知らなかった事
朝からそんな事があったせいか、その日は一日中妙に康寅に絡まれてしまった。
「おい、何をしたら南條さんに話しかけてもらえるんだ?」
「知らねーよ」
「くぅ~、さっきからニヤついて……興味無いフリして、やはり昴も男か」
「ちげーよ」
休み時間のたびに教室にきては騒いでいた。
それが妙に鬱陶しくて、放課後のチャイムと同時に逃げるように帰宅した。
普段の俺と南條さんに接点はない。
だから何かあったのではと、邪推されてしまったのだ。
もっとも、彼女は誰にでも気さくに話しかける性分だ。
朝の件で勘ぐるような人は居ない。
周囲の反応から、何も無いというのを察して欲しいのだが……
実際に何かあったと言えばあったのだが――馬鹿正直に答えられるものじゃない。
とにかく、気にするのは康寅くらいだった。
「ちょっと、クライス君! 南條さんと何かあったの?!」
「いや、何もないが」
ログインして早々、フィーリアさんに詰め寄られた。
訂正、平折も気にしていたようだった。
「別にあんな事なんて、珍しいわけじゃないんだろ?」
「それはそうなんだけどね……うぅん、上手く説明できないけど、南條さんがいつもと違ったというか……」
「気のせいだろ」
「ぐぬぅ」
思わずドキリとしてしまった。
『本当に、南條さんとは何でも無いn』
何度かそんな事を打とうとして……消した。
あまりに繰り返して言えば、怪しまれると思ったのだ。
上手く説明できる自信もなかった。
このまま平折の気にし過ぎだと言う事で、シラを切ればいい。
――まったく、厄介なことをしてくれた。
南條さんに対し、そんな恨み言めいた事を思ってしまう。
確かに、俺と南條さんの間には秘密事めいたものがある。
でもそれは色っぽいような話でもないし、聞けばきっと下らないと思うようなことだ。
だから、平折にわざわざ言わなくていい。
それはまるで自分に対する言い訳みたいだな、などと思った。
だけどどうしてか、平折の顔が脳裏にちらつき、隠し事をしている後ろめたさなものを感じてしまった。
何だか歯がゆかった。
南條さんの猫被りは、わざわざ秘密にしてくれと言うくらいだ。平折も知らないのだろう。
もしかしたら他に知る者はいないのかもしれない。
わざわざ喧伝して回るほど性根は歪んじゃいないし、そこまで南條さんに興味があるわけでもない。
「メイクもいつもの感じと違ってた気も……何かあったとは思うんだよね……」
「俺が知るわけないだろ」
しかし平折は、納得していないようだった。
まったく南條さんの細かな変化まで、よく観察している。
それだけ平折の興味を引いている南條さんに、嫉妬めいた感情を抱いてしまう。
だから先ほどから答える言葉が、ぶっきらぼうになっている自覚はあった。
子供みたいな自分に、呆れてしまう。
「南條さんのこと、よく見てるのな」
「そりゃあ、孤立から救ってくれた恩人だからね」
――――。
予想外の言葉だった。
一瞬、思考が停止してしまった。
その言葉に、意識が冷え込んでいくのがわかる。
まるで背中に氷柱を差し込まれたかのようだ。
「孤立?」
「中学の頃ね……ほら、現実の私の性格ってあんなだし、再婚で地元も離れちゃったから」
「そうか」
「だから、南條さんには感謝してるんだ」
明るくなんでもないようにフィーリアさんが言う。
だからそれが、既に過去の事だというのがよくわかった。
だけど、心臓が喧しいほどに早鐘を打つ。
手は汗に濡れて振るえ、キーボードを打つのも覚束ない。
返事を返せたのは奇跡だったと思う。
ふと、ここ最近の平折の姿を思い出した。
地味で物静かで真面目な感じだが、友達の輪の中に居て、時折笑みを零す。
先日はコラボのアバターの件で浮かれてニコニコしていたし、そのせいでドジもした。
周囲はそんな平折をいじったりフォローしていたりした。
話の中心になることはないが、蚊帳の外になることもない。
一見真面目で大人しそうで、だけど何処か抜けてて目が離せなくて――
決して、1人で寂しそうにしている顔を見たことはなかった。
脳裏に浮かんだのは、今朝俺に向けられた平折の笑顔だ。
それが何故か、急速に色褪せ、崩れていく。
――おれ、は……
「他にも、助けてくれた人もいたしね」
「そっか」
「感謝してるんだよ?」
「そっか」
思考はぐちゃぐちゃで、相槌以上の台詞が出てこない。
平折が何か言っているが――その意味はよくわからなかった。
ただ、罪悪感にも後悔にも似た感情が、胸の中で荒れ狂っている。
よくよく考えれば、すぐにわかることだ。
平折は父の再婚と同時に、この家へと引越す形となった。
当然、周囲に知り合いもいない。
そして、あの性格だ。
――もしあの時、俺がしっかりと手を伸ばしていたら……
「それよりですね、クライス君が意外と勉強ができると聞きまして」
「それなりにだが」
「お願い! 数学教えて!」
「追試か?」
「うぅぅ~油断してた……」
だが俺の内心とは対照的に、平折はいつものノリのままだった。
それに引き摺られるように返事を返す。
孤立してたことなんて、きっと既に過去になったことなのだろう。
あぁ、そうだ。
少なくとも、今の平折が孤立しているということはない。
今朝の笑顔が何よりの証拠じゃないか。
過ぎたことだ。
解決したことだ。
たらればの事を考えても、仕方ないのはわかっている。
だけど、どうしても考えてしまう自分がいた。
――画面の向こうにいる平折は、今どんな顔をしているのだろうか?