何やってんだ……
その夜、俺はなかなか寝付けないでいた。
色々考え過ぎて気疲れしているはずなのだが、一向に眠気はやってこなかった。
――平折が孤立していた。
何度も寝返りを打っては、その事を考えてしまう。
実際、本人が言う様に深刻なことではなかったのだろう。
それは今の平折を見ればわかる。
今更考えても仕方のない事だ。
俺が考えても意味のない事だ。
だけど知らなかった。
そんな事も知らないほど、今まで俺は平折と向き合ってこなかった。
――そんな俺が、今更平折と仲良くしたいだなんて……
どうしても、その思いから逃れることが出来なかった。
後悔にも似た思い、それと自分へのいら立ちが、胸の中で荒れ狂う。
最近浮かれていた自分が、馬鹿みたいだ。
そんな思考をぐるぐる繰り返し、ロクに睡眠をとったという実感がないまま、朝を迎えてしまった。
……
気分は最悪だった。
眠くて頭がフラつくクセに、思考は妙に冴え渡っていた。
お腹の奥底には、何か得体の知れないものがぐるぐると暴れている。
それでも起きないわけにはいかず、のそのそとベッドから這い出ることにした。
なんだか、平折と顔を合わせづらい――
「……っ!」
「平ぉ……」
――だというのに、いきなり顔を合わせてしまった。
自分が部屋を出てくるのと、平折が部屋から出てくるのは同時だった。
名前を呼ぼうとするも、尻すぼみになってしまい、最後まで呼ぶことができなかった。
平折は既に制服姿で、手には鞄を持っていた。
もう家を出るところなのだろうか?
髪はひっつめ、膝が隠れる長いスカートに黒タイツ、いつもの優等生な感じだ。
その表情に影はなく、小さな安堵のため息をつく。
「……」
「……」
なんともいえない沈黙が流れる。
最近お馴染みの沈黙だ。
決して悪くはない沈黙だ。
平折は目線は逸らしつつも、俺を意識しているのがわかる。
だけど、どうしたことか俺の方が平折を直視できなかった。
「……ぉ」
「――ッ!」
不意打ちだった。
それはいつもと違った変化だった。
平折の方から、何か言葉を口にしようとした。
なんて言おうとしたかわからない。
だけど――急に怖くなってしまった。
動揺したまま、まるで逃げるように、自分の部屋に戻ってしまった。
事実、逃亡以外のなにものでもなかった。
そのままずるずると、扉を背にして床に吸い寄せられるかのようにへたり込む。
背中からは、あたふたとしている平折の気配が、扉越しに伝わってくる。
それが余計に、罪悪感を加速させた。
――俺は、何やってんだ……
◇◇◇
朝から俺は陰鬱としていた。
休み時間もしかめっ面で頬杖を突き、周囲に負のオーラを撒き散らす。
さぞかし周囲は迷惑なことだろう。
昼休み、そんな俺にわざわざ声を掛ける奇特な奴なんて、康寅くらいしかいなかった。
「今日はどうしたんだ、昴? 便秘か?」
「ちげーよ、康寅」
へらへらと茶化すように言うこの友人が、実は心配してとの事だというのも知っている。
放っておけばいいものの、わざわざ声を掛けてくるところが、本当、憎めない奴だ。
……
正直なところ、吐き出して相談したくもあった。
だけど、それは出来ない。
神妙な顔で首を振る俺に、何かを察したのだろう。康寅もそれ以上何も言わなかった。
「昼、どーすべ? 学食? 購買?」
「あー……今日弁当だから」
「そっか」
「すまん」
これ以上康寅に気を遣わせまいと、嘘を吐いた。
食堂方面に向かう康寅を見送り、俺も席を立つ。
どこか気晴らしになるような場所に行きたかった。
廊下に出れば、あちこちから活気のある声が聞こえてくる。
それが今は、ちょっと恨めしい。
「ねぇねぇ、お昼どうする?」
「涼しくなってきたし、中庭にいかない?」
「じゃあ購買かな~」
「いいの残ってるといいんだけどね~」
廊下を歩いていると、南條さんを中心とした隣のクラスの女子たちとすれ違う。
その中には当然、平折もいた。
「ぁ……」
「――っ」
目が合ってしまった。
今までなら、もし視線が合ったとしても、そのまま何事も無かったかのようにやり過ごすところだ。
だというのに――
「……っ」
平折は俺の方を見ながら、ぎこちなく小さく手を振ろうとして――そこで目を逸らしてしまった。
きっと、今の俺は変な顔をしている。
それを見られたくなかった。
「ん? どうかした、吉田さん?」
「……うぅん、なんでもない」
「そう? 大丈夫?」
「うん……」
俯き、顔を見ないようにして平折たちとすれ違う。
「あ!」
「凛ちゃんどうしたの?」
「うぅん、なんでもない」
「早く行こ?」
お昼何にしようか? 昨日の番組の事だけど! 来週の追試いやだなぁ
目まぐるしく変わる彼女達の話を背中で聞いた。
楽しそうな会話だ。
その輪の中に、平折がいる。
それはとても良い事だ。
だけど――
ギィ、と鈍い音を立て扉を開く。
そして非常階段に腰掛けて、大きくため息をついた。
「はぁ……なにやってんだか」
そう言って空を見上げる。
ぐちゃぐちゃになっている心の内とは正反対に、雲一つ無い快晴だ。
あの空の様に、何も問題が無いハズだ。
だというのに、どうしてか自分の中で鬱屈とした思いが溜まってしまっていた。
目を瞑れば平折の顔が思い浮かぶ。
今朝から、随分と嫌な態度を取ってしまったかもしれない。
せっかく縮まりかけた距離が、また開いてしまうかもしれない。
そう思うと、余計陰鬱な気分になってしまう。
――こういう時フィーリアさんなら、今まで平折と知らなかったフィーリアさんなら、どうなんだろう?
平折の事はわからない。だけど、長年接してきたフィーリアさんなら――
そう考えた時、突如その場に光が差したかのように錯覚した。
「見つけた!」
「フィー……南條、さん?」
軽く編みこまれた明るい髪に、華やかな相貌。
一瞬フィーリアさんかと錯覚してしまった少女。
「って、うわぁ……辛気臭っ! やめてよね、あたしにまで伝染しちゃう」
「……うるせーよ」
目の前に現れたのは、学内の誰しもが認める美少女――南條凛がそこにいた。