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ありがとう、お義兄ちゃん


 赤く染まった住宅街を足早に歩く。


 俺が前で、その少し後ろが平折。

 先ほどと同じ構図だが、心なしか2人の距離は近かった。


「……」

「……」


 2人の間に流れるのは、最近お馴染みなりつつある沈黙だった。

 ただいつもと違うのは、俯き顔を赤くしているのが俺だという事だろうか。


 ……我ながら大胆な事を言ったと思う。


 色々と勘違い(・・・)されても可笑しくないような内容だ。

 実際、南條さんへの対抗意識めいたものがあったというのも否定しない。

 しかし、無意識の内から飛び出した本音というのも事実だった。


 だからその事を自覚すると、熱くなる顔を夕日のせいで誤魔化せないほどになってしまい――そっぽ向くことしか出来なかった。


 ――もしかしたら、普段平折が逃げ出すときの心境ってこんな感じなのだろうか?

 そんな事を思ってしまう。


 考えれば考えるほど、それらを打ち払うかのように、足の運びが早くなるだけだった。


「……ただいま」

「……ぃま」


 結局気まずい様な、むず痒いような空気のまま、家に着いてしまった。


 平折と視線を微妙に外したまま靴を脱ぐ。

 お互い名残惜しい様な気持ちがあるのか、妙にノロノロと脱いでいるのがなんだか可笑しかった。


「あら、お帰りなさい。2人が一緒だなんて珍……し……い…………平折?」


「弥詠子さん」

「~~~~っ!!」


 俺達の帰宅に気付いたのか、弥詠子(義母)さんが出迎えてくれた。


 だがその顔は、俺達の――正確には髪を降ろしどこか垢抜けた平折の姿を捉えると、どんどん驚愕に満ちたものへと変化していく。


「……」

「……」


 平折と弥詠子さんの間に、何とも言えない沈黙が流れる。

 互いに何と言っていいのか分からないといった様子の沈黙だ。


 見つめ合っては、目をしぱたたかせ、時折小さく身動(みじろ)ぎする。


 傍から見れば、何をしているんだろうかとつっこみたくなるような光景だ。


 しかしよくよく見れば驚きだけじゃなく――戸惑い、歓び、そして心配……それら様々な感情が込められているのがわかる。


 それらは確かに、母娘の会話だった。

 まったくもって、似た者母娘だった。


「……そぅ」

「……ぅん」


 どこか安心したかの様な微笑みを魅せる弥詠子さん。

 そしてはにかみながらコクンと小さく頷く平折。


 ……残念ながら俺には、平折たちの会話(・・)の内容まではわからなかった。


 だけど、2人の間に通じる何かがあったのだろう。

 そこには言葉はなくとも母娘(家族)の信頼ともいえる絆があった。


 ――それが何だか、少し羨ましかった。



◇◇◇



 その日の夕食は、心なしか豪華なような気がした。


 平折の好きなポテトグラタンは、いつもよりふんだんにチーズが盛られている。

 付け合わせのサラダは白身魚のカルパッチョに変化していた。


 そして何より、弥詠子(義母)さんの機嫌がすこぶるよかった。

 ニコニコと目尻が下がった瞳が見つめる先は、髪を下ろして若干のお洒落をした自分の娘(平折)だ。


 ――そういえば、弥詠子(義母)さんがおシャレした平折を見るのは初めてなんじゃないか?


 ……なるほど、それが嬉しい事……なのか?


 その平折はと言うと、ニコニコ顔の弥詠子(義母)さんにずぅっと見られているのが恥ずかしいのか、むず痒そうにしていた。


「ご、ごちそうさまっ」


 顔を終始真っ赤にしたまま夕食をたいらげた平折は、耐えられないとばかりにそそくさと自分の部屋に戻っていった。


 ――やれやれ、相手が母親でも似たような反応か。

 そう思うと、口元が何だか緩くなるのを感じた。


 っと、そう言えば平折とゲームをしようってわざわざ約束していたんだった。


 いつもは特に示し合わすことなくログインしたりしていたが、こうして待ち合わせのように約束するのは初めてじゃないか?

 わざわざ遊ぶ(ゲームの)約束をするという事に、なんだか特別な事をしているかのように錯覚し、なんだかそわそわしてきてしまった。


 ――あまり待たせると、平折に文句を言われるかもしれないな。


 そう考えると、なんだかくつくつと笑いが漏れてしまった。


 早く向かわないとな……目の前の食事を片付ける事を再開した。


「ありがとうね、昴君」

「……んぐっ?! んっ……けほっ!」


 それは不意打ちだった。

 変なタイミングでポテトグラタンを飲み込んでしまい、咽てしまう。


「ご、ごめんなさいっ」

「いえ、大丈夫です……」


 妙に間が悪くて、こうあたふたするところとか平折と似ているな、などと思ってしまう。

 だけど、いきなりお礼を言われるその意味がわからなかった。


「一体何のことかわからないんですが……」

「何って……平折の事よ」

「平折の?」

「えぇ」


 どういうことか分からなかった。

 困惑したままの表情で弥詠子(義母)さんにどういう事かと目で話す。


「あの子にはずっと我慢を強いてきたわ……いつしか自分を押し殺し、当然だと思うようになり、私もそれを受け入れてしまった。周囲に迷惑かけたくない、目立ちたくない……そんな思いから、あの子はいつも地味にしていたのよ」

「はぁ……」

「自分を変えようと思って、あんな格好をしたのでしょうね。きっと、昴君の事を信頼していたからこそ、甘えたのだと思うわ。あなたのおかげよ」

「……どういうことです」

「……ふふっ、どういうことでしょうね?」

「……わかりません」


 平折が俺の事を信頼している……その事を母親から告げられ嬉しかったのは事実だ。

 だけど、どうしても俺のおかげだというのが、理解できなかった。


「平折は自分を変えようとしている。勇気を出したのは平折だ。俺は何もしていない。だからお礼を言われる筋合いは……」

「昴君……」


 実際俺は何もしていない。

 努力しているのも、一歩踏み出そうとしているのも、全て平折本人の力だ。

 俺はそれを黙って見ていただけだ。


 むしろ、先に進もうとしている平折に対して焦燥感に似たものさえある。


 だから、お礼を言われても正直困ってしまう。


 そうだというのに――


「そういうところ、かしらね」

「はぁ」


 弥詠子(義母)さんはニコニコと目を細めて、俺を見てくるだけだった。


「でもね、昴君。これだけはあの子の母親として言わせて」


 そして、ふと俺と向き合ったかと思えば、どこまでも真剣で――そして慈愛に満ちた母親の顔でこう言った。


「平折の良いお義兄ちゃんになってくれてありがとう」


「……」



 ――お義兄ちゃん。


 なんだか馴染みのない言葉だった。

 確かに俺は義兄になるのだろう。

 はっきり言って、同級生だし義兄だという自覚なんて全くない。


 あぁ、だけど――腑に落ちてしまった。


 何故平折があんな態度を取ってくるか分からないところがあった。

 それまで没交渉状態だっただけに、戸惑いすらあった。


 義兄(あに)に甘えたい義妹(いもうと)――そう考えれば色々と辻褄があってくる。


 ズキリと胸が軋んだ。

 それはどういう痛みかはわからない。


 しかし唯一つ、ハッキリしていることがあった。



 俺は――平折の笑顔が見たいということだ。



 そこだけは間違えてはいけない。


 それに――


「平折は……平折だ」

「昴君……?」


 先ほど平折に言ったばかりの言葉を思い出す。


 平折は平折――その呟きは、まるで自分に言い聞かせるかのような 暗示じみていた……


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