SS:将軍閣下の休日
「起こすの、もう少し遅くても良かったのに」
いつもより早い時間に起こしに来たアリーゼに、ディルクは少し責めるような口調でそう言った。
「ごめんなさい、私が頼んだのです。早朝だけ見ることができる不思議な花が咲いていると庭師から聞いたので、二人で見たいと思って。駄目ですか?」
今日はディルクの休日であった。騎士団へは次男のツェーザルが将軍代理として出勤している。リーナはせっかくの休日だから早く起きて、できるだけ長い時間ディルクと一緒に過ごしたいと思っていた。
「駄目なんかじゃない。僕はリーナが望むなら大陸の果てまでだって一緒に行くよ」
ディルクは盛大に首を横に振っている。
『相変わらず大げさな。お庭だから、二十分も歩けば着くのに』
アリーゼは嬉しそうなディルクを半ば呆れながら見ていた。
ハルフォーフ家の庭は広大である。その中をディルクとリーナは手を繋いでゆっくりと歩く。しばらく歩くと庭師が待ち構えていた。彼の先導で日陰になった花壇に行くと、そこには朝露に濡れて、まるでガラス細工のように透明な小さな花が咲いている。
「なんて綺麗なの。まるでおとぎの国のようね」
「本当に綺麗だな。でも、リーナの方がもっと綺麗だと思うよ」
「ディルク、恥ずかしいわ。でも、とても嬉しい」
微笑みながら見つめ合うディルクとリーナ。朝日を受けて輝くリーナの髪もまた、透明な花と同じように清澄であった。
美しい花を堪能した二人は、再び手を繋いで朝食が用意されている食事室へと向かう。ディルクにとっては運動などと呼ぶことはできない短い散歩だったが、リーナにとってはちょうどいい感じの運動量だったようだ。
「朝食もゆっくりとることができるので、楽しみですね」
いつもは出勤の時間があるので、短時間で朝食を済ませているディルクであるが、今朝は時間を気にしなくていい。
「二人だけだったならば、もっと良かったのだけど」
ディルクは残念そうに屋敷の方を見た。
母は二人の結婚を機に別棟に移り住んだが、一人でとる食事は味気ないと食事時は本棟にやって来る。二人の弟も爵位を継いで王都に屋敷を持っているが、未婚のためハルフォーフ家の屋敷に同居している。四男も子爵となる予定であるが幼いためやはり同居中だ。
広い屋敷であるので、別々に食事をしたいと言えばもちろん叶えられるが、母を早くに亡くし、多忙な父と年の離れた兄との寂しい食卓しか経験したことがないリーナは、皆での賑やかな食事を望んだ。
「でも、皆さんと一緒に食事をすると楽しいわ」
リーナにそう言われると、とても反対できないディルクだった。
「リーナさん、今度の夜会用のドレスが午後に届くのよ。試着してみましょうね」
立派なダイニングチェアに座った母が、満面の笑みでリーナを見つめている。
「母上。本日でなくてもいいでしょう。今日のリーナは僕とずっと一緒ですから」
大きな体でリーナを隠すようにしてディルクが答えた。
「あら、清楚な白に青碧のリボンが飾られているドレスなのよ。そんなドレスを着たリーナさんをディルクは見たくないの? 可愛いと思うけれど」
母は余裕の笑みでディルクを見た。抗し切れずにディルクは思わず頷いていた。
勝利を確信して母は拳を握りしめる。
「ディルク兄様、本日は僕に剣術を教えてください」
四男のマリオンが頭を下げる。ディルクはこう見えても大国の将軍。大陸最強といわれる剣の使い手だ。マリオンもまだ十三歳だが、普通の騎士なら互角にやり合えるほどの腕前になっていた。
「リーナが着替えている間ならいいよ」
弟を可愛がっているディルクであるが、やはりリーナを優先したい。マリオンは少し不満そうだったが、仕方がなしに頷いた。
「兄上、少し戦術について詰めておきたいのですが」
三男のヴァルターは常にディルクと行動を共にしていた。ディルクが王都外へ移動する場合も精鋭部隊の一員として同行する。ディルクに何かあった場合は速やかに全権をヴァルターに移し、別行動をしている次男ツェーザルが将軍位に就くまで暫定的に騎士団の指揮を執ることになっている。
万が一将軍が凶刃に倒れたとしても、国を荒らす訳にはいかない。ヴァルターの任務もまた重責である。想定できる有事にできるだけ備えておきたいと思うヴァルターだった。
「明日では駄目なのか?」
当然騎士団でもディルクとヴァルターは共に勤務している。
「兄上は多忙ですから、中々時間がとれません」
大国の将軍であるディルクは、終戦後もかなり忙しい。
「私は図書室で本を呼んでおりますから」
リーナがそう言うと、ディルクは悲しそうに頷いた。
「兄上、今から騎士団に出勤しますが、溜まった書類の確認はしませんから。明日頑張ってくださいね」
ツェーザルはディルクの気分を落ち込ませるような言葉を残して家を出ていく。
「旦那様、ちょっとよろしいですか? 領地から定期連絡がありましたのでご相談したいことがございます」
執事が書類を手に食事室にやって来る。
ディルクは将軍であると共に侯爵でもある。広大な領地には代官を置いているが、ディルクの判断が必要なことが多々あった。
「わかった。後で執務室へ来てくれ」
ディルクはため息をつきながらリーナを見た。
美しいハルフォーフ家の庭は茜色に染まっている。忙しい将軍の休日も夕方を迎えてしまった。
庭の四阿にディルクはリーナを誘って、色を変えていく庭を見ている。
「ごめん。ばたばたして中々一緒に過ごせない。もう一日が終わりそうだ」
残念そうに項垂れるディルク。リーナは微笑みながら首を振る。
「朝にはガラスのような美しい花を一緒に見て、今、消え行く太陽を二人で見送っているの。とても楽しい一日だったわ。本当に幸せよ」
夕日に赤く染まったリーナもとても美しいとディルクは感じ、そっとリーナの頬に手を伸ばす。
「愛している」
「私もよ」
そう紡ぐはずだったリーナの言葉は、ディルクの唇に阻まれてしまった。




