000 プロローグ -終の門-
はじめまして。蓮見いちと申します。
※000プロローグのみ特殊な書き方になっております。ご了承下さい。
【選択はいつだって突然に】
「ようこそ、終の門へ」
どこか機械的な声がざらりと耳を撫でる感触で、意識の焦点が合わせられた。 まるで眠りに落ちる際に、夢と現の境界が曖昧なのと同じような自然さで、ぬるりと景色が切り替わっていたことに気づく。
【けれど目の前にある選択肢、そのどちらを選んだとしても “選択肢があった”という事実が人を苦しめる】
そこはただただ真っ暗な空間だった。
在るのは僕と、巨大な2本の柱。そして、その柱に挟まれるようにして異様なものが一つ。瀟洒な意匠を施されたアーチの頂点に、オペラで見るような仮面を備えた巨大な門が存在していた。どうやら声を発しているのはこの仮面 ——というよりも門らしい。石もしくは金属のような、門を構成する材料そのものが存在感を放ち、これが普通のモノではないことを嫌でも実感させる。周囲の空気にさえその重厚さは波及するのか、自然と息が詰まる。異様な空間にあって尚奇妙なその門だけが、この暗闇の中ではっきりと視認できることもまた、本能的な警戒心を引き上げていた。
【左を選べば右に、右を選べば左に。 “もしかしたら”と思いを馳せずにはいられない。 人はきっと、そういう風にできている。 そういう風に、自分を保っている】
「選択を」
【選べば現実に。選ばなければ空想に。 空想の中の自分自身は、救い用のないほどに万能だから】
「願いを」
【いつだって最良を選び取ってきたつもりだった。 いつだって熟慮を重ねてきたつもりだった。 それでも】
「それが真に願うものならば、私は貴方に、この門戸を正しく開くでしょう」
【気づけば僕は、何も持たぬままここにいた】
「けれどもしそうでないのならば、たちまち私は貴方を食い殺す大口と成り果てましょう」
【今何も持たないこれこそが現実なのだ。 だがそれでも選択の責任は自身にあると、奮い立たせるように生きてきた。 反省も後悔もして良い、けれど嘆くことだけは絶対にしないと。 その結末がここだった】
説明は終わったとばかりに輝きだす仮面の門。ズズズ、と重い扉を引きずる音と共に、先の見えないひたすらの闇が、その大口を開けて僕を飲み込まんとする。
「吸われているのか、これ!?」
「願いを」
聞きたいことは山ほどある。けれど扉は既に3割程開いており、徐々に吸引の勢いは増していた。猶予はない。
「人は願いによって生かされています。けれどその輪郭をはっきりと捉えている者はそう居ません」
「よく、、わかんないけど、っ、つまりこれは事実上の死刑ってことかよ…っ!?」
「願いのない魂など、死んでいるのと変わらないということです」
身体ごと引き摺り込まれる力と恐怖とに抗いながら、必死に床にへばりつき頭を回転させる。金、職業、女。適当に叫んでしまおうと思ったが、ギリギリ踏みとどまる。ざっと考えただけでも、その全てが願いそのものから外れていることに気づいたからだ。
(あぁ、輪郭云々ってそういうことか。)
人でないものに人としての欠点を挙げられる状況に思わずひとりごちる。
「とりあえず金を」なんて願いではなく実現のための手段でしかない。では金で何か買いたいものがあるのかと言われれば何も浮かばない。というより“ただ一つで願いを満たすモノ”に心当たりがない。権力や立場はいきなり与えられたところでその務めを果たす能力が伴わない。恋人友人なんてものは、言ってしまえば都合のいい人間を作り出す所業だ。これに至っては突然得体の知れないナニかから”与えられる“ことに不快感に似た何かを感じる。これらは、そう。掴み取らなければ価値を生まない類のもの…そんな”願った時点で願いとしての価値を失うもの“のような気がしたのだ。
結局ーー。
聖水で満ちた盃を望んだとして、願いで得られるものがただ一つで有るならば、「聖水」か「盃」の選択が発生する。 この時点で状況は詰んでいる。そういうことだろう。 きっとこの門は、初めから願いを叶えさせるつもりなどない。
くそ。
くそ。
くそ。
確実に迫り来る死。 大口を開けた門の先にある空間は明らかにこの世の理を超えている代物だ。それが直感的に分かってしまうから、今までの平和な人生の中では決して得られない、最も冷たく残酷な死の予感があった。
そう、この感情だ。この無力感だ。 普通、願いなんて聞かれればすぐに出てくるものじゃないのか。だって他ならない、自分自身のことなのだから。けれど僕にはそれがない。自分という人間が、空っぽで、無感情な、人の形をしただけの何かにすら思えてくる。
どうしてこうなった。
いつからこうなった。
思考は無意識に過去へ。
あの時の選択がこうだったら。
あの時の自分がもっと大人だったら。
必死だったことは覚えているのに。その必死さを抱いた自分がとうに燃え尽きていたことに気づく。徐々に抵抗する力もなくし、ついに身体はふわりと浮いた。
「願いはないのですか」
「はは…っ」
わからない。わからないんだよ。
ただただ形にならないモヤモヤとした感情が。得たいと願う何かが。確かに胸の中で暴れ回っているのに。僕はこれをどうにかしたくて、走り続けてきたはずなのに。
ーーそれがどうしても、言葉にならない。
苦しいと思った。
助けてほしいと思った。
でもその求めさえどうにもならない。
だから、自分でどうにかしないといけないと思ってーー…
「貴方は気づいている。あなたの願いが、あなたの人生において決して叶わないことを」
「つまり、どんなに頑張って生きたところで叶わない願いだったってことかよ…」
「そう。貴方の願いは、叶わない」
暗に貴方の努力は無駄だと。抱いていた苦痛は自己満足と変わらないと。そう言われてしまえば空笑いも出ようというもの。追い込まれて、逃げ場もないこの状況。けれどそれは、今までと何も変わらないじゃないかと苦笑して。ようやく肩の力が抜けた。機会は与えられた。死は間近。
(でも、ここまで言われて黙って死ぬっていうのもちょっとありえない、かな)
もはや荒唐無稽なこの状況を信じるかどうかなどという段階になく、信じるしかない。
事この状況に至って”間違い“などないのだ。これは選択ではない。選択ですらない。残すはただ消えるだけの、悩む余地のない死の分水嶺だ。左右どちらを選んだとしても、そのどちらもが死に向かうのなら。あらゆる常識が恥だと喚くワガママを叫んで死んだところで大差ない。要は綺麗に死ぬか足掻いて死ぬかだ。
「は、はは、、っ!」
「…」
(僕の願いはきっと、勝ち取らなければ意味がない。けれど今のままでは叶わないらしい)
身体はいよいよ門の中へ。
足、膝、腰ーー。
順に吸い込まれていく身体。残った頭は熱を感じるほどの勢いで回転し、言葉を絞り出す。
(ならば今この瞬間、勝ち取るべきものはーー…!!)
「なぁ、本当に僕の願いが見えているっていうならさ」
胸、首、顎ーーー。
いよいよ死が確定するその寸前に。 ありったけのわがままと感情を混ぜ込んで。
文字通り全てを賭ける。 クソッタレなこの世界に。人生に。
「僕を導いてくれよ、そこへ」
目、頭ーーー。
とぷん、と静かに、門の境界に波紋を広げて。
揺れる暗闇へ彼は完全に飲み込まれた。
直後に門は閉ざされて、後にはただ静寂が残る。
「…承りました」
その呟きは彼の願いが叶えられるということに他ならない。 彼、カドカミ カツキはこの日死を迎えた。だがその指先は、死の間際に確かに触れたのだ。彼自身の願いの輪郭へ。そして役目を終えた仮面の門もまた闇に溶けてゆく。少し楽しげな雰囲気を孕醸し出す、無機物らしからぬその門を窺い知るものはこの場にいない。
やがて門が完全に消えた後、その空間に残るものは何もなかった。




