3.契約成立
ただ、呆然と眺めている事しか出来なかった。
崩れ落ちた屋敷は一晩中燃え続け、朝には消し炭になった。
「……誰も、助けられなかった」
お母様は、あのプロクスという男の手によって攫われた。
お兄様やメロア達、屋敷の者は誰一人生き残らなかった。
灰色の狼──謎の青年に命を拾われた、私だけを除いて。
「皆、私を残して逝ってしまった……。私が……見殺しにした……」
「遅かれ早かれ、プロクスの野郎が相手なら手遅れだったはずだ。あいつの炎は、並みの魔術師のそれとはケタ違いだ。普通はここまで派手に全焼しねえだろうよ」
長いようで短かった夜が明け、その場から動けずにいた私。
私の力を狙うプロクスから私を救い出し、今も見守っている見知らぬ青年。
励ましているつもりなのか、そんな事を言い出した彼に、私は素直に疑問を口にする。
「……大きな屋敷だものね。貴方の言う通り、魔法の炎でもそう簡単に……こんなにもあっけなく燃え尽きるとは思えない。貴方は、あの男の正体を知っているの?」
その問いに、灰色の髪の青年は小さく頷いた。
「ああ。あいつは──プロクスは人間じゃない。魔界を統べる吸血鬼の王、カルネオルの手下だ」
「魔界の王……? そんなのおかしいわ! 魔界の王は、もう何百年も前に討伐されたはずよ。そんな下らない冗談を聞いている余裕なんて無いわ!」
「冗談なんかじゃねえ。現に今、あんたの目の前に居る男だって人間じゃない」
「…………っ!」
彼の発言に、私は思わず息を飲んだ。
やはり、私の予想は間違っていなかったのか……?
軽装の鎧を身に纏った青年は、自嘲の笑みを浮かべる。
「見ただろ? オレは狼人間……獣とヒトの混ざり者。この身体に流れる血だけで言えば、オレもあいつらと変わらない。人類の敵対者の側だった男だ」
光に包まれ、狼から人間の姿に変わった彼は狼人間──人狼とも呼ばれる、魔族の一種。
遥か昔、人類界を支配しようとした魔族達は、吸血鬼の王を中心とした勢力によって危機に晒されていた。
けれども吸血鬼の王は、彼に反旗を翻した正義の一団によって討ち果たされる。
統率者を失った魔族の群れは、正義の一団に恐れをなして、それから魔界に閉篭もるようになった。
これが一般的に知られている、吸血鬼の王と正義の一団の対決──伝説として語り継がれる、魔族に関する知識である。
魔界に帰ったとされる魔族の一種。人狼の青年が、どうして私の前に現れたのだろう。
それに、気になる事がもう一つある。
「人類の敵対者の側、だった……? 今は人類の味方だと言うの?」
そう。彼は人類の敵だったと口にしていた。
魔族だというプロクスとは敵対しているように見えたし、彼は実際に、人間である私に手を貸してくれた。
ならばそんな予想が生まれるのは自然な流れだろう。
けれども、私の予想に反して彼は首を横に振る。
「いいや、そんなつもりはねえよ」
「なら……貴方は私の敵なの?」
「それも違う。オレの敵はカルネオルと、あいつが率いる魔界軍だけだ。あんたをプロクスから助けてやったのは、あいつらの企みを阻止する為だった。親切心であんたを助けたワケじゃねえ」
ハッキリとそう告げた彼は、その青い目で冷たく私を見詰めていた。
「それにオレは、タダで人助けをするような優しいモンじゃない。身体を張ってプロクスから救い出してやった謝礼、どうやって払ってくれる?」
「しゃ、謝礼⁉︎」
「当然だろ? オレはこれでも傭兵を名乗ってるんでね。前金無しの後払いって形で、今すぐ金品を用意してもらいたい」
「傭兵って……」
私の全財産は灰になった。
連れ去られた母以外、私は家族も使用人も、全てを失った。
没落貴族となったも同然の私が、彼に支払える対価とは……?
「……ああ、一つだけあったわ。貴方に払える、謝礼の品が」
私が生み出す、魔法の宝石。
この悲劇の元凶となった能力が、あらゆるものを炎に奪われた私に残された、価値ある唯一のモノだ。
私は手の中で魔力を蓄え、そっと握り込んでいた手をゆっくりと開いた。
「プロクスを追い払ってくれたお礼と、私を炎の中から導いてくれたお礼。私の命の値段がどれだけのものか分からないけれど、これなら当分の間は困らないはずよ」
青年は、私の手の平に鎮座する無色の宝石を前に、驚いたようにして目を見開いた。
透き通ったその石は、鶏の卵よりも少し小さい程度の大きさだった。
「あ、あんた……今、何も無い所から宝石を……⁉︎」
彼への謝礼として私が生み出したのは、朝日に照らされ光輝く金剛石──大粒のダイヤモンドだ。
ダイヤモンドは無色透明であるが故に、どんな魔力の持ち主にも波長が合う神秘の石とされている。
この石を加工して作り出される武器や防具は、歴戦の冒険者や騎士達が大金を払ってでも手に入れたい、万能の代物となるらしい。
現に私の父も、結婚当初に母からダイヤモンドを贈られ、その石を埋め込んだ剣を生涯大切に扱っていた──と、お兄様が言っていた。
ダイヤモンドの剣とお父様の意志を受け継いだのが、テロスお兄様だったのだけれど……今はこの話は置いておこう。
これだけ価値のある石であれば、彼に対する謝礼としては充分なのではないかと思う。まあ、これを彼が受け取ってくれるかどうかは、まだ分からないのだけれど。
「ええ、そうよ。これが、私がプロクスに襲われた理由。私の唯一の財産。そして……皆を失う原因になった特殊魔法の一種、宝石魔法よ」
「宝石魔法……」
「それで、これは謝礼として認めてもらえるのかしら? 現金が良いのなら、これから街に向かって質屋にでも……」
「い、いいや、これで充分だ! つーか、充分すぎるだろ!」
ぶんぶんと頭を横に振る青年は、食い入るようにダイヤモンドへ熱い視線を注いでいる。
私にとっては、物心付いた頃からよく知っている当たり前の光景だけれど、彼からしてみればこれは異常な事だ。
人は、自力で宝石を生み出す事は出来ない。
あらゆる素材を駆使し、錬金術でも使うならばまだしも、己の魔力のみで一から宝石を作り出すのは不可能なのだ。こんなに珍しがられるのも、当然と言えるだろう。
「なら、どうぞ受け取って。これで貴方へのお礼は出来たのでしょう?」
「あ、ああ……! まさか高級素材のダイヤモンドを……それもこんなサイズのモンを渡されるとは、あまりにも想定外だったな……」
「気に入ってもらえたようで何よりだわ」
彼は恐る恐るダイヤを受け取ると、腰に下げていたポーチに丁寧にしまい込んだ。
人狼でも、宝石の価値感は私達とそう変わらないらしい。今の彼の様子を見て、そう感じた。
それに、彼自身は人間に対して、嫌悪感や憎悪感といったものは抱いていないように思える。これなら、きっと……。
「ねえ。一つ聞きたい事があるのだけれど、良いかしら?」
「何だ?」
彼がしっかりとダイヤをしまったのを見届けてから、私は提案を投げ掛けた。
「貴方、傭兵だと言ったわよね? それならどうかしら。私に雇われる気はない?」
「は、ハァ……?」
「貴方の敵は吸血鬼の王と、彼が従える魔族の軍勢。私の敵は、母を攫うよう命じた吸血鬼の王と、私達の屋敷を襲った魔族のプロクス。互いに共通の敵が相手なのだから、手を組むのも悪くないと思うのよね」
呆れているのか、戸惑っているのかよく分からない声を発した彼。
しかし、私は間違った事は口にしていないはずだ。
先程も言ったように、私達の敵は共通している。
彼は傭兵として生活をしており、どうやらお金に困っている様子だ。
その一方、私は魔族についての知識に乏しく、戦闘経験があまりにも浅い。
ならば私が彼を雇ってあげる事で、双方の問題が解決する事になる。
「私なら、いつでも貴方に資金提供が出来る。お金に困る事は無いと断言出来るわ」
「……あんたのメリットは、オレという戦力を確保出来るってところか」
「そうよ。だって、それが傭兵というものでしょう?」
これは全て、私の未熟さが招いた事だ。
彼女達はきっと、こんな愚かな私を恨んでいるだろう。
ならば私は、彼女達の怨念を正面から受け止めよう。彼女達の無念を、私が全て背負って歩もう。
その恨みを、無念を晴らす事が出来るのは──生き残ってしまった私だけ。
それこそが、私に残された唯一の道。プロクスに……吸血鬼の王カルネオルに対する、復讐への道程なのだ。
それに──希望はまだ一つだけ、残されている。
ディアドコスの血が流れる私に出来る、最後のチャンスが。
「返事を聞かせてもらえるかしら? 私に雇われる覚悟はおあり? 私はこの願いを諦めるつもりは無いわ。それでも私と共に行くというのであれば、どうぞこの手をお取りになって?」
差し出した右手を、彼の青の瞳が捉える。
「……あんたの方こそ、オレを雇う覚悟はあるのか? オレは人狼で、あんたは人間。生まれも育ちも、種族も違う。あんたは魔族なんかを相手に、自分の背中を預けられるのか?」
「当然です。犬の一匹も手懐けられない女に、復讐なんて出来るものですか」
「言ってくれるじゃねえか、没落令嬢! 良いぜ、契約成立だ。飼い犬に手を噛まれねえよう、せいぜい気を付けるこったな!」
二人の間で交わされた契約は、彼の力強い握手によってなされた。
私のエメラルドの瞳と、彼のサファイアの瞳に、互いの好戦的な笑みが映し出される。
「可愛いワンちゃん、貴方のお名前は?」
「グラウ。グラウ・キューンハイトだ。哀れな哀れなご主人サマ、次はあんたの名前を聞かせてもらおうか?」
「私はイーリス。イーリス・テネレッツァ・ディアドコス。誇り高きディアドコス伯爵家の血筋と、気高きレアルタ王家の血筋を受け継ぐ、高貴な高貴なご主人様です。よーく覚えておいて下さいね、グラウ?」
これが私、イーリス・テネレッツァ・ディアドコスに訪れた、絶望を告げる夜明けである。
そして、これから長い時を共に過ごす事になるであろう、人狼の青年──グラウ・キューンハイト。
私達の出逢いと旅立ちの幕開けとなる朝は、嫌味な程に晴れ渡る青空なのであった。