エラー
「知っての通り、俺たちアークは技術者団体だ。アークは技術で世界貢献しようとしてい
る。その主軸が何なのかは君でも知っているはずだ。」
カーティスは自信満々に話す。
強い口調と強い眼差し、それは自分の所属しているアークが正しい事をしていると思っ
ている証拠と言える。
「当然知ってる。ドールズマーチ……遺伝子を置き換えた人間を生産し、効率の良い社会
をつくる計画……」
私は少し投げやり気味に答えてやる。
あまり答える気力が沸かなかった。
「大正解だ」
嬉しくない拍手を送られた。
「核月間事件以降、この地球では人間の遺伝子異常も増えたし寿命も短くなった」
これは人類滅亡も危惧されていたくらい重要な問題だった。
減った人口を増やす事が急務だったのだ。
「人を増やしたいなら生むより作るほうが良い。普通に生むよりも確実だし遺伝子から設
計するから丈夫な人間になる。人の才能も調整から効率の良い教育が行えるし、適切な仕
事を与えられる。自然に任せると才能の偏りがどうしても出てしまったり、自分の才能に
気がつかないまま一生を終えてしまう事もあるが、ドールズマーチにその心配はいらな
い」
遺伝子を自由に置き換えた人間を"ドールズ"と呼ぶ。
人形のように作る事が出来るからだ。
そしてドールズを使った社会を"ドールズマーチ"と呼ぶ。
生まれながらにして将来という台本が決まっており、その通りに生きる。
その様子を軍隊の行進と重ねたらしい。
「この私、カーティスもドールズだ。役人として生まれ役人として生きている。そのため
の教育は徹底して受けた。逆にそれ以外の教育は受けていない。そんな知識や技術は私に
は不要だし才能的に考えて理解できないだろう」
カーティスは私の友人だが、彼の所属するアークが掲げるドールズマーチに関しては否
定的な考えを持っている。
勿論だがカーティスにこれを話したことがない。
人間を効率よく生産する。
急激な人口減少に直面した人類にとっては正論と言えるだろう。
だが、それは人間が行って良いものなのだろうかと私は考えてしまう。
人間の行う行為を超えているのでは……そう、私は考えてしまう。
普段はこのような事を考えないようにしている。
カーティスは私の友人だからだ。
今日の私が何故、考えてしまっているのか、その答えは簡単だ。
カーティスの隣に座っている少女、ヴィヴィがいるからだ。
カーティス以外のドールズが尋ねて来ることは非常に稀なので、どうしても意識してし
まう。
「ヴィヴィもドールズなのか?」
この質問の答えは簡単に予測が付く。
それを承知で質問した。
アークの九割五分はドールズだ。
ヴィヴィがドールズだっていうのは聞かなくたってわかる。
でも私の心の奥底では、この少女がドールズではない事を望んでいたのだ。
だから私は分かっている質問をした。
「不正解だ。残念ながらヴィヴィはドールズではないよ」
渋柿を喰ったような声でカーティスが答えた。
私は表に出さずに心の中だけで一瞬、喜んだ。
この人形のような少女がドールズではないという事、それを私は素直に喜びたかったの
だ。
でも、本当に一瞬の喜びだった。
カーティスの答えを聞いたヴィヴィが明らかに暗くなった。
顔を下に向けたヴィヴィには自分自身の髪が顔に被さり、こちらから表情を探ることは
出来なくなった。
「ヴィヴィはエラーだ」
「エラー?」
エラーという言葉が何を示しているのか知らないが、あまり良い言葉では無い事だけは
察する事が出来た。
「遺伝子を好きなように置き換えた人間、それがドールズだ。アークはその技術を日夜研
究しているが、それでも確実じゃない。たまにヴィヴィのようなエラーが出る」
「ドールズとは違うのか?」
ヴィヴィはまだ顔を下に向けている。
私が怖いからではないかと思い、なるべく平静を保ち、余り疑問形な言葉を使わないよ
うに努める事にした。
「ドールズでも生育環境や遺伝子の突然変異等によって、意図しない個体が生まれてしま
う、もしくは育ってしまう。それがエラーだ」
カーティスは最後に君なら知っているだろうと付け加えた。
仕事の取引先なのでアークの知識はそれなりに持っていたが、踏み込んだ事情まで知ら
ないし、私は勉学はサッパリなので技術的な話になると聞き流す。
勉強は嫌い、勉強のような話になるとイライラする。
今がまさにその時なのでコーヒーで沈下させた。これといった沈下能力は無かった。
ヴィヴィが仕事に関わる以上、私はエラーについて最低限の知識が必要になる。
嫌いだしイライラするが、我慢してカーティスのミニ授業を受けた。
以下に要約するが、実際は十五分ほど授業が続いた。
コーヒーはその間に飲み干した。
ドールズは可能な限り設計通りに成長するように作られている。
疫病などを防止するためにある程度のバリエーションを用意しているが、基本的に同じ
用途なら同じ遺伝子のドールズが複数用意される。
全く同じ遺伝子を持ち、全く同じ育て方をすれば多少の誤差はあれど同じ人間が育つは
ずだ。
ところが、同じ遺伝子にも関わらず意図しない個体が生まれたり、もしくは育ったりす
る。
誤差レベルならともかく、それを超えてしまうと面倒だ。
例えば、肉体労働を前提にした筈なのに筋力が弱く、むしろ頭脳明細……。
これでは計画的運用社会のドールズマーチにとって大きな障害となる。
だからエラーとしてドールズとは分けて呼ばれる。
エラーの要因は簡単に言えば遺伝子の突然変異……本来、生物が持つべき力である。
生物は生育環境に適合すべく育ち、場合によっては遺伝子を変化させる。
天然の中では重要な突然変異もドールズマーチにとっては、不要どころか余計な要素
だ。
生まれる人間がどんな物か、それが分かっているから教育も社会も最適化することがで
きる。
突然変異なんて邪魔でしかない。
「誤解しているようだから言っておくがドールズも血の通った人間だ。エラーが出たから
といって簡単に捨てたりはしない」
「さっきのミニ授業で思いっきり邪魔って言っていたじゃないか」
「確かにそうだが、この世に生まれてしまった命だから粗末にはできない。ドールズマー
チに反対する集団は少なからず存在する。そいつらの叩きどころでエラーの存在と対処が
一番目立つ」
核月間事件の直後はドールズマーチは重宝されたが、それは昔の話だ。
ウクライナの集団を始め複数の集団が除染技術を次々に生み出していき、時間こそ何十
年もかかったが当初の見込みよりも早く土壌除染が終わった。
生物汚染も減っていき、時に核汚染を疑われる事案は出るが非常に希となっている。
ここまで来るとドールズマーチに頼らずとも人間を存続させる事が容易になって来た。
人間による遺伝子操作が許されるのか、改めて人類に問われるようになり、ベルのような
宗教的集団からはドールズマーチに反対と公的に発言している。
ベルはアークと同じく巨大な集団なので世界の影響力も巨大だ。
アークは他の集団や団体にもドールズマーチを推し進めているが、実際に導入している
団体は僅かだったりする。
ベルの影響は不明だ。
「エラーが出た時の対処法を教えしよう」
聞いてもいないのにカーティスが説明してくれた。
聞きたくないので聞き流すつもりで聞くことにする。
「生まれる前に行う遺伝子検査、そして保育士の記録や知能テストの結果でエラーと判断
されると、そいつはエラーを専門に扱う学校に入学される」
通常のドールズは五歳から十二歳までの間、読み書きや計算などの基本的な教育を行
う。
その後、十五歳までの三年間は人それぞれ専門的な教育を行う。
ドールズに進路希望など不要、生まれたその瞬間に人生が決まっている。
でもエラーは違う。エラーは生まれた時に定められた道とは無関係に進んでしまう。
だから特別な教育が必要となるのだ。
最も、それは教育というよりも矯正に近いものである。
「エラーは十二歳まで特別学校に預けられる。それから十五歳までの三年間、アーク内の
何処かの部署に預けられる。社会に適合できるか判断するためだ」
「何処かの部署って何処だよ」
「毎回違うが今回はここだ。最初に話した通り今回の仕事は三年間、ヴィヴィを預けると
いう事だ」
そう言ってカーティスは私に向かって指差した。
エラーは十二歳になると適当な部署に預けて社会体験をさせる。
十五歳になると、そのエラーがアークにとって有益か無益かを判断する。
有益だとアークに残留、無益と判断された場合は――余り考えたくない。
カーティスによるとエラーは大抵、ドールズの足を引っ張る結果になる。
だからエラーを引き取ってくれるような部署は中々見つからないのだそうだ。
そこで白羽の矢が立ったのが私であった。
とても単純な話である。アークに無いのならアーク以外の場所を探せば良い、それだけ
だ。
「何故ここなんだよ。俺が言うのもなんだがパラサイトは不安定で不定形な集団だ。もっ
と大きくて安全な団体……ベルは無理でもリバーサイドとか色々あるだろう」
リバーサイドもアークと同じ、世界中に点在するような巨大な団体だ。
組織的な体制も整っている。
それに平和的な団体でパラサイトよりもずっと安全な場所だ。
「確かにパラサイトは治安的な不安はある。大きい集団は確かに安全だが、それはそれで
面倒な事があったり、やりにくい事があったりする物なんだよ。内側に秘めている思惑と
か色々とね」
アークは大きな集団だが、それでも世界人口の数パーセントを埋める程度の人口しか無
い。
世界全体で見ればアークのような考えは少数だが、巨大集団であるのは変わらない。
大きくなりすぎた組織である故に時代に取り残されてしまったのかもしれない。
「アークとしてはドールズマーチを世界中に広めたいが、推しすぎると反発を招く。特に
エラーの対処に関しては前々からアークは批判を買っているんだよ。」
世界は広い。自分がいる団体の意見を固めることは出来ても、他の団体の意見を固める
ことは難しい。
パラサイトは元からアークの仕事を請けている。故にアークの影響は濃い。
集団としても小規模なものなのでヴィヴィの預け先としては最適と言えるだろう。
それに関しては私も理解できるが私にも言いたい事はある。
仕事なら依頼人も請負人も対等な状態を望む。
「俺はパラサイトだ。パラサイトがアークから仕事をもらって暮らしている。それは知っ
ているだろ?」
「勿論だとも」
カーティスは自信満々に答えた。
当然知っているだろう……だってカーティスはアークの仕事を私に斡旋しているのだか
ら。
「俺はアークから仕事を貰った事はあるが、こんな仕事は前例がない」
「ならばコレが前例だな。実際、記録を遡ってみてもエラーを余所の集団に任せた前例は
無い」
ケラケラと笑う。呑気なものだ。
カーティスはアークの人間だが、パラサイトとの繋がりも深い。それならばパラサイト
の事情も理解して欲しいものだ。
パラサイトは集団だが集団同士の交友はあまりない。
寧ろ仕事の取り合いでトラブルになる方が多い。
新しい仕事が始まると周りからの妬まれる。
妬まれるだけなら良いが場合によっては強盗に押しかけられる場合もある。
私も過去に何度か経験した。
「さっきも言ったけど、報酬は弾むよ」
そう言ってカーティスは持ってきていたバッグから書類を出す。どうやら契約書のよう
だ。
契約書には仕事の内容と、その報酬が書かれている。
契約書の最後には署名欄、カーティスのサインが既に書かれていた。
カーティスから手渡されて文面に目を通す。難しい文章ではなく、箇条書きの簡潔な物
であった。
その箇条書きの中でも、私が目を奪われたのは報酬だ。
報酬は一ヶ月ごとに支払われるようだが、かなりの額が書かれている。
「随分な金額だな。一ヶ月単位でこれだけもらえるのかよ」
今回は子どもを三年間預かるという、かなり長期的な仕事である。
私は不定期な仕事をしているので月収に換算しにくいが、余裕で月収が倍増する金額
だ。ニ倍どころか三倍はいくだろう。それ程の金額だ。
「エラーを預けるわけだから当然だ。少なくともエラーを養うだけの金は払う」
「それはそうだが、それを考えてもこの金額は多いな」
三年間という期間が決まっているが、その間は一ヶ月に一度この金額が私の元に入って
くることになる。
子供を一人預かるだけでこの金額とは驚きだ。贅沢をする気はないが少しくらいは贅沢
な暮らしが出来るだろう。
「ただし、その契約書にも書かれているが条件がある。ヴィヴィを預かっている間もアー
クからの仕事は受ける事、その仕事にヴィヴィを連れて行く事、それが条件だ。」
これはエラーが有益な物か、それとも無益な物か、それを判断するためにもヴィヴィに
は社会体験をする事になる。
期間中は私の仕事にヴィヴィを同行させる必要があるとの事だ。そして来るべき三年
後、ヴィヴィが有益か否かの判断に私も参加する事も条件に入っていた。
「君なら分かると思うがパラサイトへの仕事報酬としては高額だ。これでもアーク内の施
設に預けるより安い。アーク内だと何処もやりたがないから高額の報酬で釣らせているん
が……アーク内では高額報酬でも後始末はゴメンのようだ」
後始末という言葉が引っかかったが、悪くない仕事であるのは間違いないだろう。
一つ気になる事は、私はアークではなくパラサイトという事だ。アークとパラサイトで
は違う集団なので、当然であるが事情も違う。
だからこの契約書通りとはいかないポイントも当然ある。
こればかりは、しっかりと意思表示をしておきたい。
「一つだけ条件を提示していいかな?」
わざわざ手を挙げてから発言する。
条件……それは簡単だ。パラサイトとしての条件である。
パラサイトはパラパラとした集団なのでアークとは違う。
「仕事を請ける条件は簡単だ。仕事を仕事にしない事だ」
「意味がわからん」
この反応は予想していた。
カーティスは仕事を持ちかけてきたのに仕事にしない……彼としては意味不明、馬鹿者
が言うような話だと思っているだろう。
「意味が分からない」
さっきまで黙ったままのヴィヴィがここで口を開いた。
正直これは予想していなかった。
相変わらずヴィヴィは下を向いたままで、その表情は読み取れないのだが、ともかくこ
のタイミングで喋った。
どこか調子が狂った部分があったので、ここで咳払いを一つ、それから本題に入る。
「新しい仕事を得たとわかると、ほかのパラサイトの連中が何をするか分からん」
確実に妬みの視線を送られるのは間違いない。
場合のよっては嫌がらせがあるが、嫌がらせで済めばまだマシだ。
何年か前の強盗の時は本当に死ぬかと思ったし、屋根裏に隠していた資金を除いて全て
奪われた。
「そういう訳でヴィヴィは仕事では預からない。建前だけでも養子という形式を希望す
る。そうすれば他のパラサイトも俺が仕事を得たようには見えない。パラサイトでは血縁
を越えた家族は当たり前のように見かける。皆、捨て子を拾ったと思われるだろう」
養子はあくまでも建前だ。実際は仕事を引き受ける事には変わりない。
つまり、私の保身が測れるのと同時に報酬は変わらないのだ。
一石二鳥……この言葉は、このような時に使うものかな?
「まぁ、マイクの言う通り、パラサイトは集団のくせに群れるような事はしないからな。
仕事よりも、養子の方がヴィヴィにとって安全だろう。それでいこう」
アークとしても、ヴィヴィが十五歳になる前に何かがあると色々と困るらしい。
軽い怪我や病気程度ならともかく事件に巻き込まれるのはゴメンだとの事だ。
外部にエラーを預けるのは初めての事、トラブルはできるだけ避けたいのはアークも同
じ。
私とカーティス、お互いの意見が一致や思惑が、ここにガッチリ一致した。
契約書に期間中、ヴィヴィを養子という形にするという旨の一文が追加された。
私にとっては自らの保身のため、カーティスにとっては自分の所属する組織のために、
この一文が追加された。
そこに渦中のヴィヴィに利益があるのかどうかが少し気になった。
「契約成立、という訳でコレが今月分の報酬だ。中を確認してくれ」
渡された茶封筒はやたらと膨らんでいた。
中身は契約書通りの金額が入っている。一ヶ月分でこの金額だ。三年間という期間限定
ながら、この金額を貰えるのはありがたい。
「それじゃマイクよ、今日から頼むぜ」
「え、今からなのか?」
「その通りだ」
カーティスは立ち上がり、コートを羽織る。
ここからアークの本部があるベルリンまで、それなりに距離が離れているから暗くなる
前に家に帰りたいようだ。
帰り支度を終えるとカーティスはヴィヴィの背中を二回叩く、強めに叩いたのでヴィヴ
ィの小さな体は大きく揺れ、下を向いてたヴィヴィの顔を強制的に前に向けた。
「今日から君はヴィヴィ・オルドだ」
最後にカーティスは、そう言い残して去っていった。
バタンとしまる扉は静かな室内に振動を与えた。
あっという間の終了であった。
私が同意したとは言え、ヴィヴィを押し付けられたのではないかと思ってしまう。
ヴィヴィ・オルドねぇ……こうも突然、娘ができるとは思っていなかった。
妻もいない私にとっては実感というものが、まだ皆無だ。
養子という形をとったのは私の方なのに何処か戸惑ってしまう。
「まぁ、確かにヴィヴィ・オルドだな」
突発的とはいえ、ヴィヴィは養子なので私と同じファミリーネームなるのは当然のこと
であった。
「名前が変わるの?」
「娘になるからな」
形とは言え形だ。ヴィヴィは私の養子になったのだから娘になった事には変わりない。
実感ゼロだったとしても、結果的には家族が増えたのであった。
独り暮らしよサヨナラ。