28.母は魔女?
晩餐の用意ができたと呼ばれたので、応接室に残されていた四人は食事室で女装をしている三人を待つことにした。
「まぁ、可愛い!」
最初に入ってきたのはマリオンだった。
母と侍女たちが手間暇かけたマリオンのドレス姿に、リーナは思わず声を上げた。マリオンはふてくされたように頬を膨らませているが、それさえも抱きしめたいほどに愛らしいと彼女は思う。
「どうせ、僕なんて男らしくないよ」
マリオンの背の中ほどまでに伸ばした金髪は、いつもは貴族の少年らしく後ろでひとまとめに結んでいるが、今はゆるく結い上げられている。薄紅色のレースを多用したドレスは可愛らしさを更に増していた。
「ごめんなさい。私のためなのに」
リーナは自分が無謀にもシュニッツラー侯爵のところに行くと言ってしまったから、優しいディルクがマリオンに女装を頼んだのだと感じていた。ディルクは辛そうにしていて、自分も一緒に女装すると言うぐらいだ。ディルクはマリオンに女装をさせたくはなかったはずだ。
しかし、穏便にシュニッツラー侯爵邸に入るのには有効な手だとリーナは思っていた。
「別に、リーナのためではないよ。アルノルト兄様は僕にとって大切な従叔父だから」
少しすねながらも、マリオンは開き直ったのかそのまま食卓についた。
次に現れたのはディルクだった。皆は侍女服を着ているのではないかと恐れていたが、護衛が身に付けているような軽装の革鎧姿だった。手には半分ほど顔が隠れる革甲を持っている。
「侍女服は着ないのか?」
ツェーザルが訊くと、ディルクの顔が不機嫌に歪められた。
「化粧までされたのに、着ることができる服がなかった」
悔しそうにディルクが言った。
「ディルク兄様は化粧映えするって母様が言っていたよ。でも、体の大きさは如何ともし難いから、侍女服があっても侍女仲間と思われたくないって」
マリオンが母の言動を解説した。
「そんなこと、最初からわかっていただろうに」
ウェイランド伯爵はなぜ化粧をしたのか不思議だったが、リーナは化粧をしたディルクを見ることができずに少し残念だと思っていた。
最後に登場したのは、ゆるくウェーブのかかったダークブロンドの髪を背中に垂らして、紺色のエプロンドレスに白いヘッドドレスをつけた年齢不詳の美女だった。
「誰だ?」
見慣れぬ女性の登場にウェイランド伯爵が驚いている。
「我が従弟殿は何と薄情なのだ。幼少の時から遊んでやった従姉の顔も忘れたのか」
いつもは男装をしていて化粧もしていない母は、ハルフォーフ侯爵家の侍女たちによって、詐欺とも言えるような変身を遂げていた。
「魔女なのか?」
ディルクが思わず呟く。
「死にたいようね」
母は太ももに仕込んだ短剣を抜いてディルクに襲いかかるも、ディルクは剣を抜いて軽く止める。
リーナは母がスカートの下に膝までのスボンを履いていて安心していた。
ウェイランド伯爵は突然始まった闘いに絶句していたが、リーナが楽しそうに笑っているので、見かけによらずすごい心臓の持ち主なのだと感心した。
「アルノルトが部屋に変な手紙を残していたのだが、リーナの解読によると、ハルフォーフ家の庭に何か大切なものを埋めたという内容らしい」
気を取り直したウェイランド伯爵は、三人が不在の間の応接室でのことを説明した。
「アルノルトは我が家の図書室目当てでよく遊びに来ていたわ。ただで読ませてもらうのは悪いと言って、帳簿付けを手伝ったり、庭師の真似事をしていた」
母は年の離れた従弟のことを思い出していた。
「僕もよく遊んでもらったから覚えているよ。アルノルト兄様は庭師と仲良しだから、庭に何かを埋めるのは容易いと思う」
マリオンも同意する。
「我が家で間違いなさそうだな」
ヴァルターが頷いている。
「シュニッツラー侯爵に都合の悪いものが出てくる可能性が高いわね。ディルク、存分に暴れても大丈夫よ」
母は女性として 横領を隠蔽する対価としてリーナを寄越せと言うシュニッツラー侯爵のことを許せない。
「わかっている。あの野郎、産まれてきたことを後悔させてやる」
ディルクのいつもは優しい青碧の目が、突き刺さるほどに鋭くなった。
「母上、兄上、程々にしてくださいね」
顔は厳ついが一番常識人のツェーザルがなんとか諌めようとした。
晩餐が終わると、リーナの腹違いの妹としてマリオンが王都のウェイランド伯爵邸へ向かうことになった。お付きの侍女として母が、護衛としてディルクが同行している。
明日にはシュニッツラー侯爵邸へ乗り込む予定だ。
「皆様、お気をつけて。どうかご無事で」
出ていこうとする一行にリーナが声をかける。アルノルトが危険的状況にある可能性があり、一刻も早くシュニッツラー侯爵邸を探りたいとリーナは思う。しかし、自分が行けば足手まといになることもわかっていた。義弟になるであろう年若いマリオンにこのようなことを頼み、自分は安全な場所で待つだけというのは心苦しいとリーナは思う。
「大丈夫だ。リーナが望む限り、僕はどこからだって帰ってくるから」
そう言うディルクの表情は柔らかくなっていたので、リーナは安心していた。
「僕はこう見えてもハルフォーフ家の人間だからね。舐めてもらっては困るよ」
リーナはそう言って胸を張るマリオンを微笑ましく見ていたが、ディルクを尊敬しているマリオンは剣の鍛錬を欠かさなかったので、普通の騎士相手なら勝つことができるぐらいには強かった。
アリーセはリーナの部屋として与えられた客室でリーナの帰りを待っていた。アルノルトのこともリーナのことも心配で、広い部屋をぐるぐる回っている。
「アリーセ、何をしているの?」
ひたすら歩いているアリーセを見て、リーナは首を傾げている。
「あ! リーナ様、ご無事ですか」
アリーセはリーナがハルフォーフ将軍の部屋に連れて行かれるのではないかと心配していたので、リーナの顔を見て涙ぐんでしまった。
「大げさね。少し話をして食事をしただけよ。それでは一緒に休みましょうか」
広い部屋には天蓋のついた大きなベッドが二台置かれていた。
「しかし、こんな豪華なベッドで寝るわけには参りません。隣に侍女の間がありますから、そちらで休みますから」
領地にある老夫婦が住まう古いウェイランド伯爵邸しか知らないアリーセは、見たこともない豪華な部屋に緊張していた。とてもぐっすりと眠れるような気がしない。
「宿屋でも一緒の部屋で寝ていたじゃない。ここでもそうしてほしいの」
母国では公爵令嬢で王族の婚約者として生きていたリーナは、友人は選ばなくてはならないと教えられ、親しい友人はいなかった。もちろん、他家の令嬢と同室したことなどない。兄はいるが姉妹はいないリーナには、同年代のアリーセと一緒に旅をした経験は思った以上に楽しく、せめて結婚するまではこうして同室で過ごしたいと望んだ。
アリーセはハルフォーフ将軍がやって来るのをリーナは恐れているのだと考えて、同室することに同意した。




