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誰がために僕は希う。  作者: 蓮見いち
第1幕
11/16

010 それぞれの想い

初投稿から約3週間。500PVを超えていました!

本当にありがとうございます。


ブクマ、評価も大変励みになります。

今後ともよろしくおねがいします。


地獄の始まりは、きっとまだ私がずっと子どもだった頃の話だ。


・・・


愛してしまったその人のことを、誰よりも知りたいのだと彼は言ったーー。


彼はとても裕福な貴族の一員だった。彼の一族は、この世界で最も栄えている中央国家デイヴィッシェラその中においても、尚輝かしい伯爵の位を賜っていた。彼が生まれてから数えで18になる頃には、既に2人の妻を娶り、それぞれの妻との間に子供も授かっていたはずだ。それもそのはず、彼にはまず、その血筋を絶やさぬことこそが望まれていたのだから。病気、戦争、事故、暗殺、失態による斬首刑ーー…。最後の一つは一族郎党滅ぼされてもおかしくないが、なんにせよこの世界では人の命など簡単に消えてしまう。だからこそ子を成すことは血筋を重んじる家系、ましてやその長男においては、至上命題とも言うべき事柄なのである。


まだまだ血気盛んな年頃ではあったものの、幼少より受けてきた「貴族たれ」の教育の成果は十二分に彼を磨き上げ、彼は若くして信頼の厚い次期党首としての立場を確固たるものにしつつあった。だが、彼とてまだ完成された大人ではなかったのである。頭では理解していたとしても、16、7で“益のある”結婚をして、あれよあれよと言うまに子を成した。彼は自らの口から溢れる愛の言葉の舌触りの悪さに、徐々に精神を病んでいくこととなった。彼は愛を知る前に自らに愛が存在しないことを理解してしまったのである。真面目さゆえの欠陥であった。自己矛盾に苦しむ彼は、理想としてきた輝かしい自分と、今こうして目の前の妻達に、張り付けた笑顔で聞き齧りの愛を囁く自分との乖離を大きくしていき、どこか冷めた目で自分を見るようになっていった。それは彼の防衛本能の表れだったのだと思う。


そんな彼に充てがわれたのが、ポラリーという1人の女であった。彼女は所謂医者のようなものであったが、主に依頼主の話し相手となることで、その悩みを和らげるというなんとも胡散臭い詐欺師のような女でもあった。もちろん、そんな誰にでもできるような一連の流れを“仕事”という人間はいなかった。だが貴族とは得てして見栄を張るものである。“珍しさ”が彼女の価値となり、彼女が茶会へ訪れる回数を競う貴族がいた時期もあったほどに。要は彼女は貴族の娯楽に利用され、しかし彼女自身もそも流れに逆らうことなく自らの食い扶持としていたと、そう言うわけである。


ただし、そんな中において彼は、あろうことかそのポラリーという女に惚れたのだった。彼女の持つ慈愛に満ちた姿勢は彼の精神を解きほぐし、彼は彼自身ですら気づいていなかった彼の素顔を取り戻していったのである。そこで感じた暖かさに彼は安らぎを感じ、その温もりを与えてくれる彼女に想いを募らせていった。ポラリーと彼が、逢瀬を何度重ねた頃だろうか。いつも通りの何気ない会話を楽しみ、彼が日々の疲れの癒えを感じ始めた頃。嗜むお茶が口を湿らせ、ほぅと息をつくその呼吸に乗せて、彼は「愛している」と零したのであった。それは彼自身、全くとっていいほど自覚なくでた言葉であり、そしてだからこそ彼の心の底からの感情を表す唯一の言葉とも言えた。そしてポラリーも少し驚いたのちに「どうかおそばに」と答えたのだそうだ。


ーーとにかく、これが彼らの馴れ初めであり、彼が初めて他者を愛することを憶えた瞬間であったらしい。


それから2、3年ほど経った頃だろうか。彼のポラリーへの愛は衰えるどころか、日増しに強くなっていく一方であった。側から見ても明らかなほど仲睦まじく過ごしていたようだ。彼はポラリーとの出会いで立ち直ったことで心に保つべき芯が強く育ったのか、元々娶っていた妻や子ども達にも強く当たることはなく、むしろ糸目なく旦那としての勤めを果たす良き主人として評価されているようだった。

ーーそんな頃だ。彼が(ウィズ)の元へ訪れたのは。「彼女のことを全て知りたい。愛しているからだ」と彼は言った。彼の愛は本物であった。その表情を見れば、きっと誰もがその真剣さを感じ取り、うなずく他なかったであろう程に。


この男は、かつてのとあるパーティの席でお爺さまが漏らしてしまった私の能力の話から、私の正しい能力を推察しーー当時は身内ですら正しくは理解できていなかったのにーー信じた唯一の人間だったのだ。しかしよくよく考えてみれば、公的には詐欺師扱いだったポラリーを愛しているのだ。然もありなんと今にして思う。当時の私はまだ6か7の頃で、能力の影響もあり多少同年代より大人に合わせた会話ができた。そんなちょっとおませな私は、彼の話をとても素敵で美しいものだと感じたものだ。その日はもう夜の帳も降り始めた時刻であったため、後日改めて日取りを設定し、私は彼に協力することになったのだった。


約束の日。運命の日。私の人生の転換となったあの日のこと。その日はよく晴れた青空が広がっていた。雲ひとつなく、適度な風が吹き、邸宅の庭でお茶を嗜むのに最適なそんな日和だったと記憶している。彼は私をとても丁寧に出迎えてくれた。使用人総出で出迎えられ、私の身長の3倍はあるであろう大きな門が解放された時には、まるで御伽噺の世界にでも迷い込んだ気分になったものだ。門をくぐれば視界いっぱいに入れても収まり切らない広さで、綺麗に整えられた草花の咲き誇る立派な庭と美しい噴水のある庭が待っていた。そして建物を迂回するようにして敷地の奥に案内されれば、日除けの大きな傘を誂えた繊細な意匠の丸テーブルがセッティングされていた。脚をはじめとして全体的に細身なデザインは女心をくすぐる洗練された印象を見るものに与えるのだから驚いたものだ。そしてその卓には既に1人の女性が着席していた。その画を見て、同性ながらにほぅと思わずため息をついてしまったことは今でも憶えている。

「あら、あなたがウィズさんね」

私たちが近づく気配に気づくと、彼女は落ち着いた品のある所作でするりと立ち上がり、派手すぎないシンプルなーーけれど身体のラインを要所で強調するーードレスの裾を摘んで、これまた優雅な一礼をしてきた。

「お初にお目にかかります、奥様」

私も慣れないながらも一礼を返した。その後は彼に促され卓につき、美味しいお茶とお菓子を嗜みつつ今日の趣旨を共有する場となった。どうやらポラリーはその時まで何も聞かされていなかったようで、なぜ私が呼ばれたのかについても理解していなかったのだそうだ。

「私に贈り物をーー…?」

「あぁ、そうだよポラリー。僕はね、君への愛をもっと正確に伝えたいと思っていたんだ。けれど言葉でも行動でも伝え尽くせない。でも、僕の推測では彼女がその苦しみを解消してくれるんだ。そんな素晴らしい能力を持っているんだよ」

「あらあら、それは凄いことができる子なのね」

ポラリーは彼の曖昧な物言いに疑問でいっぱいだったろうに、噂に違わず穏やかで余裕のある態度を崩すこともなく、子どもである私をあやす様に世話を焼きながら彼の話に付き合っている泰然ぶりだった。そして彼もまた、ポラリー相手には魔法をかける話をぼかすように進めてうまく誘導しようとしている様子で、あぁ驚かせたいのねなんて子供の単純な思考で私も黙っていることにしたのだ。

「でも贈り物と彼女の能力に何の関係が?」

「僕はただ、私の言葉が本心であることを証明したいのさ」

そんなことは普段から十分に伝わっておりますとポラリーは言うが、結局彼はそれを断固として譲らなかった。

「そう言ってくれることはとても嬉しい。けれど他ならない私自身が、そう思っているのさ。ここはひとつ、花を持たせてはくれないか」

彼はその精悍な顔つきを崩し、眉尻を下げて嘆願する。その様子を見て「仕方ないですね…。彼はこうなると聞かないんですよ」と私に補足してくれるのだった。

「まぁ、とはいえだ。大切な君に、見たこともない魔法を使わせるなんて私にはできないからね。ウィズ殿、まずはどうか私に魔法を使ってみてはくれないか」

旦那様ーー…!と使用人がざわつき出すものの、彼が手を挙げて静止を促すだけで彼らはぴしりと体勢を整えていた。本当によく訓練されていることが伺える出来事だったので、これも強く印象に残っていることの一つだ。

「今日が何の日か分かるかね?」

彼は使用人に問いかけると、指名された使用人は「旦那様と奥様のご結婚から、丁度3年の日でございます」と微笑ましそうなに答えていた。

「そうだ。だが、私は満足していないのさ。私はもっと、彼女にしっかりと気持ちを伝えたいと思っている。だから今日は、どんな堅物もたちまち素直にするというウィズ殿を招き入れてまで今日という日を飾り立てたかったのさ」

旦那様…!と使用人は涙ぐみ、ポラリーも嬉しそうに穏やかな微笑みを浮かべる。

「さぁ、ウィズ殿。よろしく頼むよ」

「かしこまりました」

私は椅子を引きずって雑音を立てないよう慎重に席を立ち、彼の元へ近づいた。

「奥様、こちらへ…」

私は下準備として、彼とポラリーの立ち位置を調整する。私は彼に触れ、ポラリーに話しかけられる位置どりをした。そして彼に魔法をかけるために意識を集中し始めたーー…。まだ荒かった魔力制御は、バチリバチリと魔力の摩擦を生んでしまい、その音に使用人の何人かは恐怖と警戒を強めているのがなんとなくわかった。けれどそれらは幸いにも杞憂に終わり、魔法は完成した。彼の推測通りの効果で持って、その効果は実現する。私は彼を知り、彼となり、彼の気持ちで愛を囁いた。私はその時、確かに目の前の女性を愛していたのだ。それはまるで、触れていることに気づけないほど柔らかく温かい羽毛のような世界だった。彼はもはや、これ以上ないほどポラリーのことを想っていた。一歩間違えば狂信とも取れるほどに、深く、微細に。彼女の息のつき方、仕草、習慣。もうこれ以上は無理だと思えるほどのポラリーに関する全てを知り、それでもなおもっと彼女のことを知りたいと願っていた。そして同時に、だからこそ彼は私を呼んだのだと理解した。彼は、満たされていないのだ。自分の愛が、言葉などには到底詰め込み切れないことを自覚していたからだ。そして彼は恐れてもいた。繰り返す言葉が既に最上の意味を込めたものとなってしまっているのならば、やがてポラリーは自分に失望してしまうのではないか、とーー。

「そうだ、だから“私”は、やはり君を愛しているんだーー…」

スーッと意識が“私”に戻るのを感じた。つい先程までの気持ちに引きずられて、体温がこれでもかというほどに上がっていた。はぁ、はぁと私は息を荒げていたはずだ。どくどくと力強く心臓が脈打ち、何となく気分が高揚しているのを感じた。そう、まるで濃厚な恋愛物の演劇を見た後のようにーー…。

「どうして、貴方は今、彼が普段私に下さる言葉を、そのままの言い回しでーー…」

彼女は混乱しているようだった。それはそうだろう。彼がポラリーのためだけに囁くものを私が代弁してしまっているのだから。それは本来、彼が彼女にしか見せないはずの言葉だったはずだ。当時の私はまだ力の扱いが未熟だったのだ。力に振り回されていたと行っても良い。だから発動した際には、読み取ったものを口に出してしまうのだった。しかしその成果に彼は満足げに頷いていた。

「素晴らしい…。確かに、今まさに私が伝えたいことを、私の言葉で代弁してくれているようだ…君の魔法は、本物だった。私の目に狂いはなかったわけだ」

そう、彼が自らに魔法を使うように言った目的は、安全確認など二の次であり、他ならない彼の望みであったポラリーの言葉を聞くにあたり、まず魔法の効果が本物であることを納得したかったからだった。結果、その精度は期待以上だったようで彼はやや興奮気味にチラチラとポラリーを見ていた。そんな様子を見せられれば私も、役に立てたことが分かってうれしかった。


ーーだからこそ、私は気づけなかった。ポラリーの身体がジリジリと後退していることに。


彼の気持ちに引きづられた高揚感からか。はたまた依頼主の嬉しそうな様子に調子付いてしまったのか。結果、私は導火線に火をつけることとなる。

「ポラリー様、私は今日という素晴らしい日に立ち会えたことをとても感謝しております」

確かそんなことを言って、私は2度目の魔法を行使した。彼女は少しずつ遠ざかっていたものの、元々近くに来てもらっていたのだからすぐにでも魔法を使えてしまう距離にいた。再び魔力が音を立てる。この状況と先程の魔法の実演から、この場にいる全員が直後に起こるであろう祝福の気配に期待し、じっと見ていた。数秒もせず魔法は結実し、私はポラリーと同化した。


途端、あれだけ暖かかった気持ちが180度反転し、身体の芯から凍てつくような気持ちになったのを今でも覚えている。


そんな状態でも、私はもう止まることができなかった。ポラリーの言葉を代弁したのだ。

「いつになったらこの男は、ワタシに飽いてくださるのかしらーー…」

「あ…、あ…、」

ポラリーは顔を両手で覆い、ガクガクと震え出した。彼をはじめ、使用人たちも目を見開いてポラリーを見ていた。それでも私は、止まらない。私は必死に自らの力に抵抗するも、右目だけから涙が一滴頬を伝う程度が精々だった。

「故郷に帰りたい…。あぁ、またあの穏やかで慎ましい生活に戻りたいわ…。第一夫人と第二夫人への無関心さを基準にしていたのだけれど…。飛んだ誤算だったわ」

私は“ワタシ”になりながら、同時に“私“として泣いていた。整合性の取れない気持ちのありようが、ギシギシと胸を締め付けてゆくあの感覚は、今でもはっきりと思い出せる。しかしこの時、一番狂ってしまったのは私でもポラリーでもなく、彼だろうーー…。

「私は…、私は、」

彼は何のために、と彼は繰り返す。そこに覇気はなく、まるで壊れた仕掛け人形のようだった。全てがまるで悪魔に組まれたパズルかのように、それぞれを追い詰めるピースとなって現実逃避を赦してはくれなかった。他ならない彼自身がお墨付きをつけたばかりの魔法によって、彼女の本心は表沙汰にされた。同時に、彼はようやく見つけた愛が嘘で塗り固められた泥団子であることに気付いてしまったのだからーー。


私はまだ自分の中にほんのりと残るポラリーの冷たさを感じながら、とにかく必死に心のよりどころを求めていた。喉がカラカラに乾いて、もはや張り付いたように声の出口を締め上げるものだから、叫び声が自らの中へ反射して、反響して、絶望がどんどんと増幅していく心地だった。

「…か、、ぁ…ひゅ」

ぼりぼり、ぼりぼりと喉を掻きむしって、何とか淀んだ叫び声を口から排泄しようと試みる。しかしソレは一向に言葉にならず、私は使用人に止められるまで狂ったように自らを痛めつけていたらしい。騒ぎを聞きつけ残りの妻たちがやってきたのは、何となく覚えているが、しかし私の記憶はここで途切れている。私はいつまでも吐き出せない叫びによって、内臓から破裂しそうなほどマナを暴走させてしまったらしく、残りのご婦人方の言葉も代弁したのだそうだ。そして彼が愛を向けられなかった2人からこそ、彼を想う気持ちが溢れていたことを知り、彼はいよいよ狂ってしまった。取り返しのつかないほど心を病んだ彼はついに壊れて、最後に彼は彼自身の記憶を書き換えることで自己を保っていたようだった。

…ーー彼の描く空想の中で、悪役に選ばれたのは私だった。彼の矛盾の責任の矛先は私に向けられた。彼にとってそれは真実であり、現実であり、今という状況に“まっとうに”行き着くために不可欠な要素であった。彼は私を魔女だと吹聴した。人を狂わせる存在であると。だからこそ力が露見し、奪い合いが始まり、疑心暗鬼を産んで、終いには監禁されることになるのだけれどーー…。


何はともあれ、だ。


あの時から私は知っている。この世には知らなくてもいいことがあることを。そして人の幸せは曖昧さの中にあることを。知りたいと願う原動力で相手に尽くすのも、自分の愛を信じて相手も同じであるに違いないと疑わずに笑えることも。全て、全て、人に許された優しい嘘だということを。言葉が不完全であるからこそ、誰もが平等に夢を見ることができるのだ。幸せという夢をーー…。夢であれば、泥団子でさえ宝石の様に輝くというのにーー…。


•••


「私じゃ最後までカツキ君についていけないだろうからお願いーー…っ!」

「了解!」

彼はもうこれ以上は待っていられないとばかりに、勢いよく地面を蹴り、疾駆して行った。もちろん、私の想いも受け止めた上で。まだ数日とはいえ、彼はどうにも歳不相応の考え方をするなと感じることが多い。彼なりに筋の通った話をするし、限られたヒントからより正解に近いものを選び取る瞬発力にも長けている。ただーー…、同時に彼はどうにも甘い部分が多く、およそ命のやりとりには向かない珍しい気質の持ち主だとも感じていた。それはたった数日の間にもわかる程度に、彼の行動や言動に顕著に表れていた。だからこそ彼を行かせることに不安もあったが、時間優先である以上仕方がないことも分かっている。なら、今成すべきは一刻も早く行動することだ。

「さてと」

彼が視界ではもうほとんど捉えられないほどの大きさになるまで見届けてから、深呼吸する。胸中にあふれていた心配に蓋をしてただ目の前のことに集中する。周囲に転がる2人分の荷物を見て、出来るだけ持ち運びがしやすいように手早くまとめた。去り際にカツキ君と会話した通り、たしかに私は体力がない上に、この荷物の量では歩いて進むことさえ厳しい部分がありそうだ。だが、今の私の役割は急ぐことじゃない。丁寧にディディちゃんの痕跡を追い、漏れなく彼女を見つけ出すこと、もしくは彼女が振り落とされてどこかで取り残されていないことを確実に保証することーー…。幸い、突撃蜥蜴はその脚力でもって派手に地面を荒らしており、進路を追う事自体は難しくなさそうだ。改めて目を閉じて、すぅーと深く息を吐く。肺がぺしゃんこになっても尚、絞り出すようにして身体中から空気という空気を抜き切った。新鮮な空気で身体を満たすために。同時に、自らの価値観とこの状況に相応しい手段を天秤にかけた。ここは平原だ。周囲に人など見当たらない。辿るべき距離はあまりにも長く、捜索対象はとても小さな妖精族の女の子。出来るだけいそがなければ、彼女の状況次第では死んでしまってもおかしくはないだろう。大丈夫。大丈夫。この場を誰もみていないのならば、多少派手に力を使ってしまっても構わないだろう。だからあとは、私の気持ちの問題だ。大丈夫。大丈夫。あくまでディディちゃんの足取りを追いたいだけなのだから、彼女の全てを詳らかにする必要などない。…ーーそれでもきっと彼女は不快に思うだろうから、これは私が死ぬまで抱えなくてはならない罪となるだろうけれど、私が赦されたいと願わずに、彼女に“これからすること”を言わなければ、それはきっと優しい嘘だ。私は死ぬまでに苦痛を感じる秘密がひとつ増えるだけ。


「私はディディちゃんを助けたいーー…」


ウィズは突撃蜥蜴が曲がった場所ーー…つまりディディが巻き込まれた場所を強く見据えて両手を翳した。新しく体内に取り込んだ空気とマナを混ぜ合わせ、ゆっくりと燃焼させてゆく。彼女の中から吹き出すように真紅の魔力が輝き始め、一本の柱のように高く登っていった。ウィズが前方に突き出していた両手をゆっくりと左右に広げると同時に、彼女の足元からサークルがゆっくりと広がってゆく。それは彼女の願いを形にすることができる、絶対の領域だった。そして魔法陣の内と外、その縁を境界とするように、立ち上っていた魔力も横へ横へと膨張をはじめてゆく。魔法陣は彼女を中心に半径10m程になるまで拡大を続けると、ぴたりと止まり、魔力の流れが落ち着くころには半球状のドームが形成されていたのだった。ウィズはそのドームが安定するのを確認して、改めて深く呼吸を行なった。準備は整った。ひたむきに願いを込めて、詠唱を始めた。


赤い泉と皮袋。

千切れた世界は産声を上げたーー


剥き出しの私は貴方を纏う。

そう、皮一枚のままごとでーー


騙りて貴方を冒すは私ーー…!!


「どうか赦してーー…。”再演(カーテンコール)“」


ドームの中に満たされた魔力が、渦を巻くようにしてうねり始め、やがてゆっくりと像を結び始めた。観客は私ただ一人。演者も私。役柄はとある妖精の女の子。演目はーー…「とある妖精の1日」。これはかつてこの場所で起きた出来事を、自らの領域の中に限定することで再現する奇跡ーー…。そう、ここは小さな小さな劇場だった。真紅に輝くドームの内側は、彼女の独壇場となって他者の軌跡を炙り出す。ことこの時間、この空間において、彼女は誰よりもディディであった。


どうしてアタシだけ翅が開かないのかーー…

こんな場所にはもういられないー…

アイツらは同族なんかじゃないーー…!!

助けてくれたカツキのことーー…

興味のなかったウソツキの女ーー…


“記憶”が走馬灯のように駆け巡る。かろうじて自覚する元々の“私”が、強い意志で「ダメ」と叫び、引きずられる人格に自分として抗うことで、あれだけ鮮明に呼び起こされた感情にノイズをもたらした。今ディディちゃんの内面は必要ない。あくまで彼女がどう進んだのかを知りたいだけなのだから。癒着した人格から“ディディちゃん”のみを切り離してゆく。ゆっくりと、ゆっくりと。やがて“私”を取り戻すと、私の視点は私自身の身体に戻り、ドームの中で再生される“ディディちゃん”の足取りを捉えることに成功した。

「やったーー…!!」

何とかなった。最も得意な魔力操作が十分以上の仕事をしてくれたとわかりぐっと拳を握り込む。彼女の内面を見ることなく、けれど彼女の足取りを追うーー…。そのために用意したこの劇場は、まずディディが突撃蜥蜴の群れに巻き込まれた時の様子をはっきりと映し出した。

「これならちゃんと見つけられる!…けど、流石に魔力の消費が激しすぎる…っ」

重い荷物に、繊細な魔力制御。その上、このドームを維持したまま彼女はこの先長い距離を進まなければならない。しっかりと足を進めながらも。今までにない疲労感から直感的にまずいと察し、さらに魔法の調節を試みることにした。

「突撃蜥蜴の群れは邪魔だわーーっ…!加えて言えば、こんなに広い空間でなくてもいいので、どうかもっと扱いやすい大きさになって…っ!」

空気袋に一時的に穴を開けて、ドームを萎ませるイメージを浮かべる。するとその半径は両手を広げた程度の大きさにまで小さくなり、魔力消費の感覚も単純計算である十分の一以上の改善をしていることが実感できた。同時に演者と定義した者たちから、目的であるディディちゃん以外の要素が全て薄まってゆく。瞬きを終えることには、あれだけ邪魔だった突撃蜥蜴たちは像を解かれ霧散していた。

(よし、これならしばらくは大丈夫ねーー…っ!)

額にポツポツと汗を浮かべながらも、笑顔を浮かべていることがわかる。それはそうだ。これで仲間を助けられるかもしれないのだから。私は今のこの日常を、失いたくはない。本当にそう思っている。ここ数日は本当に彩り豊かな時間だったと思う。だからこそ、終わって欲しくない。幸いにもこうして初めて経験する仲間の危機に駆けつけるための力が自分にはあるのだから、出し惜しみなく費やして、いつか今日という日のことを笑って話せるようになりたいと本気で思っている。


「だから待っていてね、ディディちゃんーー…!!」


ウィズは魔法の制御と、それらを展開したまま移動するという離れ業を成し遂げながらも、その進行速度は普段のペースよりも早かった。しかし彼女にあったのはただ仲間を助けたいと願うひたむきな想いであり、また彼女の御技が常人の領域を超えていることを見ている者はいなかった。


「まだ足りない…っ。私は絶対に、ディディちゃんを助けるんだーー…っっ!!」


それは同時に、彼女も己の力を比較する対象がいなかったことを意味していたーー…。


・・・


「はぁ、はぁ、はぁ…」


力の抜けた身体が、容赦なく踏み出した足一本に体重を乗せてくる。左足を踏み出すごとに全身に振動が走り痛みが蓄積し、次いで右足を踏み出せば、蓄積した痛みが血液にのってぴゅっと体外へ弾け飛んだ。

(先へ、ちょっとでも先へ、早く、ディディの所へ…)

血の一滴を失うごとに、体温が少し下がっていくような心地がした。同時に、全身の筋肉が弛緩しているのかうまく力を込めることができなくなっている感覚が強まっているのが分かる。ふらふら、ふらふらと、頭が重りのように左右に振られているのか、くらくら、くらくらとして気持ち悪い。そんな感じで壊れたおもちゃのように同じ動作を繰り返している中で、気づけば視界の半分が、外側から黒塗りの状態になっている事に気づいてしまった。

(あれ、真っ直ぐ歩けてるよね。ていうかこの辺りってこんなに暗かったっけーー…?)

思考はとっくに散り散りになっていて、まとまらない。だが脳みその裏側に張り付いたようにして、わんわんとリフレインする「前に進まなければ」という想いが、半ば脅迫観念のように僕の足を動かしていた。あらゆる感覚が順番に死んでゆく中で、額の上で膨れ上がった大粒の汗が、眉毛のバリケードを突破してまつ毛に染み渡り、さらに溢れて目に入ってきた。しかしその汗が目に滲みることもないのだから、目に入ったことすら怪しく思えてくる。

(そういえば、なんかもう痛くないなーー…)

気づけばえぐれた右脚は痛みを発することはなく、失血により体温を失ったことで寒さに侵された身体において、唯一“熱さ”を感じるだけの場所になっていた。

(あー…、なんかいっそ気持ちいいかもしれん…)

とにかく寒かった。自覚したせいなのか、加速度的に寒さを感じる。そんな中においてこの痛みなのか熱さなのかわからない右足は、焚き火の温もりを想起させてきた。痛くないなら歩けるな、とよく分からないことを考えながら、瞬きをする。


ーーしかし、改めて前を向き瞼を開くと、そこに広がるのはただただ真っ暗な闇だった。


(あ、れ…)

目じるしになる物は何もなく、ただひたすらの黒。足がついているのか歩くことだけはできており、素直に正面に当たる方向へと進み続けることだけはやめなかった。

(あ…)

すると数歩歩いた先に、一本の木が存在するのが見てとれた。僕は再び身体に力がみなぎるのを感じた。

「やった…」

それは先ほどまで僕のいた平原において目標地点に至らなければ存在しないはずの物だ。突撃蜥蜴の進行方向は崖沿いに走ると予想を立てた際に、僕はロープで罠を張ることを考えた。それは崖や平原という場所から最果ての森に至る境界に当たる場所は、当然森になるまでの間に“馴染ませる“ような木が点在する空間になると踏んだからだ。もしくは大きな岩でも良かったが、とにかくロープを結ぶものがある前提であり、この部分だけはどうしても賭けの要素が強かった。結果はご覧の通りである。何にせよ予想は当たったようで安心した。

(あとはあそこまでたどり着いてロープを結んで、反対側にさえ行くことができれば…)

散り散りになった思考をかき集めて、あとはただ目標だけを見据える。間に合う、間に合うんだ。希望が満ちてきたことで思わず笑みが湧いてくる。さぁ、いけ、いけ、いけーー…!!自らの身体に鞭を打ち、気持ちだけは走っているような、実際にはのろのろとしたペースで持って、しかし着実にその木を目指す。しかしその木は、まるで僕を嘲笑うかのように、いたずら心満載に近づくごとに遠ざかってゆく。

「待って、待ってくれ、なぁ、おい、頼むから…っ!!」

進むほどに遠ざかるゴールを前に、半泣きになりながら手を伸ばす。しかしその動作が引き鉄となって、ただでさえ不安定だった体のバランスが崩れてしまった。僕はドシャっと前のめりに倒れ込み、ついに立ち上がる力を失ってしまった。

「ぁ…、うぁ…」

進むことをやめたのに、木の遠ざかるスピードはどんどんと加速していく。しかし、もはやこの身体を動かすこともままならず、助けてくれる仲間もいない。いや、僕自身が今まさに仲間を助けるためにここにいるのに何をしているんだ。自分に怒りが湧く。心が折れかける。一体何をしているのかと。寒気と、眠気と、無力感と。ないまぜになった絶望感がゆっくりと瞼を下ろし始める。その微睡に抗うだけの力がどんどんと抜けていく。それでも、僕は今成し遂げないことーーその願いを手放すことだけはできない。

「たの、む、あそこにーー…っっ」


(イイヨ…)


いよいよ上下の瞼が完全にくっつきそうになったその時、そんなノイズみたいな声がした。同時に、ちょうど自分の真下に強く白光りするラインが走り始め、今度はあまりの眩しさで目を瞑ってしまった。目を瞑ってしまったこともあるが、そもそも倒れ込んだ直下のため、何があったのかは全く分からない。ーーだが、直後にギギギと重量のあるものが軋むような音を立てているのが聴き取れた。そして感じる、一瞬の浮遊感。

「…ぉっ!!?」

内臓が浮く独特の気持ち悪さに襲われると同時、今度は鼻を突き刺す青臭い匂い。冗談のように切り替わる場面に混乱しながらも、ゆっくりと目を開ければ、元いた平原に戻っていたーー否、目標としていた木の真横に到達していた。僕は今、地面に茂る草に顔をつけていたのだった。それは青臭い匂いもするという物である。しかし、先ほどまでどれだけ追いかけても遠ざかっていくだけだった木が今こうして目の前にあることには驚きを隠せない。だが、その感情の起伏を皮切りにいよいよ意識が飛び始めた。道中飛ばしかけた意識の中でも進むことを諦めなかったことで、かろうじてここに辿り着くことができたのなら上々だ。あの暗闇のような空間は、きっと意識を飛ばしていた時に見た夢だったのだろうーー…。


もはや限界を超えて朦朧とした意識がいよいよとなって、逆にただ一つのことだけを僕の頭に満たしていた。

ーー僕は、とにかくこのロープを目の前の道に張らなければならない。

もう身体の感覚は一切無く、まともに立ち上がることもできず、しかし「ロープ、ディディ…」とうわ言を呟きながらただ一つの目的意識に縋るようにして、僕は動き続けていた。今この身体を動かしているのはきっと、意地だ。

「ふぅ、ふぅ…」

予想以上に体力が削られていたのか、やけに振動するロープを無理やり抑えつけるように、腕と、ついでに口も使ってどうにかロープを固定する。軽く引っ張って最低限の強度を確認すると、束となっている残りのロープを首に引っ掛け、ズルズルと身体を這って反対側を目指した。距離にしておよそ20m。人が這いずりながら進むには十分過ぎる距離だった。

(ディディ、ディディ…)


およそ半分程の距離をなんとか進んだが、カツキにはそれが分からなかった。道のど真ん中で木を求めて手を伸ばして木を探すカツキ。そう、もはやカツキの目には何も映っていなかったのである。度重なる出血と、そもそもの長時間に及ぶ移動によって体力も残っていなかったのだ。そんな身体をはいずるようにして動けるだけでも奇跡であった。それこそ誰かが見ていたのであれば、感動で涙を流すような場面だと言っても過言ではないほどに。

…ーーだが、やはりこの世界は残酷なのだ。

カツキは感じることができなかったが、その周囲にはドドドドッと着実に大きくなる地響きが響き渡っていた。ロープの振動はまさにこの地響きが原因だった。道中の危機を命からがら逃げ切り、どうにか目的となる罠の半分を完成させることに成功するという奇跡を起こしたカツキにでさえ、どうにもならない現実が降りかかる。


突撃蜥蜴が、今まさにカツキの横たわる場所に迫っていた。


カツキとウィズの予想は的を射ていたのだ。それは素晴らしい考察だった。もしカツキが十全な状態でこの場にたどり着いていたのであれば、ほんの少しとはいえ余裕を持って罠を張ることができる程度には完璧な計画だったのだ。しかし、今となってはもう遅い。


ーー結果、カツキは間に合わなかったのだ。

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