30.美少女と美女とおまけの護衛
「ほぅ」
ルドルフは感心したようにマリオンの可愛らしい姿を見つめていた。リーナも美しかったが少し痩せ過ぎだと思っていたルドルフは、リーナの妹だと紹介されたマリオンを一目で気に入った。
「はじめまして、シュニッツラー侯爵閣下。マリアと申します」
マリオンは意味のない女装は嫌だと思っていたが、今回はシュニッツラー侯爵邸を探りアルノルトを救出するという任務のためだと腹をくくって、にっこりとルドルフに笑いかけた。
後ろに控えていた侍女役の母も微笑んで綺麗なお辞儀をする。息子には負けられないという無駄な対抗意識が芽生えていた。
天使のような美少女と妖艶な美女に微笑まれて、ルドルフはだらしなく目尻を下けている。
革甲で顔を半分隠したディルクはそんなルドルフを冷めた目で見ていた。
もちろんルドルフは前ハルフォーフ将軍夫人の顔を知っていたし、現ハルフォーフ将軍に会ったこともある。しかし、美少女と美女に目を奪われているルドルフは、美女に変身している母の正体に全く気付いていない。護衛役のディルクなどは最初から眼中になかった。
「正式に婚姻はできないが、王都では妻として扱ってくれるとの話は間違いないでしょうね。義理とはいえ私の妹ですから」
ルドルフの緩んだ顔に呆れながらウェイランド伯爵がそう言うと、
「安心しろ。マリアは大切にする」
ルドルフは下卑た笑いを見せた。
『嘘を言うんじゃない!』
一同は内心でつっこんでいたが、ディルク以外は表情に出すことはない。
ルドルフは密書を早く取り返したいと焦っていた。露見しても自分が婿入する前のことであるので、関係ないと言い張れる自信はある。そのために司法局には厚く予算をつけて恩を売ってきた。それでも、シュニッツラー侯爵家の取り潰しは逃れられない。舅が死罪になるのは当然だと思うし、妻も罪になってもいいと感じているが、まだ十歳の息子には情があるルドルフだった。何よりも財務局長の座を失いたくはない。
アルノルトをこれ以上責めてもしゃべりそうではないので、ルドルフはマリアをアルノルトに会わせることに決めた。
「侍女と護衛は部屋を用意させるから待っていてくれ。マリアに見せたいものがあるのだ」
ウェイランド伯爵が帰っていくと、さっそくマリアを伴い地下室へと向かおうとした。
「閣下、お待ち下さい。マリアお嬢様は妻と望まれたと聞いております。形だけでも婚姻の儀を済ますまでは二人きりにはできません」
有無を言わせぬ母の強い物言いにルドルフは少し気を悪くしたが、このままマリアを連れて帰ると言われても困ると思い、母も同行することにした。
「マリアに何かするつもりはない。屋敷を案内するだけだ。侍女と護衛もついてくればいい」
そう言ってルドルフは歩き出す。
大国ブランデスの公爵家は王家に連なる家系であり、外交や文化振興を担っていた。
国を実際に動かしているのは、侯爵五家である。国内に数万人はいる騎士や兵士を束ねる武のハルフォーフ侯爵家、国家予算を担う財のシュニッツラー侯爵。その他には、代々宰相を輩出する政の侯爵家、司法を担う侯爵家、国内の産業を管理する産の侯爵家がおり、互いに牽制しあいながらも協力して国を支えてきた。
ルドルフは舅の気持ちが全て理解できるわけではなかったが、五侯爵家の中では軽んじられていると感じていたのだろうと思っていた。
兵の配置や軍事作戦のことを他家がハルフォーフ侯爵家に口出すことはないが、予算はそうはいかない。他の四侯爵家に加えて王家や公爵家までも少しでも多く金を寄越せと口出してくる。税率さえも自由に決定できない。
ルドルフは司法局の予算を少し増額したが、それだけでもかなりの反発があった。
ルドルフがあの密書を見つけたのは十二年前、その時、ルドルフは前シュニッツラー侯爵を脅迫して娘婿に収まった。
ルドルフが密書を処分しなかったのは舅に追い出されないためだったが、先の戦争でカラタユートが優勢だった時には王を夢見て、カラタユートに有利になりような小細工をした。
ブランデスが完勝してカラタユートが属国化している今となっては非常に危険な密書であるが、下位貴族出身のルドルフを軽んじて増長する夫人への抑制に使えるかと思い取っておいたのが間違いだった。
マリアと名乗るマリオンに屋敷内を案内しながら、ルドルフは馬鹿な舅と妻のことを想っていた。
「地下室にはシュニッツラー侯爵家の財宝が保管してある。この屋敷の女主人となるマリアにも見せたいのでこちらへ来てくれ」
ルドルフは地下室への階段を示す。シュニッツラー侯爵家の財宝は領地の妻が管理しているので、王都の屋敷にはそのようなものはないが、若い女性ならばそう言えば喜んでついてくるとルドルフは考えた。
「まあ、楽しみ」
マリオンは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に満足したルドルフは地下への階段の方に進んでいく。
階段の前には四人の警備の男が立っていた。
「護衛はここで待っていろ。財宝に目がくらんで暴れられても困る」
反論しようとしたディルクを母が止めた。
「私は連れて行ってくれるのでしょう? 美しい宝石を見てみたいわ」
にっこり笑う母を見て、ディルクの顔がひきつったが、ルドルフは鷹揚に頷いた。
「いいだろう。見せてやる」
母に同行を許すと、ルドルフは警備の男を二人つれて地下室へと向かった。後にマリオンと母が続く。
『母上とマリオンならば男二人に後れを取ることはないが、アルノルトさんを人質に取られると面倒だから』
そう内心で考えたディルクも地下へと向かうことにする。
「本当に地下には財宝が置いてあるのか?」
ディルクは残された二人の警備の男に訊いてみた。体は大きいが穏やかな声のディルクに警戒心を抱かない男たちは、気軽に話に応じた。
「俺達は地下へ行ったことがないんだ。旦那様が地下へ行く時は、いつもあの二人が同行する。俺たちは誰もここを通すなと命じられているだけ」
「そうか。何も知らないのだな。それならば苦痛は少なくしておこう」
警備の男たちがディルクの言葉の意味を理解する前に、目にも留まらぬ速さで首裏に打ち込まれたディルクの掌によって意識を手放した。
ディルクは無人になった階段を悠然と降りていった。
「リーナ、貴女のお陰でこの密書を発見できた。礼を言う」
ツェーザルはハルフォーフ家の庭でリーナに礼を言った。
「たまたま知っていたことがお役に立ててよかったです」
リーナは待っているだけしかできない自分が歯痒かったので、少しでも役立てたのなら嬉しいと思う。
「僕も文学を嗜む必要があると感じましたよ」
二人の兄のように剣を扱えないヴァルターは、戦闘技術が必要な武官を諦め、軍帥となるべく戦術や戦略を学んできた。その中には暗号も含まれる。それなのに、素人のリーナに先に解読されてしまい少なからず動揺していた。
「私は騎士を連れてシュニッツラー侯爵へ向かうことにする」
ツェーザルはことが重大であるので、シュニッツラー侯爵の身柄確保に向かうことになった。
「兄上、アルノルトさんが無事救出されるまで、不用意に動かないでくださいね」
ヴァルターは父に似て真っ直ぐな性格のツェーザルを心配して助言する。
「それぐらいわかっている。ヴァルターは密書を持って王宮へ行き、シュニッツラー侯爵捕縛許可をもらってきてくれ」
「わかった」
ツェーザルとヴァルターはそれぞれの目的地へと向かって行った。
「リーナお嬢様、大丈夫ですか?」
リーナたちが何をしているのかわからないままに、離れて見守っていたアリーセは、ツェーザルとヴァルターが離れていったので、慌ててリーナに駆け寄った。
「ええ。これでアルノルトお義兄様が無事救出できれば、事件解決よ」
本を読んでばかりいるというアルノルトが横領するはずないとリーナは思い、無事アルノルトが救出されシュニッツラー侯爵が捕まれば、名誉は回復すると安心していた。




