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7.この結末が変わるなら

 ──目蓋(まぶた)を開くと、そこには見慣れた景色が広がっていた。


 手入れの行き届いた木々。

 太陽の光を浴びて輝く、水やりされたばかりの庭の花。

 赤茶色のレンガに囲われたその場所に建つのは、私が十八年の時を過ごした、ディアドコス伯爵家の屋敷だった。

 あの炎の魔族に焼き尽くされる以前の、威厳ある佇まいの二階建ての屋敷。

 それがそのまま、私の目の前にそびえ立っていたのだ。


「……戻って……来られた、のよね?」


 まるで、夢でも見ているような心地だ。

 自然と口から溢れでた言葉に、隣に並ぶ灰色髪の青年が反応する。


「そう、だと思う。オレはここが焼ける前の状態をよく知らねえから、確信は持てねえけど……」


 屋敷の門の前で呆然としていると、ふいに玄関の扉が開かれた。

 そこから姿を現したのは、よく私の髪を褒めてくれたメイドのメロアだった。

 私は彼女を目にしたその瞬間、ドクンと心臓が飛び跳ねたような気がした。

 あの子が……メロアが、生きている。

 屋敷が炎に包まれた夜、彼女達の悲鳴を耳にしておきながらも救えなかった、あのメロアが──そこに居る。


「あの……」


 歓喜と驚きの混じった感情を持て余していると、彼女はこちらにおずおずと歩み寄って来た。

 華美な装飾の施された鉄の門を挟み、メロアは口を開く。


「私はこちらのディアドコス伯爵家にお仕えする、メイドのメロアと申します。ご主人様にご用がおありなのでしょうか?」

「……覚えて、いないのね」

「ああっ、失礼致しました! 以前、お屋敷にいらしたお客様でしたでしょうか? ご主人様のお客様のお顔をお忘れするなど、とんだご無礼を……!」


 大慌てで頭を下げ、謝罪するメロア。

 彼女の姿も声も、その性格も、私のよく知るメロアそのものだ。

 やはり、過去への時渡りは成功しているのだろう。

 そして……時渡りの代償である『存在の抹消』も果たされている。

 ディアドコス家の令嬢である私の顔を、毎日私の世話を任されていた彼女が忘れるはずがない。

 彼女の無事を喜んでいた心は、その事実を知ると同時に暗い感情に飲み込まれていった。


「……いいえ。私がこちらへ顔を出すのは、今日が初めてですわ。どうか、お気になさらずに」


 ……苦しかった。

 私はこの家の者ではないと。

 ディアドコスの娘ではないのだと、自ら宣言しなくてはならない、その事実が。

 それでもこれは、私が選んだ──グラウと共に選び取った分岐点だ。その先に待ち受けるものがどんなものなのかなんて、分かっているはずだったのに……。

 けれども私の心は、音を立てて軋むのだ。

 そんな感情を必死で抑え込み、貴族社会で培った『由緒ある伯爵家のご令嬢』という仮面で覆い隠す。

 私がふっと微笑めば、赤の他人となったメイドの少女は、少し安心したような笑みを見せていた。


「ところで、どうして貴女はこちらへ? 私達はまだ門を叩いてすらいなかったはずですが……」


 何の用も無いのに、メイドが表玄関から外に出る事は稀だろう。

 そんな疑問を投げ掛けると、メロアはすぐにこう告げた。


「先程、窓の外から強い光が差し込んできたもので……。外で何かあったのではないかと、確認の為に参ったのです」

「そしたらそこにオレ達が居た……ってワケだな?」

「はい、仰る通りでございます」


 恐らく、その強い光とやらの正体は私達だろう。

 クロノスの針を胸に突き立てたあの時、私とグラウは光に包まれて意識を失った。

 その光はあの時間から過去──メロア達がプロクスの手で殺害される前の時間へと流れ出て、それを偶然目にしたのが彼女だったという事なのだろう。

 私の存在が無かった事にされたこの過去の世界で、それを説明したところで信じてもらえるとは思えない。妙な事を口走る不審人物と判断されるのが普通だろう。


「光……? 私達はそんなものは見なかったけれど……。そうよね、グラウ?」

「んあ? ……ああ、そうだな。雲間から太陽が顔を出したのを、何かの光だと勘違いでもしたんじゃねえのか?」


 それをグラウも察したらしく、私の話に合わせてくれた。

 少し疑問が残っているようなメロアだったが、自分以外の人間がそうだと言うのなら……と、彼女なりに結論を出したらしい。


「……そう、かもしれませんね。すみません、おかしな事を言ってしまいました」

「それより、一つ確認したい事があるのですけれど」

「はい、何なりと」


 私は、いよいよ本題を切り出す事にした。


「伯爵様はご在宅でしょうか? 早急にお伝えしなくてはならないお話があるのです」


 私達が過去へ戻って来たのには、明確な理由がある。

 それは、魔界の王カルネオルが命じた『私とお母様の誘拐』と、その部下プロクスによる『屋敷襲撃』を阻止する事だ。

 それが出来なければ、この世界から私達二人が生きた歴史を消し去ってまで時を超えた意味が無くなってしまう。

 だからこそ私は、プロクスがやって来るよりも前に、テロスお兄様にその危険性を伝えなくてはならないのだ。

 私の質問を受けたメロアは言う。


「申し訳ございませんが、ご主人様は只今屋敷を留守にしております」

「いつ頃戻って来るのか聞いてるか?」

「ケルティア村と、その周辺の地域への視察だとお伺いしておりますので、明日の夕刻にはお戻りになられるかと存じますが……。いかがなさいますか?」


 お兄様がケルティア村へ?

 あの村は、先日私が視察に向かった先だ。

 私がこの家の令嬢ではなくなった今、お兄様の仕事を手伝っていた部分に穴が空いてしまったのか。

 そこを埋める為、お兄様が自ら視察へ出向くように過去が修正されたのだろう。


 あの時私が視察したのは、エルフ族のお守りをくれたエドナという女性が住むケルティア村と、その他の小さな村だった。

 その一週間後にエドナさんから手紙が届き、その日の午後からは友人であるエニアとのお茶会の約束があった。

 けれども、不審者が居るので外出は危険だとお母様に忠告され、お茶会はまた後日に延期という話になったのだ。

 今思えば、あの時書斎の窓の外から感じた妙な視線は、プロクスか彼の部下のものだったのだろう。それと同じく、不審者も彼らだと考えて良いはずだ。


 つまり、今日を入れてタイムリミットは八日間。


 それまでの期間にプロクスへの対策を練り、屋敷への襲撃を防がなくてはならないのだ。

 時を遡る際に手にしていたはずのクロノスの針は、ここへ戻って来た時点で消滅してしまった。きっと、あの中に込められたクロノスの魔力を使い切ってしまったからだろう。

 この作戦は、やり直しのきかない一発勝負。

 プロクスの企みを打ち砕き、お母様やお兄様達を護るのだ。

 そして全ての元凶である魔界の吸血鬼王、カルネオルを撃破する。

 それこそが、私とグラウの間で交わされた契約だもの。こんなところで(つまず)いている訳にはいかないわ。

 私は気持ちを引き締めて、メロアにこう言った。


「あの村まで視察に向かわれたのでしたら、きっとお疲れになって戻られる事でしょう。日を改めて、二日後の午前中にもう一度お伺いに参ります。伯爵様にはそのようにお伝え頂ければと思います」

「左様でございますか。それでは、このメロアが責任を持ってご主人様にお伝えさせて頂きます。では、念の為お名前を頂戴しても宜しいでしょうか?」


 名前……か。

 それはそうだ。私達はまだ()()()()()には名乗ってすらいなかった。

 私は少しだけ悩んだ後、はっきりと口を開いた。


「……私は、イーリス・テネレッツァと申します。こちらは私の護衛の──」

「グラウだ。グラウ・キューンハイト。しっかり伝えておいてくれよな」

「イーリス・テネレッツァ様に、グラウ・キューンハイト様ですね。承りました。それではまた二日後、こちらでお待ちしております」


 そう言って、深々と頭を下げたメロア。





 私はもう、ディアドコスの名は名乗れない。

 私に残されたのは、亡きお父様が名付けて下さったイーリスの名と、お父様の尊敬する剣の師から頂戴したというテネレッツァの名前。

 そして、お兄様と同じくお母様から受け継いだ、白の髪と緑の瞳。

 私がこの家の娘だったという証は、これしか残っていない。


 それでも……それでも私は、己が誇り高きディアドコス家の血を引く者である事実を、決して忘れはしない。

 私の心には、これまでの人生を歩み積み重ねて来た経験が、思い出が、目標がある。

 私はその目標を共有する者──人狼のグラウと共に、最後まで魔界の王に立ち向かう。


 しかし、それで全てが元通りになる訳ではない。

 カルネオルやプロクス達を倒したところで、既に世界から抹消された私達の存在は、この世界の誰もが知らない歴史上の異物となってしまった。


 ──けれども私には、『私』の存在が消えてでも、守りたかった過去がある。


 あの悪夢の夜を繰り返さずに済むのなら……。

 今の私には、これ以上望むものなど無いのだから。

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