6.時を超えて
闘技場の扉をくぐって、洞窟の更に奥を目指して突き進む私とグラウ。
「……なあ、ここって行き止まりじゃないのか?」
彼の発言通り、私達の目の前には何も無い岩壁があるだけだった。
けれどもここまでは一本道で、私が行く先を間違えたという訳では無い。ましてや、クロノスの針の存在がただの虚言だった訳でも無い。
これは、屋敷の隠し書庫にあった書物の通り。
何も無い行き止まりに見せかけた、ただ一つの正解へのルートなのだから。
私は眉をひそめるグラウに対して、小さく首を横に振った。
「いいえ、道はあるわ。ほら、よく見てご覧なさい?」
そう言いながら伸ばした私の指先が、少しの湿り気を浴びたひんやりと冷たい岩壁に触れる。
すると、触れた箇所を中心として岩壁が徐々に消えていくではないか。
そこに現れたのは、地下へと続く石の階段だった。
「クロノスの針はこの先にある、封印の間にあるわ。この隠し階段は、ディアドコスの血を引く者の魔力を込めないと現れないそうよ」
「最初のスイッチの仕掛けはまだしも、あの落とし穴にこの仕掛け……。あんたの家の人間が居なければ、絶対に切り抜けられないように作られているんだな」
「そこまでして守る価値べきが、クロノスの針にはあるのでしょうね。私個人の判断で大精霊の遺物を使おうだなんて考えてしまっているけれど、ご先祖様と大精霊クロノスは、私を許して下さるかしら……」
思わず漏らしてしまった弱音に、グラウはすぐに言葉を返してくれた。
「許すも何も、それはあんた達の一族に託された物だろ? イーリスだってディアドコス家の人間なんだ。それを使うかどうかは、あんたが自由に決まれば良いだけじゃないのか?」
「グラウ……」
クロノスの針を使うかどうかは、私の自由。
彼の口から堂々と発せられたその言葉に、私は強く背中を押してもらえたような心地がした。
私はそっと胸に手を当て、グラウに向き直る。
「……そうよね。私はディアドコス伯爵家の娘なんだもの。家を……家族を救う為ならば、躊躇う必要なんて無いわよね」
「だろ? そんな風に弱気になったところで、オレ達はこれから先の戦いを乗り越えて勝つしかないんだ。今は前を向いて、自分の信じる道を突っ走るのが一番だ!」
ぐっと握り拳を作り、力強く笑うグラウ。
「ありがとう、グラウ。貴方のお陰で、私はこのまま、私の選んだ道を信じて進んでいける気がするわ」
だから私は、私をこうして励ましてくれた彼の為にも、後悔はしない。
私は……イーリス・テネレッツァ・ディアドコスは、己の信じる道を行く。
階段を降り切った先には、大きな石室が広がっていた。
部屋の中心には床を最大限に活用した巨大な魔方陣が描かれており、その中央に祭壇のようなものがあった。
その上には、空中にふわふわと浮遊する、細い銀色の針──クロノスの針が保管されていた。
「あれが、クロノスの針……なのか……?」
「私の持つ情報が正しければ、ね」
グラウは目の前の光景に驚いているようだったが、私は冷静だった。
食事に使うテーブルナイフぐらいの長さのあるそれは、針の内部から発せられる膨大な魔力を感じる程に、凄まじい力を秘めているのが分かる。
これが……これこそが時の大精霊クロノスが遺した、私達ディアドコス伯爵家の最後の希望。
この遺物を活かすも殺すも、私次第だ。
その責任の重さと、これから待ち受けるであろう自身の未来に、胃の辺りが押し潰されそうなプレッシャーを嫌でも感じてしまう。
……けれども、私には今この場でやるべき事がもう一つある。
私は隣に並び立つグラウの両手を取って、彼の青い眼を見上げた。
突然の私の行動に、彼は戸惑ったような表情を浮かべている。
「……グラウ。ここまで付き合って下さって、ありがとうございました」
「な、何だよ……急に改まって」
私は、彼に全てを話さなければならない。
これから私が何をしようとしているのか。
私がクロノスの針を使えばその結果、彼まで巻き込んでしまう事になる。
彼には選んでもらわなければならないのだ。
私と共に、何があろうとも進む覚悟があるのかどうかを──。
「私はこれからクロノスの針を使用して、過去へ渡ります。お母様が、お兄様が、屋敷の皆がプロクスの手によって蹂躙される前の時間へ向かうのです。……けれども、時渡りなど通常では許されない行為です」
誰もが自由に時間を移動してしまえば、世界の時はいつしか歪み、正常に時間を刻む事が出来なくなってしまうのだ。
それを阻止し、最低限の負荷で時を渡れるよう考慮した遺物を生み出したのが、時を司るクロノスだった。
「本来であれば、時間移動はクロノスのみに許された特権です。クロノス以外の者は、その他の大精霊であれど──例え世界の創造神であれども、大きな対価を支払わなければならないものなのです」
「……その、対価ってのは?」
どこか震えた声で、グラウが問うた。
「歴史の上から、自身の存在を抹消する事。それが果たされた時、私達は初めて過去へ渡る事が出来るのです」
「自身の存在を……抹消……?」
「……この魔方陣の上に立ち、時渡りの術式が発動されれば、自動的に私達の存在がこの世界から無かった事として扱われます。貴方は私が雇った傭兵です。ですが、そこまで大きな対価を支払わせてまで、貴方を私の都合に付き合わせる訳にはいかないと……私は、そう思っています」
初めから存在していなかったものとして扱われるという事は、自分がこれまで歩んできた人生を、丸ごと捨て去る覚悟を試される事になる。
つまりは、私はお母様の娘ではなくなり、テロスお兄様の妹でもなくなり、ディアドコス家の令嬢ですらなくなるのだ。
その覚悟をもって過去に渡らなければ、私が愛しく思う日々は二度と戻らない。
だが、私はそれでも過去に戻ると決めたのだ。
私は二人の家族ではなくなる。その代わりに二人が笑顔で過ごせる日々がやって来るのであれば、私はそれで幸福なのだ。
しかし、グラウにはそんな事に付き合う義務は無い。
彼にも帰るべき場所があり、家族があり、友が居る。それらを雇い主の権限で奪うだなんて、そんな暴挙は許されないだろう。
何故なら私達の間柄は、金品のやり取りによって生じただけの契約関係でしかない。
あの時彼と交わした契約内容に、このような酷いものは含まれていないのだから。
「……ですから、最後に選んで下さい。グラウ。貴方は自分の存在が消えてでも、私という雇い主に付き従う覚悟がありますか? こんな事には付き合えないというのなら、今すぐこの部屋を離れて下さい。貴方を巻き込む訳には……いきませんから」
きっとここで、私達の冒険は終わりを告げるだろう。
その現実を受け入れるようにして、私は静かに眼を閉じた。
長い沈黙が、私達を包む。
その永遠にも思えるような静けさを破って、彼は答えを口にした。
「……イーリス。あんた、言ってたよな? 『私に雇われる覚悟はあるか。この願いを諦めるつもりは無い。それでも私と共に行くというのであれば、この手を取れ』って」
「グラウ……? 貴方、何を言って……」
彼の言葉に困惑しながら眼を開くと、グラウは真剣な表情で私を真っ直ぐに見詰めていた。
グラウのそのサファイアのような青き瞳の輝きに、一切の迷いなど感じられない。
「あんたの手を取ったあの瞬間から、オレはあんたの犬になったんだ。オレ自身がそう決めた。だからオレは……イーリスと一緒に過去へ行く」
「そ、その言葉……っ、取り消すなら今の内よ⁉︎ 私と過去へ行ってしまったら、この世界で貴方の事を覚えて居る人は居なくなる! それなのに貴方は、私なんかの我儘に付き合おうって言うの⁉︎」
怒鳴り立てるような剣幕で、グラウに言葉をぶつける私。
すると次の瞬間、彼は私の腕を引き寄せて、その逞しい腕の中に私を閉じ込めた。
そうして彼は、私の耳元でこう告げた。
「あんたを一人で行かせたら……それこそあんたは世界で一人きりになっちまうだろうが」
「……っ、それ、は……」
「オレはこの決断を後悔しない。誰に忘れられたって構わない。だけどな……オレは孤独ってもんがどれだけ辛いか、よく知ってる。……だからオレは、イーリスを独りぼっちになんてさせたくねえ」
まるで心の奥深くまで突き刺さるようなグラウの優しさが、私の目頭を急速に熱くさせる。
鼻の奥がツンと染みるような感覚に襲われた私は、溢れ出しそうになる雫を必死で堪えようとした。
「オレとあんたは、最後まで一緒だ。一緒に過去へ行って、一緒に皆を笑顔に出来るように、魔界王達と戦おう。その為なら、オレは何度だって時を超えてやる……!」
しかし、彼のその決意の言葉を耳にした途端、私の眼から涙が溢れ落ちた。
堪え切れない感謝の念が、形となって流れ出す。
「もう後戻りは出来ないわよ、グラウ」
「全部承知の上だ。頼むぞ、イーリス」
気が済むまで泣き続けた私を、グラウは黙ってその胸で受け止めてくれていた。
私達は二人並んで祭壇の前に立ち、互いに視線を交わし、頷き合う。
「……術式を、発動するわ。しっかりと魔法が発動されるまで、魔方陣の上から出ないようにして頂戴」
私は意を決して、祭壇の上に浮かぶクロノスの針を手に取った。
それと同時に、私達を囲む魔方陣に純白の光か灯る。
その光を合図にして、私は暗記してきた時渡りの詠唱を開始した。
「……我、時を超えし者に乞い願う。我、時の加護を受けし者の末裔なり」
私が紡ぐ言葉と共に、魔方陣はその輝きをより一層増していく。
針に込められた強大な魔力の波動だろうか。
そこから溢れる力が、私の髪やスカートを大きく揺らしている。
「この身に流るる血は、時の大精霊に捧ぐ決意の証明なり。我が願い聞き届けるならば、その力をもって我に応えよ!」
右手に握ったクロノスの針が、徐々に熱を帯び始める。
すると、空いた左手をグラウの手が包み込んだ。
そこから伝わる彼の温もりを感じながら、私は逆手に握るクロノスの針に視線を落とす。
「我らはこの時、この瞬間! 大精霊クロノスの力により、時の大河を遡る旅人とならん‼︎」
詠唱を唱えきった私は、自身の胸に針の先端を突き立てた。
これによって、時渡りの術式は正しく発動されるはずだ。
その証拠に、石室の魔方陣は先程よりも強く激しい光を放っていた。
そうして私達は互いの手の温度を感じながら、その光に身を任せ、嵐のような魔力の渦に意識を手放すのだった。