35.母国にて
「リーナ様、とてもお綺麗で、月の女神のようです」
ウェイランド家の侍女総出で美しいドレス姿になったリーナを、アリーセは褒め称えた。しかし、それは決して大げさではない。
ウェイランド家が侯爵位を賜ると同時に、リーナはアリーセを伴って王都のウェイランド邸にやってきていた。
それから一ヶ月が経ち、侍女として拙かったアリーセは先輩侍女に鍛えられて、あけすけな物言いを少し抑え、お世辞を口にできるようになっていたが、リーナへの讃美は心からの言葉だった。
アリーセに手を引かれてやって来たリーナを見て、エックハルトは満足げに頷いた。これから舞踏会の会場へとリーナをエスコートすることになっている彼は、美しい養女が誇らしい。一年前に出会っていなくとも、今日のリーナを見るとディルクは一瞬で恋に落ちるのではないだろうかと思っていた。
「まぁ、本当に美しいわ。国を救った英雄に相応しい花嫁ね」
エックハルトの妻のベルタもまた、養女となったリーナの美しさに満足していた。リーナはディルクに相応しいと言われてとても嬉しい。
エックハルトに手を引かれて会場に入るリーナを、参加者は驚きの目で見つめている。五侯爵家となったウェイランド家の美しい養女、話題にならないはずがない。
髪を整えて夜会服をまとったディルクは、その青碧の目を細めて会場に現れたリーナを見ていた。
ウェイランド侯爵の挨拶の後、リーナが紹介されて、音楽が始まる。
ぎこちない動作でリーナに近付くディルク。
「僕と踊っていただけませんか?」
リーナは差し出されたディルクの手を取る。
「喜んで」
リーナは微笑みながらそう言った。
この日の出来事は、ハルフォーフ将軍の伝説に新たに書き加えられた。
命をかけて国を救った英雄は、とある舞踏会で悲劇の美姫と出会い一瞬で恋に落ちた。そう語られ続けるだろう。
舞踏会の一週間後にはディルクとリーナの婚約が国王より認められ、公に発表されることになった。
その知らせはリーナの母国にももたらされた。
王位継承権を失い、リーゼとの書類上の結婚をしてヴェルレ公爵となった第二王子は、ハルフォーフ将軍の相手がプラチナブロンドの美姫だと聞いて、首を傾げる。
「あの男、我が国までリーゼを救いに来たはずだが」
ハルフォーフ将軍が今まで結婚をしなかったのは、一年前リーゼに心奪われたからではないかとヴェルレ公爵は思っていた。
それが、リーゼの死からたった三ヶ月で他の女性と婚約するだろうかと、ヴェルレ公爵は疑問に感じた。
「リーゼが入っていた牢の牢番だった男を呼んで欲しい」
騎士団を訪れたヴェルレ公爵は、牢番への面会を求めた。対応に出だ騎士団長は渋い顔をしている。
「スランは仕事にも顔を出さずに荒れておりまして」
ヴェルレ公爵のリーゼに対するひどい扱いを知っているスランに対して、口止め料としてかなりの額が支払われていた。その金でスランは仕事もせずに酒に溺れる毎日を送っていた。
リーゼに与えられる食事は一日一回、牢には侍女も置かずに牢番一人だけ、服も平民の囚人に着せるような簡素なものだった。そして、貴族女性として大切にしなければならない長い髪を切り落とし、平民の端女のような姿に貶めた。
これらは全部第二王子だったヴェルレ公爵の命令である。そのことをスランから報告された騎士団長は絶句した。そして、部下である副団長がリリアンヌの親戚筋であり、このような命令をスランに実行させていたことに絶望した。騎士道以前の問題である。
世間では恋しい第二王子に裏切られて自死したことになっているが、騎士団長は直接的にヴェルレ公爵がリーゼを殺したと思っている。
「そこを何とか呼び出して欲しい」
厳しい目で見つめてくる騎士団長にヴェルレ公爵は頭を下げる。
「今更何の用なのでしょうか?」
硬い声で騎士団長が問う。
「本当にリーゼが死んだのか確かめたい」
騎士団長も娘を持つ親である。貴族女性がリーゼのような境遇に置かれた場合に生き抜けるか疑問に思い、身分差を忘れて声に怒気を含ませた。
「それは、貴方の希望ではないですか! 自分がリーゼ様を殺したと認めたくないから、生きていたことにしたいのでしょう。スランに金でも渡して、あの死体は別人だったとでも証言させたいのですか?」
リリアンヌの伯父は、平民への支援や教育を反対していた貴族の筆頭である公爵だった。国王はそんな貴族たちに流され、貧困に喘ぐ平民への対策を疎かにしていた。
王太子はそんな父を不甲斐なく思っており、国民のために大国ブランデスを倣って職業訓練所を創ろうと提案していて、反対派の貴族と対立していた。
リリアンヌの伯父は王太子を廃して第二王子を立太子しとうと考えていた。しかし、リリアンヌも第二王子も思った以上に愚かだったので、事件発覚後に見捨てて保身を図ったが、影響力が削がれたのは事実だ。騎士団副団長も更迭された。
この国は変わりつつある。平民にとってリーゼの死は決して無駄ではなかったと、騎士団長は思う。しかし、リーゼを直接手にかけたのにも等しいヴェルレ公爵を目の前にして、彼はとても平静ではいられない。
「そう思われても仕方がない。しかし、本当に確かめたいだけだ。もしリーゼが生きていたとしても、私の罪は消えることはない」
ヴェルレ公爵は真摯な目で騎士団長を見つめた。
「わかった。呼び出すだけはしてみよう。ただし、私も同席する」
ヴェルレ公爵の態度に何か意図があるのだろうと感じ、騎士団長は面会を許すことにした。
「感謝する」
ヴェルレ公爵は再び頭を下げた。
程なくスランが騎士団本部に顔を出した。近くの酒場で朝まで飲んでいて、朝に店の外に放り出されて道端で寝ていたところを騎士に連れてこられたのだ。
「あれは本当にリーゼだったのだろうか?」
顔は赤く酒臭い息を吐いているスランに、顔をしかめながらヴェルレ公爵が訊いた。
「リーゼはもう長くはもたなかった。だから…… 殺したのはお前だ! あのままでは確実に死んでいた」
スランはリリアンヌの罪が発覚して、リーゼの名誉が回復した日から苦しんでいた。あのままスランが何もしなければリーゼは助け出されたはずだった。
見知らぬあの男が骨と皮になってしまっていたリーゼを助けてくれたのか、スランは疑問に思う。目の前でリーゼが死んでいくを見たくなかっただけで、リーゼのためではなかったとスランは後悔していた。
ヴェルレ公爵に暴言を吐いて処刑されてもいいと、スランは覚悟していた。もう、守るべき妻と子も、リーゼもいない。




