ほしをみつめる
ぼくのそばにいつも君はいた
星を見ていた。
何を思っていたわけでもないし、なにか辛いことがあったわけでもないけれども、いつもはしないことをしている。
空が一番美しく見えるのは、悲しいことがあった時だと、誰かが言った。今のこの星空は、その人達の見たものとどう違うのか、わからない。今見ているものが、美しいのかどうか。それが分からない。
もう寝よう。明日も早い。そう思う。でも、身体は動かなかった。もしかしたら、僕はこの星空を、美しいと思っていて、ずっと見ていたいと、そう思っているのかもしれない。
§
「おーい、起きろー! もう起きないと遅刻するよー!」
聞きなれた声が起きろと言っているのを聞いて、意識は覚醒した。
「うん、おはよ……」
そう言って、身体を起こす。目を開ければ、ドアのところで少女が立っている。いつもの風景だ。特別なことは何もない。
「下で待ってるからさ、早くしてね」
僕が起きたのを確認すると、彼女は部屋を出て行こうと身を翻す。これもいつものこと。でも僕はいつもの様に「わかった」と返事をしなかった。
「ごめん、今日は学校休むことにしたから」
ドアを閉めようとしていた手が、ピタッと止まった。返ってくる声はなんだろうか。ほんの少しだけの時間、全てが止まったように感じた。
「そう、じゃあ下で待ってるから。はやくしてよね」
バタン、と音を立ててドアが閉まった。言っていることは、さっきと同じだ。でも、どこかおかしいのを堪えているようだった。
ベッドから降りて、伸びをする。カーテンを開けると朝日が眩しかった。柄にもなくワクワクしている。そう思った。
早く着替えて下に降りよう。彼女が待ってる。
§
僕は平日の朝にもかかわらず、私服で家を出た。隣には幼馴染の多恵が歩いている。起こしに来た時は制服だったのを、わざわざ私服に着替えている。
「それでどこに行くの、悟?」
多恵が聞いてくる。そういえば、家を出てくるなり、何も言わずに付いてきたので、何も説明をしていなかった。
「昨日、部屋でこれが出てきてさ」
僕はそう言いながら、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。サイズはA3。立ち止まると、それを少し遅れて止まった多恵に向けて開く。
そこには、手書きの地図が書かれていた。文字の様子から、書いたのはせいぜい小学生の低学年位だろう。ひらがなと、少しばかりの漢字で書かれている。
「これ、覚えてるかな。描いた時は多恵も一緒だったんだけど」
「地図……なのは分かるけど。これ、私達が描いたの?」
何年も前のことだ。覚えていなくても仕方がない。そう思って言った。実際、僕だって昨日これを見つけるまで忘れていた。でも、実際に忘れられている事を示されると、なんだか無性に悲しくなった。
「分からないかぁ……。まぁいいや。しばらくは電車移動になるから、そこで話すよ」
そこで言葉を区切って、一旦地図をしまう。歩き出すと、多恵は特に何も言わずに付いてきた。こちらが説明すると言ったら、それを急かすような事はない。物事は一つずつしっかりと。そういう娘だ。
「それで、結局どこに行くの? さっきの地図の場所ってこと?」
「うん、そう。あの地図を描いた場所。彦田山なんだけど」
それを聞くと、多恵は呆れたような顔をした。
「……それ本気で言ってるの? あの辺りまで日帰りで行こうなんて言ったら向こうにいる時間殆ど無いじゃない。それで用事は済むの? 休日にしたほうが良かったんじゃない?」
多恵のその言葉を聞いて、僕は肝心なことを伝えていなかったことに今更ながらに気付いた。
「えーっと……、今日は泊まりにするつもりだったんだけど……、言ってなかったっけ」
§
「ごめんってばぁ」
「もうっ、甘ったるい声出さないでよ! 気持ち悪い」
僕らは電車に乗って彦田山を目指した。乗り換えを合わせて三時間もあれば彦田駅には到着するだろう。目的地にはそこからが長いけれど。
「私、完全に日帰りの装備なのに、泊まりなんて。明日だって学校あるの忘れたわけじゃないでしょ」
さっき日帰りを諦めてる旨を伝えてからは、ずっとこの調子だ。正直、こういう時は対応に困る。そんなに引きずる方ではないから、落ち着くのを待てばいいのだが、今回は少し距離をおくというわけにもいかない。
「学校は出席足りてるし、そんなに気にするほどじゃないかなって思ってたんだけど……」
「あー、もう! 学校のことなんて、どうでもよくて、そうっ! あの地図のことを話してよ。電車乗ったら話すって言ってたじゃない」
どうすればいいのか、考えながら会話をしていたのだが、ありがたいことに自分から話題を修正して来てくれた。興味が移れば興奮もそのうち収まるだろう。
「えーと、どこまで話したっけ」
僕は改めて地図を広げながら話しだした。
§
僕と多恵は記憶のある限り初めから、家族ぐるみで交友があった。世間一般で言う幼馴染よりも少しばかり距離が近いのは、その影響だ。
もう十年も前になる。その日、僕たちは親に連れられて、彦田山の麓にあるキャンプ上へ遊びに来ていた。互いの両親が夏の休暇を合わせて企画した、何のことはないレジャーだった。
僕たちは、キャンプ場の周りに設置された少しばかりの遊具などには目もくれずに、その周辺をすっと散策していた。好奇心旺盛で、怖いもの知らずな子供だったと思う。親には多少なり心配を掛けたこともあっただろう。
「そうして見つけたのが、この地図の印の場所ってこと」
ぼくはそう言って、地図を指さした。その場所には、大きく丸をつけた上で「ぜっけい!」と書かれていた。
キャンプの最後の夜、その時が流星群の極大日となるように。そういう風にスケジュールは組まれていた。僕らは小さいながらもそれを楽しみにして、眠い目を擦りながら起きていた。
「そのとき、ふと思いついたんだ。昼間散策してた時に、森の中で木がそこだけ生えてない一角があって、上を見上げると満点の青空でさ。そこで見たら綺麗だろうなって」
そこまで話すと、真剣な顔をして聞いていた多恵がハッと顔を上げた。
「それ、覚えてるかも。そっか、思い出した。それで、悟が私を連れて、そこに向かって。親にも言わずに。途中で迷って」
昼間と夜では森の見え方がだいぶ違うことに、その時は気付いていなかった。気付いた時にはもう手遅れだった。
「うん。気付いた親が見つけてくれるまで二人でぐずりながら、当てもなく歩いてね。あれは心配かけたろうなぁ」
「この地図、その後に描いたんだね。次は迷わないようにって」
そこまで言うと、多恵は懐かしむように目を細めた。
ここまで思い出したなら、何故今日なのかはもう分かっているだろう。説明はもう終わりだ。ずっと忘れていた思いだけど、強く思った事を思い出した。
「リベンジ、したいなって、思ってたんだ」
§
電車を降りると、そこからは歩いてキャンプ場へ向う。バスも出ていたけれど、時間よりも過程を大事にしたかった。地図に描いた場所に着いた頃には、日はもう暮れようとしていた。
「懐かしいなぁ。変わってない……のかな」
「そうだね。ここだけ周りとは違う時間が流れてるみたいだ」
ここに来るまでに見てきた町やキャンプ場は、どこか自分たちの記憶にあるものとは違った。十年の歳月が経っているのだ。その方が自然だ。でも、そのことがこの場所の変わらなさを強調しているようで、自然と口元が緩むのを感じる。
「実は今日来ようと思ったのには、もう一つ理由があって」
地面に寝転んだ姿勢で言う。多恵が少し離れた所で同じように空を見ているのが視界に映った。
「幼馴染の時間は、今年までに精算しておかないといけないかなって思ってさ」
それを言うと、多恵が訝しげな表情でこちらに向き直る。
「それって、どういう意味?」
僕は空を見たまま続ける。
「僕ら、もうすぐ高校卒業だろ? 大学からはもう違う学校だ」
少し、肌寒くなってきた。日はもう水平線に消えて、空は深い藍色を湛えている。
「ずっと一緒に居られた時間は終わったんだなって」
多恵が、僕の顔を覗き込むように見てきた。暗さのせいで、表情はよくわからない。
「それで、今年?」
うんと小さく返すと、多恵は納得したのかしていないのか、そのまま僕のすぐ隣で仰向けになった。
「……流れ星、見れるといいね」
それにも、うんとだけ返す。それだけでいいと思える関係を今までの時間で築いてきた。
でも、それだけでは駄目な時がきっと来るのだろう。
僕らの見つめる空に、流れ星が一つ、瞬いた。
fin.
あとのことは誰にも分からない




