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03.リーナとして

 リーゼが牢を抜け出した夜、見知らぬ男に連れてこられたのは、一見の客でも泊まることの出来る宿としては最高級のところだった。男が泊まっている部屋にはベッドルームが二室あり、トイレと簡易シャワーがついている。

 リーゼは使った形跡のないベッドルームへ連れてこられた。そこにはベッドの他に小さなテーブルと椅子が二脚置かれていて、リーゼはその一つに座らされる。

「腹が減っているだろうけれど、急に食べると体に良くない。スープを作ってもらうからちょっと待ってて」

 男はリーゼを残して慌てて部屋を出ていった。


『まだ賭けの結果はわからないけれど』

 男を見送ったリーゼは心の中でそう思っていた。

 牢番が選んだ男は大柄だけれど威圧感がなく、優しい笑顔がとても印象的だった。二ヶ月も牢に入っていたので足が弱っているリーゼの手を引いてゆっくりと歩く男に、初対面だというのにリーゼは安心感さえ覚えてしまった。

 痩せて骨ばったリーゼの手に負担をかけないようにそっと握られた大きな手は、とても温かいとリーゼは感じていた。

『牢番さんとの約束だから、生きる努力をしなければ』

 そう決意したリーゼは、男が食べ物を持ってくるのならば口にしようと思っていた。



 しばらくすると、盆に湯気の上がっている器を乗せて男がやってきた。器には長時間煮込んだような具のないスープが入っている。

「残り物のスープがあったのでもらってきた。温めてもらったので気をつけて」

「ありがとうございます」

 湯気とともにいい匂いがして、消え去ったと思っていたリーゼの食欲を呼び覚ます。

 リーゼは木でできたスプーンに少量のスープをすくい取り、慎重に口に運んだ。

 牢の中では果物ぐらいしか食べていなかったリーゼは、温かいものを口にするのは久し振りだった。リーゼの心の強張った部分を溶かしていくように優しい味のスープが染み渡る。

「野菜と鶏肉のスープらしい。温まるだろう?」

 向かいに座った男は微笑みながらリーゼを見ていた。リーゼはスプーンを口に運びながら小さく頷いた。



「僕の名前はディルク。君の名前を教えてもらってもいいか?」

 リーゼがスープを全て飲んでしまった頃合いを見て、ディルクと名乗った男がリーゼに訊いた。

「あの、リ、リーナです」

 本名を名乗り罪人だと知られてしまうと、牢番にもディルクにも迷惑をかけるのではないかと思い、リーゼは咄嗟に偽名を口にした。

「リーナは貴族の家で侍女でもしていたのか? とても仕草が美しいよな」

 姿形はかつての面影からすっかり変わってしまったが、公爵令嬢だったリーゼの動作の美しさは隠すことはできない。

「はい。十二歳の時から奉公に上がり、五年近く勤めておりました」

 かつてリーゼに仕えていた侍女は、十二歳から公爵家に勤めていると言っていたのでその真似をした。

「そうか。貴族の家に奉公できるというのはいい家の出なんだろう? お父さんは治療費のかかる病気だったんだね。お気の毒に」

 ディルクから笑顔が消えて悲痛な顔になった。一瞬何を言われているのかわからなかったリーゼだったが、牢番が病死した友人の娘だと紹介してくれていたのを思い出す。

「はい。侍女の仕事を辞め父の看病をしていたのですが、薬代で資産を全て無くしてしまいました」

 善良そうなディルクを騙すのは心苦しいとリーゼは思うが、本当のことを言えば牢番も咎を受けることになるだろうから嘘をつき通すしかない。



「リーナ。伝えておきたいことがあるんだ。僕は愛しい人に求婚するためにこの国にやって来た旅人だ。ある事情で彼女は囚われていて、今夜救出に向かおうとしたんだけど、成り行きで君を預かることになってしまったので取り止めたんだ」

「も、申し訳ありません。私が邪魔をしたのですね」

 リーゼは慌てて謝った。橋の上で佇んでいたのは時間を持て余していたわけではなく夜が更けるのを待っていただけで、自分のせいで愛しい女性の救出に向かえなかったと思うとリーゼはいたたまれない。

「それはいいんだ。二、三日中には実行するつもりだから。ただ、彼女を無事救出できて求婚を受けてもらえたら、彼女を僕の国に連れ帰ろうと思っている。その時彼女が許せば、君は侍女として同行してもらうが、彼女が拒否したら申し訳ないがこの国に捨てていく」

 ディルクは申し訳なさそうに頭を下げた。

「お気になさらずに。私の方こそご迷惑をかけてしまって心苦しいです。押し付けられただけなのに、こんなに親切にしていただいて」

 リーゼも深々と頭を下げた。


「成り行きだから気にしないで。僕としては放り出しても罪悪感を覚えないほど早く元気になってくれたら嬉しいけど。ごめんね。酷いやつだよね」

 はにかむような笑顔を見せながら自分を悪者にしようとしているディルクを、リーゼは微笑みながら見ていた。


 

「彼女は月の女神のように美しい人で、その上心も綺麗なんだ。もう、惚れるしかないよね」

「あれほど素晴らしい女性がこの世にいたなんて、奇跡に違いない」

「もし彼女が僕の求婚に答えてくれたらと想像するだけで、僕は空だって飛べそうなほど心が浮き立つんだ」

 ディルクが彼女を褒める度に胸が痛んだ気がしたが、リーゼにはその訳がわからずにいた。

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