仮面
非常階段の扉は鉄製でそれなりの大きさだ。
開閉すれば、ギギギと特有の大きな音を出してしまう。
もし今扉を開ければ、ここに誰かいるというのを2人に喧伝してしまう事になる。
――せっかくの空気を壊すのはよくないな。
詭弁と言うのは百も承知だった。自分にそんな言い訳をして息を潜める。
もっとも、平折の言葉で南條さんが気になってしまっている――その自覚はあった。
「ごめんなさい、あたしやっぱり……」
「……そっか」
どうやら結果は、大多数の男子と同じになったようだ。
だがその男子も、フラれた割りにはそこまでショックを受けたような様子には見えなかった。あっさりしたものだ。
相手はあの南條さんだ。元からあまり期待してなかったのかもしれない。
もしくは、やせ我慢なのかもしれない。
だというのに、南條さんの方が悲しんでいる――そんな真逆の事を感じてしまった。
どういうことだ?
困惑する俺をよそに、南條さんと男子はなんとも形容の出来ない空気を出していた。
振ったモノと振られたモノが出す特有の空気なのだろう。
生憎俺は誰かと付き合ったという経験がないので、それがどういうものなのかよくわからない。
2人の間にこれ以上交わす言葉は無く、それじゃと男子は去ろうとする。
「あのっ!」
「……へ?」
その背中に、南條さんが声をかけた。
予想外だったのか、男子が素っ頓狂な声を上げる。
「あたしのどこが、よかったのかな……?」
それは男子にとっては不可解な質問だった。
男子と同じく、俺も不可解な顔をしていたに違いない。
「そりゃ、南條さんは可愛いし、それに色々気が回るし……ははっ」
「そう……うぅん、ありがと」
そしてそれは、男子にとっては追い打ちとなる質問だった。
だけれども、この返事次第で好転するかもしれない――そんな一縷の望みで答えるもしかし、彼女の顔は失望に彩られていった。
――もう話すことはない。
如実に拒絶の意志が、その瞳には篭められていた。
……あれはキツイな。
もしあんな目を平折にされたら、俺は正視することができるのだろうか?
平折でそれをイメージしようとして――やめた。
頭を振り小さく息を吐き、2人に視線を戻す。
あの目を向けられた男子はさすがに居た堪れなくなったのか、彼も泣きそうな顔をしながら、金属の扉をバタンと大きな音を立てて去っていった。
後に残された南條さんは、何かを堪えるかの様な、泣きそうな顔をしていた。
「……」
南條さんはしばらくその場から動かなかった。
俺はそれを息を潜めて眺めていた。
こんなの覗きだ。いけない事だとわかっている。
だけれども目が離せなかった。
その場で憂いを帯びた表情で、儚げに佇む姿は可憐だった。そして得も知れぬ迫力もあった。
俺は空気に飲み込まれ、その場に縫い付けられてしまった。
周囲の男子達が騒ぐのもわかるな――そんな事を思ってしまう。
そして何故か俺はフィーリアさんの姿と被せてしまった。
……何を馬鹿な事をしてんだ、俺は。
「可愛くて気が回る、か……それだけの人ならTVや雑誌にいくらでもいるんだけどな……」
そして突如、自虐的にそんな事を言った。
まるで呟いた言葉が刃になって、自傷しているかのようだ。
わけがわからなかった。
噂では告白100人斬りだなんて言われている。
事実、数えきれないほど断ってきているはずだ。
だというのに、あの表情はどういう事なのだろうか?
何かを逡巡し、そして何かに痛みに耐えるかのような空気を醸し出している。
明らかに、南條さんが他人に見せないような繊細な部分だとわかる。
――出るタイミングを逃したか。
これは俺のようなよく知らない他人が見てはいけないものだ。
きっと平折も知らないような一面だ。
罪悪感じみたものを感じてしまう。
さてどうしたものか。
「かーっ、やってらんねー! あいつも結局上っ面しか見てねーのな」
――ッ?!
突如、南條さんが低い声でそんな事を呟いた。
いつもの鈴を転がすような柔和な声でなく、ドスの利いた低い声だ。
そしてガシガシと、手入れの行き届いた髪が乱れることを気にすることなくかき回す。
豹変。
まさにその言葉がぴったりな変わり様だった。
普段のイメージからかけ離れたあまりにもの変貌に、動揺を隠せない。
「(……平折?)」
何故か。
どうしてか――義妹の顔が意識に上った。
いつもオドオドして目もあわそうとしない地味な少女と、目の前の癇癪を起こして悪態をつく佳麗な少女が、何故か重なってしまった。
「……はぁ」
南條さんはひとしきり感情を爆発させた後、のそのそと乱れた髪を整え始めた。
自分で何をやっているんだろう? そんな自分に呆れているかのようだ。
そしておもむろにスマホを取り出し、何かを操作しだした。
用事で出てきた友達にでも連絡しているのだろうか?
…………
意識がそちらに向いているうちにそ知らぬ顔をして出て行くか、もしくはごめんなさいと声をかけるか――
「気立てが良くて可愛いだけならウリエたんの方が可愛いでしゅよね~っ! 早く水着や浴衣のウリエたんをお迎えしなきゃだし、ガチャひこガチャ! イライラした時はガチャに限――」
「ぶふっ?!」
「――だ、誰?!」
再度、南條さんが豹変した。
これまた普段のイメージとは遠い、猫撫で声でスマホに話しかけた。
のみならず、スマホに頬ずりまでしだした。
しかもくるくる回って変なダンス付きだ。
そんな突拍子も無い行動に、今度は思わず噴き出してしまった。
見られていたとは露知らず、どこか動揺して顔色を悪くした南條さんが、周囲を伺っている。
……さすがに隠れていることは出来ないな。
「すまない、覗くつもりは無かったんだ」
俺は悪気が無いという意思を示す為に、両手を挙げて姿を現した。
南條さんの俺を見る目は警戒に彩られており、睨みつけるかのようにこちらの様子を観察してくる。
「へぇ……?」
まるで値踏みするかのようにジロジロと見られる。
その相手は南條凛だ。
いつもの人懐っこい笑顔ではなく、不機嫌と敵愾心を隠そうとしない目だ。妙に迫力がある。
それに俺は接点が何もない他人もいいところだ。
さて、どう言ったものか。
俺は頭をかきながら、綺麗な柳眉を吊り上げる美少女と向き合った。
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