻き消えそうなほどに弱々しいが、それでも確かに生きている。
「まずはお前の治療だよ、馬鹿が」
パウルは腰にくくりつけていた小さな革袋から緑色の薬瓶を2本取り出すと、1本をカツキの口に流し込み、指を突っ込んで喉を開いて胃まで誘導し、もう一本を乱雑に傷口ーー螺子燕に抉られた箇所に振りかけた。そして自らが着ていたシャツをビリビリと破り、それを包帯のようにして、手早く傷口を覆っていった。
(一刻も早くイースト・エンドに運んでやらないとまずいな…)
改めて見るとこの子どもの状態が瀕死に近いことがよくわかる。抉られた肉は無理やり身体を引きずったことで汚れがひどく付着しており、また悪化しているようだった。加えて失血と魔力欠乏の兆候が色濃く現れており、肌は見ていられないほどに青白く変色していた。
(応急処置じゃどうにもなんねぇな。急ぐか)
パウルはまるで綿毛でも拾い上げるかのような軽快さでカツキを抱きかかえると、先ほどまで酒を嗜んでいたかの街ーーイースト・エンドへ向けて全速力で駆け出した。
しかしそこに街を出たときのような荒々しさはなく、弱りきったカツキの身体を気遣うような、流麗で淀みのない水流のような走り方をしていた。この先の生涯の中で、カツキがこの時享受したパウルの優しさを知ることは、ついぞ無かったというーー…。




