出会った頃の平折は……
平折と初めて出会ったのは今から5年近く前だった。
中学に上がる前で、まだまだ寒い季節だったのを覚えている。
仕事一辺倒だった父が、突如再婚したいと言い出したのだ。
『よろしくね、昴くん。平折もあいさつなさい?』
『……』
記憶の中の平折は、儚げで線の細い女性に連れられて、今と同じ様におどおどしていた。
第一印象は、今と同じ地味で目立たない子だった。
『ん……よろしく』
『~~っ!』
当時の俺は、女子と話すということが、やたらと気恥ずかしかった。
ブスっとした顔で、ぶっきらぼうに手を差し出すものの、びっくりしたのか弥詠子さんの後ろに隠れられてしまう。
――失敗した。怖がらせてしまった。
幼心にそんな事を思った。
ただただ不器用で、そんな風に接することしか出来ない自分に嫌気が差した。
どうしたものかと、俺は随分と困った顔をしてしまったのを覚えている。
今更意味のない事だけど、ふと考えてしまう時がある。
あの時、ちゃんと笑顔で手を差し出していれば、今の関係は変わっていたのだろうか?
……………………
…………
「……」
随分と懐かしい夢を見てしまったようだ。
窓からはカーテン越しに、強烈な日差しがアピールしている。
9月の半ばを過ぎたとは言え、今日も暑くなりそうだ。
「ふぁああぁ~あふ」
寝巻きのまま、欠伸を噛み殺しながらリビングに降りた。
昨夜は色々と平折の事を考えてしまい、寝不足だった。
今日が月曜日だというのも、憂鬱に拍車をかける。
瞼を擦りながらガチャリと扉をあけると、その音に驚いたのか、ビクリと身体を震わせる女の子がいた。
「平折」
「……っ!」
同じ屋根の下に住んでいるわけだから、顔を合わすのはいつもの事と言える。
今朝の平折は、見慣れた校則どおりの制服姿。
他の女子は大体それに抵触しない程度にスカートを短くしたりするのだが、平折は見事に膝まで隠れて黒タイツ。
髪も昨日と違い、後ろで無造作にひっつめただけ。
出会ったときと同じく、地味で目立たない子だという印象そのものだ。
果たして昨日出会った平折は本当に平折だったのか?
思わず昨日の平折と重ねてしまう。
だが、なかなか昨日のリアルフィーリアさんと重ならない。
思い出すのは目の前のお堅そうな制服姿とは違い、ふんわりとした女の子。
まるで、守ってあげないとと言う庇護欲に駆られる儚げな女の子だ。
その子を思い出しながら、5秒か6秒じっと見つめる。
それはほんの僅かな時間だ。しかし、確かに見つめ合うような構図になってしまった。
何とも言えない空気が流れる。
まつ毛、長いな。唇もぷっくりとしていて……
……いやいや、俺はどこを見ているんだ? 相手は義妹だぞ?
あと平折は何でいつものように逃げ――
――……
何か、いつもと違うな。違和感を感じてしまう。
いつもなら、顔を合わすとすぐに逃げられるからだ。
「――ええっとその、おはよう?」
「~~っ!」
いつもはしない挨拶をしてしまう。
だが、挨拶は何故か疑問系になってしまった。
……
こういう時なんて言っていいのかわからない。
思わず俺も気恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。
視界の端に移った平折の耳は、赤く染まっているのが見えた。
「…………ってきますっ」
耐え切れられなくなったのか、平折に逃げられてしまった。
搾り出した言葉は小さく、最後の語尾が聞こえるだけ。
俺たちの関係は、出会った頃から変わっていない。
だけど、確実に何かが変わろうとしている――そんな予感に心臓がけたたましく鳴り響いていた。
◇◇◇
昼休みといえば、学生が一番活発に動き出す時間だ。
どの教室でも様々な声が飛び交い、喧騒に包まれている。
俺は隣のクラスに赴き、見慣れた男子生徒に話しかけた。
雑誌を広げながら弁当を食べている、行儀の悪い奴だ。
「おい、次授業で使うから辞書返せよ」
「っと、昴か。わりぃわりぃ!」
男子生徒は見た目同様、軽薄なノリで答える。
へらへらと笑う顔は、悪いとは微塵にも思ってなさそうだ。
彼は祖堅康寅。
クラスは違うが、俺の数少ない友人である。
「ちょっと待ってろ。確か机に入れっぱに……あれ?」
「ったく」
ない、ない! と言いながら、康寅は机や鞄の中身をひっくり返し始めた。
基本的に良い奴なのだが、こういう困ったところがある奴だ。
「え、うそ、これが吉田さん?!」
「気合入ってるけどデート?! ねぇこれデート?!」
「きゃー、うそー! イメージ全然違う~!」
「でしょ~、コーデしたあたしもびっくりしたんだから!」
「あの、ちがっ……」
聞き耳を立てていたわけじゃないが、教室内の女子グループの話し声が聞こえてきた。
吉田さんと言われたその子は、顔を真っ赤にして、おろおろと俯き恥ずかしそうにしている。
何やらスマホの画面と見比べられている様子だ。
あわあわしているその姿は、俺の良く知る平折そのものだった。
旧姓、吉田平折。
平折は学校では倉井姓ではなく、吉田姓を名乗っている。
これを知るのは学内では一部の教師だけだ。
「はぁ、南條さん可愛いよなぁ」
「康寅」
いつの間にか康寅が、だらしない顔をしながら隣に来ていた。
視線の先は同じく、平折がいる女子グループだ。
その中で、飛び抜けて可愛い女子がいる。
肩甲骨までかかる明るい髪をひと房編みこみ、愛嬌と華がある容姿の美少女。
南條凛。
学内でも知らぬ者が居ないほどの有名人。
入学以来定期試験は1位を維持し、代理で出た数々のスポーツの大会でも良い成績を残している。
更には街に出れば、モデルのスカウトをされては断るのに苦労するという。
断った告白は100を超え、事実、去年まではひっきりなしに呼び出されていた。
「はぁ、あんな子が彼女になってくれればなぁ」
「でもお前振られたじゃん」
「うっせ!」
かくいうこの友人も、南條凛に告白して振られていた。
当時は大泣きに泣き、慰めるのに苦労したものだ。
そんな事があったとはいえ、それでも、康寅はこうして傍からうっとりと眺めている。
康寅だけでなく、他の男子も何人か似たような視線で彼女を眺めていた。
それだけ、彼女に魅力があるという事だろう。
実際、彼女はかなり可愛いと思う。
それだけでなく勉強もスポーツも出来、更には容姿にも恵まれている。
人当たりも良く、男女共に好かれている。
おおよそ欠点とは無縁な感じの女の子だ。
だけど――
「――どこかうそ臭いんだよな」
「何か言ったか、昴?」
「いいや、何も」
見るものを魅了するような笑顔を振りまき、会話を牽引している南條さんを見る。
見た目だけでなく、時に皆の興味を引く話題を出し、また時には聞き役に徹する。
あまりにも、誰かが拵えたかのように出来すぎていて、そういう風に演じているんじゃないか――などと感じてしまった。
俺の考え過ぎだろうか?
それよりも、今は平折の方が気になった。
ぐるぐる目を回して大変そうな様子だが、決してイジメとかそういうモノでは無いようだ。
南條さんが平折を不快にさせないよう、絶妙に会話の流れをコントロールしている。
……ま、大丈夫か。
「ほい、辞書。机の奥底で眠ってたわ」
「失くしてなかったか」
「さすがにオレも借りたものを失くしたりは! した時は……新品にして返すよ?」
「……失くすなよ、その前に忘れるなよ」
へへ、悪かったって、と手を合わせる康寅を横目に、教室を後にする。
やれやれ。
「……」
「……っ!」
最後に振り返ったとき、涙目の平折と目が合った。
助けを求めているのは明白だったが、残念ながら学校での俺と平折に接点は無い。
もし話に割って入っていけば、彼女達に新たな燃料を注ぐことになるのは想像に難くない。
――だから俺は、曖昧に笑って誤魔化した。
「吉田さん、他にもお勧めがあるんだけど――」
「え、いや、その、私――」
余所見をしていた平折をどう思ったかはわからない。
ただ南條さんが、平折が誰を見ていたか追求されないよう、強引に話を切り出したかのように見えた。
……
何故だろう?
自分でも分からないが、どうしてか南條さんとフィーリアさんが重なってしまった。