29.悪い奴ら
地下室独特のカビ臭い空気にもなれてきた。もう拘束されて十日以上経つ。殺風景な室内を眺め、鎖のついた足枷を触りながら、アルノルトはあと何日生きていられるかとため息をついた。
アルノルトが財務局の局長室である書類を見つけてしまったことから始まった。
アルノルトが書類にサインをもうため局長室へ訪れた時、ルドルフは不在であった。ふと見ると重厚な本棚の扉が開いていた。その中に見たこともない題名の小説があり、著者だけでも確かめたいと引き抜いてしまった。本の中に書類が挟まっているとも知らずに。
本の中に栞のように挟まれていた紙が下の落ちたので、紙を拾い上げたアルノルトは思わず広げてみた。
そこに書かれている内容の重大さに、とりあえず書類を持ち出してある場所に隠してから、現局長のルドルフも知らないのではないかと思い、確認に行ってそのまま拘束されたのだ。
いきなり書類を公にすれば、財務局が大荒れになるのはわかっていた。だからこそ現局長に相談しようとしたのだが、それは間違いだったとアルノルトは後悔する。
硬い音を響かせて鉄の扉が開かれ、手に乗馬用の鞭を持ったルドルフが部屋に入ってきた。
「そろそろ、あの書類の在り処をしゃべる気になったか?」
もう何度も吐いた言葉に飽きたように、アルノルトは苛ついていた。
「あれは隠蔽していいものではない」
アルノルトが頭を振る。
「所在を言わない限り殺されないとでも思っているのか? 甘い男だ。お前を殺して私は何も知らないと言い張れば、事態の収拾ぐらいできる」
冷酷そうに言い放つルドルフをアルノルトが睨みつけると、癇に障ったのか、ルドルフはアルノルトの背中に鞭を振り下ろした。幾筋も鞭の跡がついた背中に新たに赤い線が増える。
「うぅ」
呻き声を押し殺しながら、アルノルトは蹲った。
「まぁいい。お前の横領の罪でウェイランド伯爵家を潰して、ゆっくりと屋敷を探すことにする。その前に、お前の妹がやってくる。お前のかわりに鞭打ちをしても楽しそうだ」
ルドルフの言葉に驚く。確かにエックハルトが知り合いの娘を養女にしたと聞いていた。
「その娘には関係ない! あの父が私の罪の隠蔽のために無関係な娘を差し出すなんてしない」
不器用だが不正なことが嫌いな父を、アルノルトはそれなりに尊敬していた。その父が家のためとはいえ、女性を犠牲にするとは思えない。
「あの馬鹿正直者のエックハルトは了承しないだろうと思っていたが、お前の兄はそう馬鹿ではなかったようだ。新たに引き取った腹違いの妹をこの屋敷に寄越すと、先程連絡があった。明日には義妹に会えるかもしれない。楽しみにしていろ」
そう言い残して部屋を去ろうとしたルドルフを、アルノルトは絶望の目で見つめていた。
翌朝は快晴となった。
樹齢二百年を超えると言われているオリーブの大樹は、代々のハルフォーフ家の人々を見守り続けてきた。
そこに、ツェーザルとヴァルター、そして、リーナが集っていた。侍女のアリーセは少し離れて見守っている。
「アルノルトは僕たちより背が低いが、リーナよりも背が高い。身長が違うと歩幅もちがうので、広範囲に掘ってみるしかないな」
ヴァルターは庭の隅に建てられた用具倉庫から二本のスコップを持ってきている。
オリーブの西側には花壇になっており、半月前ほどに花が植え替えられていた。その作業をアルノルトが手伝っていたことは庭師に確認済みだった。
「ツェーザル兄上、十歩進んでくれ」
ヴァルターが頼むと、平地に置かれた縄の横をツェーザルが歩く。
「次はリーナだ」
リーナも十歩進むと、ツェーザルの進んが距離とリーナの進んだ距離の中間に印をした。
オリーブの木から真西に向かってローブを伸ばす。印のある付近の花を丁寧に取り除き、ツェーザルとヴァルターは地面を掘り始めた。
作業を初めて半時間ほどで、油紙で包んだ銅の箱が現れた。
慎重に蓋を開けるヴァルター。
「これは……」
そこから出てきたのは、先の戦争の相手国、新興国カラタユートの王の血判が押された密書だった。
『シュニッツラー侯爵はカラタユートの興隆のために力を尽くす。カラタユートがブランデス王家を倒した暁には、シュニッツラー侯爵を新たな王とする』
そこにはそう記載されていた。
「シュニッツラー侯爵は敵と通じていたのか!」
手に持ったスコップの柄を折ってしまいそうなほど力を込めて、ツェーザルは怒りの表情を見せている。
「密約を交わした日が十五年前になっている。ここに記載されているのは先代のシュニッツラー侯爵ですね」
周辺国を取り込んで大きくなっていったカラタユート。その影には大国の財務局局長が絡んでいた。
「戦時中物資が届かず、我軍が敗走を余儀なくされたことがあった。戦後調べてみると、財務局で書類が止まっていた。処理しなければならない事案が増えたことによる過ちだと思っていたが、故意だったのかもしれない」
苦戦を強いられた戦争のことを思って、ツェーザルは再び怒りを露わにした。
「アルノルトさんがシュニッツラー侯爵に拘束されているのなら、早く助け出さなくては危険だ。この書類に血判を押しているのは領地で隠居している先代。この文書が公になれば現シュニッツラー侯爵は知らないと言い張る筈だ。その時、この文書を持ち出したアルノルトさんを拘束していたことがばれると、無関係だとは言えなくなる」
ヴァルターにとってもアルノルトは兄のような存在であり、思った以上に危機的な状況に顔色をなくしていた。
「お義兄様を殺して、闇に葬ろうとすると?」
リーナの声も震えている。会ったこともない義兄であるが、リーナは絶対に助かって欲しいと思ている。
「大丈夫だ。兄や母を信頼してやってくれ。マリオンだって弱くはない」
ツェーザルはリーナを慰めていた。
その様子が紳士的だったので、アリーセはとりあえず安心していた。




