1.追放
べこっ、ばこっ、と肉が打撃される音が響く。それに対して、必死の反撃はゼリー状の体に阻まれてなかなか届かない。一人の男と一匹のスライムの戦いは、なんとも泥臭いまま延々と続いていた。それを遠巻きに眺める数人の男女は、苦笑したり、ため息を吐いたりと、馬鹿にした様子を隠さない。スライムと戦っている男――フィールという冒険者見習い――も、そのことを感じ取り何とかしとめようとするものの、スライムの方も生き残りをかけて必死に抵抗し、決着はなかなかつかないでいた。
「このっ、いい加減にっ、死ねっ!」
何度目かの攻撃だったか、ようやくフィールが繰り出したナイフがスライムの核をえぐり、液体状の生命体は断末魔の悲鳴を上げるかのようにぶるり、と最後に一度震えて、そして動かなくなった。
ぱち、ぱち、ぱち、とおざなりな拍手が周囲から沸き起こる。それがフィールを称賛してのものではなく、むしろ嘲笑の感情が混じっていることを感じ取り、フィールは顔を赤らめてしまった。
「フィール、あかんで。これから本格的な迷宮探索をするのに、それじゃ先が思いやられる。悪いけど出てってもらいましょか」
フィールを遠巻きに取り囲んでいた者たちの一人が口を開く。彼が所属している冒険者パーティのリーダー、ベルルだった。
「な、ちゃんと倒したじゃないですか!」
「あんなスライムに苦戦しとるようやったら、この先もっと強い魔物が出てきたときどうすんねん。どうにもならんやろ?」
「ぐっ、だからって今日までこき使っておいて……」
冒険者を希望する者は通常、冒険者見習いとしてパーティに所属する。そこで雑用をしながら一定の期間が過ぎればパーティの仲間として認められ、一緒に冒険に出ることが出来るようになる。
フィールも随分こき使われた。しかしそれも冒険者になって一攫千金を目指せればと思って耐えてきたのだが、ベルルは非情にもこのタイミングではしごを外したのだった。すでにその期間の長さは数年におよび、普通のパーティならもっと早くに冒険者の適性がないことを伝えるか、あるいは後方支援としての職を与える。だがベルルは違った。
「慣習はあってもそれに従う必要はない。うちのパーティのやり方はうちらで決めるわ。どうしても冒険者になりたいんやったらまた別のパーティに見習いとして雇ってもらい。ほな、迷宮から出るで」
取り付く島もないとはこのことである。ここにきてフィールはようやく、自らが所属していたパーティが悪質な部類に入るのだということに気づかされた。甘い言葉で期待させ、自らの適性についての判断をぎりぎりまでさせない、そしてこき使ってたっぷり労働力を搾取した挙句、最後の最後にポイと捨てるのが、彼らのやり口だったのだ。
思い返せば今日までろくに戦闘訓練も受けてこなかった。たまにやるときはパーティメンバーと軽く打ち合うだけで、やがて大げさに相手が倒れて
「いやー、すごいなフィール!君は才能があるぞ!」
などとおだてられるのだからすっかり本気にしてしまった自分が馬鹿だったのだと、フィールは今更になって後悔した。
そして迎えた初めての迷宮入り、フィールの力量を確認するというのは建前で、本当はスライムと戦わせて実力のなさを思い知らせクビにするというシナリオができていたのだろう。確かに今の戦いで、フィール自身もっと強いモンスターと戦える気はまるでしなかったし、これからそれだけの力量を手に入れるには貴重な幼少期を失いすぎた。
早い話が、まんまとベルルたちに、冒険者になろうという心を折られてしまったのである。
「フィール、残念やな。ほな出るで」
「ま、フィールそうくよくよすんなよ、人生いろいろあるって。ほかにもお前にぴったりの仕事があるからさ」
「そうね、パン屋なんかどうかしら。でも今の非力じゃ、パンだって満足に焼けないかもしれないわね」
仲間と慕ったはずのパーティメンバーはもはやその本性を隠そうともせず、フィールを嘲笑してくる。フィールがこれ以上このパーティにいることができないのは、もはや火を見るよりも明らかだった。迷宮の入り口からわずか20歩。自分の冒険者人生で入った迷宮はこれだけで終わるのかと思うと、フィールはやりきれない思いを持ちながらも、仕方なく踵を返したのだった。