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2.絶望の夜

 エルフのお守りは、見事にその効果を発揮した。

 廊下に飛び出した私の身体は、一切炎にまかれる事なく無事だった。


「これが、エルフの力……」


 手の中の六角形のお守りに、私は思わず視線を落とす。

 けれども、今はその効力に関心している場合ではない。逃げ延びた屋敷の者達が居るならば、救出に向かわなければならないからだ。

 それに、いつまでこの効果が続いてくれるかも分からないのだ。屋敷だって、損傷が激しい。いつ派手に崩壊するか、分かったものではない。


 私はまず、二階の部屋から確認していった。

 最終的にはここから脱出するのだから、もう二階に戻って来る事も無い。念の為、誰かが取り残されていないかどうかを、しっかりと確認しておきたかったのだ。

 何故なら、お兄様とお母様の部屋があるのもこの階だから。


 まずは隣のお兄様の部屋を調べてみようと、ドアノブに手を伸ばした。

 その時、私の脳裏につい先程ドアノブに移った熱で、手を火傷した事がフラッシュバックした。

 私は思わず、少しだけ触れてしまった指先を慌てて離す。

 ──けれども、あの時のような高熱に指が焼かれる事は無かった。


「まさか、これもお守りの力……?」


 改めて触れてみるも、やはり過度な熱は感じない。

 行動の自由が増えたのは喜ばしい事だ。私は再び捜索を開始する。


 二階は一通り見て回ったけれど、お兄様の執務室と私室、お母様の部屋にも誰も居なかった。

 既に逃げてくれているのなら良いのだけれど……。

 この目で安否を確認出来ないのは不安だけれども、仕方が無い。次はいよいよ一階の捜索に移ろう。


 階段を降りていると、頭上で何かが壊れたような音がした。

 ハッとして音のした方を見上げると、炎によって崩壊したであろう二階の床部分が崩れ、私目掛けて落ちてこようとしているではないか。

 私はエントランスへ飛び込むように、脚に力を込めてその場から跳躍する。


「ふぅ、危機一髪だったわね……」


 しかし着地に失敗したようで、右足首を軽く捻ってしまった。

 お兄様ならばきっと、こんな失敗はしなかっただろう。

 私にもっと運動神経があれば、この程度の事で怪我を負うような事も無かったはすだ。

 それに、私には普通の魔法が使えない。自分で怪我を癒す手段も無い事に、己への怒りと情け無さが込み上げる。

 けれども、捨て身の跳躍によって、崩落した床の下敷きになる事は避けられたのだ。今は命が助かっただけ良しとするべきだろう。

 痛む足首に顔を歪めながら立ち上がる。

 今は私の事よりも、メイド達を助けに向かうのが最重要課題なのだ。

 こんな脚の痛みよりも大きな苦痛と恐怖を、彼女達は味わっている。ディアドコス家の娘である私の役割は、我が家に仕えてくれる彼女達を生かし、共に歩む事。


「この程度の事で、歩みを止める訳にはいかないの……!」


 怪我の手当てなんて、彼女達を助けてからで良い。

 身体の痛みなんて、彼女達を失う恐怖に比べたら屁でも無い。

 私は己を奮い立たせ、大急ぎで駆け出した。

 いつも笑顔で尽くしてくれるメイド達の顔を思い浮かべれば、自然と痛みなんてどこかへと飛んで行く。

 目指す先は、住み込みのメイドに充てがわれた大部屋。その部屋のドアは、激しい炎によって損傷していたらしく、バタンと床に倒れていた。


「メロア! ケイト! 居たら返事をして!」


 彼女達の名前を叫びながら、私はメイド部屋へ突入する。

 炎は既に部屋の中にまで回っており、彼女達が身体を休めるベッドや、暗闇を作り出すカーテンにまで燃え広がっていた。

 そんな悲惨な光景の中に、複数の人影を見付けた。やはり、彼女達はまだここに取り残されていたのだ。

 私は生存者を見付けた喜びに顔を綻ばせる。

 ──しかし、一瞬で私の表情は絶望に凍った。


 夜の(とばり)に包まれた屋敷の中を埋め尽くさんとする炎が、彼女達をぼうっと照らし出す。

 けれども彼女達はもう、()()が誰だったのかすら分からない程に変貌していたのだ。

 ここで助けを求めていたはずの彼女達二人は、私がここに来るまでの間に──


「いっ……嫌ぁぁぁぁあああぁっ‼︎」


 動悸がする。

 目眩(めまい)がする。

 涙が止まらない。

 立っていられない。

 何も考えたくない。

 目の前の現実を受け止めたくない。


 身体の力が抜け、両膝を付いた私は、頭が真っ白になった。


 死んだ。死んでしまった。

 私の判断が遅かったから。

 彼女達の元に一番に駆け付けなかったせいで。

 あの子達は助けを求めていた。

 私はそれを聞いていた。

 私は領主の娘なのに。

 彼女達は何も悪くないのに。

 間に合わなかった。

 自分の事を。

 家族の事を優先してしまったせいで、彼女達は死んでしまった。


 いっそ意識を飛ばしてしまえば楽になれるのに、こういう時に限ってネガティヴな思考は加速していく。頭が仄暗い方へと冴えてしまう。

 真っ白になった頭の中が、どす黒い呪詛の羅列によって埋め尽くされていくようだった。


「ああ……ああぁぁ……」


 メロア達は助からなかった。助けられなかった。

 もしかしたらもう、お母様と兄さんも、彼女達と同じように……?

 嫌……そんなの嫌、認めたくない。知りたくない!

 お父様だけじゃなく、皆が私を置いていってしまうなんて!


「嫌……嫌……っ! 私を置いていかないで……私も、皆と一緒に……‼︎」


 気が付けば私は、ずっと左手に握り締めていたお守りを投げ捨てようと、腕を振りかぶっていた。

 これさえ手放してしまえば、私も彼女達のように焼け死ぬだろう。

 そうすればきっと、私も解放される。独りきりにされてしまう、そんな生の呪縛から解き放たれる──。


 しかし、私の行動は誰かに阻まれた。

 振り上げた左腕が、強い力で取り押さえられる。


「貴様を焼死させる訳にはいかない。自殺願望を抱くのは勝手だが、エーデルシュタインの乙女を生きて連れ帰るのが私に与えられた使命である」


 首だけで振り向くと、そこには真紅の髪をした男性が居た。

 アシンメトリーの髪型に、魔術師のような黒いローブを羽織った異質な男性。

 見覚えなど一切無い。ただ、その男性はあらゆる点において、おかしかったのだ。

 炎の熱など忘れてしまいそうな程の、冷たさを感じる恐ろしい濃密な魔力。

 燃え盛る屋敷の中にあって、(すす)で汚れた様子も、火の粉が飛んだ様子すらも見られない清潔な衣服。

 暑さなど微塵も感じていなさそうな、汗一つかかない無表情な白い顔。

 その男性は、私の事など全く興味も無さそうな顔をしながら、私を見下ろして言う。


「私と共に来い、エーデルシュタインの乙女よ。貴様が例の力を操れる事は確認済みである」

「……どなた、ですか」


 彼のあまりの異常さに、乾いた口から言葉を発するも声が掠れる。

 そんな私の問いに対して赤髪の彼は、またも無表情にこう返す。


「我が名はプロクス。それ以外の何者でも無い。我が使命を果たすべく、貴様を()のお方の元へ連行する」


 私が操る力といえば、一つしかない。数ある特殊魔法の一種──宝石魔法だ。

 彼はどこかで私がその力を持つ事を知り、何者かの命令で私を連れ去るよう言い付けられたのだろう。


「……その為だけに……この屋敷を、襲ったのですか……?」

左様(さよう)。目撃者は我が炎によって焼却処分とし、貴様と同じく例の力を所有する女は、既に私の部下の手で連行済みである」

「目撃者を、焼却……⁉︎」

「この部屋で喚いていた侍女共も同様だ。彼のお方の計画に不要な者は、皆残らず処分した。生き残りはもう居まい」


 プロクスと名乗ったその男性は、ひどく冷静に己が成した非道の数々を言ってのけた。

 この男が屋敷を焼き、メロア達を殺害し、お兄様も……そして、お母様を攫った主犯格だと告白したのだ。

 全ての怒りの矛先が判明した今、私の胸には、周囲を取り巻く灼熱の炎よりも激しい感情が燃え上がっていた。


 復讐だ。

 復讐だ。

 私を慕ってくれたメロア達の仇。

 私の大好きなテロスお兄様の仇。

 私の大切なお母様を利用しようとした仇。

 仇を討たねば。私の家族を、私の大切な人達の日常を奪った復讐をしなければ。

 そうでなくては、彼女達が浮かばれない。


「やらなくちゃ……やらなくちゃ……」

「……? 何をぶつぶつと呟いている」

「私が皆の分までやらなくちゃ……皆は何も悪くない……悪くないんだから……」


 私は魔力を練り上げる。

 鋭く、鋭く。

 この男の首に届くような、長く鋭い刃が欲しい。


 すると、まだ自由のままだった私の右手に、真っ黒な宝石で作られた細身の剣が現れた。

 背後へ向くようにして弧を描いて振るうと、私の殺気を感じたのか、男は瞬時に背後へ飛び退いた。

 それによって左手が解放された私は、ふらりと立ち上がりながら両手で剣を構える。

 向き合う男──プロクスは、ここで初めて感情を露わにし、不愉快そうに眉をひそめた。


「……何の真似だ、エーデルシュタインの乙女。私に抵抗するというのであれば、無傷では済まないが?」

「構うものですか。それに私は、エーデルシュタインなどという名ではありません。私の名はイーリス──イーリス・テネレッツァ・ディアドコス! 誇り高きディアドコス伯爵家の娘です!」


 次の瞬間、私はプロクス目掛けて走り出した。

 あの男目掛けて振り下ろした剣は、しかしあっさりと()わされてしまう。

 それでも私は諦めずに何度も剣を振るう。


「無駄だ。貴様に戦闘能力が無い事も調査済みである。今ならばまだ許してやろう。その剣を捨てろ、エーデルシュタインの乙女」

「私はっ! イーリスだっ‼︎」


 男の首に突きを放つ。

 あと少しで剣先が届く──そう思ったのも束の間、私はプロクスの手によって床に押さえ付けられてしまった。

 目にも留まらぬ早業に、私は苦虫を噛み潰したような思いだった。


「ぐっ……!」

「私は無駄な争いは好まない。大人しく私に従え。さもなくば……」


 言いながら、プロクスは取り押さえた私の肩を掴みながら、右腕を背中の方へと捻り上げる。


「ぐあぁぁぁっ‼︎」

「これが最後の忠告だ。私の従え。さもなくば、お前の腕をここでへし折るしかあるまい」

「い……いや……っ! 私は、お前を……‼︎」

「……そうか。残念だ」


 抑揚の無い声。

 残念さなんて欠片も感じられない。

 頑なに抵抗の意思を示す私に、遂にプロクスは宣言通り私の腕に更に力を込め──


「ワォォォォン‼︎」


 ──ようとしたその刹那、窓の外から犬らしき生物が飛び込んで来た。

 その生物は遠吠えと共にプロクスに飛び掛かり、今にも私の腕をへし折ろうとしていた彼の腕に思い切り噛み付いた。

 それによって力が抜けた隙にプロクスの下から抜け出した私は、急いで後方へと退がる。


「この駄犬め……! 何度私の邪魔をすれば気が済むのだ‼︎」

「グルルルルル……!」


 プロクスがどれだけ振り落とそうとも、灰色の犬はグッと牙を突き立て離れない。

 すると、振り払う事を諦めたらしい彼は片方の手で炎を操り、犬を攻撃しようと試みる。

 けれども犬の方はそれを予測していたようにして、炎を浴びる寸前にプロクスの腕から口を離し、華麗に回避してみせたではないか。


「何とも厄介な……!」

「グルルゥ……ガウ! ガウガウ‼︎」


 私を護るようにして、プロクスの前に立ち塞がる猛犬。

 プロクスは私と猛犬とを交互に睨み付け、


「……まあ良い。素材の一つはこちらの手に堕ちたのだ。後はどうにでもなる」


 負け惜しみのような言葉を残して、炎の中に溶けるようにして姿を消した。


「あっ……逃げられた……!」


 男の後を追おうにも、魔法か何かの手段で逃走されてしまっては、私にはなす術が無い。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、どこからか聞き覚えの無い男性の声がした。


「おい、いつまでボーッと突っ立ってるつもりだ! 早くここから逃げるぞ!」

「えっ、だ、誰⁉︎ どこに居るの⁉︎」

「目の前に居るだろうが! もう火の手があちこちに回ってやがる。窓から出るぞ!」


 若々しい印象を受ける声に怒鳴られていると、つい先程まで私を護ってくれていた猛犬が窓から飛び出していった。

 すると次の瞬間、窓の外に出た犬が光に包まれた。

 その光の中から現れたのは、猛犬の毛色とそっくりな灰色の髪をした青年だった。

 彼は怒気をはらんだ目付きで、私に手を差し伸べながら叫ぶ。


「早くしろ! この屋敷はもう長くは保たない。死にたくねえなら、さっさとこっちに来い!」


 さっき聞こえたものと同じ声で、犬から姿を変えた青年が怒鳴った。

 まさか、あの猛犬は──いいえ、あの灰色の狼の正体は……!


 私は一つの確信を得ながら、青年が待つ屋敷の外へと脱出した。

 それから間も無く、私が十八年の時を過ごしたディアドコスの屋敷は、完全に崩壊を迎えた。

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