憧れの
その日の午後の授業中は、平折の事ばかり考えていた。
物静かで自分の席で本を読んでいることが多い。
友達がいないわけじゃないが、仲の良いグループの隅っこで聞き役が定番。
クラスでも地味で目立たず取り立てて何かがあるわけではない、どこにでもいるような大人しい女子。
平折と言えばそんなイメージだ。
だから、話題の中心になっていた昼休みの光景が意外だった。
意外と言えば、平折が助けを求めるようにこちらを見たこともそうだ。
俺と平折は家でもそうであるように、学校でも接点が無い。
今まで学校で声を掛けたことも無ければ、目も合った事すら無い。
一体どういうつもりだったのだろう?
そんな事ばかり考えているうちに、放課後になってしまった。
開放感からか、教室は私語で騒めいている。
その喧騒に誘われるかのように、康寅がうちのクラスに顔を出しに来た。
「昴ー、ゲーセン寄って帰らねー?」
「おぅ――いや、やっぱ今日はいいや」
そうか、と言って康寅は好きな音ゲーのリズムを口ずさみながら去っていく。
部活に所属しているわけじゃないので、放課後に予定はない。
バイトもたまに単発のを入れるくらいだ。
だから基本的に遊びに誘われれば着いて行くことが多いが、今日はそんな気分にならなかった。
どうしても、昼間の平折の表情が気になってしまった。
それを思い出すと、早く平折と何か話さなければ、という気持ちになってしまう。
だというのに、すぐに家に帰る気持ちにもならなかった。
頭の中は平折のせいでぐちゃぐちゃだ。
◇◇◇
「ただいま」
玄関に俺の声だけが響く。
結局コンビニに寄ってバイトの求人誌を眺め、普段より30分ほど遅れての帰宅になった。
平折のローファーが乱雑に脱ぎ散らされており、先に帰宅してるというのを物語っている。
――まるで昨日の焼き直しみたいだ。
昼間の事、何か言わないと――そんな事を考えながらPCを立ち上げた。
「ひどい! 助けてくれてもよかったのに! あと遅い!」
ゲームにインして早々、フィーリアさんにお叱りを受けた。
「どうやってさ?」
「そ、それはその……どうにかして?」
「女子の話の中に入っていってか? あれは無理だろ、強く生きろ?」
「うぐぐ、クライス君が冷たいっ!」
なんだか拍子抜けだった。
開口一番非難めいて拗ねる言葉は長年の親友に対するそれであり、本気で恨んでいないというのがよくわかる。まさに軽口そのものだ。
そのせいか、平折に対する申し訳なさやら何か言わなきゃという気持ちが霧散してしまった。
場の空気はすっかり、気の置けない友人とのそれになっていた。
俺の呼称が以前と同じクライスのままというのもあるのだろう。
「そもそも、あれは何だったんだ?」
「うぐっ、それはその、南條さんに昨日着て行く服や美容院の面倒を見てもらいまして……」
「へぇ」
「わ、私にもですね、見栄というのがあるんですよ!」
「……」
「な、なにさ!」
平折の格好といえば、家でのジャージ姿位しかイメージがない。
オシャレとは無縁というか、私服姿の記憶を探すのが難しく、髪だっていつもぼさぼさだ。
そういえばカラオケセロリに行った時、平折は随分早く家を出て行ったっけ。
なるほど、あれにはそういう裏があったのか。
普段の姿から忘れがちだが、平折だって年頃の女の子だ。
そういったものに興味があってもおかしくは無い。
そんな義妹の異性を感じさせる言動が意外だったのか、胸がざわめき動揺しているのがわかる。
実際、先日の平折の姿にはドキリとさせられてしまった。
いつもと違って手入れの行き届いた長い黒髪と、見た事の無い淡い色合いの服とのコントラストは、清楚さと可愛らしさが同居して、平折の良さをこれでもかと引き出していた。
もし俺が待ち合わせに遅れていれば、ナンパされていたかもしれない。
それほどまでに、平折は魅力的だった。
だが平折は大人しい性格だ。
もし、よからぬ男に強引に声を掛けられて――
…………
なんだろう、想像するとお腹の奥底の方がムカムカとしてきた。
そもそも平折はどういう相手に見せるつもりで、あんなお洒落に気合を入れたのだろうか?
――いや、それはもちろんのことながら、ゲームの俺なのだが……
……色々考え始めると、なんだか胸が詰まってしまうような、イライラしてしまうような、何とも言えない感情を持て余してしまう。
あー、なんだかよくないな。
「そういやさ、平折は南條さんと仲が良かったんだな」
「ふぇっ?! う、うん。中学から同じクラスが続いてるし、それなりにね? もしかしてクライス君も南條さんの事が好きなの?」
「や、別に」
「またまた~! あの子すっごく可愛いしね、わかるよ~! このアバターとか似合いそうじゃない?」
そう言ってフィーリアさんは、花をモチーフにしたアイドル衣装の様なアバターに着替えた。
短いスカートの裾は花の様なフリルがあり、現実だと舞台ならともかく、普段着にはしないものだ。
やっぱりパンツの色が合ってないとか、胸元の強調が足りないとか親父くさいことを言っている。いつものフィーリアさんだ。
「そうそう知ってる? 南條さんって結構な隠れ巨乳なんだよ。多分EかFはあるんじゃないかな?」
「んぇっ?!」
いきなり学園のアイドルのスタイル事情を話された。
「いやもう、制服越しに何度か触った事あるけどね、それはもう柔らかいしズシリとくるの! あれは顔を埋めたくなるよね!」
「おまそれ、俺はどう答えればいいんだ」
「大きなおっぱいって良いよね!」
「お、おぅ」
他にも着替えの時見た鎖骨や脚のラインがたまらないなど、女子同士でないと知りえない生々しい情報を伝えられドギマギしてしまう。
南條凛は美少女だ。そこに疑う余地は無い。客観的に見て可愛い容姿だと思う。
そんな彼女の秘密ごとめいたものを教えられ、なんだかムズムズして落ち着かなくなる。
一体俺にどう反応しろというのか?
ただ平折が南條さんに対して、並々ならぬ思いを持っているのだけはしっかり伝わってきた。
「くっ、豊かな南條さんに比べて私のは……ッ! 不公平……不公平だよ! そう思わない?!」
「いや、その……」
嘆く平折の胸は、確かに豊かとはいえない。
だが先日の平折の姿を思い出せば、胸など些細なことだと言いたくなる。
思わず『胸の大きさはともかく、こないだの平折は可愛かったし、普段からあんな格好をs』とまで打ち込み、そしてふと我にかえった。
――俺は今、何を打とうとしてた?!
まるで口説くかのようなチャットがモニターに書かれている。
書いていた時はフィーリアさんに対する軽いノリで書いていた。
だけど、その悪友が平折だと――無口で恥ずかしがり屋の女の子だということを知ってしまっている。
軽率な事を言って、平折に変に思われたらどうしよう?
どうしてそう思ってしまったのかはわからない。
だけど、そんな恐怖にも似た感情に支配され、書きかけのチャットを消していく。
「はぁ、いいなぁ……可愛くて明るくて皆に好かれておっぱいも大きくて――私ね、南條さんみたいになりたかった」
「平折?」
一瞬どういう意味かよくわからなかった。
反射的に、何か違う、と叫びたかった。
何か言いたくて、言わなきゃいけない気がして、でも何て言っていいかわからなくて――
思わず、初めて出会った時の平折の姿を思い浮かべてしまう。
「それよりトレハン行こうよ!」
「今からか? 夕飯に障るぞ」
「ちょっとだけ、ね?」
「ったく」
だが言った平折本人も、その言葉を無かったようにしたいのか、矢継ぎ早にチャットを打ち込んでいく。
自分でも逃げだとはわかる。だが、その言葉に便乗してしまった。
…………
南條さんみたいになりたかった――
その平折の言葉は、画面のログだけじゃなくて、俺の心にもしっかり残った。