どうして?
エッセイ等を書いている別府様からレビューを頂きました!
幾分か柔らかくなった朝日が、カーテン越しに部屋に差す。
それをベッドの中から、鈍い頭でぼんやりと眺めていた。
昨夜は寝つきが悪かった。
自分の中の気付いた気持ちに、戸惑いのようなものを感じてしまっていた。
それがどういう類の感情かもよくわからない。
だからそれを、どう処理していいのか持て余していた。
ひとたび意識してしまうと、焦燥感にも似た、胸を掻き毟りたくなるような思いになる。
あまり気持ちの良いものではなかった。
……
思えば、都合のいい話だと思う。
何せ今まで没交渉だったのだ。
家でも学校でもロクに会話した記憶もない。
平折にしてみれば、突然の事だと思うかもしれない。
事実、昨日の夕食はギクシャクしていた。
「でも、嫌われてはいないよな……?」
自分を鼓舞するかのように呟いてみるも、確信には至らない。
不安や焦りにも似た感情が増すだけだった。
ゲームの中の平折と現実世界の平折、その反応は極端に違う。どちらが――
思考の袋小路に入りそうになったところで、頭を振りベッドから出ることにした。
時刻を見れば、目覚ましがまだ鳴る前の時間だった。
いきなり態度を変えると不審がられるかもしれない――だがどうすれば良いかという妙案は出てこない。
鏡を見ればしかめっ面をしているだろう顔で、階段を降りる。
「……あ」
「っ!」
リビングから出てくる平折と遭遇してしまった。
折り目正しく制服を着こなし、ひっつめ髪の、地味な印象の女の子。
鞄を持っているところを見るに、今から登校するところなのだろう。
「……」
「……」
互いに僅かに視線を逸らし、無言の時が流れる。
何か言うべきなのだろうか?
何を言ったらいいのだろうか?
時間にして数秒の、しかし、ただただ気まずい時間だった。
こんな時フィーリアさんなら――
「…………っ」
平折はこの空気に堪えられなくなったのか、赤くなった戸惑う顔を伏せ、俺の脇をすり抜け玄関に向かおうとした。
「平折っ!」
「~~っ?!」
無意識の行動だった。
気付けば平折の手首を掴んでいた。
自分でもびっくりだった。
平折のひんやりとした肌の感触や、そのあまりにもの細さにもびっくりしてしまう。
華奢だとは思っていたけどこれほどとは――
「ぁ……ぅ……」
「っ! いや、その……」
平折が奏でた、辛うじて搾り出すような、しかし鈴の音のように聞き心地の良い声で我に返り、慌てて手を離した。
――ああ、くそ! 俺は何をやってるんだ……っ!
「……おはよう、平折」
「…………」
口から出てきたのは、そんな言葉だった。
もっと気の利く台詞もあったと思う。
自分で自分が嫌になる。
平折は無言で俺に掴まれた部分を、もう片方の手でさする様にしながら踵を返し、背を向ける。
――やらかしてしまったか。
平折の立場になって考えれば、今までロクにかかわりの無かった男に、急に手首を掴まれたのだ。警戒されても仕方ないだろう。
その線の細い背中を眺めながら、自分の突飛な行動に、後悔ばかりが押し寄せる。
「……ぉはようっ!」
「……っ!」
その声は小さいけれど、遅くなったけれど、確かに返事を返してもらった。
たった一言の台詞が、不安や後悔を洗い流していってくれる。
耳や首筋まで真っ赤になった平折が、逃げるように玄関を開けて出て行った。
――嫌われてないよな……?
なんだか足元が軽くなった気がした。
きっと俺は単純なのだろう。
◇◇◇
「実力テスト返すぞ~、赤点は追試と補習があるから心するように」
朝一番のSHR、そんな教師の発言で、教室の中は阿鼻叫喚の様相となった。
聞いていない、成績とは関係ないって聞いたのに、等と抗議の声も聞こえてくる。
そんなもの知ったことかと一気に返されるテストの束に、教室の空気は悲喜こもごものものに包まれた。
これは夏休み明け早々に行われたテストだった。
テスト範囲は夏休みの課題の範囲だったので、ちゃんとしていればそれほど苦労はしない。
俺はと言えば、上の下といったところだったので――まずまずといったところか。
それなりの結果に胸をなでおろす。
……
そういえば平折はどうなのだろうか?
今まで気にしたこと無かったというのに、妙に気になって仕方が無い。
――平折に振り回されているな
そう自虐的に独りごちるが、不思議と悪い気はしない。
気付けば隣のクラスに足を運んでいた。
そんな自分の行動にびっくりした。
こちらでもテストが返されたようで、悲喜こもごもとした空気は一緒だ。
当然ながら俺と平折は学校での接点は無い。
急に話しかけたりするのは不自然だろうか?
もしかしたら、あらぬ誤解を招いてしまうかもしれない。
距離は詰めたいと思うが……それは望むところではない。
――平折に迷惑をかけたいわけじゃないからな。
しかしここまで来て、何もせず帰るのも不自然だ。
ならば康寅はと探してみれば、机の上に突っ伏して微動だにしない物体を発見した。
それは、全身から近寄りがたい陰鬱なオーラを発する屍だった。
クラスメイトも腫れ物を扱うかのように遠巻きに見ている。
一瞬声を掛けるのも躊躇ったが――ここで引き返すと平折の様子を伺う事もできない。
大きなため息を1つ吐き、観念して話しかけた。
「どうしたんだ、康寅?」
「昴……へへ、やっちまったんだぜ……」
突っ伏したままの体勢でくぐもった声で答える。
それが一層辛気臭さを演出していた。
正直ちょっと気色悪い。
「赤点か。いくつだ?」
「……全部」
「逆に凄いな」
そしてそのまま動きを止め、哀愁漂うオブジェに戻った。話す気力もないのだろう。
康寅は普段から遊び惚けてあまり勉強をしないので成績が悪い。去年も進級のときギリギリで世話をしたのも覚えてる。
赤点は完全に自業自得なので、同情はしない。
そして――
「…………ふふっ」
康寅と同じ様に、虚ろな表情で嗤う女子が居た。
目立たず、校則通りの制服を着こなした真面目そうな女子――平折だった。
その焦点の合わない瞳は、絶望に彩られていた。
……悪かったのだろうか?
「うそ、凛ちゃん全教科90点越え?!」
「数学なんてかなり嫌らしい問題だったのに?!」
「南條さん、マジかよ」
「さすが成績首位独走、実力テストでも健在か」
「あはは、たまたまだよ~」
そんな2人とは対照的に、クラスの皆に囲まれ照れ臭そうにしている女子がいた。南條さんだ。
何人かとは答案を持ちより、間違えた個所を教え合っている。
ああいうのを才媛、というのだろうか?
平折はグループの隅の方で眩しそうに南條さんを見つめ、いつの間にか復活した康寅は、ほぅ、とため息をついて見惚れていた。
だがしかし、どこか彼女に違和感を感じてしまう。
先日の非常階段の時とも違う。
まるで無理して明るく振舞っているみたいで、顔もどこか普段と違――
「あっ」
薄っすらと目の隈を隠すように化粧をしていた。
寝不足なのだろうか?
「どうした、昴?」
「いや、なんでもない」
急に声を上げた俺に、怪訝な顔をする康寅。
女子の目の隈を指摘するというのは野暮だろう。
そんな事を考えていると、どういうことか南條さんと目が合ってしまった。
「倉井君どうだった? そこそこ成績よかったよね?」
「っ?!」
「昴っ?!」
「ふぇっ?!」
それは予想外の問い掛けだった。
訳がわからなかった。
平折も康寅も怪訝な声を上げた。
俺は変な顔をしていたのだろう。
南條さんがクスクスと、からかう様な笑みを零している。
康寅はどういう事だと怨嗟も籠もった目で睨み、平折はお化けか幽霊に遭遇したかのような驚愕の表情を浮かべ、青くなっていた。
俺と南條の接点は無い。
あるとすれば、先日の非常階段での一件だけだ。
普段通りにしていれば、まず関わりを持たない。持てばそれだけ勘繰られるリスクが高まる。
――一体、どういうつもりだ?
妖しく笑うその口元からは、猫が逃げ出しているのがわかった。