近付く文化祭
朝から奇妙、いや珍しいものを見せられていた。
「平折、大丈夫ですか? どこか具合が悪いとか気分が優れないとかはないですか? 帰りは寄り道せずに帰――」
「あ、あの、お母さん、大丈夫だからっ……」
弥詠子さんがまるで幼子に接するかのように、平折の身を案じていた。
どこか異常がないものかと、ぺたぺたと全身を撫で回して確認する。平折は恥ずかしさから身を捩じらすも、為されるがままだ。
さすがの過保護っぷりに、平折だけじゃなく俺も戸惑いを隠せない。
それだけ弥詠子さんにとって、平折と有瀬直樹の接触は、平常心を保てなくなる出来事なのだろう。
――かつて平折の首を絞めるなどの虐待をしていた相手と会ったと聞けば、当然か。
『弥詠子さんには十分に説明はしたし宥めたが……落ち着くまでしばらく好きにやらせておいてくれ』
父親からも、そんなメッセージが来ていた。
平折には悪いけれど、しばらく好きにさせてガス抜きをさせたほうが良いかもしれない。
その一方で、母親に構われるという光景は――俺にとって、感慨深いものでもあった。
なんだかんだで平折も満更でもない様子で、俺の目尻も下がってしまう。
「昴君、平折をよろしくお願いしますね」
「あ、あぁ」
「お、お母さん!」
そうこうしているうちに、俺の方にまで飛び火してきた。
引率お願いね、と頼む弥詠子さんに苦笑しつつ、家を出る。
そして駅までの通学路……ここでも珍しいものを見ることになった。
「もぅ、お母さんたら! そんな子供じゃないんだから!」
「ははっ」
「わ、笑わないで下さい……っ!」
「悪ぃ」
ぷりぷりと頬を膨らませ、弥詠子さんへの不満を隠そうともしない平折の姿は新鮮だった。
そしてそれは、弥詠子さんへの信頼があるからこそのものだろう。
――少し、弥詠子さんが羨ましかった。
◇◇◇
ここのところ身の回りで色々事件があったけれど、時は確実に流れていく。
中間テストの終わった学校では、文化祭が間近に控えていた。
教室でもその話題一色で、それは昼休みになって訪れた隣のクラスでも同じだった。
「やっぱりね、既存のものを使うのもいいんだけど、自分達で手作りするのも良いと思うの!」
「わかります! 私、演劇部や漫研の同志にも声掛けます!」
「こ、これを機に興味を持ってもらって沼へ……」
「くふふ……南條さんに吉田さん……着せたいものが多すぎる……このクラスで心底良かったわ……っ」
「ぁ、あの、私……っ」
それは女子の集団だった。
南條凛が先頭に立ち、普段は教室の隅で自分の世界に没頭している系の女子達と共に気炎を上げていた。
平折はと言えば、肉食獣に捕まった子羊の様に、彼女達に揉みくちゃにされている。
巻尺が見えるところから、その寸法を測られているみたいだ。一体どうしたというのだろうか?
「なぁ康寅、あれは何だ……?」
「うちのクラス、ハロウィンコスプレ喫茶することになってな」
「へぇ」
「ハロウィンって銘打ってるけど、実態は何でもありのコスプレ喫茶さ」
それでなのか、いわゆるアニメやゲームが好きだったりコスプレとかに興味がある女子達が中心となって動いているようだった。
もちろん盛り上がっている要因に、平折と南條凛の存在もあるだろう。
2人を着飾らせ接客させるだけで、人気が出るというのは想像に難くない。
もう一度平折に目をやれば、「ろりろりごすろり」「めいどたんはぁはぁ」「巫女服も捨てがたい」「魔女っ子……いや魔法少女っ!」といった声に囲まれながら採寸されている。
――どれも見てみたいな。
ふと色んな姿の平折を想像し、そんな事を思ってしまう。
涙目で着せ替え人形にされている姿を思うと、クスリと笑いが零れてしまった。
「そういや昴のところは何をやるんだ?」
「グラウンドで屋台。何を出すかはまだ決まってない」
「女子の衣装はどうなってる?!」
「……特に無いと思うぞ」
心底意外そうな顔で、「バカな」と呟く康寅をジト目で睨んで後にした。
――文化祭、か。
いつもと違うそわそわとした空気に包まれた学校に、何かが起こりそうな予感を感じる。
◇◇◇
午後からは文化祭の準備の時間に当てられていた。
これより当日までは、半日授業だ。
昼休みからの空気をそのままに、テストからも解放されたという事も相まって、学校中が熱気に包まれている。
それは俺のクラスも同じで、現在屋台のデザインをどうするのかと、屋台で出す物を何にしようかという論議が交わされていた。
――まぁ、特に何でもいいかな……
クラスにはこれといって親しい友人がいないので、いまいち自分の中での盛り上がりに欠けるものがある。
しかし全く何もしないというわけにはいかず、そこそこ料理をしてきた経験があるので、当日の調理担当に立候補した。
基本的に何かを作る物に関しては話し合いの途中なので、手持ち無沙汰だ。
熱の入った話し声は、教室だけじゃなく廊下からも聞こえてくる。
自分と同じような立場の奴は、他のクラスに押しかけておしゃべりをしたり、手伝いをしてくれている人もいるようだ。
そんな人達を横目に見ながら、それならば俺もと、隣にクラスはどうなっているかと覗きにいった。
「どうせやるなら、デザインも自分で考えたいよね!」
「これって、文化祭終わったら自分で作ったのは持って帰ってもいいよね?」
「一度、こういうコスプレってしてみたかったんだよねー」
「ドレスとか一度は着てみたい!」
南條凛は先程の女子達と違い、普段交流のある女子達と一緒に机を囲んでいた。
昼休みはどこか遠巻きに見ていた彼女達であったが、どこか熱に浮かれたような空気の中、色々とデザイン案を出している。
和気あいあいとした空気を指揮し、それを見守る南條凛は、とても良い笑顔を彼女達に向けていた。
――けど、あれはなんていうかその……
「……洗脳」
「……布教と言って欲しいわね」
耳ざとく俺の呟きを拾った南條凛が、俺の傍までやってきた。
あの子達を放っておいていいのかと視線をそちらに投げかけると、自分の役目は終わったとばかりに肩を竦めて苦笑する。
彼女達はノートを広げ、デザインを絵に起こしながら意見をぶつけ合っていた。中には絵の得意な男子もおり、彼女達のイメージを膨らませる補佐をしている。康寅もその輪に混じっては、際どい意見をだして女子からひんしゅくを買っていた。
「敵情視察かしら?」
「まさか。たんに暇なだけ」
そういって、今度はもう1つ集まっているグループへと視線を移す。
そこには昼休み中心となって盛り上がっていた女子達と、平折の姿があった。
昼休みと違ってあわあわとした様子では無く、真剣な表情で話を聞いている。
「これがまつり縫いの方法ね。表からの縫い目がわかりづらくなる縫い方で、自分で制服のスカートを短くする時にも使えます」
眼鏡をかけたおかっぱ頭の女子を中心として、ちまちまと針を動かしていた。
どうやら実際に衣装を作る時の、縫い方の講義がなされているようだ。
南條凛はそこに混じらなくてもいいのだろうか――と途中まで考え、彼女なら裁縫もそつなくこなしそうだと1人納得する。
平折は細かい作業をするためなのか、その豊かな髪を1つに大きく編みこんで毛先の方をバレッタで留めていた。
上手く針を扱えないのか、眉をひそめつつ、時折指をぱくりと咥えて涙目になる。
だけど、前のめりになって一生懸命練習する姿は、微笑ましくも眩しい。
「……バレッタ、平折ちゃんにもあげたんだ」
「あぁ、早速使ってもらってるようで何よりだ」
「……」
「……凛?」
「えいっ!」
「っ?! 何すんだよ?!」
何故か急に、南條凛に鼻を摘まれ引っ張られた。
無駄に高い運動スペックでそんなことをされたので、体勢を崩してこけかけてしまう。
――凛の中で最近流行ってるのだろうか、これ?
抗議の意味を込めてジト目で彼女を睨みつけるも、何故か咎めるような眼差しでこちらを見返され、ちょっと怖気づく。
「ま、昴だし、しょうがないか」
「……意味がわからん」
呆れ気味に呟いた南條凛は、くるりと踵を返して、デザインで紛糾しているグループへと戻っていく。
俺はどこか釈然としない気持ちで、その背中を見送る。
――高校生活二度目の文化祭が、始まろうとしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
更新遅れたお詫びのSSです。
今回の凛の心境的な感じのあれです。
短めですがどうぞ。
*その時凛は……*
(……あ)
そのバレッタにはすぐ気が付いた。
「……バレッタ、平折ちゃんにもあげたんだ」
南條凛は、様々な感情が入り混じった声を漏らす。
その視線の先には、親友でもある吉田平折の姿。
裁縫の手ほどきを受けている彼女は、長い髪が邪魔にならないようにと編みこんでまとめ――バレッタで留めていた。
(……あたしだけ、なわけないよね)
横に目をやれば目を細める倉井昴の顔が見える。
親友に向けられる優しげな眼差しが、何故か胸に痛かった。
ポケットには、昨日彼からもらっているバレッタが入っており、制服の上から弄ぶ。
親友のものが月をイメージしたものだとすると、南條凛がもらったものは太陽をイメージしたもの。
それは普段月と太陽と称される彼女達に、よく似合っているものだった。
「……」
だけど――太陽を象るそれとは裏腹に、南條凛の心の内はまるで曇り空の様に翳っていた。
きっと彼にとって他意はないのだろう。
むしろ親友と同じくらいに思っているからこそ、自分にも寄こしてくれたのだろう。
それは嬉しくもあったが――時折、目の前にあるバレッタを撫でながら奮起して針を動かす親友を見ると、心が軋む。
(これ、あたしが着けてるのをみたら平折ちゃんはどう思うかな……)
そう考えると、どうしても彼女の前で同質のバレッタを使う気になれなかった。
南條凛にとって、平折は掛け替えの無い親友なのだ。
その顔を曇らす行為は、彼女にとって忌避すべきことだった。
チクリと痛む胸を押さえつけ、目を瞑る。
いつもみんなの前で、愛想を振りまく自分を想像する。
大丈夫、普段どおりだ。そうやって自分に暗示をかける。
そんな必死な自分の気持ちも知らず、ニコニコしている昴が憎らしく思えてきた。
「えいっ!」
「っ?! 何すんだよ?!」
腹いせとばかりに彼の鼻を引っ張った。
結構な勢いで引いたので、体勢を崩し、なんとかこけないように踏ん張っている。
どこかやれやれといった様子で抗議の視線を送る彼の目には――親友に向けていたものと同じ、親しい者へと向ける色があった。
同じように見てくれているという事が嬉しかった。
「ま、昴だし、しょうがないか」
「……意味がわからん」
(我ながらちょろいなぁ)
ちょっとした罪悪感と、甘い疼きが胸に広がる。
きっと、このままだと変な顔になってしまいそうだ。
踵を返して元の話をしているグループへと戻る。
南條凛は、自分に初めて芽生えた感情に振り回されているのを自覚していた。
だけど、振り回されるのも、存外に悪くないなと思う自分もいた。
そして最近よく呟くようになった言葉を心の内で呟く。
(困ったなぁ)
次回もよろしくにゃー