問題はシャワータイムの後で
ヴィヴィがシャワーを浴びている間、私は椅子に座ったまま力を抜いて瞳を閉じる。耳からはシャワーの水滴が落ちる音が聞こえてきた。
瞳を閉じて私は家族の概念を作り上げようとした。
家族ってどういう意味なのか……それを私は理解していなかった。
今まで独り暮らしだからだろうか?
それとも大人のクセに家族という定義を理解していないのだろうか?
もし、家族というものを理解していないのなら、私なりに考える必要がある。ヴィヴィを家族として扱うなら……これから共に暮らしていくのなら。
ドールズに家族はいない。生まれてから保育所生活だし、その後も寮生活だ。
カーティスも確か、役人用の寮に住んでいると聞いた。
ルームメイトが居たとしても、それが家族と言えるのかどうかは少し怪しい。
家族同然の仲とは言えるだろうが家族とは言い切れない。
では、家族の概念って何なのだろうか?
昔、カーティスは知識として家族を知っていると言っていた。
ドールズは他の人間と育つ環境が違う。しかし、これではドールズではない人と相手をする時に会話に困ってしまう。
だから一般常識として普通の人間の普通の暮らしを知識として覚えるのだという。
家族という知識を知っているようだし、家族というものが何なのか知りたければカーティスに聞けば教えてもらえるだろう。
次にあった時に聞いてみるべきか……私はモゴモゴと口を動かして考える。
知識と実際は割と離れている物である。それに私は大人になってしまっており、学ぶには時間がかかってしまう。
肌で味わうしか理解できないのだろう……家族というものは。
随分と昔の話だが、私にも家族がいた。
父も母も居たが今は居ない。
父は私が赤ん坊の時に死んだので顔は知らないし、母は十年以上前から行方不明だ。
母はある日、私の前から忽然と消えた。
当時の私は、親にすがるしか生きていく方法を知らなかった。
アテもなく彷徨っているうちにパラサイトが集まるベルリン近くにたどり着き、たまたま通りがかったカーティスに仕事を紹介してもらった。
その時のカーティスは私と同様に若く、仕事を始めたばかりの新人だった。
カーティスはその時からの仲だ。
それからパラサイトとして生きている。
もう十年以上も独りで暮らしている私にとって、家族は既に記憶ではなく自分自身の歴史となっていた。
この付近には家族連れも多いので、ほかのパラサイトに尋ねるという方法もある。
しかしパラサイトは仕事以外の馴れ合いを殆どしない。
たまに立ち話になる事はあるが、仕事には必要のない情報は三歩歩くと忘れてしまう。最終的に残るのは断片的で役に立たない情報だ。
だから私は家族を知らない、忘れてしまったし、もう思い出す事もできないだろう。
そんな私が家族を得た。
本来なら喜ばしい事だが、ヴィヴィを預かったのは仕事である。
金目当ての娘は果たして家族と言えるのだろうか?
それとも家族ではなく仕事の対象なのか?
金いう軽はずみな気持ちで受けるべき仕事だったのだろうか?
今更そんなこと考えても契約書にサインをしたので遅い。
既に仕事は始まっているのだ。
「俺はパラサイト、仕事があれば請ける。今回もアークから仕事を請けた。普段とは違うがそれだけだ」
自分にそう言い聞かせた。
自分自身で決意を固めたが、これが壊れるのは時間の問題かなと自分自身に鼻で笑ってやった。
シャワーの音が止んだ。
どれほどの時間が経ったのかは知らない。
女の子がシャワーにどれだけの時間をかけるか、男の私には分からない。
男よりは長いだろうが、具体的な時間は知らない。
「あのう、すみません」
シャワールームの奥から声が聞こえてきた。相変わらずシワシワと震えた声だが、どこか寒そうに感じた。
「バスタオルはドアの横にあるぞ。カゴの中だ」
「あ、ありがとうございます。使わせていただきます」
「次回以降はイチイチ許可を取らなくていいからな」
物を一つ使うのでさえ、私の許可制だとコッチが参ってしまう。
もし、許可制の生活だとするならば、私は一日に何回、許可しなければならないのだろうか?
考えるだけでウンザリなので許可制はナシだ。
「そっか、これが家族か……」
何となく、そしてボンヤリと家族という概念が見えてきた。
家族は作るものではなく、そして学ぶものでもなく、感じるものなのだろう。
家族が感じるというものなら、そこに血縁の有無は全く関係なく、そんなものを飛び越すことは非常に容易なことだ。
体を拭き終え、そして着替えが終わったのか、ヴィヴィはシャワールームから姿を現した。
何かと問題のある姿で……。
「ヴィヴィ、一つ聞いていいか?」
「何でしょうか?」
姿を現したヴィヴィは疑問点だらけであった。
少なくとも、その姿はシャワーから上がったようには見えない。
「なんで服が変わっていないんだよ」
私の常識としてはシャワーを浴びたあとは寝巻きに着替える……そのはずだ。
なのにヴィヴィは着替えていなかった。
ここの玄関を通った時と同様、地味で味っけのない灰色のコートを着ている。
「……え、コート?」
コートは室内では着ない。
部屋には薪ストーブを焚いているので十分に暖かいハズだ。
コートを着る必要など何処にも存在しない
「服がこれしかないのです」
だってそうじゃない、ヴィヴィが言った。
おかしいのは私なのか?
ヴィヴィではなく、私の方がおかしいのだろうか?
どうやら少しだけ記憶を遡る必要があるようだ。
頭皮をマッサージして脳神経を活性化させてから、ゆっくり思い返してみる。
えっと……ヴィヴィがここに来た時、コートの中にセーターとスカートを着ていた。
その他には……あれ、他に何か持っていただろうか?
少なくとも私は覚えていない。ヴィヴィの服以外の所有物に全く覚えがない。
――と、いうことはだ。
「着の身着のまま来たのか!?」
「だからそうと……」
泣きそうな声だが、泣きたいのは私の方だ。
ヴィヴィはカーティスに連れられて来た。
私はその時のヴィヴィをカーティスの持ち物として見てしまっていたのだ。
持ち物の持ち物まで気を配っていなかった。
ヴィヴィが服の他に何を持ってきたのか、そんなの考えているわけがない。
ヴィヴィが必要な物を用意していなかったカーティスには、長い付き合いでも少しの殺意を覚えた。
気が付かなかった私の方にも非はあるが、仕事用具はちゃんとしてもらいたい。
「ちょっとそのまま待ってろ、着替えを用意する」
「別にこれでも構いませんが……」
「こっちが一方的に構ってやる」
シャワールーム内をよく見ると、バスタオルの下にヴィヴィの服が見える。
下着まで視界に入ったが、相手は子供とはいえ女なので考えないように努力した。
服が一式、バスタオルの下敷きになっているという事は、今のヴィヴィはコートの下に何も来ていない事になる。
全裸にコートって、どんな神経があれば考えつくのだろうか? 是非とも聞いてみたい。
「頼むからコート一枚だけというのは、本当に勘弁してくれ」
「寒い時期だけど、丸一日ずっと着た服だから、汗が染みていてキモチワルイ。だか
らコレでいい」
無駄だろうと思って聞いたら、この回答が返ってきた。
外側に着ていたコートならキモチワルクないらしい。
はぁ……としかコメントができない。
不幸な事に私は十年以上、このボロ小屋で一人暮らしをしていた。
ここには一人暮らしを前提とした物しか置いていない。
物資はある程度だが余分にある。
実際に夕食時、食器の数が足りないという事態は無かったが、食器とは違い、服はどうしようもない。
三十を超える私と、十二のヴィヴィではサイズが違いすぎるからだ。
一階の端っこにあるクローゼットをドパーンと開けて、ビシャーンと中身を漁るが、ヴィヴィが着れるような服は見つからない。
「紅茶を飲んでいいですか~」
壮絶なる状況の中、ヴィヴィが壮絶をかき消すような呑気な声を吐き出す。
「勝手にしろ、コップの位置はさっき教えた場所だ。それと紅茶は無い、水かお湯で我慢しろ。ポットはテーブルの上、火傷には注意しろよ」
ヴィヴィは呑気だが私は必死だ。
どんな問い掛けでもヤッケ付けになる。
そもそも初対面である私に対して全裸(正確にはその上にコート)というヴィジュアルをよく見せられるものだ。
シャワー後のドリンクタイムを奇妙な格好のヴィヴィが満喫する中、私は妥協に妥協を重ねてワイシャツと肌着、ボクサーパンツと夏用のズボンをチョイスした。
ワイシャツのボタンを一番上まで留めれば、ヴィヴィでも着れるだろうし、ズボンは紐で縛る事ができるタイプだ。
大丈夫でしょう、大丈夫であってくれ。
妥協まみれの服をドリンクタイム中のヴィヴィに押し付け、そして着替えのために一時的にシャワールームに監禁し、着替え終わったと声が聞こえて扉を開くと、そこには手が完全に隠れたブカブカのワイシャツに、その割に丈が短く、ダボダボのズボンを着こなすヴィヴィの姿があった。
シャワールームで着替えたせいか、頬が少し紅潮している。ズボンのはずなのにブカブカすぎてスカートのようにヒラヒラしていた。
「さっきよりはマシか」
「さっきの方が過ごしやすいです。この服、プカプカ」
プカプカがどんな状況なのか知らないが、お前の意見など聞いちゃいない。
この家の主は私だ。ヴィヴィには悪いが私の指示に従ってもらう。
「はぁ……明日は買い物だな。それも大量に買う必要がある」
数時間前にカーティスから貰った給料が早速、使われるようだ。
報酬にヴィヴィの生活費が入っているので、その方面では気にしない事にしよう。
ヴィヴィの服を買ったとしても、お釣りは十分にある。
「お出かけなの?」
その通りだとも。ヴィヴィの服を買いに行かなければならない。
それと、プラスアルファで紅茶を買おう。さっきヴィヴィは紅茶を所望していた。
ヴィヴィはコーヒーを飲むことができないが、どうやら紅茶は飲めるらしい。水だけでは可愛そうだ。
ヴィヴィがここにいる期間が決まっているとは言え、三年はそれなりに長い期間だ。
その三年間、ヴィヴィが過ごしやすいように私は最善を尽くすつもりだ。
明日はその下準備となる。ヴィヴィが私と三年間、過ごすための準備だ。