もうやめろ
「新年の挨拶以来ですね、有瀬本部長」
「南條、凛……様……」
にっこり微笑む南條凛に対し、有瀬直樹はバツの悪そうな顔をして、自分の娘の手を放す。
さすがの彼であっても、経営者一族直系の娘に対して、軽んじてよい相手では無い様だ。
そして有瀬直樹を見据える南條凛の目は、見た事もないほど冷たい眼差しで、思わず自分の目を疑ってしまう。
南條凛は、その直ぐ傍で立っているだけでも、背筋が凍えるかのような凄みを放っていた。
自分に不利益をもたらす者は、容赦なく切り捨てる――そんな人の上に、組織の上に君臨する冷徹な支配者の風格を醸し出していた。
一夕一朝では身に付かない、ましてや演技では表現出来そうにない凄みだった。
きっとそれは、アカツキグループに生まれ叩き込まれた帝王学が為せるものなのだろうか。
「有瀬本部長、今日は娘さんに私の友人を紹介するという事なのでしたが……あなたの登場は、彼女のサプライズなのでしょうか?」
「え、いや、それは……」
南條凛の目が細められ、有瀬直樹は明らかに気圧される。
その冷たい眼差しに圧倒されるのは、何も彼だけではなかった。
有瀬陽乃は後ずさり、隣に居て味方であるはずの俺でさえ、この空気に呑み込まれて震えてしまいそうだった。
そんな事は知ったことかと、南條凛はこの場を取り仕切っていく。
「一応、有瀬本部長にも紹介しておきますね。私の友人である倉井昴君に――吉田、平折さんです」
「っ?!」
「……ぁ」
「平折っ?!」
南條凛の背後から、おどおどして顔を俯かせた平折が現れた。
有瀬父娘は驚愕の表情で目を見開き、平折を見つめる。
……南條凛は、敢えて吉田と含みを持たせて紹介した。
たとえ有瀬直樹が、今の平折の顔を知らないとしても、その言葉の意味が分からないハズがないだろう。
「娘さんのお友達ですもの、既にご存知かもしれませんが」
「っ! いや、それは……」
それは、お前の秘密を知っているぞと、喉元にナイフを突き付けるが如き言葉だった。
口調は穏やかだったが、どこまでも彼を追い詰める刃に他ならない言葉だった。
静かな微笑みを湛え、有瀬直樹の前に一歩踏み込む南條凛は、彼にとっては死神に見えているのかの様に怯えている。
――それも当然か。
今の有瀬直樹にとって最大の手札は、娘である有瀬陽乃だ。
彼女を広告塔として好きに利用することによって、随分とアカツキグループ内で伸し上がっていると聞いた。
平折の存在は、その基盤を揺るがしかねないスキャンダルの素になる。それを突き付けられ、彼は冷静を保てないような様子だった。
「凛、様……どういうおつもりですか?」
「くすくす、あら私はただ友達を紹介しただけですのに……アカツキグループに多大な貢献をしていただけている有瀬本部長とは、今後も仲良くしたいとは思いますけれど」
「そう、ですか……」
「ですが此度は友人同士の交流、それはお判りいただけたらと存じます」
「……っ!」
それは拒絶であると共に、従属を迫るかのような発言だった。事実、南條凛はアカツキグループに置いて、有瀬直樹の出世を――生殺与奪を握っているに等しい。
きっと南條凛は、平折の父という存在を認めて、我慢できずに飛び出してきたのだろう。
その気持ちはよくわかる。俺も同じだ。見ていて爽快ですらあるし、個人的には彼女を応援した気持ちでいっぱいだ。
だけど――
「本部長は、賢い判断を――」
「それ以上はやめろ、凛」
「――ぴゃっ?!」
「「っ?!」」
なおも獲物を甚振るかのように迫る南條凛の鼻を、俺はいつぞや彼女にやられた時と同じように摘まんで止めさせる。
突然の俺の行動に驚いたのは南條凛だけでなく、有瀬父娘もあんぐりと口を開けて俺達を見た。
「す、昴?! あんたいきなり何を――」
「何を、じゃない。落ち着け、凛」
「あたしは――」
「凛!」
迫力としては、南條凛には遠く及ばないだろう。
しかし俺なりに精一杯の真剣な顔を作って南條凛を睨みつけ――そして平折の方へと視線を誘導した。
「……っ」
「……あ」
そこで初めて南條凛は気付いた様だった。
実の父を目の前にした平折はすっかり縮こまっており、そして小刻みに肩を震わせている。見ている方が痛ましくなるほど、怯えてしまっていた。
平折の今の置かれている状況を考えると、有瀬直樹と何かあったというのは明白だ。それこそ、実父を前に怯え震えるほどの何かがあったというのは、想像に難くない。
確かに今ここで、南條凛の立場を利用して、有瀬直樹を牽制するというのも重要な事だろう。
だけど俺は、これ以上苦しそうな顔をしている平折を見たくなかった。
それに――
「もうやめろ、凛。お前凄い顔しているぞ」
「――っ!」
俺は彼女にだけ聞こえるように、低く小さな声で囁く。
今の南條凛の顔は、かつて彼女の両親が自分の娘に向けていた、他者を道具の様に扱おうとする顔と同じものだった。
俺はそれが、どうしてか許せなかった。
本当は寂しがり屋で構って欲しがりの、この友達思いの少女に、そんな顔をさせたくなかった。
俺の思いが通じたのか、南條凛の顔がいつもの人懐っこいそれに変わっていく。
「っと、失礼、有瀬本部長。私たちはこれで。――誰か、私の友人の為に部屋を用意してくれないかしら?」
「っ! は、はい、ただいまっ!」
南條凛の言葉と共に、近くに控えていた男性が慌ただしく駆け寄ってくる。
身なりからしてここの支配人の様だ。
彼はスタッフと共に具合が悪そうな平折を、奥の方へと先導していく。
「あたし達も行きましょう、陽乃さん」
「え、えぇ!」
「……っ!」
そして有瀬陽乃も一緒にと促し、頭を下げたままの有瀬直樹の横を通り過ぎる。
同じく頭を下げた従業員の群れを横目に、平折の後を追いかけていく。
……
――これがアカツキグループ直系の娘の権力か。
その凄さをまざまざと見せつけられた。
まるで中央集権体制の王国の姫さながらだ。
住んでいる世界が違うと思い知らされる。
「……あんがと」
「別に俺は……余計な口を出したかもしれん、すまん」
「そんなことっ! あのままだったらあたし……」
「……そうか」
だというのに、南條凛にそんな殊勝な態度を取られると、そのギャップに戸惑ってしまう。
「ね、昴。あんた成績良かったわよね」
「いきなりどうした、急に?」
「大学で経営学を学んでさ、そんでもってうちに入って今みたいにあたしを助けなさいよ」
「そりゃ将来安泰だな」
「ふふっ、でしょ?」
そう言って悪戯っぽく笑う南條凛は、これが冗談だと笑い飛ばすにはあまりにも真剣な顔を向けるのだった。
ネタ切れなので、今回は南條凛ににゃあと鳴かせることにしました。
*ある日の南條凛*
それはとある日の昼だった。
「うぐっ……ふぐぅ……っ!!」
机に祖堅康寅が突っ伏して泣いていた。男泣きだった。
その手にはスマホが握られている。
「ねぇ倉井、何なのあれ? 辛気臭い……」
「……好きなアイドルタレントの熱愛報道だってさ」
「は?」
南條凛は呆れて、変な物を見るような目で康寅を見る。
タレントとか、ソシャゲの様なゲームみたいに手が届かない相手の話だ。
それが誰かと付き合っているなんて――とは思うものの、南條凛は考えを改め、祖堅康寅を慰める事にした。
「ほら、他にももっといい人はいるから」
「うわ、うわああああんっ!」
自分のやってきたゲームのソシャゲ、それに公式から男の陰があると、なんだか汚されたような気になってしまったのだ。
「昴ぅ一緒に猫の画像見ようぜぇ……このSNSには猫の画像が溢れててな、心が乱れても慰め――」
「あ、あぁ、猫かわいいよな、猫耳? あ、あぁ俺も好きだぞ。猫耳メイド?! あ、あぁ悪くな――」
だがうまく言葉を紡げなかった。追い打ちを掛ける事になってしまった。
少し悪い事をした気になったが、昴が康寅の話を聞いて慰めていたので、任せることにした。
現実に打ちのめされた康寅は、もっぱら二次元の女の子の話へとシフトしていく。
(ふ、ふぅん。猫耳っ子が好きなのね)
その話を聞いていた南條凛は、彼らの明け透けな男同士の会話に聞き耳を立てる。
どうやら男子に猫耳っ子が嫌いな奴は居ないという話だ。
◇◇◇
「……にゃあ」
家に戻った南條凛は、鏡の前でそんな事を呟いていた。
頭にはネット通販で買った、猫耳を模したカチューシャを付けている。
確かに可愛いかもしれないが、何かが足りない感じもする。
「猫耳メイド、って言ってたっけ……」
もう一つ、隣にはネット通販で買ったメイド服もあった。
胸元がざっくり開いたブラウスに黒のミニのジャンパースカート。純白のエプロンはコルセットの様。
いわゆる萌えに特化したジャパニーズメイド服。
様々な衣装を持ってはいるが、コスプレといったものはしたことが無い。
ドキドキしながら袖を通した南條凛は、あまりのスカートの短さに、下着が見えない様ズロースもありかな、なんて思う。
「にゃーん♪」
着る前は少し恥ずかしかったが、いざ鏡の前でポーズを決めてみると、今までにない高揚した気持ちが浮かび上がってくる。
なんだか今までにない楽しさがあった。
「にゃんっ♪ にゃんっ♪ にゃんっ♪」
気分が乗ってきた南條凛は猫のようなポーズを決めて、せっかくならばと、ぱしゃぱしゃと自分をと撮影していく。
しかしせっかく撮影しても、自撮りではちゃんとしたポーズを決めるのに限界があった。
ならば誰かに撮って貰えばと、スマホを取り出し昴へと電話を掛ける。
「……」
席を外しているのか、呼び出し音鳴るもなかなかつながらなかった。
はぁ、とため息を吐いて横に目をやれば、ベッドの上でぺったんと座って電話を掛ける猫耳メイドの自分の姿。
その非現実的な光景に、なんだか急に頭が冷えて我に返っていく。
――あれ、あたし何をして……?
「もしもし、凛か?」
「……っ!!」
「どうしたんだ?」
「に、にゃあっ!」
掛かったは良いが、すぐさま切ってしまった。
よくよく考えれば、急にコスプレしたから写真を撮ってくれ何て言われたら相手はなんて思うのだろうか?
南條凛はもう一度、顔を赤くした鏡の自分に向かって「にゃあ」と鳴く。
ちなみに、昴には間違い電話! とだけメッセージをおくったのだった。
***
もっとにゃーんと鳴かせてほしい……そう思っくだされば、ブクマや評価、感想レビューをよろしくお願いします。
感想はにゃーんでいいにゃーん。
次回もよろしくお願いしますね。