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誰がために僕は希う。  作者: 蓮見いち
第1幕
10/16

009 ディディの行方


最近は何となく気分が良かったーー。


翅の開ききらないアタシにとって、生まれた場所は惨めな場所だったから。いつまでも、いつまでも子ども扱い。アタシと同じ年に生まれた子も。アタシよりずっと後に生まれた子からも。魔法が使えない、ただそれだけの理由でーー。この翅はごく普通に飛ぶことはできる。成長とともに大きさだって変わってる。でも、魔法だけが使えない。どうして?とアタシは思った。悔しくて、悔しくて、何度も何度も練習した。けれど精々が小さな風の刃を作り出すくらい。それでも一発打てば高熱を出すものだから、始末に追えなかった。年齢を重ねていくにつれて、集落の皆んなの態度はただの子ども扱いではなくなっていることに気づいた。嘲笑するような、憐れむような、そんな嫌な感情に満ちていることに気づいたのだ。

「いい加減にしなさいよーー…ッッ!!」

アタシは里全体に響くようにそう叫んだ。所詮小さな種族だ。そして長命種でもあり、アタシたちは短くても200年は生きることができる。長老ーー…いや、あのおひげのクソジジイはもう800年くらい生きていたんじゃなかったっけ。それはさておき、そんな種族だからそもそも数が少ない。短命種と比べれば増える必要がないのだから当然だ。だからアタシたちの里なんて、大声で叫べば隅から隅まで響き渡る程度の広さしかないことは知っていた。だからアタシは叫んだ。今までの、我慢に我慢を重ねて、ぐいぐい押し込んで、団子みたいに固めた上でさらに上から我慢でコーティングしたような全てを込めて。結果は、最悪だった。だらだらと過ごすだけの同族は、面白い見世物が来たとばかりにアタシを取り囲んで…。クスクス、クスクス不気味に笑ってきた。そう、アタシにとって彼らはもう既に同族だなんて見れなくなっていたみたい。不気味だった。ただただ気持ち悪いと思ったの。そんな彼らがその変な声で囁くの。いつまでも子どもで、いつまでも翅が開かない。そんな未熟者が癇癪を起こしたぞ、とーー。この状況になって、アタシは何だか今までの怒りが嘘みたいに静かになるのを感じて、妙に冴えた頭でぽつりと、こう言ったのよ。

「ご立派な大人の皆様、その素晴らしい才能の数々で、どうか私の翅を開く手助けをして下さいませんか」

ってね。そしたらみんな、急に黙り込んで、目を逸らして、そそくさと家の中に隠れてしまったのよ。あぁ、馬鹿らしいとそう思って。アタシは何の準備もせずに里を飛び出したってわけ。だってもう、あんな場所にいたってイライラするだけだと思ったから。結局、大人になんてなったところで何もできないんだわって、そう思ったから。だったら子どものまま、アタシはアタシのまま生きればいいじゃないって。


そんなこんなであの森を飛び回っていたのだけど、早速小鬼に捕まっちゃった。アタシはまた、悔しさでいっぱいになって。でも、今度は悔しいよりももっと大きな、悲しいがいっぱい溢れてきて。なんでこんな目にばっかり合うんだろうって泣きそうになってた。本当に、後数秒もすれば、今までのアタシがぼろぼろに剥がれ落ちて、守っていたアタシが出てきちゃいそうになっているのが分かった。でも、そうはならなかった。あいつが来てくれたから。あの底抜けのお人好しが来てくれたから。バカみたいに叫んで、がむしゃらに小鬼を殴りつける姿はお世辞にもかっこいいとは言えなかったけれど。アイツはアタシが泣いて溶けてしまう前に、掬い取ってくれたのだ。今まで通り、皆んなの悪意に負けないアタシを。だけどあの時はやっぱりギリギリで、アタシは取り繕っているだけだっていうのも分かっていたから、お返しは後でしようって思って一回隠れた。仕方ないのよ、アタシはアタシでなくちゃいけないんだから。ーー確かにその後アイツを見つけるのはほんっとうに大変だったけれど。最後には会えたのだから別に気にしなくていいわよね。


その後色々あって、アイツのおかげで魔法を扱うことも経験できた。1人余計な人間もいるけれど、アイツが頼りにしてるみたいだから少しは目を瞑ってあげることにしたわ。…とにかく。そんなこんなで、最近は気分が良かったの。今までとは違って楽しくて、大変で、でもその甲斐あって森の外の景色も見れたんだもの。そりゃあ鼻歌だって歌うわよ。誰だってそうでしょう?


でも、最近はちょっとわがままを言いすぎたのかしら。目の前に迫る化け物の集団を前に、頭が真っ白になっちゃったのが分かったの。あの女の叫び声にびっくりして、それでようやく身体が動くようになって。何とか横に飛んだと思ったら、アイツらこっちに曲がってきた。魔法はーー…カツキがいないから使えない。この状況をどうにかできる知恵は、あの女みたいにすぐ出せない。アタシは化け物たちがこっちに来るのを、だんだんゆっくりになる不思議な感覚の中で見ていたわ。あぁ、やっぱりアタシは1人じゃ何もできないんだなぁ、って。今度は悔しいも悲しいも通り越して、ふふって思わず笑っちゃった。そしたら理由はよく分からないけれど、今までにないくらい身体が軽くなったのを感じてね。


アタシの意識は、真っ暗になったのーー。


・・・


「今から突撃蜥蜴(アーマーリザード)に追いつけると思うか…?」

僕は今すぐに駆け出したい衝動に駆られながら、努めて冷静に振る舞って見せた。

「いいえ、追いつくのは無理だと思うわ…。どこかで止まってくれない限りは」

「じゃあ、やっぱり今すぐ追いかけないと…っ!!」

悔しそうに歯噛みしながら今までにないほど険しい顔を見せるウィズの腕を掴み、突撃蜥蜴を追いかけようとするーーが、彼女はまるで地に根を張り巡らせた木の様にぴたりと動かなかった。つんのめる僕の手に触れ、指を一本ずつ丁寧にほどき…そして宙ぶらりんになった手を自らの手で柔らかく包み込んだ。

「カツキ君、落ち着いて」

「…ーーッ!ごめん…」

突如降り掛かる知り合いの死の予感に、予想外にあわててしまったことを自覚して何も言えなくなった。

「うん、いいよ。それがカツキ君のいいところだと思うから」

情けなさを噛み締めて、それでも逸る気持ちがトントンと忙しなく右足を動かしてしまう。せめて試す価値のありそうな手段でも思い浮かべば良いのだが、何一つとして浮かばないのだから当然だ。

「突撃蜥蜴の速度に追いつくのが無理なら、先回りするしかないんじゃないかな」

言うは易し、とは口にすまい。ウィズもしっかりと現実を見た上でそう言ってくれているのはよくわかる。車と同じ速度で逃げる相手を脚で追いかけようと言うのだから、むしろ先回りという発想自体は現実的だ。問題は、どう実現するかだが…。

「ウィズ、一回地図を見せてくれないか」

「地図?いいけど…」

突然突拍子もないことを言い出したと思ったのか、怪訝な様子を見せながらも手早く地図を広げるウィズ。心の中でありがとうと言いつつ一旦考えることに集中する。

(あの速度にはどう考えたって追いつけない。ならせめて頭を使うしかないだろ。今までだってそうだ、何も変わらない。少なくとも突撃蜥蜴は食料を求めて駆け回っていたのだという。ならばある程度進行方向に予測くらい立てられないだろうか…?)

「カツキ君、何か気になることでもあるの?」

ウィズは若干心配そうな様子で、下から僕の顔を伺ってきた。いけない、険しい顔をしているのだろうと思い至り、軽く笑みを作ってみせた。うまくできているかは分からないが、落ち着こうとしている意思は伝わったようで、彼女の表情も柔らかくなるのが見てとれた。

「突撃蜥蜴…だっけ。あれがどうして突然曲がったのか気になって」

「うーん…曲がる…曲がる理由…」

彼女は顎に人差し指を当てるような仕草で、いつも思案する時の体勢を作る。これはもはや彼女の癖なのではないだろうか。

「アイツらはこっちから走ってきただろ?」

僕はそう言いながら、抉れた地面の跡を参考に進行方向を確かめることにする。そんな僕を何となく視線で追いながら、うんうんとウィズは頷いて話を聞いていた。

「それで僕たちとかち合った。次に僕とウィズは南に飛んでーー…」

「ディディちゃんは北へ逃げようとしたのよね?」

「うん」

仮に突撃蜥蜴の動きに何か習性というか法則があるとすれば…。

「単純に考えて、曲がるのは()()()ためな気がするんだよ」

僕は突撃蜥蜴が走り込んできた場所に立ち、ウィズの方を見る。つまり突撃蜥蜴が進んできた向きで僕が立っており、彼らが曲がった箇所にウィズが立っている構図だ。そして僕は、すっと右手で進行方向に指を刺した。その指先を目で追って、ウィズがくるりと振り返る。

「あ…っ」


そう、その方向には、まさに僕たちが抜け出してきた森があるのだ。


当然だ。僕たちは森を抜けた直後に行き先を話し合っていたのだから。突撃蜥蜴が食料を求めてあの車顔負けの走りを見せたのであれば、食料の宝庫となりそうな森を避けたことはやや納得がいかないが、とにかく事実としてアイツらは()()()()()()()()()

「それに突撃の時南側には僕とウィズがいたから、遠くからでもアイツらは見てとれたはずだ。でもディディは小さいから見えなくても仕方がない」

あの速度で走っているのだ。習性とはいえ生き物の視認できるものなど完全ではないだろう。もし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだとすればーー…。

「そっか、だから突撃蜥蜴が次に曲がるのはーー…」

「「ここ」」

そこはちょうど崖が絶壁を成しており、森の境界と接するようにL字型の障害となって立ち塞がっているようだった。つまり、侵入する1方向と衝突する2方向、合計3方向を潰された状況はまさに僕たちがかち合った状況と同じであることを示している。そして今回は森という一度避けた実績のある1面と、僕やウィズよりも明らかに危険度の高い崖の壁面が立ち塞がっている状態だ。であれば、曲がる方向は十中八九西になると考えられる。その後次の障害物となりそうな箇所まで直進を続けるとすれば、まだ追いかける余地はありそうだった。

「ウィズ、僕たちは急いで北西を目指そう。最短距離で行けば追いつけるかもしれない」

「…うんっ!!」

ここまでの彼らの行動から推察すれば、突撃蜥蜴は恐らく進路を曲線でとることは無い。であれば彼らの走るL字の進行ルートに対して、直角三角形を成すような進行方向で追いかければまだ間に合う可能性が高かった。

「それと…こいつを使おうと思うんだ」

バッグを漁り、ロープを取り出す。追いついたところで突撃蜥蜴を止める手立てがないため、このロープに先頭の数体を引っ掛けて群ごと崩してしまおうという算段であった。追いついたところで真正面からぶつかる事はできないため、申し訳ないが突撃蜥蜴の皆々様には一度盛大に転んでいただきたいと思っている。

「でも、ディディちゃんが途中で振り落とされていたら…」

「アイツらが通った道は後でも辿れるけど、追いつくのはこれを逃したら多分無理だから。ここはどうしても優先度をつけるしかないよ」

そう思い、善は急げと走り出そうとした瞬間、一つのアイデアが降って湧く。

「いやーー…、今のなし。ウィズはこのまま突撃蜥蜴の足跡を追っていって。そうすれば逸れることなく反対側から合流できるから」

言うや否や僕は走り出した。

「あ、なるほど!分かったわ、どうせ私の体力じゃあ最後までカツキ君についていけないだろうから、お願いーー…っ!」

半ば叫ぶような彼女の答えを聞いて、僕も手をひらひらとさせることでそれに答えた。

「了解!」

手を振る彼女も、この化け物巣食う世界で1人にするのは怖い。正直に言えば戻るまで隠れていて欲しいものだが、彼女はきっと聞かないだろう。ならば彼女の機転の良さと特有の魔法を信じて、任せるしかない。そもそも議論の時間はないのだから。僕にできる事は一刻も早くディディを回収し、その足跡を辿って彼女と再会することだけだろうーー。


•••


森で目を覚ましたあの初日以上の速度で、ただ真っ直ぐに平原を駆け抜けていく。こちらの世界に来ておよそ2週間程度は経っただろうか。極限状態で過ごした数日は自覚している以上に濃密だったのか、身体がすこぶる軽く、心なしか速度も上がっている様な気がした。

(これなら十分に間に合う気がしてきた…!!)

人命…もとい妖精命?がかかっている今、余計な荷物はウィズに預けてきた。今はロープを含む対突撃蜥蜴用の罠を貼るための最低限の道具と、邪魔にならないナイフのみしか持っていない状態だ。また、森と違いなだらかな道しかないこの平原では疲労感も薄い。運はそれなりに味方してくれている様に思う。

「さて…、まず最初に目安とすべきは平原の大岩っと。…多分あれか?」

遮蔽物がないこのだだっ広い空間において、自分が正確に目指すべき方角へ走ることができているのかの指標は重要だ。件の大岩は地図に記載されている程度にはしっかりとした大きさを伴っていたようで、草原が広がる一面緑のこの空間においてはある種異質なオブジェクトとして僕の目には映った。

「ここまでは順調…。でも見えていても中々辿りつかないっていうことは、思いの外大きいかもしれないな」

多少の迂回は必要かもしれないと考え、進路をやや岩の左側方向へ修正する。確か目的の接敵地点までは、あの大岩のあたりでちょうど半分だったはずだ。目的地まで半日程度はかかると踏んでいたが、このペースであればかなり早くたどり着けそうだ。

「ちょっとは成長しているってことかね…!」

そんなことを呟きながら自分を叱咤しつつ単調な道程をこなしていると、突如上空からピィイイイイという何とも可愛らしい鳴き声が降り注いだ。印象としてはスズメの発するものに近い。

(鳥か…)

そりゃあ今までだって散々化け物や森の獣と出会って来たのだ。鳥の1羽や2羽いて当然だろう。そんな鳴き声をきっかけに周囲を見渡してみれば、ぽつりぽつりと動物のシルエットが見て取れた。しかしそのどれもが草を食むような穏やかな営みの様子を見せており、森と比較して格段に危険度が低いことが分かる。そこまでわかれば十分だった。ならば今は動物のことなど気にしている場合ではない。いよいよ大岩が目の前に近づいてきたこともあり、僕の意識は更にその先の目標となる接敵目標地点へと移りつつあった。

(よし、このまま左側を通過してーー…)

いよいよたどり着いた大岩を、その側面を撫でる様にして走り続ける。予め左に寄った進路を意識していたため、特に迂回するといった感覚もなくペースは保ったまま先を目指すことができそうだった。

(さぁ、この岩影を越えればいよいよ先の景色が見えるぞーー…!!)

今まさに、目的を達成するための中継点ーーいわばチェックポイントを通過し、ほんの少しの気の緩みが生まれたその刹那ーー…。


ズガンッッッーーー!!!


突如僕の右耳からごく数センチほどの距離で、()()()()()

「…っはーー?」

もはや声も出せないほどの一瞬の間に起こった破壊の気配に、遅れて身体の震えがやってくる。何が起こったのかさっぱり分からない。が、今まさに音がした場所である右方に視線をやると、そこにはまるで大きめの銃弾が岩の側面を掠めて抉り取っていったかのような()()()()()()()が刻み込まれていた。それは丁度僕の背中側から進行方向に向かって鋭角に打ち下ろされたような軌跡を取っているようだった。つまりーー…、よりにもよってその得体の知れない弾丸は、僕の進行方向の地面に着弾したことを意味していた。岩を抉るほどの勢いで飛来して、そのまま地面に激突したのだから、当然辺りには土やら砂やらが盛大に巻き上げられており、その弾丸の正体はいまだに判然としない。だが進行方向にその分からない何かがある可能性が高い以上、流石に足を止めざるを得なかった。この世界は僕にとって全てが非常識だ。であるならば、例えばこれで時間遅れの爆弾のようなものを撃ち込まれていたのだとしたらたまったものではない。それはもはや地雷のようなものだ。しかしここでは、往々にして()()()()()()()

「くそっ、ここに来て目処の立たないタイムロスは勘弁して欲しいんだけど…っ!?」

さほど待つこともなく視界は良好になり、岩に刻み込まれた軌跡の延長線上を追う様な形で飛来物を確認する。

(…何もない?)

しかしそこには何も残っておらず、代わりに何かが地面を抉った穴と、着弾地点と思しき穴を中心に半径数メートルほどの衝撃痕が広がっていた。どんな破壊力だよ、とは思うものの、思ったよりもその穴の直径は大きくない。棒状のものが突き刺さったかのようなごく細い弾丸の跡が残っているだけだった。

「どっかから狙撃紛いのことをしてきた奴がいるのだとしたら、とりあえず丸裸で見られるわけにはいかないな…」

得体の知れない不可視の狙撃に僕の身体は芯から震え上がり、酷く冷たく冷え切っているにも関わらず、大粒の汗がほおを伝う感触がするのだから気持ち悪い。射線は背後からだったことを踏まえ、ひとまず大岩に背中を預ける形で隠れつつ、しゃがみこむことで極力的として小さくなるように努めた。

(岩も穿つような弾丸とはいえ、何かしらの方法で僕の居場所を確認しているはずーー…。視認、体温、匂い、音。この世界じゃ何でもありだろうから、ひとまず無難な視覚頼りの敵であることを祈るしかない…っ)

この世界で圧倒的弱者であることは常々自覚するとことである。そんな自分が取れる選択肢は一つーー…“逃げること”だけだ。

(次だ。次の着弾と同時、また盛大に巻き上げられるだろう土埃に乗じて、走るーーっっ!!)

さぁ、いつ来る。どこに来る。初手で当てずっぽうに撃ち抜かれて死ぬなんていう最悪だけは勘弁してくれよと、作戦の開始を博打に委ねるしかない突然の危機に辟易しながらじっと耐える。伊達にこの世界にきてから何度も危険に晒されてきたわけではないのだ。こと耐え忍ぶという一点においては、ある程度一つの技術として習得しつつある。しかし、あれだけの破壊力を見せられて仕舞えば一刻も早くこの場から逃げ出したいと思うこともまた自然な流れだった。だが岩に隠れてしまっている以上、こちらも相手の様子を伺うことはできない。もしも顔を出して、そこを狙い撃ちにでもされれば即死は間違いないだろうと想像し、ぶんぶんと頭を振って思考を振り払った。


さぁ、来い、来い、来い来い来い来い来いーー…!


焦れる気持ちを抑え、ほおを伝う冷や汗のくすぐったささえも今は無視する。ピィイイイイイ、とまた可愛らしい鳴き声がした。過敏になった神経がそんな鳥の囀りにさえ過敏に反応する。びくりと身体が震えてしまい、上半身が大袈裟に仰け反ってしまった。頼むから今は気を散らさないでくれーー…!そんな風に匙だと切って捨て、再び全神経を背後に集中させたその、刹那ーー…!!


ズガンッッ!!!


そんな派手な音を立てながら、先ほどまで自分の頭部が存在した場所が爆ぜた。岩の欠片が飛び散り、ナイフのように皮膚を切り刻む。

(いってぇ…!!そんなことより今、()()()()()()()()()()()()()ーー…!!?)

どうしてだ、僕はさっき、確かに後ろから撃たれたはずなのに。この大岩以外、周囲に遮蔽物のないこの空間で、僕に気づかれずに前に回り込むなんてあり得るのかーー…?混乱と恐怖とで思考が汚染された状態で、しかし自分の思考に挟まっていた矛盾に気づく。

「いや、遮蔽物がない、そうだよ()()()()()()()()()…。なのにどうして上から狙撃されているーー…?」

思考がぐるぐると回転し、またもあり得ないことが実現してしまっているこの状況に解を求める。そんな思考をさせまいとするように、ピィイイイイ、と再び鳴き声が響き渡った。


しかし3度めにしてその鳴き声は、僕にとって天啓をもたらす鐘の音になると同時に、死を呼び込む悪魔の嘲笑へと変貌することになる。


(っっ!!?)

考えるよりも先に、身体が動いた。それはあたかも鳴き声に反応した身体の震えをバネのような瞬発力に変えるかのようにして、思い切り横に飛び退いた。直後に今いた場所で岩と地面が爆ぜ、ついに僕は弾丸の正体をこの目で捉えることに成功する。

「…ーー鳥が突っ込んできてるのかっっ!!」

そう、弾丸は文字通り上空から降ってきていた。ただしそれは、()()()()()()()()()である。まるでドリルのような嘴を突き立て、急降下し、どこかに衝突することで停止する。しかし衝突の際の衝撃などものともせずに、何食わぬ顔で再び飛び上がり…あとはその繰り返しだ。幸いなのはーーピィイイィイイーー突進の前に必ずこうして鳴いてくれる…っことッッ!!

ズガンッ、と今度は地面に突き立つその鳥は、突進の様子を肉眼で捉えることができない。声と同時に自分に向かって直線で突っ込んでくるため、鳴き声に反応さえできれば避けることはできる…が、永遠に追いかけられ続ければ、こちらの体力がもたない。

(今回ばかりはいよいよまずい…!)

もはや武器と呼べるものはナイフ一本。鳥の姿は目で追えず、そもそも飛ばれてしまっては触れることも叶わない。

「くそっ、こっちは時間もないっていうのに…!」

そう、こんなところで鳥の相手をしている暇などないのだ。しかしもはや勝負にならないのは自明。であればーー…。

(一か八か、逃げるしかない!!)

直後に響き渡る死の呼び声が、ピイイイイと頭上から降り注ぐ。

(いけっ!!!!)

ここだ、と横に大きく飛びながら、今度は全力で走り出した。もはや後ろを振り向く余裕などない。

鳴き声を聞く、横に飛ぶ。

鳴き声を聞く、横に飛ぶ。

一体何回その反復を繰り返したのだろうか。命の危険を感じるとき特有の引き伸ばされた時間が終わりを告げる。体感で数十キロ走った頃になって、ようやくあの鳴き声が聞こえなくなった。

(助かったーー…)

こいつは捕まらないと思ったのだろうか。それとも縄張りのようなものが存在していて、その圏外まで逃げ切れたからだろうか。何にせよ、本当に危なかったーー…。長時間に及ぶ緊張が一気に弛緩し、今にも座り込みそうな両脚をばちんと叩き気合を入れ直した。

「ゴールはここじゃない。さっさと走れ、僕!」

頭を再びディディを救出するために今ここにいるのだという当初の目的に置き換えて、強く前を見据えた。右足をやや後ろに引きずり、ぐいと力を込めて地面を掴む。その足で地面を蹴り、初速をつけ、一気に飛び出そうとしたその矢先。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ーー…。


散々繰り返した動作にしたがい、身体は横へと飛ぼうとする。しかし既に前に蹴り出そうと体勢をとっていたために、横というよりは斜め上空に飛び上がるような形となってしまった。…ーーこれが致命的なミスとなる。ドゴォッ!!という低い地鳴りのような音がしたかと思うと、先程の鳥が()()()()飛び出してきた。そう、地面を掘りながら襲いかかってきたのである。

(なんっ、何だこいつはーーッ!!)

鳥が地面を颯爽と掘り進めるなど聞いたことがない。勢いを殺さずに飛び出すなど更なる悪夢だ。だが身体は既に宙に浮いてしまっている。もう体勢を変えることはできない。あぁ、終わった…、そう思うと同時にズバッと右脚太ももを盛大に抉られた。

「がぁあああああああ!!!!!?」

ずしゃりと地面に崩れ落ちて、そのあまりの痛みに転げ回ってしまう。

「ああああああぁぁぁぁあ!!!!!」

どくどくと血が流れ、鉄くさい臭いが辺りに一気に充満した。痛む箇所に咄嗟に手を充ててしまったことで、痛みの元凶となっている箇所が丸っと無くなり凹みのような状態になっていることがわかってしまった。そう、あの一撃で肉が盛大に抉り取られていたのだった。

「これはマジで…死ぬ…っ!」

涙と痛みと脂汗と。ぐしゃぐしゃになって今にも気絶しそうな意識の中で、手にしていたロープで太ももの付け根を強く縛った。そしてある程度の長さでナイフを用いて切り分ける。そのロープの痛みでまたさらに涙も搾り出されたが、もはやそんなことを気にしている場合ではない。

「あぁ、死ぬ。なんか寒いし頭くらくらするし、多分血を流しすぎてるなこれ…」

幸い、あの鳥の体躯では僕の全身を啄むほどの食欲はなかったらしく、太ももの一部を持ち去る形でどこかへ飛び去ってくれていた。追撃がないのは素直に喜ぶべきなのだろうが、しかしこの痛みと出血の量はとてもではないが看過できるものではない。気休め程度にしかならないとは予感しながらも、シャツを脱ぎ、それをナイフで細く切り裂く。そうしてできあがった、かつて白かったその布切れを包帯がわりにするも、あてがった瞬間真っ赤に染まり、もはや意味があるようには感じられなかった。ふぅ、ふぅと鼻息を荒くしながら今できうる手段をやり切って、ゆっくりと立ち上がる。

「っっ!!」

やはり右足を地面に着くと激痛が走る。引きずったとしても振動で痛む上に、まっすぐ歩くこともままならなかった。


霞む視界が気になって、何度も何度も目を擦る。一歩歩く、止まる。また一歩歩く、止まる。そんなことを繰り返してゆく。少しでも前に進むために。今身体の中を駆け回っているあらゆる苦痛に脳が耐え切れなくなったのか、だんだん全ての感覚が遠ざかっていくのがわかった。痛みも、眠気も、寒さも、何もかも、全部。それはおかしいを通り越して、死が間近に迫った危険信号だと頭のどこかではわかっていた。けれどこの時、僕の意識のほとんどはディディのことでいっぱいになっていたのだ。

「早く…、行かないと…」

さっきまで感じていた激痛は嘘みたいにどこかへ飛び去っていた。けれど、痛かろうが痛くなかろうが僕は先に進まなければならないのだ。だったら、痛みを感じないのはむしろ丁度いいと、そんな風に思いながら。


誰にも気づかれないままに、普段の温厚さとはかけ離れた凄絶な笑みを浮かべてカツキは歩き続ける。

その道中に、点々と血の跡を残しながらーー…。

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